ブリグリとダーティリアリズム

ブリグリの歌詞についての僕の評価は、それがベトナム戦争以降のアメリカ現代文学の一つの流れ、「ダーティリアリズム」的センスと通底している事かもしれないと思った。
「ダーティリアリズム」とは私の浅い知識によると、村上春樹の翻訳で知られるレイモンドカーヴァとかのアメリカ人白人労働者階級の生の生活を描いた作品群の事で、アメリカが構造的にかかえる人種差別とか階級といった難問をそのままに描いている(といわれている)。
その彼らの一つの倫理的仕草が「黙り込む」という事で、その黙り込みかたがブリグリの歌詞と似ていると思った。

今朝、久しぶりに、本当に久しぶりに身動きの取れないような満員電車で田無から西武新宿まで電車に揺られてきたのだが、近くのおそらく30代位の男性は、マルクスの「共産党宣言」の文庫を呼んでいた。隣の女性は、おそらくヨーロッパに住んでいる友達からの手紙を読んでいた。車両のどこかで、ウォークマンから漏れている椎名林檎の「本能」が聞こえた。そして、今や携帯のベル音は雑音とも呼べないくらい当たり前の音になってしまっているのに気づいた。
そして、僕を含め全員が当たり前だが、黙り込んでいた。

そして、西武新宿からおよそ20分間歩いて、オフィスまでやってきた。そろそろ仕事開始しなきゃ。

まさむね

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