Archive for September, 2008

民主党は、都会向きの顔も作るべきだ

Tuesday, September 30th, 2008

民主党の政策があまりにも、地方重視である事を先日(28日)述べたが、確かに、そのマニュフェストは都市住民向けではない。

恐らく、都市民は、政治によって何かしてもらったという実体験があまりにも希薄だ。
何らかの利益配分を得たという実感が無いのだ。

前回の2005年の衆議院議員選挙(いわゆる郵政選挙)において、東京では自民党の圧勝であったが、これは、郵政民営化が都市民に支持されたわけではないだろう。
都市に住んでいると、郵便局が公社であろうと、株式会社であろうと、実はどうでもいいことである。

それよりも、エンターテイメントとして、選挙に動員されてしまい、結果として自民党に大勝を与えてしまったのだと思う。
私も、何の義理も無いのに、思わず無名の自民党新人候補(松本洋平君)に投票してしまったが、彼は当選後、一体何をしてくれたのだろう?
最近、彼のズーッと張りっぱなしの選挙ポスターが、どれも色あせてきているのが気になる。

恐らく、今回も都市民は、より”面白い”仕掛けをする方に投票するだろう。
よくも悪くも、それが都市民の現実だと思う。
テレビのニュース番組は盛んに問題は政策だと言っているが、都市民にとっては、それは建前だと思う。煎じ詰めて言えば、都市民にとっての選挙は、”面白さ”投票であるのだ。

民主党はそのあたり、党全体として理解しているのであろうか。
テレビCMで、小沢一郎のスライドショーが、東京でも流れているが、あれは、どう見ても、田舎向けのドブ板PRだ。
すぐに、東京では、CMは、都会用バージョンに差し替えるべきだと思う。

候補者に関しては3つ提案がある。これが実現出来れば、民主党は必ず勝てる。

一つは前々から言われているが小沢一郎が東京12区、公明党の太田さんの選挙区から、比例というすべり止め無しで打って出る事。選挙後の連立の可能性を考えて、などという思いっきりの悪い事を考えている場合ではない。
恐らく、民主党の東京用のCMは、その小沢の決意を表現するようなモノにすればいいのではないか。

さらに、蓮舫を東京一区の与謝野馨のところからでも立たせる。衆議院に鞍替えさせるのだ。
この人選がベストではないかもしれないが、女性に支持者の少ない民主党としては、いずれにしても都市の女性向けのサプライズが必要だと思う。

そして、もう一つは、小泉孝太郎を説得して民主党公認候補として、進次郎が出馬を表明した横須賀に立てる事。まぁこれは、無理かな?

まさむね

大食いの魅力と不快感

Tuesday, September 30th, 2008

先日の日曜日、テレビ東京で「大食い王決定戦」の放映があった。
他に見る番組をなかったため、だらだらと見たり、見なかったりの時間を過ごしてしまった。

大食い自慢達がただ、ガムシャラに同じ料理を食い続ける有様に、人は何故、釘付けになってしまうのであろうか。
その起源は、どこにあるのか。少なくとも文化文政時代の江戸では、食堂の宣伝用見世物として、原始的な大食い競争が行われていたという。

妻はいつも「大食いは格闘技だ」と僕に説明してくれるのだが、確かに、その他の観覧エンターテイメントが、スポーツにしろ、クイズのような知的競技にしろ、どこか禁欲的なのに対して、大食いも総合格闘技も野生的である。
歴史的に見ても、大食いブームと総合格闘技ブームというのは90年代に勃興して現在まで続いているという意味で、同時代性がある。
人間の最も原始的な行動、食物摂取を競技にしてしまったその暴力性が、総合格闘技の暴力性とどこかで同質なのかもしれない。

