Archive for February, 2009

大麻禁止と日本憲法は同じである

Tuesday, February 3rd, 2009

若麒麟が大麻所持で逮捕された。
トンパチな事をしたものだ。

自分の一生を台無しにしてしまった。

大麻が問題なのは、ただ一点、法律で禁止されているからだ。
パクられた時のリスクを考えれば、あまりにもつまらない行為だからだ。
    ◆
個人的には若麒麟という関取の印象は薄い。
正直なところ、白露山や若ノ鵬が解雇された時は誠に残念だったが、個人的には、今回はそれほどでもない。

大相撲協会はいつもながら右往左往して、結局、若麒麟を解雇した。
妥当なところだと思う。マスコミは退職金が出るから除名にすべきと言っているが、気にする事はない。
条件反射的に言っているだけで、明日には忘れている。

さらに、今後は行司も含めて、所属者全員に抜き打ちテストをするらしい。行司もというところが微妙に笑える。

可哀想なのは、尾車親方だ。何度も謝罪していた。
若麒麟自身もおそらく、親方に迷惑をかけた事が一番辛いだろう。それを考えても、トンパチな事をしたものである。

関係ないが、「ピンポン!」というオバさん向け情報番組で、麻木久仁子が「HIPHOPスタイルで外出したのだから、親方も、気付かなかったんですかねぇ」と言っていた。
この人、本名は田中久仁子といういうらしいが、わざわざ、「麻木」なんていう意味深な芸名にしているんだからマシな事を言うかと思ったのに、期待したのが間違っていた。
    ◆
ちょうど、月9の「VOICE」というドラマで大麻吸引していた(らしい)学生の死が扱われていた。
このドラマは法医学のドラマで、最初、大麻を吸ったため意識不覚状態になって自殺したのではないかという仮説が出されていた。
大麻で幻覚?
こういうドラマは、大麻に対する誤解(偏見)を増殖する。大麻は覚醒剤や阿片やLSDではないのだ。
    ◆
同日、アメリカのマイケル・ヘルプスも大麻を吸引していた証拠写真がイギリスのサン紙に掲載された。それで金メダル8個である。
ヘルプスといい若麒麟といい、これでまた大麻が肉体に害が無いという事が新たに証明されてしまった。(かな?)
    ◆
最近、若干、大麻は本当に悪いのかという事がマスコミでも議論する傾向が出てきた。いいことだ。
大麻禁止は、GHQが日本に押し付けたものだ。
日本国憲法と同じなのである。
つい最近まで、憲法を変えるという議論は、それ自体がタブーだったが、時が経ち、憲法論議も徐々にではあるが解禁されてきたではないか。
一回り遅れでもいい。悪と決め付けるのではなく、大麻に関する議論も起きてほしいものだ。
    ◆
昨年来、若者の中でアルコールの消費が減ってきたというのが話題になってる。
何人もの人が生活を破壊されてきた。体も壊してきた。酒の上でのトラブルも絶えない。
当たり前の話だが、アルコールは危険なのだ。
それでも、法律で禁止されているわけではない。
それどころか、テレビでバンバン宣伝している。

一方、大麻は別に体に悪いわけではない、少なくとも酒やタバコよりは。
吸ったことによって、暴力的になったという話は聞いたことがない。
だけど所持は犯罪だ。
酒と大麻の扱い、どうみても不公平ではないのか。

しかし、こんな不公平な状況の中、大麻を吸う若者が増えてきたという。
酒が減って、大麻が増えるという事は、彼等はどこかで、本当の事をわかっているのかもしれない。

ただ、くだらない法律や偏見がまだ生きている。くれぐれも気をつけてほしい。それだけだ。

よろしければ、こちらのエントリー「大麻ってそんなに悪いの?」もご参照ください。

まさむね

兼続の両義性が「天地人」の見所~謙信と信長の狭間~

Sunday, February 1st, 2009

NHK大河ドラマ「天地人」は、上杉家という大きな組織を、部下として、衰退させながらも上手く軟着陸させた直江兼続という男の物語である。

100年に一度といわれる経済危機の時代。
世界のトヨタやソニーといった大企業も、安穏としていれらない時代。
大きな発展を夢見るのではなく、いかに組織を維持し、あるいは、いかに上手に衰退させていくかというのが課題の時代。

今年の「天地人」は、そんな現代に相応しい物語になりそうである。

さて、本日放送の「信長は鬼か」は天正4年の頃の話までであった。
謙信が亡くなるのは翌年の天正5年なので、おそらく、今回~次回、次々回の放送の時期までの頃が上杉家が最も勢いがあった時代の回ということになるだろう。
もっとも、その流れの中で、規模という見地からすれば、秀吉の家臣として越後、出羽などを収めて120万石を領有する時代が一番、興隆した時代ということは言えるのだが、それはあくまでも天下を諦め、野望を捨てた存在であり、勢いという意味では無くなってしまうのだ。
上杉家の勢いという意味では、謙信存命中がやはり一番なのである。
ちなみに、年表的には今後、謙信の死、上杉家の内紛、五大老時代、関が原、米沢転封 となっていく。

おそらく、「天地人」のポイントは、戦乱から統一を向かえる歴史、組織の流れの中で、直江兼続が、(いわばサラリーマンとして)いかに働いたかというのがテーマになっていくに違いない。それはまさしく現代的なテーマなのである。

実は、似たような事は、前作「天障院・篤姫」にも言えたのを覚えておられるだろうか。
こちらは幕末に滅び行く江戸幕府・大奥という古い組織をトップとして静かに終わらせた一人の女性の物語であった。

「篤姫」と「兼続」は、トップと部下、女と男、消滅と衰退という違いはあれ、見比べてみるというのも一興であろう。
そういった意味でも、篤姫のコンセプトが「和と絆」であったのに対して、兼続のコンセプトは「愛と義」というのは注目なのである。
2月1日放送の第5回「信長は鬼か」では、「義」という思想にたして、信長は「戦争の口実」と言い、謙信は「人が生きる美学」と言っていた。
信長は「義」を相対的に捉えているのに対して、謙信は「義」を信仰しているのである。
それは、信長は合理的であるのに対して、謙信は原理主義者であるという事をあらわしていた。

歴史の必然としては、多くの場合、原理主義者は美しい結末をむかえ、現実的には合理主義者が勝利する。

今回、信長と謙信の二人に合った兼続の心は、二つの「義」の間で揺れ動いたが、彼のそういった(文字通りの)両「義」性が最終的に、上杉家を、美しい死ではなく、しぶとい衰退に導いく事の伏線になっていくのだろう。

今後、その「義」に殉じながら合理的に生きる、兼続の両「義」的な生き方、そして心の揺らぎこそがこのドラマの見どころになっていくに違いない。

まさむね