ヴォイス〜命なき者の声〜 今後3つの期待

January 22nd, 2009

フジテレビ月9ドラマ、「ヴォイス〜命なき者の声〜」の放映を第2話まで見た。

ドラマの内容は、「法医学」をテーマに、法医学ゼミに属する5人の医学生の青春群像劇である。

その5人について説明してみよう。
1人目。大病院の跡継ぎとして医学部に来るが、親への反発で法医学ゼミを希望した石末亮介(生田斗真)。
2人目。子供の頃の母親の「心臓発作」に疑問を持っており、それが法医学ゼミに入るキッカケにもなったが、一方では、それが心のトラウマになってもいる久保秋佳奈子(石原さとみ)。
3人目。実家は歯医者だが、監察医が描かれた海外ドラマを見てハマって「法医学ゼミ」に入った、オタクの桐畑哲平(遠藤雄弥)。
4人目。元不良で、過去にトラブルがあり、その際、司法解剖のおかげで無実が証明された事をキッカケにして、バイトと猛勉強で法医学を目指した羽井彰(佐藤智仁)。

この4人に関しては、一応、キャラの設定がなされている。
特に、最初の2人、亮介と佳奈子(通称アキ)に関しては、それぞれ、克服すべきテーマも明確化されている。
亮介にとって、それはいわゆる「親超え」だし、アキにとっては、「過去の克服」である。
また、残りの2人は、どちらかと言えば、賑やかし的要素が強い。
ただ、哲平=お調子者のオタク、彰=熱血漢の元不良(本当はいい奴)という設定は典型的だが安定感はある。

そして5人目が、主人公の加地大己(瑛太)である。
しかし、この大己のキャラに関していえば、実は、微妙にしっくりこない感じがするのだ。

彼は、過去にも、将来にも特に問題(トラウマや不安)を抱えているわけではない。
明るい性格で、あまり周りに気を遣わない、好奇心旺盛で、人を巻き込むタイプなのである。

僕の見立てだと瑛太という役者は、「篤姫」や「ラストフレンズ」で見せた、ナイーブで、受動的、内面に抱えたモノと闘っているタイプの青年役がハマっているように見えるのだが、この「ヴォイス」では、逆に、積極的に、周りを巻き込むタイプの設定となっているのだ。
そこがしっくりしない原因なのかもしれない。

もっとも、瑛太にとっては、今回、月9ドラマとして、はじめての主演である。
これを機会に、俳優としての幅を、さらに広げてもらえればと思う。

さて、このドラマの今後の興味、あるいは期待であるが、僕は以下の3点を挙げておきたい。

1)様々なタイプの死への対応
ドラマのテーマは、事故、あるいは事件で亡くなってしまった死者の本当の死因を解明し、残された遺族(そして死者本人)に対して、その死が、「報われる死」であるような真実を取り戻してあげるという事である。
初回は、殺人死と思われた男の死を、過去に亡くした自分の息子の代わりに、「ある少年を助けるために自ら命を落とす男の死」というように解読する事によって、「優しかった」男という真実を取り戻す。
2回目は、妻の暴言によって家出しようとした男の突然死を、「実は、妻を愛するがゆえに亡くなった、愛情溢れるものだった」という真実にたどり着かせるのだ。
しかし、毎回、このように、死者=善人というパターンで乗り切れるものだろうか。あと10回位あるのである。
死には、本当の突然死もあれば、怨恨の殺人もある。
あるいは、現代的な死といえば、孤独死や、通り魔的な殺人もあるだろう。
このドラマが、現代的であろうとすればするほど、ヒューマニズムドラマとはかけ離れてしまう可能性がある。
そういった、多様な死を、このドラマは扱う(扱える)のだろうか。
扱わないとしたら、話のバリエーションをどうつけていくのか、そのあたりが楽しみだ。

2)チームプレイでの問題解決
今まで2話を見た限り、死因の究明、そして、「死者に対する物語の回復」は、ほぼ、大己(瑛太)の観察力と推理力でのみ、行われている。
他の4人は大己の行動に付き合ったりはしているが、実はそれほど、話に関わっているわけではないのだ。
せっかく、他に4名の個性的な友人がいるのだから、それぞれの性格、特技を生かした形での問題解決という展開も、期待したい。
あまり大己の能力のみが突出し過ぎると、「ヴォイス〜命なき者の声〜」がいつの間にか、江原啓之さんの「スピリチュアル・ヴォイス〜人生のきりかえ方〜」のようになってしまうのではないかというのは心配しすぎだろうか。