しかし、一方で、格闘技がジャンルとしては、ある程度、成熟しているのに対して、大食いは、まだまだこれから成長の余地があるジャンルなのではないか。

先日の放送でも、MCの中村有志が、挑戦者達に対して「神に選ばれし者のみが挑戦できるのが大食い選手権です」的メッセージを、過去の大会を含めて現在に至るまで、たびたび口にするもんだから、何か、彼・彼女達は、自分達が特別な存在であるのではないかという意識、いわばスター意識が中途半端に芽生えていて、自ら、
いわゆる「キャラ」持参で会場にやってきているように思えた。
それゆえに、彼らは、ただ、黙々とバカ喰いをするのみならず、食べ方(ハムスター喰い、汚喰い)や服装(コスプレやロシアン帽)や、表情(怖顔)等のオリジナリティを披露する。
しかし、彼らの背後にコーディネータやディレクターが付いているとも思えず、それゆえに、彼らが用意した「キャラ」の稚拙さ、凡庸さは、まだまだ、あまりにも恥ずかしい。
番組を5時間(昼間2時間、夜3時間)も見続けさせるにはあまりにもつらいのだ。

大食いが私達に無用な心配をさせるのが、勝負の後の彼らの下半身の体型問題と、摂取物の排泄問題である。
また、考えさせられるのはは、彼らの体質の異常さに対するおせっかいな好奇心だ。

大食いという、欲望解放的エンターテイメントは、本来、慎みの下に隠している我々の下世話趣味の欲望をも解放してしまうのかもしれない。
いつの間にか、テレビのこちらにいる我々のそんな下品さをも省みさせ、自分の心の奥に潜む嫌な部分をも垣間見せるこの大食い王選手権は、禁止したくなるほど、不快であるが、逆に、同時に魅力的な見世物なのかもしれない。

しかし、番組は、それらの我々の下世話な問いかけを周到に無視する。
先日の放送では、決勝の後、優勝者の西川廣幸と敗者の山本卓弥、菅原初代がプールに入ってお互いの健闘を称えあっていたが、カメラは決して彼らの下半身を向かなかった。

まさむね

中山成彬さんって何なの?

Monday, September 29th, 2008

中山成彬国交相が失言に失言を重ね、最後に失言を吐き、辞任をし、さらに失言を上塗りしている。

一体、彼は何なのだろうか?妖怪なの?

あるいは、麻生首相の足を引っために、国交相を受けたのだろうか?裏切り者?
さて、麻生さんは元々、、この人を大臣にするつもりなかったという。
自称・影のフィクサー森喜朗氏が、「町村派にもう一つ大臣の座をくれないと、首相指名選挙で小沢に投票するぞ」と脅し、この人を推薦。
麻生さんは、それではしかたがないとばかりに、行革相のポストを与えようとしたら、「中山家は、私は勿論、妻も子供も財務省出身なのに、行革相など出来るか!!」と超傲慢な反発をし、しかたなく、国交相に。

そうしたら、今回の始末だ。

「成田闘争に参加した農民はゴネ得だ。」発言。これは、結果としてそう(最後まで反対を貫いた農民が金銭的に得をした)言えるのかもしれないというだけの話だ。
元々、農民達の闘争は政府による土地強奪に対する反発がきっかけで、それは理念的に正統なものだったはずだ。
中山さんのこの発言は、その正統性の理念を理解できていないとしか思えない。そういう意味で頭の悪い(理解力不足)失言である。

「日本は単一民族だ。」これは、話をわかりやすくするために、流れで口から漏れてしまったという、うっかりタイプの失言だと思う。
中山さん、さすがに、アイヌの存在を知らなかったわけではないだろう。
あるいは、過去に、中曽根さんを初め、鈴木宗男さん、平沼さんや麻生さん達が同種の失言を繰り返して苦境に追い込まれていった事実を知らなかったわけではないだろう。
いや、知らなかったの?忘れたの?記憶力も弱いの?

問題は、日教組関連の発言だ。
「大分県教委の体たらくなんて日教組(が原因)ですよ。日教組の子供なんて成績が悪くても先生になるのですよ。だから大分県の学力は低いんだよ」とか、「日本の教育のがんは日教組だと思っている」とか、もう止められなくなっ
た。下痢便的失言だ。
しかも、辞任ということになった後も、「教育に関心を持ってもらうきっかけになればいい」とか「自分の職をかけても子供たちのことを考えた」と下痢便の残り汁を、さらに垂れ流し続けている。
もし、彼が強弁しているように、これが確信犯的な行動だとしたら、彼の、日教組がダメだという論拠があまりにも稚拙だし、それに関して国民を納得出来るだけのデータも持っていないような気がする。
彼は、ただ、感情的になっているだけで、全く戦略が感じられないのだ。

