Archive for the ‘相撲/プロレス/格闘技’ Category

朝青龍ガッツポーズに横審が物言い。楽しくなってきた。

Saturday, January 31st, 2009

朝青龍の優勝直後のガッツポーズに横綱審議委員会がクレームをつけたという。

やはりそう来たか、という感じである。
横審としては当然の対応だ。
    ◆
実のところ、僕は、ガッツポーズぐらいいいじゃないかという立場でも、品格に欠けるからダメだという立場でもない。
自由奔放な横綱がガッツポーズをした。>それに対して監視する横審が文句をつけた。
いい流れになったな、と見ているというのがとりあえずの立場だ。

おそらく、そうやって相撲界全体が、ワサワサする、日本中があれこれ議論する、話題になる、マスコミが騒ぐ、次の場所にさらに注目が集まる。
そういった大相撲が長年培ってきた興行会社としての手法(戦略)をトータルで見世物として楽しむ、というのが僕の興味なのである。

それにしても、大相撲というのは日本が生み出した、実に日本らしい大発明である。
土俵上の仕草にしても、一つ一つはもったいぶっていて、意味ありげだが、実は、”それらしいもの”の寄せ集めなのである。
誰も確かな意味とか、起源とかを気にしない。
それでいいのだ。
気になって、調べてみたら、以外に戦後からのものとかが多い。伝統でもなんでもないのだ。
そんなものなのだ。

例えば、土俵にいるという神様。これは、戦前は、天地開闢の十二柱=神代七代の神だったのが、戦後、一人の行司と相撲評論家が二人でただの三柱にしてしまった。
おそらくGHQから文句をつけられないかという事で自粛してそうしたというのだ。(詳細は、「女はなぜ土俵にあがれないのか (幻冬舎新書)」内館牧子参照の事)

こんな日本的なおおらかさに満ち溢れた大相撲という見世物は素晴らしいと僕は思う。

日本人は今まで、カラオケとかアニメとかいろんなものをオリジナルとして世界に発信してきたが、大相撲も、世界に出て行けるには十分な魅力を持っている。

何よりもあの、丸い土俵というもののオリジナリティは凄い。
決まった枠の外に出たら、それだけで負けというのは世界広しといえども、相撲だけだ(だけらしい)。
これによって、立会いに頭からぶつかりあうという迫力という意味では世界でも稀有な格闘技が生れたのである。
もしも、土俵というものが無かったら、作戦としてどこまでも逃げ回るという手が出来てしまう。

その昔、元相撲取りがオクタゴンに入って、相手のキックボクサーを金網まで押していって、そこで何もする事が無くて、顔面を蹴られてKOされたという試合があったが、もしも土俵が無かったら、相撲の技はほとんど通用しないものになってしまうのである。
また、土俵があるから、強い者もたまに、しくじったり、小さい者が勝ったり出来るのだ。
    ◆
僕が夢見るのは、は世界中の巨人達が両国国技館で闘う風景だ。
とりあえず、アフリカのセネガルには”セネガル相撲”(日本名だけど)という独特の格闘技があるらしい。
それは日本の相撲とよく似た技が存在するらしい。(立会いがない等、異なる点も多いらしいけど)。
一度、80年代に彼等を日本に連れてこようとしたらしいが、その時は、髷が結えないのでは?ということで話が無くなったという。
全く、もったいない話だ。髷なんてなんとでもなるではないか。床山さんの技術ならば...

ブルガリアというヨーグルトくらいしか知られていない国に、”角界のベッカム”琴欧洲がいたではないか。
エストニアというバルト海の小さな国でさえ、あの”バルチッククレーン”把瑠都がいたではないか。

これからは日本のソフトパワーだと言っている政府の方々、外務省職員の方々、是非、全世界からそういった人材を集めてもらえないだろうか(と切に願うばかりだ)。

そして、彼等が大相撲に入門する、そしてまた何か問題を起こす。相撲界がまたワサワサと揺れる、日本中があれこれ議論する、マスコミが騒ぐ、相撲に注目が集まる。
これが、全部で楽しみなのである。
    ◆
さて、こうしているうちに、若麒麟が大麻で逮捕されたというニュースが入ってきた。
尾車親方は即刻、若麒麟を引退させた。ということらしい。
これに関しては、また後日、語ってみたいと思う。

まさむね

2009年大相撲初場所を振り返る

Monday, January 26th, 2009

大相撲の初場所は面白かった。

勿論、朝青龍の23回目の優勝は素晴らしかったが、朝青龍に関しては、こちら(朝青龍完全復活は格闘家としての本能の勝利だ)をお読みいただくとして、このエントリーでは他の関取について書いてみたい。

まずは、優勝決定戦で朝青龍に敗れた白鵬について。
白鵬は静かな横綱である。初日から世間の話題が朝青龍に向いている中、独り黙々と横綱の務めを果たし、静かに勝ち進んでいた。
あまりにも危なげなかったため逆に話題にもならなかったのだ。
大鵬、北の湖などの全盛期の「横綱相撲」を思い出させるような立ち振る舞いだ。
今場所は朝青龍に優勝をさらわれたが、白鵬が第一人者である事には変わりない。
来場所、また頑張って欲しい。