3)加地大己(瑛太)の物語はどうなる
先に、大己のキャラに関して述べたが、彼はあまりに普通すぎはしないか。
実は隠し持っている克服すべき「内面」があるのではないか。あるとしたら、そのように解決していくのか、そのあたり楽しみだ。
また、無理矢理セミに入れてしまった指導教授である佐川文彦(時任三郎)との関係はどうなっていくのか。
そして、月9の約束事でもある(おそらくアキとの)恋愛沙汰はどのように行われるのか。
などなど、ようするに、法医学的なサスペンス性とは別のところでの大きな流れが、まだ全く見えていない。
それらの展開に期待したい。

まさむね

「非婚同盟」を今すぐにでもゴールデンで放送してほしい

January 20th, 2009

フジテレビの昼メロ「非婚同盟」(月曜日から金曜日までの13:30~14:00)が凄い。
1月5日に放送を開始して、3月末まで。全60回の放送予定。
すでに11回の放送を終了しているが、早くも目まぐるしい怒涛の展開だ。
    ◆
簡単に言えば、ある裕福な家族の家(の離れ)に、愛人の一家が移り住むことによって巻き起こる騒動というのが今までの動きである。
当然、そこで様々なトラブル&闘争&葛藤が起きる。
そして、それらの様々な出来事の連続で、全編=山場、いつも=劇的という凄いドラマになっているのだ。

そのドロドロな状況を、昼メロ特有の棒読み演技と、(思ったことは全て顔の表情で表現するという、)お決まりの露骨な演出が、さらにドラマを盛り上げる。
さすが、脚本は、「失楽園」「真珠夫人」「牡丹と薔薇」などを手がけた、ドロドロドラマ界の大御所、1935年生まれ、73歳の中島丈博。
70歳を過ぎて、いまだに、こんな世界を描き続けるパワーに圧倒されざるを得ない。

具体的内容だが、勿論、本妻・伊庭絹子(いとうまい子)と愛人・ 小幡圭子( 三原じゅん子)の慇懃無礼な嫌味合戦も、子供同士のののしり合いも凄いのだが、元はと言えば、そんな騒動を巻き起こした最大原因である、夫・伊庭猪士郎(風間トオル)の堂々とした無責任な存在感の方がもっと凄い。

そんな状況に嫌気がさして、愛人・圭子に対して、「お前の娘(連れ子)を強姦してやる!」「離れに火を点けてやる」と大声で凄む本妻の息子・俊彦(本間春男) 。
父親である猪士郎は、そんな息子に向かってたしなめるどころか、「若い頃はその位、元気じゃなきゃいかん、やれやれ!ははは。」と爽快な顔で、けしかけるのだ。

ここまで来ると、視聴者もツッコむ気にすらならない。
あらゆる矛盾をなぎ倒す位のパワーが溢れているである。

今後、公式HPによると、本妻は死、二人の子供の友情化、二人に対して別の”奴隷的”存在の女の子の登場、家の没落、成長、そして「非婚同盟」結成などへと進むらしいのだが、そんなあらすじをチラ見しただけで、圧倒される。
    ◆
最近、ゴールデンタイムのドラマはどれも大人しくなってしまった。
ただイケメンを並べただけの顔見せドラマ、スポンサーの顔色をうかがい過ぎているドラマ、善人だらけの微妙なすれ違いドラマが増える中で、この「非婚同盟」のような悪人だらけの、露骨で邪悪なパワー溢れた作品を思い切ってゴールデンに持ってきて欲しい。
現状の視聴率もいい。この時間帯で、最高で8.1%の数字を残しているのである
もしかしたら、大ブームを巻き起こす可能性が無いわけではないと思うのだが、いかがだろうか。

まさむね

2009年「銭ゲバ」は現代的価値観を提示出来るだろうか

January 19th, 2009

「銭ゲバ」は元々1970年頃に少年サンデーで連載されたジョージ秋山の漫画である。
当時、作品の表現問題から一部の都道府県では有害図書扱いされたことがあったという。

それが、2009年にテレビドラマとして蘇った。
主人公の風太郎が1円玉を拾うシーンに続いて、のっけから、どこか大きな工場の生産ライン。そこは、労働者は人間として扱われていない世界だ。

一日の労働の後、毎日のように工場側から、その日で仕事を切られる労働者の番号と名前が呼ばれる。
それは、必然的に最近、話題になっている「派遣切り」の風景を彷彿させる。