日教組に関する問題提起自体は傾聴に値するので、言い方、やり方の失敗はある意味、残念だよね。

いずれにしても、この人、頭が悪すぎる。

まさむね

鉄板少女から和宮への見事な転身

Monday, September 29th, 2008

「篤姫」での堀北真希がなかなか素晴らしい。

徳川家茂(松田翔太)に対する愛と孝明天皇(東儀秀樹)の妹・皇女・和宮としての立場の間での葛藤、天障院(宮崎あおい)との信頼の醸成、公家衆の陰湿さ(彼女達は身内であるが)に対する不快感等を微妙な表情で演じ切っているように思えるのだ。

実は昨年、和宮を堀北真希が演るということが発表された時、僕は、かなり違和感を感じた。
僕の中で堀北真希って言えば、「鉄板少女アカネ」だったのだ。
それは、コテコテの庶民キャラである。
その彼女が皇女を演じるって大丈夫っていう風に思っちゃったわけだ。

しかし、「篤姫」では彼女は素晴らしく演じている。彼女はもしかしたら凄い才能があるのかも。

ただ、苦言が一つ。

テレビナビのインタビューで以下のように述べているのだ。
「家茂さんとの収録では、実はラブシーンが大変でした(笑)。寄り添うだけでも、かつらが気になってしまい、寄り添うカタチをキープ!みたいな...(笑)」
この雑誌を見た後、家茂と和宮のラブシーンでは、彼女のかつらに目が行ってしまう。集中して見れなくなったじゃないか。
こういうこぼれ話って放映後の後日談にしてほしいよね。

このあたり、まだまだ、真の女優になりきれていないということか。あるいは周りのスタッフの問題か?

まさむね

民主党公約には我慢しよう

Sunday, September 28th, 2008

総選挙を前にして民主党のマニフェストが徐々に明らかになって来ている。
目玉となる政策は以下だ。

高速道路の無料化
子ども手当創設
公立高校の授業料無料
農業者戸別所得補償
年金基礎部分への公費投入
揮発油税の暫定税率の廃止

少し考えればわかる事なのだが、これらの施策によって直接恩恵を受ける層というは、かなり限られている。

以下のような人(架空の設定)にとって、あまりに篤いのだ。

群馬県嬬恋村でキャベツ農業を営む田代慎太郎さん(55)。国民年金は今まで、一度も払っていない。
妻と2人の息子、長男の嫁、3人の孫の8人の大家族。
長男は、浩さん(30)、高卒。地元出身で運送会社の下請けで個人で、遠距離トラックの運転手をしている。
子宝に恵まれて、優香ちゃん(5)を先頭に、旬君(3)と彩夏ちゃん(1)の3人の子供がいる。
同居の次男の大樹さん(17)は、地元の公立農業高校生。暴走族に入っている。

逆に、以下のような人(架空の設定)にとっては、全くメリットがない。

中野区のワンルームマンションに住むIT関連会社の契約社員の工藤幸司さん(39)、大卒、青森県出身。
将来の不安もあって、律儀に国民年金は払い続けている。
彼女もいないし、勿論、結婚の予定もない。
自動車は必要ないので、免許すら持っていない。趣味はパソコン。

僕の周りには、明らかに上記の工藤さんに近いタイプが圧倒的だ。
しかし現在、30才代後半の男性の未婚率は30%を超えているし、都会での自家用車の所有率も段々減っているという。
民主党はこれらの層の存在自体を無視するつもりなのだろうか。黙って税金払ってればいい存在だと認識しているのだろうか。

もともと、民主党が掲げるリベラリズムは、いろんな価値観を持った人々が共生して生きていける社会の実現だったはずなのに、明らかにある種の生き方をする(極めて保守的な)人々を支持する政策群をどう解釈すればいいのか。
選挙に勝たなければならないという至上命題によって、その理念を封印してしまったのだろうか。

しかし、それでも僕は次回の選挙では、民主党を支持したい。
選挙によって、政権交代が行われ、官僚と政治家の癒着が一旦は切れるというところに可能性を感じるからだ。
民主党は、公務員の給与を20%カットするなど、霞ヶ関の予算の分配に大いにメスを入れることによって、財源の確保をするという。
もし政権を奪取したら、そのお手並み拝見だ。

