Archive for December, 1999

純粋さについて

Thursday, December 16th, 1999

気持ちが優先されるというのか
悪意がなケリゃ大概の事は
許してもらえるからね

虚言癖の人もそうだし、
法の華も定説オヤジもそうだけど
間違っていても言葉尻をとられて
反論されても、それでも、まだ言い張っちゃえば
それ以上、反論できないからね
いかに楽しい話をその人から聞き出すかが
大切だとお思います

そう、別の話題だけど
気に入っていたホームページが
無くなりかけていて
昔はメディアが紙が主体だった頃は
保存が効いて、過去を知るのに
役立ったけど、放送とかも含めて
インターネットとか保存が効かないから、
今の膨大な情報類が
ほとんど歴史に残らないのは
残念です

でも、どこかにマメな人がいて
掲示板の過去ログとかその他いろいろ、声をかけると
保存してたりする人がいるのが
この世界の凄いトコなんだけど

ところざわ

見世物としての虚言癖

Thursday, December 16th, 1999

確か、柳田国男の「不幸なる芸術」の中だったと思うが、虚言=ウソはその昔、一つの芸として珍重されたという。

例えば、かわいらしい子供とかが、母親から聞いたおとぎ話をあたかも自分の体験談として、話したり、いつのまにか行く知れずになった人が戻ってきたら、全国を回ってきたと言い張り、全国名所絵図の解説のような内容を自慢げに話したり、自分は、もう千年も生きているとこれまた言い張る爺さんにじゃあ過去の話をしてみろと詰め寄ると源平の合戦とか太平記とか講談に出てくる話ばかりしたとか、そういう話はいくらでもあって、それを聞く人々の態度は極めて温かかったという。

それが、ある時代から、嘘=「いけないこと」という常識がいろんな言葉を抑圧したのではないだろうか。

僕が好きでしかし、五十嵐君が大嫌いな大仁田厚は一時期自分は大嘘つきだと言ってはばからず、それが一つの見世物になっていた。
同様に、彼の泣きの芸は、これまた柳田国男の「梯泣史談」によると日本伝統的な芸風を踏襲しているのではないかと思う。

確かに、現在は泣くということも抑圧された仕草である。

かつて僕は大仁田のシャツ破りパフォーマンスは包茎手術のシュミュレーションであり、それは成人通過儀礼であるということを考えていた。そうすると、試合後の潮吹き=射精、試合中の頭突き合戦=堅くするためのトレーニングだという事でなんだか納得が行く。後に、大仁田が自分のシャツに「男樹」という文字を入れるようになったのを観てさらにその意を強くしたものだ。

大仁田厚のそういった無意識的(もしかしたら意識的)なパフォーマンスは日本人のそういった民俗学的欲求を満足させているのではないか。彼が他のプロレスラーと違うレベルに存在するのも当然だと思う。

さて、話は変わって、上原だ。結局松坂に及ばない金額で契約更改。
当分、純粋青年の姿勢はくずれそうもない。
なぜか、スポーツ選手に純粋さを求める日本では、工藤や桑田のように不純な感じがする人はウケない。しかし、上原と松坂を比較すると残酷なようだが、生まれつきのスターと成績のよい普通の人という対比が見えてしまう。上原の純粋さがこの対比をどう壊していくのかが楽しみだ。

さて、純粋と言えば、先日の雅子様ご懐妊騒動において、マスコミ各社の「純粋ぶり」も、見世物として楽しかった。気持ちさえ純粋ということになっていれば、何をやってもいいという気風も極めて日本的だ。

しかし、法の華の信者の純粋ぶりも観ていて面白かった。

まさむね

虚言癖

Wednesday, December 15th, 1999

だれでも、自分は特別の存在と思いたいからか、
中には、こうありたいって思ったら、
そのまま話が口からでてしまって、
現実と一緒になっちゃう人っていますよね。
特にテレビの世界は、裏方が出演者達を支えて
想像以上のモノに仕立てちゃうから
勘違いする人も多いのかもしれません。
ピッチャーも、言わばステージに
立っているわけだしね。