約40年前の労働者の風景が、現代の状況とシンクロするシーンだ。
今クールのドラマが「ラブシャッフル」にしろ、「メイちゃんの執事」にしろ、明らかに時代とずれたフィクションが目立つ中で、「銭ゲバ」の世界観は、今だからこその露悪的な説得力を出し続けられるか、どうか。
おそらく、これがこのドラマの生命線になるであろう。
それにしても、松山ケンイチ(青森生まれ)の暗さは、十分、期待に値する存在感である。
    ◆
さて、その後、しばらくして、画面は主人公・蒲郡風太郎の子供時代へ。
彼が育った環境は、父親は飲んだくれ、母親が病気をおして働いて家を支える。そして、風太郎も新聞配達で家計を手助けする。
絵に描いたよな可哀そうな境遇である。
しかし、母親と風太郎の二人の食事風景はなんとも涙を誘う。
子役は、「光とともに」での光君役や、「流星の絆」での 有明功一の子供時代の役などで大人顔負けの演技を見せた齋藤隆成、そして、母親は、最近では、「モンペ」や「魔王」で母子家庭の母親役を好演した奥貫薫だ。
それにしても、仮に”幸の薄い役柄市場”というものがあったとしたら、この奥貫薫は独禁法違反になるくらい他の追随を許さないハマリ役者である。

貧乏な母子、母親は風太郎に以下のように言う。
「ちゃんと正直に一生懸命がばってれば絶対幸せになれる。神様は見ていてくれるから。」

そういえば、1970年、今からおよそ40年前、大阪万博があった年。おそらく、その頃は今以上に、貧富の差が激しい時代だった。
しかし、人々はこの母親の言うような、価値観を信じていた。
生きることは苦しくても、頑張っていれば、いつか幸せになれるという価値観を。

しかし、あれから40年、市場原理主義、新自由主義、グローバルスタンダードなどという価値観の大転換の大波が去った後、日本は、頑張らないと幸せになれないが、頑張っても幸せになれるかどうかは偶然に左右されるような社会になってしまった。
こんな社会で、いったい誰がこのような現実を前にして、必死で努力しした方がいいなどと自信を持って言えるだろうか。
現代の労働問題の本質は、職が無いというよりも、欲が無いということだと思う。
それは、2009年の価値観のもとで、人々は労働意欲を維持継続出来るかという問題なのではないだろうか。

さて、1970年の「銭ゲバ」では最終的に、この母親的な価値観が正しかったということになるのだが、現代の時代背景のこのドラマにおいて、最終的にいかなる価値観が勝利するのであろうか。
母親的な価値観の先を行く”現代的”価値を提示できるのか、そのあたりがこのドラマの見所となっていくだろう。
    ◆
さらに言えば、原作では風太郎は最終的に自殺するのであるが、このドラマではどうなるのであろうか。
そこも一つの見所だ。
昨年から今年にかけての、多くのドラマでは自殺防止メッセージが流され続けている。

例えば、「イノセント・ラブ」において、佳音(堀北真希)の兄・耀司(福士誠治)がナイフで自殺しようとするが、殉也(北川悠仁)に制止される。
その時のセリフが「生きていて欲しい」だった。そして最終回に耀司は言う。「何があっても生きなくてはいけないのですね。」と。
大河ドラマ「篤姫」でも、主人公の篤姫(宮崎あおい)は、自分は死んで官軍の江戸総攻撃を回避しようとする徳川慶喜(平岳太)に対して、「あなたも家族です。」と言って、自害を阻止する。
また、「流星の絆」、真犯人だった刑事(三浦友和)が自殺しようとするが、自分の両親を殺された有明功一(二宮和也)はそれを許さない。
さらに、今クールの月9ドラマ「ヴォイス~命なき者の声~」の第一回放送では、自殺しようとする子供を救い自分が亡くなったしまった男(モロ師岡)の話であった。

その流れの中で、2009年の「銭ゲバ」はどういった結末を迎えるのであろうか。今から楽しみである。
    ◆
さて、ドラマの中身とは関係ないが、この「銭ゲバ」の提供クレジットには、株式会社スズキとコカコーラである。
コカコーラはいいとしても、昨年末に600人の期間労働者の削減を発表したスズキが堂々と名前を連ねているのはいい根性している。
ドラマの中で、労働者が冷淡にも切られるシーンがあって、CMに切り替わるとスズキのワゴンR。
どれだけのCM効果があるのだろうか。

ちなみに、キャノンは番組終了後に、ヒッチハイク扱い(視聴率に応じてCM料を決めるシステム)でCMを流していた。
御手洗会長は、はたしてこのドラマとCMのアンバランスを見たのであろうか。
興味深いところである。