次は大関陣だ。
魁皇の勝ち越しが何よりも嬉しい。魁皇に関しての詳細はこちら(大関という生き方 -魁皇論-)をお読みいただければと思う。
どうしても九州場所までは土俵に上がり続けて欲しいと切に願う。

琴欧洲は、久々に動きがよかった。
おそらく、精神的にも好調だったのである。
先場所までのどこか暗い表情が、今場所は自信に満ち溢れていた。
惜しむらくは、6日目の安美錦戦だ。すばやく横に廻られて、一気に出されてしまった。
また、10日目の千代大海戦も残念だった。
千代大海にも大関の意地があるのだろう。ツボにはまると思わぬ力を発揮する。さすがだ。
上記の2番をもし、乗り越えていたら、朝青龍の11日目で全勝決戦になっていたはずだ。
そうであれば、また別の結果が出ていたかもしれない。
いずれにしても来場所楽しみだ。

日馬富士の初日からの4連敗は意外だった。
ただ、体調が悪いようには見えなかった。おそらく、精神的なものだろう。
雅山戦、稀勢の里戦で、前に落ちてしまったが、これらは明らかに体が堅くなっていたからだ。
調子をつかめば、いつかは盛り返してくるだろうと思っていたが、さすが、14日目に勝ち越してくれた。

関脇以下でも、何人も注目すべき関取がいた。

まずは、把瑠都だ。特に白鵬戦はすばらしかった。まるで横綱同士が闘っているようながっぷり四つの大相撲。
今場所のベストバウトのひとつだ。
特に、この一番の前の把瑠都のコメントがいい。
「がっぷりになれば何とかなる。」
今をときめく、白鵬を前にしてのこの自信、さすが大物だ。
そして、千秋楽の日馬富士との一番も凄かった。
いくら軽量とはいえ、相手は大関、それを足を取って、そのままつり出してしまった。
まるで大人と子供だった。
今場所、途中で負けが重なってしまったが、気にする事は無い。来場所、優勝すら狙えると僕は思う。

一方、把瑠都と同様のヨーロッピアン力士は今ひとつだった。
阿覧は負け越してしまった。
本来の荒々しさが、影を潜めてしまった。
よく、阿覧に対して、「相撲を知らない」「型が無い」と言われることがあるが、僕はそうはそれは大きな問題だとは思えない。
阿覧には阿覧らしく、相撲取りの以前の格闘家の精神を忘れないで欲しいからだ。
極論するならば、阿覧には、無茶な張り手や力任せの寄りを見せて欲しい。
大相撲の「明日」にとっても、異種格闘技を取り込んでいった方が、よりエキサイティングな見世物になるからだ。
同様のことは、栃ノ心にも言える。
栃ノ心は千秋楽でようやく、勝ち越すことが出来たが、今場所では、彼らしさはほとんど見られなかった。
あの懐の深さと、サンボヨーロッパ王者としての技術を生かしたオリジナルスタイルを是非確立してほしい。

今場所注目していたが、一番残念だったのが武州山だ。
30歳を超して、新入幕、勝ち越しての今場所だったが、幕の内上位には全く通じなかった。
出っ腹に撫で肩のくたびれた肉体、いいではないか。来場所勝ち越して、何とか、幕内に踏みとどまって欲しいと願う。

色黒の元気者、嘉風と豊真将の活躍も目立った。
特に嘉風の動きの良さと気持ちの強さは、朝青龍戦を持ち出すまでもなく、素晴らしい。
今場所、いろんな事を学んだであろう。将来が楽しみだ。

白鵬、朝青龍、日馬富士以外のモンゴル勢も総じていい動きをしていた。
時天空が久々に勝ち越した。千秋楽の豊真将で見せた足技はこの人オリジナルだ。こういう個性的な力士は好きだ。
旭天鵬が前頭一枚目で勝ち越し、来場所の三役復帰に期待を持たせてくれた。すでに36歳になるのに、その肉体はまだまだ輝いている。
鶴竜の動きの良さも目立った。明日の日馬富士は、この鶴竜だ。
朝赤龍、光龍、玉鷲は残念ながら負け越してしまったが、十両では、翔天狼、白馬が十両優勝決定戦を争うほど元気だ。
また、個人的に注目なのは、今場所負け越してしまったが保志光だ。彼の肉体のユニークさは特筆物である。早く幕の内に上がってきてほしい。
十数年ほど前、確かに、小錦、曙、武蔵丸等のハワイ勢は活躍していた。
しかし、彼等の次の人材が続かなかった。ゆえにその流れは絶えてしまった。
一方、モンゴル勢は次々に新しい才能が上がってくる。
その勢いは凄い。
彼等の運動神経、ハングリー精神に対して、日本人はどう対抗して行ったらいいのだろうか。今後の大相撲界の大きな課題である。

嬉しかったのは、新入幕の山本山の勝ち越しだ。
来場所もまた幕の内での相撲が見られるからだ。
四日目の将司戦で見せた、圧倒的な押し、中日の垣添戦で見せた土俵際での打っちゃり気味の上手投げ、十四日目に見せた怒涛の決め出しすべてが彼の持ち味だ。
惜しむらくは、千秋楽での木村山との一戦。動かれ、横から攻められ、押し出された。ここで勝っていれば9勝。さらに上に上がれたのに...

