January 17th, 2000
でも、元々「見られる者」達というのは、日本の白拍子にしろ、ヨーロッパのジプシーにしろ、そういった負性を帯びているものですよね。歌舞伎役者だって、江戸時代は一般の人ではなかったわけです。それがいつのまにか特権階級になっていますが。
朋ちゃんが今年の4月から年末まで休業というのはあまりにも残念です。彼女こそ、天然の「見られる者」としての素質が有り余っているのに。来年、グレードアップした彼女を見るのが逆に楽しみですが、野次馬の一人としては、テレビのブラウン管に収まる程度のグレードでとどめてほしいものです。見られなくなったらもともこもないですからね。
まさむね。
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January 17th, 2000
明菜にしても朋チャンにしても
いろいろ背負っちゃうと
見ているほうには辛いものがありますよね
歌の世界だけじゃないものも連想しちゃいますからね
アムロの暗さに関しては何なんでしょうね
幸せと不幸の振幅が激しかったら
歌の世界もあっちの世界にいっちゃったのかもしれませんね
ところざわ
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January 17th, 2000
暗さという事で言うならば、ここで是非とも触れておきたい歌手がいる。
それは安室奈美恵だ。昨年のあの「事件」の影響を引き合いに出すまでもなく、彼女の素の暗さは、歌番組での背景に登場した時に十分窺い知れる。
例えば、昨年末の紅白歌合戦の開会式の時、よりによって、司会者の真後ろに位置取った彼女はほとんど、不機嫌な表情でうつむき、明るくあるべきその場所の雰囲気を一気にかき消していたという点で、逆に存在感を醸し出していた。その彼女が唯一笑顔を見せたのが、そのまた隣にいた問題大物歌手・石川さゆりに何事か話し掛けられた瞬間だったというのも、また妙なリアリティがあり、もしも、その配列、話し掛け、微笑、全てが演出だとすれば、NHKの奥の深さを感じざるを得なかった。
さらに、この安室の新曲のLove2000の踊りの演出が、なぜ、ここまで、うつむかせるのかと思わせる。踊りというのが本来、エロスを謳歌すべきものなのに対して、彼女の表情はこれまた逆に際立っており、お子様に悪い影響が出ないかものと老婆心までをもくすぐる作品になっている。
ちょっと関係ないが、僕がこの踊りを見たテレ朝のミュージックステーションという番組は、タモリの司会のやる気の無さはさておき、タモリが一人づつインタビューするの歌手の背景に映っている他の面々の「そんなことどうでもいいだろ。」という無関心の表情とそれに反比例するスタッフの過剰な笑い声がとても気になる番組だ。「夜のヒットスタジオ」のように出演者が過剰に同調する必要もないのだが、そんな雰囲気の中、タモリの後ろに稲垣吾郎を配置すれば、どういう事になるのか想像はつきそうなものだ。
もっとも、私はそれをこよなく楽しんでいるのであるが。
まさむね。
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January 14th, 2000
意識して聴いたことはなかったけど
こうして歌詞を読んでみるといいですね。
たしかに、歌うときに
「なんて楽しくなさそうに歌うのだろう」とは
思っていたのですけど、
タナトスまでモチーフになって商品化されてるなんて
凄いですね。
たしかに才能あれば、文学なんかで数千人数万人に読まれるよりCDで何十万何百万人相手のほうを選びますよね
いまは社会全体が黙り込んでいますよね
声を荒げて喋るのって、
聞くほうみんな引いちゃいますよね
ノックの件にしても声高々に追及している人たちのほうが
たとえ正論だとしても品がないような気がします
ところざわ
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January 14th, 2000
ブリグリの歌詞についての僕の評価は、それがベトナム戦争以降のアメリカ現代文学の一つの流れ、「ダーティリアリズム」的センスと通底している事かもしれないと思った。
「ダーティリアリズム」とは私の浅い知識によると、村上春樹の翻訳で知られるレイモンドカーヴァとかのアメリカ人白人労働者階級の生の生活を描いた作品群の事で、アメリカが構造的にかかえる人種差別とか階級といった難問をそのままに描いている(といわれている)。
その彼らの一つの倫理的仕草が「黙り込む」という事で、その黙り込みかたがブリグリの歌詞と似ていると思った。
今朝、久しぶりに、本当に久しぶりに身動きの取れないような満員電車で田無から西武新宿まで電車に揺られてきたのだが、近くのおそらく30代位の男性は、マルクスの「共産党宣言」の文庫を呼んでいた。隣の女性は、おそらくヨーロッパに住んでいる友達からの手紙を読んでいた。車両のどこかで、ウォークマンから漏れている椎名林檎の「本能」が聞こえた。そして、今や携帯のベル音は雑音とも呼べないくらい当たり前の音になってしまっているのに気づいた。
そして、僕を含め全員が当たり前だが、黙り込んでいた。
そして、西武新宿からおよそ20分間歩いて、オフィスまでやってきた。そろそろ仕事開始しなきゃ。
まさむね
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January 13th, 2000
ところざわさんからのメールを見て、自分で書いた過去の全日本プロレスものを読み返してみたら、今とほとんど考えが変わっていない事を確認。自分のお里が知れました。
さて、オブライトの体型ですが、確かにマンガチックですね。おそらく馬場さんは技術よりも体型から彼を選んだのでしょうね。腹が出ていて手の長い人って僕はそれだけで、そのプロレスラーを信用してしまいます。