予算組み替えで確保された財源の本来の民主党らしい使い道は、小沢一郎の次の世代に考えてもらえばいいというのが僕の考えだ。

まさむね

団塊 Jr.の女達、人生いろいろ

Saturday, September 27th, 2008

団塊Jr.世代(1970年代前半生まれ)の女性が話題になる出来事がここのところ相次いだ。

9月23日、福岡市の公園で小1の富石弘輝君(6)が殺害された事件で、母親の富石薫容疑者(35)が殺人容疑で逮捕された。
薫容疑者は病気のために手足が不自由で、1人で立ち上がることも容易でなかった。
弘輝君は情緒障害で特別支援学級に通っており、薫容疑者は十分に子育てができないことを悩んでいたという。
切ない、切なすぎる。

9月24日、小渕優子衆院議員(34)が少子化担当相として初入閣を果たす。
彼女は、成城大学卒業後、TBSに入社。その後、父・恵三の急逝に伴って、地盤を引継ぎ、衆議院議員に当選。
平成16年にTBS時代の同僚で、”花男”のプロデューサーの瀬戸口克陽氏と結婚し、昨年9月には男児を出産した。そして、34歳という若さでの初入閣。戦後最年少の記録だそうだ。
羨ましい、羨ましすぎる。

9月25日、「池袋駅でナンパしている男を刺し殺す」殺人予告を2chの掲示板に書き込んだとして、警視庁は中野区のアルバイト事務員の竹内清美容疑者(36)を、偽計業務妨害の疑いで逮捕。
容疑者は、容疑を認めた上で、「若い女をナンパするような男は許せなかった」「男が若いキレイな女性ばかりに声をかけていた」と供述しているという。
痛い、痛すぎる。

9月26日、広島西署は、幼稚園、小学校などに殺人予告の脅迫文を送り付けたとして無職熊野陽子容疑者(36)を逮捕した(ただし、現時点では否認)。
脅迫文には「こどもたちを殺します。楽しい殺人ゲームの始まり始まり」とあったという。
寂しい、寂しすぎる。

彼女達が属する団塊ジュニア世代は、他の世代に比べて、人数が多く、子供の頃から競争を強いられてきた。
しかし、大学卒業時期にちょうど「就職氷河期」を迎え、就職活動に失敗して、フリーターとして、あるいはパラサイトシングルとしての選択を余儀なくされた者も多かった。
その彼女達も30代中盤を迎え、人生において、いわゆる”やり直しの効かない”年代に入った。
それぞれの人生には、置かれた現状の格差と同時に、将来に対する希望の格差という意味で、決定的な差がついてしまっているのだ。
しかし、この状況を自己責任という残酷な言葉で片付けていいものだろうか。
上記の4人にまつわるニュースは、まさに、彼女達が置かれた状況を象徴的に示しているように受け止められた。

少子化担当大臣に就任した小渕さん、挨拶周りとかでなにかとお忙しいかとは思いますが、一瞬でも、富石薫、竹内清美、熊野陽子の3人の人生にも思いを寄せてみてはいかがだろうか。

生れた状況が違っていたら、あなたもその3人になっていたかもしれないのだから。

まさむね

小倉智昭、その微妙な苦笑

Friday, September 26th, 2008

小倉智昭がメインキャスターを務める朝の情報番組「とくダネ」の木曜日。
音楽、DVD等のエンタ作品マニアとして知られる小倉氏が、勝手にいろんな作品を評価する「週刊エンタマイスター」というコーナーがある。
今週発売の40枚のシングルCDを聴きまくったというので、どんな作品を選んでくるのかと思ったら、EXILEの「The Birthday~Ti Amo~」と絢香×コブクロ の「あなたと」の2作品を選んできた。
くしくも、この2曲、オリコンのデイリーチャートの1位と2位だ。小倉氏の感性が大衆のマーケット行動と、幸福な一致をしたのか、情報番組としての限界を体現してしまったのか、真相は、僕にはわからない。