ちなみに、今場所のベストバウト5は以下

1位:初日の朝青龍VS稀勢の里(朝青龍の意地が見えた)
2位:三日目の千代白鵬VS鶴竜(二人で土俵狭しと動き回るこれぞ相撲)
3位:二日目の若の里VS普天王(一見地味なこの対決。思わぬ名勝負に)
4位:九日目の白鵬VS把瑠都(一番の力相撲だった)
5位:十日目の白鵬VS日馬富士(日馬富士の維持が爆発)

逆にがっかりさせられたのは七日目の把瑠都VS琴欧洲。
この二人の怪物対決、いつも期待するのだが、いつも一瞬で勝負がついてしまう。
この二人が白鵬対朝青龍のような名勝負が見せられるようになれば、この二人の時代が来ると思うのだが。

まさむね

朝青龍完全復活は格闘家としての本能の勝利だ

Sunday, January 25th, 2009

大相撲初場所が終わった。

結果はご存知の通り、朝青龍が23回目の優勝を果たした。。
貴乃花の22回を抜き、北の湖の24回にあと1回と迫った。大記録だ。

思えば、今場所の朝青龍は、誠に危なっかしい出足だった。
三場所の全休。稽古も十分に出来ていない。
場所前のけいこ総見では、白鵬に全くかなわなかったという。
多くの評論家が今場所は出場さえしないのではないかと予想していた。
そんな中で朝青龍は出場を強行したのだ。

最悪の場合、引退をかけての出場になる。大丈夫か朝青龍。

初日は、そんなプレッシャーの中での稀勢の里戦である。
もともと、苦手としていた相手だ。大相撲協会も酷なことをするものだ。
    ◆
その一番、立ち会いに稀勢の里に突っ張られ、右上手を取られ、土俵際まで追い詰められた。
しかし、そこから朝青龍の逆襲が始まる。
その後、左を巻き変えて怒涛の逆寄り。
最後は、右と左と、稀勢の里への顔面に張り手。
追い詰められた横綱の意地が表れた瞬間だ。

朝青龍の強さの源はこの意地である。
格闘家本来の、絶対に負けたくないという気持ちが人一倍強いのだろう。
勿論、日々の稽古が大切というのは言うまでも無いことであるが、朝青龍の存在は、それ以上に本番での気迫が重要である事を改めて示してくれた。
    ◆
同様のシーンは、7日目の嘉風戦でも見られた。
嘉風は、先場所、前頭12枚目で11勝し、今場所、初めて朝青龍と対決する位置(前頭2枚目)まで上がってきた新進気鋭の若武者である。
普通、初顔合わせの力士は横綱に対しては、ほとんど何も出来ないのだが、この嘉風は違った。
立会いのから激しい張り合いの応酬、その中で嘉風は、朝青龍の顔に張り手に行ったのである。
勝負は、朝青龍が送り出しで辛勝したものの、勝負がついた後、勝ち名乗りを受けている時でもまだなお、朝青龍は嘉風をにらみ続けていたのだ。

「横綱としての顔」を超えた、格闘家・朝青龍としての本能を垣間見せた一瞬であった。
おそらく、こういった表情を出せる力士は、朝青龍をおいて他にはないのではないだろうか。
相撲の本質はやはり、格闘技である。そして、格闘技の本質は相手を倒したいという本能である。
そして、現在の大相撲の力士の中で、その格闘家としての本質を、最も身に付けているのが朝青龍なのである。
    ◆
そして、ついに迎えた本日の優勝決定戦。
本割の立会いに失敗し、白鵬に完敗して、1敗同士で並ばれた朝青龍。
決定戦を待つ間、支度部屋で立会いの練習を繰りかえす朝青龍。
一方の白鵬は目をつぶって精神統一。
対照的な二人の姿。追い詰められた朝青龍、と誰もが思っただろう。

しかし、朝青龍は強かった。立会い鋭く、白鵬の左下手を引き、頭をつける。白鵬に左をささせない。
そして、一気に白鵬を土俵の外に寄り切ったのだ。

おもわず、土俵上でガッツポーズを見せる朝青龍。
日頃、「横綱の品格」とやらを口にするような。いわゆる・うるさ型(やくみつるや内館牧子達)を完全に黙らせる、乱れ髪のままの喜びのポーズだ。
そして、花道を引き上げていく時、うっすら目に涙を浮かべて顔をぬぐう朝青龍の姿は、誰をも感動させたシーンであった。
    ◆
まだまだ朝青龍は大丈夫だ。
今回の優勝も嬉しいが、来場所からも、またその勇姿を見れるのは何よりも嬉しい。

まさむね

大関という生き方 -魁皇論-

Thursday, January 22nd, 2009

今場所十二日目。魁皇が豪風を小手投げで破り、12回目の角番を脱した。
この12回目の角番脱出は、千代大海と並んで史上最多の記録である。

そういえば、先場所三日目、若の里戦で左上腕を負傷して、途中休場した時はどうなることかと思った。
その時の痛々しい顔を見たとき、これで名大関・魁皇も終わりかと、正直そう思った。