身近にもいるのですが、それはそれで、
話を聞くには楽しかったりします。
でも、西村さんじゃないよ。
ほとんど、聞く方にはホラ話しの領域なんだけど
まあ、負けん気が強いのかな
何かの話題をふると、極限迄、誇張しちゃうみたいです

戴冠式と言えばナポレオンは
自分の手で戴冠したんですよね。

ところざわ

おばさん顔の恐怖

Wednesday, December 15th, 1999

あるとき突如として、目立つ事の快感にはまった
おばさんあるいは、ある時、そういう欲望を実現
してしまったおばさんの顔は醜悪になるのかも
しれないと思った。

先日、起きた春奈ちゃん殺人事件の犯人、山田みつ子
は実家の裏庭に死体を埋めた。すぐに発見されること
を望んだとしか思えない行動。
この愚かさを自己顕示欲という言葉で説明することは
できはしまいか。主婦グループでも地味だった彼女が
リーダー的存在の子供を殺す事で、何を実現したかった
のか。おばさん達の犯罪のドラマ「OUT」に期待したい。

さて、一方、私におばさんと断定された工藤投手である
が、昨日の長島監督との記者会見。帽子をかぶせてもら
ったり、ユニフォームを着せてもらったりしていた。
関係ないが、僕が興味あるのは、入団発表の時のそう
いった儀式の起源だ。帽子をかぶせてもらうのは、
王様の戴冠式にも似ている。それと根本的に野球帽の
ヒサシの起源はなんなのだろうか。

特ダネの小倉氏について。確かに彼は全てのことに
対して、自分とのかかわりを語る。感じとしては、
全てのドラマを見てるし、すべての人に会ったことが
あるし、全ての流行歌を聴いている。
それは、批評=「作品をダシにして己を語ること」
という小林秀雄の流儀から言えば正しい事かもしれない
が、そうしているうちに実は段々とおばさん顔になって
いくのかもしれないと思った。当然、それは、私に
ついても言えれることだが、大変恐ろしいことである。

まさむね

おばさん顔について

Tuesday, December 14th, 1999

おばさん顔については、
近頃、私も考えていました。
野村も浅香も、二人して、結局はマッチポンプで
ワイドショーを独占したいだけじゃないのかと
勘ぐっています。
喋る機会を狙っていると言うか・・

あの二人系の厚かましい顔ってオヤジには
あんまりいないと思います。
我の強いと言うか、主義を曲げないと言うか・・
おばさんって騒々しいじゃないですか
飯喰うにしても何につけても
喋り続けているし、自分の考えと言うより
ただ、喋るのが目的とかしている人多いですよね

雅子さんの騒動、
最初はミダス・タッチならぬ
ノック・タッチで懐妊かと思い
彼のパワーの凄さを感じていたのですが
残念ですね。
世継ぎは後々考えるとして
個人的には旦那よりも雅子さんに
女王様として即位して欲しいですね。

ところざわ

工藤投手のゆくえ

Tuesday, December 14th, 1999

西氏や古川氏の伝説。その中にもしかしたら、
元HLのY氏も一役存在しているのだろうか。
最近、話を聞かないけど、何をしているのだろうか。
知りたくもあり、知りたくもなし。

さて、今日、僕が話題にしたいのは、工藤投手の
ことだ。ダイエー球団幹部に誠意がないと言って、
あの中内会長にまで頭を下げさせた工藤は、その
後、中日に好印象を持ったり、メジャーリーグ
に興味があると言ったり、家族を大事にしたい
といってみたり、入院したり、
弁護士を交渉に呼んだとかで長嶋までも批判したり、
しかし、結局は巨人入りを選らんだようだ。

しかも、巨人からの4年間12億円の条件を断り、
自らが1年契約を希望というのだ。

多くの人は彼の一貫性の無い行動に対して、何様
のつもりといった感情を持ったようだ。しかし、
彼が一貫して私たちに教えてくれたのは、人は
注目されていると気持ちがいいということだ。
結局、1年契約にしたのも、来年、またこのような
話題になることをどこかで望んでいるからでは
ないのか。
注目されることの快感。去年の林マスミからはじまって
浅香やデヴィ、目立つことの快感とりつかれたおばさんは始末におえないという感じがするが、そういえば、
工藤もおばさん顔になってきたような気がするのは、
私だけだろうか。
しかし、気の毒なのは雅子さんだ。日本という、人間
を国の象徴にしてしまった国は、その個人の幸不幸が
即、国の幸不幸とリンクしてしまう。この騒動の結末
はいったいどうなるのだろうか。