その後で、紹介されたアルバムは、例えば、60年代のカントリースタイルが色濃くでた渋い作品もあって、さすが小倉氏の慧眼を感じさせた。

そしてメインイベントでは、ポールアンカの登場だ。
ポールアンカと言えば、50年代最大のポップスターである。
世界のスーパースターが日本の情報番組にゲスト出演するなんて事、昔だったら考えられなかった。
昔の話だけど、70年代には、当時の日本のスーパースターだった沢田研二がロンドンのEMIスタジオで待機していて、待ちに待った挙句、ミックジャガーにサインをしてもらったみたいな伝説があったけど、それほど、日本と世界との格の差があったもんだよね。

さて、ポールアンカの登場に伴ってホストの小倉氏もスタジオの中央に歩み出る。
小倉氏は英語に自信がないのか、ポールアンカに直接話しかけられると、微妙な苦笑いを繰り返す。しかし、国際政治学者の諸星先生の助け船でなんとかその場を切り抜ける。
その後、マイクを握って「ダイアナ」を歌うポールアンカ。
サビの部分で突然、小倉氏にマイクを向ける。

Oh,please stay by me,Diana♪

叫ぶ小倉氏。
微妙な苦笑いはそのままだった。

まさむね

隣の晩御飯と地域格差の実態

Friday, September 26th, 2008

ヨネスケの突撃・隣の晩御飯は、日本テレビの情報番組の名物コーナーである。

毎回、ヨネスケが突然、晩飯時のお宅を訪問し、そこの家の晩御飯を紹介し、時には勝手につまんでしまうという全く持ってずうずうしい企画だ。
かつては、朝のワイドショーのコーナーだったのだが、現在は、夕方のNEWSリアルタイムに時間を移して放送されており、なんと、今まで16年間で2000軒以上のお宅を訪問しているという。

ヨネスケが入っていくと、人々は一様に「何にもないんですよ」とか「たまたま、嫁がいなくて」とか「もう、ご飯は済んじゃったんですよ」とか「これ、残り物なんですよね」と言いながらも、彼を導きいれ、次々におかずを紹介する。

突然、ヨネスケに踏み込まれた家の人たちの、羞恥心と自慢心がいやらしくも交錯する、その気まずい瞬間を垣間見えるところがこの番組の一番、楽しいところだ。

前回、9月4日の放送では、ヨネスケは千葉の漁師さんの家を突撃した。
お決まりのように、「イヤーだ。イヤーだ。」と言いながら、食卓にヨネスケを案内するお母さん。
その食卓には、ランニング姿のお父さんが、カレーを食っていた。
驚いたのは、そこに並べてあった品々だ。

1.アジのなめろう
2.瓜の漬物
3.エビチリ
4.ハンバーグ
5.巻き寿司
6.主食のカレーライス(何もなかったということで出前した:お母さん談)

この人たちは食べ物の喰い合せというものを考えないのだろうか。
とにかく、いろんな食べ物を並べれば、「豊かな食生活」が演出出来ると考えているのだろうか。
僕は、その食卓のコンセプトの無さにある種の”貧困”を感じざるを得ない。
(ちなみに、こういう家は大抵、ゴチャゴチャいろんな物が置き散らかっており、ガラスの人形棚には、例えば、マトリョーシカとコケシとバービーと博多人形が混在している。)

しかし、同時に、こういったタイプの家には、おじいちゃん、おばあちゃん、息子(長男)、その嫁、子供、赤ちゃん、それに近所の人...という感じの人たちが居て、大笑いしながら楽しそうに暮らしている。その大家族の繋がりは、まだまだ生き残っている地方の共同体の”豊かさ”を感じさせる。最近、地域格差という事が
よく言われている。しかし、「突撃・隣の晩御飯」の世界は、決して地方の疲弊を感じさせる事はない。
ちょうど、この頃は、ガソリンの値上げで漁師達が、「もう我慢できない」と一斉操業休止をアピールしていたタイミングだったのだが、ここのお父さん(アジ漁師)にはそういった苦悩は全く感じられなかった。

恐らく、地方の疲弊の本質は、こういった”豊かな”お宅にではなく、一方で確実に存在する人的ネットワークが遮断された孤独な個人にこそ、宿っているのではないかと思われる。
ようするに、格差社会は、都会VS地方というよりは、地方の中での、共同体の人々VS孤独な人々という図式の方が深刻なのではないだろうか。