しかし、今場所、魁皇は一番一番を慎重に取り進め、十二日目で見事、勝ち越し、そして大関残留を決めたのである。
しかも、この日の決まり手は、七日目に豊ノ島を休場に追い込んだ文字通りの必殺技、右小手投げである。
もしかしたら相手を壊してしまうかもしれない、という心配を胸に収めて繰り出した伝家の宝刀。
その瞬間、魁皇は、自分が生き残るために心を鬼にしたに違いないのだ。

今場所は、世間的には朝青龍の復活?引退?、新大関・日馬富士、あるいは、新入幕の山本山の活躍という話題で持ちきりだったが、多くの真性相撲ファンにとっては魁皇の動向こそが、関心事であった。
心あるファンならば誰もが、少なくとも、次の九州場所(魁皇の地元)までは、大関の姿で土俵の上にいて欲しい。それが、ファンの願望だったのである。

彼の優しそうな表情、黙々とした土俵態度、しかし、一方で、張りの無くなった体躯、膝の分厚いサポータ、塩が吹いて色褪せた回し...
そんな姿が、なんとも、愛おしく感じられる今日この頃だ。
優勝などという事はもう考えない、勿論、横綱昇進など思いもしない、しかし、一場所でも長く大関でありつづけたい、相撲を続けたい、というアスリートとしてはあまりにも低飛行な、しかし、困難な偉業を、この「哀愁を帯びた肉

体」は続けている。

長年、大相撲を見続ける、というか、眺め続ける理由の一つに、昨日と変らない今日に安心したいという、どうしようもなく保守的な動機がある事を誰も否定できないと思う。
そして、そういった視点から大相撲を見たとき、魁皇を初めとして、土佐の海、栃乃洋、出島、武州山、北桜達が醸し出すあの、哀愁としか言いようの無い世界が、どれだけ大相撲にコクを与えていることか、僕等はもっと感謝しなけ

ればならないのではないだろうか。

それらは、決して、純スポーツ的な振る舞いではなかったとしても、人間としての必死な生き方の表現には違いない。
だからこそ、僕達を惹きつけて止まないのである。

まさむね

花田家の家紋がいつの間にか替わった件に関して

Tuesday, December 23rd, 2008

先日、Yahooの特集に「【大相撲豪傑列伝】(13)力道山の肉を食いちぎった『土俵の鬼』初代若乃花幹士」という記事が掲載されていた。

記事の内容は、「二所ノ関部屋の兄弟子である力道山のシゴキを受けて強くなったが、けいこの途中で力道山の脛にかみつき、肉を食いちぎったことがある。力道山がプロレス転向後に黒いロングタイツをはいたのは、その傷を隠すためだったともいわれる。」とあるような武勇伝であるが、僕が気になったのは、その記事と一緒に掲載されていた写真だ。
おそらく、若乃花が優勝したときのパーティの写真(写真一番上の段)だろうが、若乃花の紋付の家紋が「丸に三つ柏」なのである。

花田家の家紋と言えば、思い出す事がある。
二子山親方(元大関貴ノ花)が亡くなった時の葬儀で、離婚した憲子さんが花田家の家紋のついた帯をしてきて、貴乃花親方(元横綱貴乃花)が激怒したあの件である。
この時、葬儀の壇上に大きく飾られた紋所は、「隅立ての四つ目結い」であった。
そして、憲子さんの帯にも「丸に隅立ての四つ目結い」が入っていたのだ。

勿論、その後、貴乃花親方、兄の三代目若乃花の正装の紋付にはこの紋が入っている。

さて、それでは何故、先代若乃花の家紋と二子山親方、あるいは貴乃花親方の家紋が違うのだろうか。
勿論、僕はここで、巷に流布している花田家に関するくだらない噂(真実の親子関係など)を云々しようとしているわけではない。
家紋というものが得てして、このように替わってしまうものだという事を確認したかっただけである。

花田家の家紋がいつの間に「丸に三つ柏」から「丸に隅立ての四つ目結い」になったのか。
そんなコロコロ替わってしまうものに対して何故、貴乃花はあれほどこだわったのか。
謎と言えば謎ではある。
しかし、それでもいいのである。
誰も真実をもって貴乃花に詰め寄るようなことはしない。
日本人というのは、おおらかなものなのである。
    ◆
本人が、これがウチの家紋だと言い張れば、それはそのウチの家紋になる。
これが、ウチの伝統だと思えば、それがウチの伝統になる。
正確な経緯とか、歴史の真実などどうでもいいのである。
例えば、井の頭公園弁財天の神紋にしても境内各所にある対い波に三つ鱗の紋の波の形が少しづつ違うではないか。
本当はどの形が正しいのかなどは野暮な疑問なのである。
これは推測であるが、二子山親方(元大関貴ノ花)が、「四つ目結い」は家族の絆の象徴だからと誰か(霊友会関係者?)に言われて、花田家の家紋として、採用しただけかもしれない。
ちなみに、和泉元彌の和泉家も「雪輪に隅立て四つ目結い」を家紋としている。
花田家、和泉家、ともに現代日本を代表する伝統芸の一家であるが、家紋の意味とは裏腹に、家族内のゴタゴタが事あるごとに漏れ伝わってきてしまうのは皮肉である。
    ◆
さて、歴史の真実と言えば、戦後、日本では戦前の日本がどうであったのかという論争がずっと続いている。
最近も、自衛隊の田母神氏の論文が問題になった。
おそらく、彼の論文に対して、真実はどうかという歴史考証のレベルで話をしてもそれほど実りがあるとは思えない。
重要なのは、田母神氏が信念を持って論文を発表したということだ。
おそらく、田母神氏が日本は決して悪くなかったと信じている。それは貴乃花が四つ目結いを伝統的に花田家の家紋であると信じているのと同じことだ。