まさむね

オオカワ会長の自己資産

Monday, December 13th, 1999

オオカワ会長の自己資産ってなんか、凄そうですね。
いろんなベンチャーにも出資していて、
それも、実を結んでいるのも幾つかあって
さらに、伝説も加速化してますね。

でも、軍門に、下っちゃったけど
アスキーの西や元アスキーの今MSの古川らの
初期の志の高さと見識の高さは
いまも胸を熱くさせますね

もう、パソコンにはあれ程熱い時期は
訪れないのかもしれません
今のインターネットブームも
当時のそれと比較していいのかもしれませんが
どうも、マネーゲームの邪さがちらついていて
好きになりません、でも、それを乗り越えて
成長していかないと先頭をひた走るものたちも
また、同じ轍を踏むことになるのかもしれません
世の中が孫を中心に回るならともかく
オオカワ会長じゃつまらなすぎます
でも、yahooの取締役って
大前やら、藤田田やらつまらない人達ばっかりで
それも幻滅ですが、
元野村の人はギラついていて良いですね

ところざわ

スタンガンそのものが嫌だ。

Monday, December 13th, 1999

その昔、国際プロレスに、ジ・エンフォーサーというレスラーが来襲(なつかしい響き)したことがあって、実は、そのレスラーの武器がスタンガンならぬ、電流棒だったといいます。
でも、その電流というものが観客に伝わりにくくて、相手をした日本人レスラー(阿修羅原とか)は、かなり大袈裟にしびれる仕草をしていたというのが伝説になっております。(確か、村松友視もこのジ・エンフォーサーについてレスラーらしいレスラーとして書いています。)

プロレスというジャンルは、観客に「痛み」を伝えるのが大事なわけで、それは本当にレスラーが「痛い」ということとは、本質的には別なことなわけです。極論すれば、観客が「痛い」だろうと想像出来れば、それでいいということになります。

そういう意味で、僕が大仁田のノーロープ有刺鉄線電流爆破デスマッチで、最も評価する仕掛けは、電流です。この目に見えない「痛み」が、有刺鉄線や爆発(消防庁かどっかの定義ではあの火薬の量だと「花火」扱いらしいけど)よりもより、「嫌」なギミックですな。

ところで、この「嫌」というのは僕は時代のキーワードですが(断定)、これをいかに商品化するかというのが、来年あたりのゲーム業界の一大テーマになることでしょう。

ゲーム業界といえば、このところ、いたるところで耳にするのが困った時の「オオカワ会長の自己資産」頼みです。はたして、このゲーム業界を席巻する「オオカワ会長の自己資産」という怪物。「NASAの科学力」、「中国四千年の蓄積」、「馬場さんの懐の深さ」と並んで、よくわからないが、なんとかしてくれる救世主の一つとしてどこまで成長していくことでしょうか。

まさむね

ちょっとドキドキしますね

Monday, December 13th, 1999

いまのとこ、動いているみたいですね
なんか、旅行の前日のような、ドキドキ
胸の高鳴るかんじがします

昨日の深夜、女子プロレスを
ちらっと見ました。
昔は、サーベルとか栓抜きとかフウツの凶器だったけど
いまは、スタンガンなんですね。
でも、サーベルも柄の方しか使わなかったように
スタンガンも足にしか使わないんですね
スタンガンのレスラー、ちょっと綺麗でしたね

ところざわ

とりあえず、はじめましょう

Sunday, December 12th, 1999

とりあえず、動くはずですが、
万が一も考えて、打ち込む文章は
どこかにバックアップとっておいた方が
いいかもしれません。

でも、バックアップとる程、
真剣に書き込んではいないのですけど。

メモ代わりに後で必要な文章は、
ここだけだと後々困るかも知れませせん

ではでは

ところざわ