オブライトの死に馬場さんを思い出す

プロレスラーのゲーリーオブライトが亡くなったそうだ。昨年の12月に世界最強タッグリーグ戦に出ていたのに、あまりにも突然の死であった。
そういえば、馬場もアンドレも大熊もこの1月に亡くなっている。全日本の選手にとって1月というのは死の月なのだろうか。もともと全日本プロレスは現役レスラーが死ぬとそれらのレスラーの回忌を毎年行っている。供養としての興行というのを一つの特徴にしてきたのだが、それに新たな命日が加わったということだ。
さて、馬場さんも亡くなって早くも一年が経とうとしている。晩年の馬場さんはそのリング上の動きに農耕民族的な日本人の原風景を思わせる動きを映し出していた。さらにその動きは他のレスラーの洗練されたプロレスラーとしての動きに独自の老いの美学を付加した、滑稽且つ奥深い世界をかもしだしていた。
ちょうど日本舞踊が見立てで成り立っている事、そして老いを排除しない事の2つで西洋舞踊と対峙しているのとパラレルな関係で馬場さんのプロレスは他の人のプロレスに対して独自性を保っていたのだった。
しかも、プロレスラーにとって最も大事な事はプロレスの技を見せる事ではなく、肉体の存在感を見せる事だという独自の哲学そのままに、その異様な姿は他の追随を許さないものがあった。もちろん、その伝統はあらゆる肉体のバラエティを誇る全日本プロレスに息づいているわけである。
馬場さんが亡くなってプロレスファンを辞めた私であるが、どうしても馬場さんの事になると饒舌になってしまう。オブライトの死をきっかけにまた馬場さんを思い出してしまった。

まさむね。

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