それゆえに、もし、彼がいずれかの討論会などで完全に論破されたとしても、その後で一言つぶやくだろう。
「それでも、日本は悪くない」と。
    ◆
人が信じていることを替えさせるというのは、本当に難しいことだと思う。

まさむね

今のテレビ界は、ちょっと前のプロレス界と似ている

Wednesday, December 17th, 2008

久米宏の「テレビってヤツは!?」、今日のゲストはおすぎとピーコ、室井佑月、宮崎哲弥、秋元康。
テレビについて語るという内容。

しかし、見苦しかった。

ゲストも一応、有名人はそろっていたにしては意見がまるで貧困。例えば、ドラマ部門で「篤姫」圧勝、バラエティ部門で「紳助物」が1位2位独占、という状況がわかったとして、何故、そのような状況なのかという事に関して、ちゃんと考えてきている人が一人もいない。それどころか、「篤姫」に至っては毎週見ている人が一人しかいない。これでどんな分析が出来るというのか?
議論の内容がどこかで聞いた事のある一般論になるか、内輪のこぼれ話(それも当たり障りのない)になるしかないではないか。もう少し、説得力のある解説が欲しかった。

また、総体的にみんなそれぞれ、言いたいことがあるんだけど、ここでは言えない、時間がなくて言えないオーラを発散しまくっていた。
視聴者も含めて、みんな思っていることの範囲が明らかに、テレビで放送できる範囲を超えていて、そのズレがいわゆる奥歯に物がはさまった言い方になってこちらに伝わってきてしまうのだ。

   ◆
そういう意味で、今のテレビって、一昔前のプロレスにとってもよく似ていると思った。

村松友視が言ったところの「暗黙の了解」。
その了解が、村(業界内)の人たちだけが知っている掟だったうちは、(村の外の)お客はそれはそれで興奮して、楽しく見ることができた。

しかし、村の外の誰かが、その「暗黙の了解」に気付いて、おかしいと言い出す、あるいは、その「暗黙の了解」があるから、逆に面白いのだと言い出す。
村松友視の「私プロレスの味方です」という著作はそういった意味で、プロレス界にとって、非常にあやういものだったのだ。

ちなみに、プロレス史を振り返ると、その村松さんのプロレスの味方に、猪木は乗り、馬場は無視した。だから、一方で過激なプロレスがあり、一方で普通のプロレスがあるという二つのプロレス観が並存した時期があった。思えば、その時代(おそらく80年代)皮肉なことにプロレスが最もエキサイティングだったのである。

しかし、そんな危うい均衡状態が長く続くはずもない。こんな状況に対して、村の中の誰かが、「本当の事」を言い出す。
今考えると、UWF(前田日明のプロレス)の登場、逆の方向からのFMW(大仁田のプロレス)というのは、言語的にはプロレス内のものであったが、見方を返れば、その「暗黙の了解」を肉体で表現していたんだと思う。

そして、90年代、その「暗黙の了解」の存在が、徐々に村の外に伝わり、観客達の中に「やっぱりな」という空気が蔓延する。
そして、その時、外から全く新しい刺激的なリアル格闘技、K-1、UFC等が来襲する。
そうすると、「暗黙の了解」に守られていたプロレスは、ひとたまりもない。ゆるい見世物に堕してしまったのだ。
   ◆
プロレスのことをそれほど知らない人にとってはわかりにくい例だったかもしれないが、今のテレビというのが、危機だってことだ。

しかし、一方、現時点ではその受け皿になるべきインターネット界もまだまだ準備が出来ているわけではない。これも問題だ。
一番大事な点は、インターネットではテレビほど強固なビジネスモデルが確立できていないという事だ。
まだまだ、広告料が、安すぎる。ワンクリックいくらが安すぎる。アフリエイトで稼ぐのなど夢の夢だ。

さて、この状況を、とりあえず変える次のステップは、テレビの良識にとらわれないメッセージを正確に発する事が出来て、しかも力も人気もあるようなパーソナリティの登場なんだと思う。
そういったオピニオンリーダーが必要なのではないか。まぁ、いろいろと邪魔されちゃうんだろうけどね。