さて、今回僕が書きたいのは、ブリグリ(TheBrilliantGreen)の事だ。1年ちょっと前までまったく歌謡曲に興味の無かった私は、ELTもブリグリも同じようなものだと思っていたのだが、ちょっと聞けばすぐに分かる事だが、ブリグリはかなり違う。
フロイトを持ち出すまでもなく、一般に人間の根源的欲望には二つの方向がある。一つはエロスでもう一つがタナトスだ。簡単に言ってしまえば、エロスというのは、現世的な快楽を追求する欲望で、金や女や権力が欲しいということ。一方、タナトスは現世を否定したあの世への願望の事だ。通常、社会はその生産性を維持するためにこのタナトスを抑圧すべく機能するので、テレビとか学校とかでは、このタナトスは存在しないかのように扱われる事が多々ある。
昨日来から話題になっているSPEEDを始め、ELTとかジャニーズとかは、前面エロスで押してくる。「夢を大事にしろ」とか「頑張ってる君が好きだ」とか、露骨ではないにしろ、生を肯定するのが歌謡曲の役割の一つだと思えるほどである。
ところが、ブリグリはめずらしく、タナトスに足場を置くアーチストなのである。以下は「長いため息のように」の一節である。
10秒前の過去に脅えた。わけもわからずに。
目覚めて、少し、思わず泣いた。悲しい夢だった。
・・・
あなたがくれた本を開いてここから抜け出そう。
今や明日や現実よりも少しはマシだから。
私は、そのささやかな暗さに唖然とさせられたのだ。一般的に暗い歌手といえば、中島みゆきとか尾崎豊とかあるけど、彼らの暗さはかなり具体的だ。例えば、分かれた男に後悔させようとして一生懸命、化粧して最後の言葉を言いに行く女とか、学校に反抗して窓ガラスを割って歩く少年とか。
でも、ブリグリの暗さはもっと根源的な暗さだ。普段は明るく暮らしている人でも、フと陥るような現実にぽっかり空いた穴のようなささやかな暗さである。
彼らがこれからどれだけ続くかわからない。適当なところで、歌手を辞めて、運送屋になりたいと公言してはばからない所をみると、もしかしたら、本当に現世のエロスに興味が無いのかもしれないという想像までさせてくれる。
どうですか。
まさむね
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January 13th, 2000
過去の一本木の中にオブライトの全日移籍に関するものがあって読み返してみて懐かしかったです
馬場さんの、そいつはレスリングができるのか発言が最高でした
文章はどんなものでも書き溜めて量があると、それだけで価値ありますね。この往復書簡もできるだけ長く続けましょう。
ところざわ
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January 13th, 2000
SPEED達のコメントは大体想像がつくような気がします。おそらく、「本当」の自分が出てきたとしても、それはそれで、面白くもなさそうな、自分探し宣言とか、同世代の若者への単純な応援(エール)のようなものでしょう。
かと言って、さらに抑制を失った宴会後の深夜のダベリのようなたわ言(パフィの得意技)が聞きたいわけではないのですが....
彼女たちに我々の想像を平気で裏切るようなダンディズムを求めるのも酷なのでしょうね。
まさむね
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January 12th, 2000
プロレスラーのゲーリーオブライトが亡くなったそうだ。昨年の12月に世界最強タッグリーグ戦に出ていたのに、あまりにも突然の死であった。
そういえば、馬場もアンドレも大熊もこの1月に亡くなっている。全日本の選手にとって1月というのは死の月なのだろうか。もともと全日本プロレスは現役レスラーが死ぬとそれらのレスラーの回忌を毎年行っている。供養としての興行というのを一つの特徴にしてきたのだが、それに新たな命日が加わったということだ。
さて、馬場さんも亡くなって早くも一年が経とうとしている。晩年の馬場さんはそのリング上の動きに農耕民族的な日本人の原風景を思わせる動きを映し出していた。さらにその動きは他のレスラーの洗練されたプロレスラーとしての動きに独自の老いの美学を付加した、滑稽且つ奥深い世界をかもしだしていた。
ちょうど日本舞踊が見立てで成り立っている事、そして老いを排除しない事の2つで西洋舞踊と対峙しているのとパラレルな関係で馬場さんのプロレスは他の人のプロレスに対して独自性を保っていたのだった。
しかも、プロレスラーにとって最も大事な事はプロレスの技を見せる事ではなく、肉体の存在感を見せる事だという独自の哲学そのままに、その異様な姿は他の追随を許さないものがあった。もちろん、その伝統はあらゆる肉体のバラエティを誇る全日本プロレスに息づいているわけである。
馬場さんが亡くなってプロレスファンを辞めた私であるが、どうしても馬場さんの事になると饒舌になってしまう。オブライトの死をきっかけにまた馬場さんを思い出してしまった。
まさむね。
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January 12th, 2000
インタビューか何かで歌詞の内容を聞かれて
実体験とかじゃなくってリスナーの聞きたい
内容を考えて書いている云々
の発言もあったみたいです。
SPEEDが、ミンナ愛してるだの、質問に
4人声を揃えて返事するとか、子供の浅知恵が
小賢しかったけど、解散前後はテンションが落ちたのか
アザトイことも言わなくなったし、
答えもバラバラだったね
彼女の通う高校にはアンルイスの息子もいるそうで
教室内の葛藤を考えると楽しくなりますね
今日は初雪みたいなので風邪も完治していないので
JRがトロイ対応しそうだから早く帰ろう
ところざわ
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