私の見た限り、ヨネスケは、例えば、一人暮らしの老人が、漬物とご飯だけで食を済ませているような安アパートや、フリータが一人でコンビニ弁当を食べているような1Kの簡易マンションを突撃した事はない。この番組はそういった地方のもう一つの顔を周到に無視しながら、今日も明るく進むのである。

まさむね

王貞治 残酷な現実との戦い

Thursday, September 25th, 2008

だいぶ、昔の話。僕が小学生の頃だったと思う。

スタジオで王さんと長島さんが大勢の子供達からの質問を受けるというテレビ番組があった。
司会が子供達に質問する。

「長島さんが好きな人、手を上げて下さい。」
子供達「はーい」
複数の子供が手を上げる。

司会が一人の子供を指名して「どうして長島さんが好きなんですか?」
ある子供「王さんは台湾人だから嫌いです。」

子供達は笑った。王さんは、無表情だった。

この残酷なシーンは何故か僕の心の中に残っている。

そして時が流れる。

先日、8年連続200安打という記録を達成したイチローに、王さんは祝福の電話をかけて、その偉業を祝福したという。その時の会話に関してイチローが以下のように述べている。

「アメリカという国は差別的、という言葉を王監督は使われなかったですけど、そういうニュアンス――まあ、白人至上主義というか、そういうのが残っていて、要は『その中で、日本人が誰もやったことのないことを打ち立てることというのは、想像以上に難しいことだ』って言ってもらったんですよ。そのとき、僕は本当に泣
きそうになって、『この人、すげえ』と思って感動してね。
普通、そこまでは想像できないんじゃないですか。テレビとか、メディアからの情報だけでは。本当に(メジャーの)中でやらないと、そういうことって分からない。すごいですよ。やっぱ、この人のためにやりたいって思うよね。まあ、宝物ですね。王監督と同じ空間で、時間を過ごさせてもらったことは」(スポーツナビ 大本
大志より)

イチローのこの言葉の後で、王さんの事を今再び、心の中で思い出してみる。
なんとも言えないジワーとした感情が沸きあがってくる。

まさむね

王監督の普通の言葉には説得力がある

Thursday, September 25th, 2008

その会見で、今シーズンのソフトバンクの不調を分析して王監督らしい発言があった。

「まぁ、今考えますと、”監督生命を賭けて”という形といいますか、昨年のシーズン終了後に、選手達に向かって、そういう発言をしたことがかえって選手達に変なプレッシャーを与えてしまったんではないかと。
ウチの選手は大変素晴らしい選手が多いですから、普通に闘っていけば絶対に、優勝は勿論の事、クライマックスシリーズには当然出れる戦いが出来る戦力でありました。..(中略)..これが私の、監督14年間の中で一番の反省点と考えております。」

王監督はここで、”監督生命を賭けて”というような過重な”思想”が敗因だったと語っている。
逆に言えば、ここで王監督は、「優秀な選手達が、”普通に”戦うという事が最も勝利に近い」という定石を普通に維持していくことの難しさを語っているのだ。

人は苦しくなると思わず思想や美学や宗教等の言葉に身をゆだねてしまいがちになる。
しかし、それは、逆に勝利への道を遠ざけてしまうのだ、時として無用のプレッシャーにしかならないのだ。

さらに、記者からの、辞任の決意はいつだったのかとの質問に答えて、淡々と述べる。

「いつというよりも、この9月に入ってからの不思議な戦いの連続ですよね。
まぁここで6対2で勝ってて、抑えのエースの馬原投手を出して、橋本君にホームランを打たれて同点になって最終的には負けたとかですね。まぁ考えられないような戦いが再三出てきてしまいまして...」

あっさりと部下の名前を出して、説明する王監督。
その冷静で普通の言葉は、あの星野監督が北京五輪の後で披露した、(ワシは個人攻撃などしない。あくまで選手を守るぞ的な)己の美学、(一度や二度失敗してもワシはその選手を使い続けるぞ的な)野球論、(挑戦こそワシの人生だ的な)精神論の暑苦しさとは対極にある。
その言葉には、スッキリとした説得力があった。

王監督の辞任をもって、ニッポンの古き良き、職人気質の伝統の一つが、静かに幕を下ろした。

まさむね