おそらく、今回の番組に、ひとりだけでも、そんな元気な20代くらいの狂った論客がいればまた空気が変っていただろうに。
まぁ、そんな存在を、しばらく待つことにしよう。
 ◆
あるいは、テレビのニュースバラエティに関して言えば、より討論の意味がわかりやすい方向に番組演出が変わっていくように思う。例えば、論点(消費税の是非とか、失業対策、田母神発言の是非とか)を決めて、それをチーム(発言する人、論旨を考える人、演出する人等で構成)対抗で、格闘技形式の演出にして、視聴者の生の投票によって、勝ち負けを競わせるようなものとかどうだろうか。
そうすれば、支持率の高い意見、支持率の高いプレゼンテーターなどが何勝何敗とかで明確でわかりやすくなる。コメンテーター同士の安易な頷きあいもなくなっていいのではないか。

まさむね

ノアのテレビ中継打ち切りは残念の一言だ

Wednesday, December 17th, 2008

ノアのテレビ中継が来年3月で打ち切りになるという。

全くもって残念なことだ。
これで、プロレスと世間との間にあった橋がまた一つ落ちた。
日曜日の深夜でもいい。何気なくつけたテレビに、映ったレスラーたち。
それを見て、プロレスって案外面白いじゃないかと言って、ファンになるような人たちがまた減ってしまう。

しかし、そこまでプロレスというジャンルが世間に対してインパクトを与えることができなくなってしまったのか。
プロレス側にも問題があるようにも思えるが、それはここでは書かない。あまりにも悲しくなってしまうからだ。

問題はテレビ局にもある。力道山時代から、常に優良コンテンツとして、ある時期、テレビ局自体をも支えてきたプロレスを切ってしまってよいのか。
ここに至るまで、番組関係者も大いに悩んだことだとは思うが、それが社内的な経費削減、制作費見直しの中から出てきた話であれば、それはそれで寂しいことだ。
実を言えば、最近は、プロレスファンの僕でさえ、ノア中継を見なくなっていた。
勝手な言い分だが、それでも、毎週放送していてくれているということが大事だったのだ。

思えば、プロレス中継は若手アナウンサーの登竜門的な場所でもあった。
全日本プロレス中継は、徳光さん、福沢さんという、その後、プロレス中継を卒業しても立派にやっていけるアナウンサーを輩出した。
勿論、松永さん、倉持さん、若林さん、金子さん、野口さんも覚えていますよ。
ちなみに、一方の雄、ワールドプロレスリング(新日本プロレス中継)からは、あの古舘さんが出ている。

虚実の皮膜から立ち上がってくるリアリティを感じ取り、それを活きた言葉にして我々に伝えてくれたあのアナウンサー達の修練の場がまた一つなくなってしまうのかという、テレビ側からの哀愁の情もあるんではないでしょうか。

それにしても、今、こうして中継が打ち切られると知ると、過ぎ去りし日の記憶がまたよみがえってくるのもプロレスファンとしてのさが(性)なのだろうか。

初めてタイガーマスクとして徳光さんに紹介されてコーナーポストの上に立った蔵前国技館。
そのタイガーがマスクをかなぐり捨てた東京体育館。
若き日、輪島のつき人として、タイガージェットシンのサーベルの餌食になっていた小橋健太。
同じく、猛然とハンセンに突っかかっていったのも彼だった。
天龍同盟のセコンドについていた華麗な少年・小川良成。
ジャーマンが下手なアマレス王者、異形の実力者・本田多聞。
その他、泉田、百田、田上、森嶋、力皇、菊池、井上、秋山、丸藤、杉浦...と思い出のレスラーは尽きない。

引退(または死亡)しちゃったけど、永源、大熊、ラッシャー、石川、輪島、阿修羅、馬場、小鹿、羽田、トンガ、そしてハル薗田。
外人ならば、ハンセン、ブロディ、アンドレ、ブッチャー、シン、ウィリアムス、マレンコ、ピートロバーツ、スパイビー、ジョニーエース、クロファット、パトリオット、イーグル、オブライト、ダグファーアス、ブラックウェル、フリーバース、マスカラス、フレアー、ジミースヌーカー、ハリーレイス、シーク、ニックボックウィンクル、ロビンソン、マーテル、ガニア、ファンクス、古くは、サンマルチノ、ジョナサン、カマタ、マクダニエル、ラシク、イアウケア、ディックザブルーザー、リソワスキー、スレーター、エリック、コワルスキー、ブラジル、バーナード...トムマギーやラジャライオンまでも今となってはいい思い出だ。

今後何年、何十年も経ってしまえば、これらの往年のレスラーの記憶も人々の心から消えてしまうんだろうな。
そういえば、昔、馬場と猪木とどっちが強いとか、新日本と全日本はどうちがうとか口角泡をとばしてた時代が懐かしい。
今、思えば、あの口論、何だったんだろうか。(苦笑)

ちょっとしみじみ。

まさむね

ジャイアント馬場は宮沢章夫の理想を体現していた

Saturday, December 6th, 2008

先日、爆笑問題のニッポンの教養・早稲田大学スペシャル平成の突破力~ニッポンを変えますか?~を見ていたら、宮沢章夫さんが出演していた。
宮沢さんは、80年代に「ラジカル・ガジベリビンバ・システム」で、90年代前半に「遊園地再生事業団」で演劇界を席巻。「彼岸からの言葉」「わからなくなってきました」等のエッセイも有名だ。
その宮沢章夫さんが今、演劇に必要なものとして「くたびれた肉体」という事を言っていた。

確かに、演劇的に鍛えられた肉体が舞台の上に立つよりも、普通の人が普通に生活していって、年をとっていくと陥る、いわゆる「くたびれた肉体」が舞台の上で普通に歩いている方がおもしろい。

実は、それを実現したのが、90年代の大人計画だった。そこでは、いわゆる肉体的鍛錬をされていない役者達が織りなすリアリティのある混沌劇が展開されていた。
松尾スズキ、温水洋一、宮藤官九郎、阿部サダヲ、池津祥子、井口昇、宍戸美和公等、現在も活躍している役者もいるが、大人計画の舞台は、まさしく、まばゆい演劇空間、宮沢さんが言うところの今後の可能性を感じさせるものであった。

しかし、かつてその可能性を具現する大物が、演劇界とは全然別なところに場所にいた。

それがジャイアント馬場である。

宮沢さんがいうように、演劇界から今後の可能性として待望されていた「くらびれた肉体」と、大衆エンタテイメントの権化であるプロレス界に孤高の存在感をキープし続づけてた大物ジャイアント馬場。
僕の中で見事にハイブリッスパークを起しているのだ。

僕にとって、確実に馬場さんの肉体は、他の追随を許さない孤高の存在であった。まとめるとそれは以下の点においてだ。

1)馬場さんの肉体は、足のサイズも含め、圧倒的に巨大だった。
2)馬場さんの肉体は、アスリートとしては、完全に老いていて、自然体で猫背であった。
3)馬場さんの動きそのものが老人的であり、起き上がる時などにロープを手すりのように使用していた。
(※ちなみに、生前の馬場さんは、定期健診で運動不足です。といわれたという)
4)馬場さんの肉体は、対戦相手や観客をが、思わず気遣はざるを得ない空気を醸造していた。

特に馬場さんの動きは、農耕民族の所作に根ざした日本古来の動きに基礎を置いていたような気がする。
例えば、あの曲がった腰は、長年にわたって田植えをした者のみに特権的に与えられる年季を感じさせたし、技でいえばそのストンピングは麦踏の、ロープを背にした16キックは農作業後に温泉につかる老爺のくつろぎを想起させる。

それは、アングラ舞踏家・土方巽の動き=思想と無意識的通底しているといっても過言ではないだろう。

しかし、馬場さんはそうした宿命的な自分の体躯に対しては、ある種のコンプレックスを持っていたらしい。
一般マスコミが馬場さんを取材するときには必ず、事前に、「大きいですね」とは言わないようにという緘口令があったという。
この、スター性と残酷さの背中合わせの関係。エンタテイメントという言葉の裏に張り付く見世物という本質。
そのことを馬場さんは痛いほど認識していたのではないか。
それゆえに馬場さんが身に付けていた独特の暗さ。我々は忘れることが出来ない。

そして、残念なことにその馬場さんは1999年に他界してしまった。
プロレス界がそれ以降、衰退をたどった事は言うまでもない。
残念ながら、それ以降のプロレス界は、馬場さん(そして猪木)の遺産で食いつないでいると言わざるを得ない。

極論するならば、馬場さんの奇跡的生れ変り以外、プロレス界復活は無いであろう。
それが無理ならば、我々はいつまでも馬場さんの勇姿と、その暗さを心の中に刻んでおきたいものである。

まさむね

朝青龍ついに始動。その豪放磊落さ健在か。

Wednesday, December 3rd, 2008

久々に朝青龍が地方巡業に顔を出した。

テレビの報道でしか知る良しもないのだが、なかなか元気そうだ。
成績によっては、来月の初場所で引退を迫られる立場とは思えない、彼独特の解放的な雰囲気がたまらなく魅力的だ。
朝青龍を見ていると、元々、品格などという矮小な概念を押し付けてきた我々が間違っていたのではないかとも思わせる。

僕は横綱は神的な存在でなくてはいけないと常々思っているが、神だっていろいろといるのだ。
アマテラスのように、嫌な事があると岩戸に隠れちゃうのもいれば、スサノウのように悪戯が過ぎて、天から地に追放される神もいる。
さらに言えば、アマノウズメのようにストリップをする神も、オオクニヌシのように心優しい神もいる。

ようするに神と言っても、いろいろなのだ。
だから、横綱にだっていろんなのがいていいのではないか。
輪島や双羽黒のようなトンパチな横綱もいれば、貴乃花のような求道的な横綱も、大乃国のようにおおらかな横綱がいてもいい。
僕はそれこそ、日本的だと思っている。

折口信夫のマレビトの思想によれば、日本人にとって神は常に「外」からやってくる(いわゆる来訪紳)だったという。
だから、最近の、ハワイ勢、モンゴル勢が横綱になるっていう傾向は、逆に本来の神々の格闘の場としての大相撲になりつつあるとすら言えるのではないか。

さて、それはともかく朝青龍だ。
キャラクタの印象で言うならば、朝青龍の豪放磊落さは、内向的な白鵬との対比において、見事に好一対を示している。
また、相撲スタイルという面からも、スピードのある立会いから攻め続ける朝青龍のスタイルは、逆になるべくリスクを排除しようとする王道の横綱・白鵬のスタイルと好一対を示している。
東西の横綱が揃うと必ず、こういった好対照に見えるのが相撲の面白いところだ。

求道的な貴乃花と、豪快な武蔵丸。
スピードの千代の富士と、おっとりした大乃国。
無骨な北の湖と、スマートな輪島。
あぶなっかしい柏戸と安定感のある大鵬。

先ほども少し述べたが、こんな追い詰められた状況にありながら、それでも明るさを失わない朝青龍の肝玉は、僕はやはり一流だと思う。

一方、朝青龍を迎え撃つ側にも目配りしておこう。

白鵬だって、朝青龍が出てきたからといってむざむざ優勝杯を明け渡すわけにはいかないだろう。
安馬改め日馬富士も、今まで公私共に面倒を見てもらった朝青龍にそれこそ、相撲用語での恩返しがしたいところだ。
そういえば、魁皇も大関カド番だった。必死で来るだろう。
琴欧洲も、毎場所8勝で満足しているわけがない。初場所は優勝を狙ってくるに違いない。
琴光喜だって、優勝する力は十分に持っている。
さらに把瑠都がパワーアップしてくるだろうし、稀勢の里、豊ノ島、琴奨菊もいつまでも日馬富士の後塵を排しているわけにはいかない。

というわけで、早くも初場所が楽しみだ。

無知なマスコミに釣られて、若ノ鵬、露鵬、白露山なんかを相手にしている場合ではないのだ。
個人的にはこの3人への未練を捨てきれないんだけどね...

まさむね

安馬の大関昇進はモンゴルの文化的勝利だ

Wednesday, November 26th, 2008

安馬改め日馬富士(はるまふじ)(24)が大関昇進を果たした。

安馬という名前は、旧安冶川部屋所属力士の「印」として、安冶川親方(元横綱・旭富士)が”安”+”馬”として、つけたものだが、安冶川親方が伊勢ヶ濱親方への名跡変更したのに伴い、順次、進めている改名の一貫という事になる。

日馬富士は、幕の内で最も体重が少ない小兵力士であったが、持ち前の努力とスピードで大関昇進を見事はたした。
しかし、これまでの道のりは決して平坦ではなかったはずだ。
入門は16歳の時。右も左も言葉も文化もわからない日本という異国の地でなめた辛酸は尋常ではなかっただろう。

しかし、彼は大きなチャンスを一度でものにした。
その尋常ではない努力と精神力はもっと賞賛されるべきだと思う。
ところが、僕が今日見ていた18時からのTBSニュースのスポーツコーナーでは全く触れられず。
八百長とか大麻だとかの時はあれだけ大きく憤って見せた面々が、本当は全く大相撲に興味の無い事が露呈。編集権という名の横暴と言うべきか。

さて、一方で、最近、日本人力士の低迷が続いているといわれている。
次の横綱は誰かと問われるならば、どちらかと言えば日本人贔屓の僕でさえ、琴光喜、魁皇、千代大海ではなく、琴欧洲、日馬富士、把瑠都という外国人勢の名前を上げざるを得ない。
それでは、何故、日本人力士がなかなか活躍できなくなってしまったのだろうか。
一般的には、力士になるような才能や体躯を持つ子供達が他のスポーツに流れてしまったために、元々力士志望者が減ったという事が言われている。
また、志望者が入門しても、すぐに辞めてしまう(いわゆる根性が無い)という事も多いようだ。

しかし、辞めたくなるという事に関しては、日本人も外国人も同じ。嫌、角界というところは、外国人にとっての方がより過酷な状況ではないのか。

実は、日馬富士も、相撲が嫌になった時期があったという。
入門1年半後、初めて許されたモンゴルへの帰国時、里心がついたのか父親に「日本に戻りたくない」とつぶやいたと言われている。
しかし、その際、父親は、「男は目標を持ったら最後まで目指さないといけない。ここで逃げたら何をやっても成功しないぞ」と言って日馬富士をたしなめ、日本に送り出した。

教育の基本方針として、子供の自由意志を尊重するという現代日本文化において、上記のような威厳のある父親はどれだけ存在するのであろうか。
心を鬼にして、息子を再び、荒海に戻す勇気 という親子文化を日本は正しく継承してきたのだろうか。

確かに、日馬富士の大関昇進は、喜ばしいことではあるが、一方で、それは、モンゴル文化の日本文化に対する勝利を、逆に言えば、日本文化のある種の危機を象徴していないだろうか。

ちなみに、紋付で登場した日馬富士の胸についていたのは、茗荷紋(上図)のように見えた。
茗荷紋はもともと、大陸からやってきた憤怒の神様、摩陀羅神の象徴だ。日本を代表する紋の一つで、三島由紀夫、向田邦子、角川春樹、うつみみどり等がこの紋であることが確認出来ている。

しかし、未確認ではあるが、杏葉紋(下図)のようにも見えなくもない。
もしも杏葉紋であれば、それはそれで粋だと思う。元々、この紋はシルクロードの馬具の飾りが起源と言われているから、日馬富士という名前との整合性もバッチリではないか。

まさむね