まさむね

文字紋 -わかりやすさ第一の優しい紋-

January 19th, 2009

家紋の中で一番わかりやすいのが文字紋である。

近頃は、ローマ字ロゴが全盛の時代だが、「丸に文字」の文字紋もまだ残っている。
それは、丸に文字紋が、かっこ良さは別にして、ご年配にわかりやすいからに違いない。

左画像はご存知の通り、左上=伊勢丹、右上=大丸、左下=三越、右下=高島屋の「丸に文字」ロゴである。
大衆相手の百貨店にとって、わかりやすさは大事なのだ。

文字紋は全国で26位。
長野県で12位、宮崎県で14位。
おそらく、長野県では、丸に上文字紋が多いだろうと推測できる。村上発祥の地だからである。

文字紋を持つ有名人は以下。

稲葉一鉄。1515年 – 1589年1月5日、武将。
伊予の名族・河野氏の一族で、彼の時代に美濃に流れて土豪になった。
土岐氏、斎藤道三から斎藤氏3代、織田信長、豊臣秀吉に仕える。
江戸幕府第3代将軍・徳川家光の乳母となる春日局の養祖父にあたる。
家紋は隅切角に三の字。


石田三成。1560年 – 1600年11月6日、武将・大名。
石田正継の次男として近江国坂田郡石田村で生まれる。
秀吉の小姓として仕える。豊臣政権の五奉行の一人。
家康を排除すべく、上杉景勝・直江兼続らと密かに挙兵の計画を図るが関が原の戦いで破れる。家紋は大一大万大吉。


宇喜多秀家。1572年 – 1655年12月17日、武将・大名。
備前国岡山城主の宇喜多直家の次男として生まれた。幼名は八郎。
羽柴秀吉の遠征軍に組み込まれ、秀吉による備中高松城攻めに協力。
秀吉の寵愛を受けてその猶子となる。豊臣政権下の五大老の一人。関が原の戦いに敗れ、流人として伊豆諸島・八丈島へ配流。家紋は剣片喰(左)と児の字(右)。


蜂須賀家政。1558年 – 1639年2月2日、安土桃山時代の武将・大名。
蜂須賀正勝の長男として、尾張国丹羽郡宮後村に生まれる。
父の代わりに阿波の大名に任じられて徳島藩祖となる。
阿波踊りは、城が竣工した折、家政が城下に「城の完成祝いとして、好きに踊れ」という触れを出したことが発祥と言われている。家紋は蜂須賀万字。


大久保主水。江戸水道開設者。菓子職人。
元々三河武士であったが、負傷以降、餅菓子を作る特技を生かして家康に菓子を献じる。
家康に用水事業を命じられ、井の頭池、善福寺池を源に江戸城並びに市中の引水に成功。
これが神田上水といわれるわが国の水道の先駆けとなる。この功により、以来、「主水」の名を賜り、幕府用達の菓子司を務めた。家紋は上り藤に大の字。


大野治長。1569年 – 1615年6月4日、武将。豊臣家の家臣。
京都に生まれる。豊臣秀吉の馬廻衆として取り立てられた。
秀吉の死後は、豊臣秀頼の側近として仕えた。家康暗殺疑惑事件の首謀者の一人として家康にその罪を問われ、下野国(栃木県)に流罪される。
大坂夏の陣で破れ自害。家紋は大文字。


村上義清。1501年3月29日 – 1573年2月3日、戦国時代の武将。
村上顕国の子として葛尾城に生まれる。
信濃埴科郡葛尾城主で、武田晴信の侵攻を2度撃退するなどの武勇で知られ、家督相続時には信濃の東部から北部を支配下に収め、村上氏の最盛期に当主となった。実質的には戦国大名としての村上氏最後の当主。家紋は丸に上文字。


仙石秀久。1552年2月20日 – 1614年6月13日、武将・大名。
美濃の豪族・仙石久盛の四男として美濃で生まれる。
仙石氏は清和源氏である土岐氏の支流。羽柴秀吉の家臣として仕える。
賤ヶ岳の戦いが終結すると、秀久はこれまでの功を評価され、淡路国洲本城主5万石の大名となる。家紋は丸に無の字。


本多忠勝。1548年 – 1610年12月3日、武将・大名。
徳川本家の最古参の安祥譜代の本多氏で、本多忠高の長男。
家康の家臣として数々の武功を上げる。
上総大多喜藩初代藩主、伊勢桑名藩初代藩主。
家紋は立葵(左)と丸に本の字。


平田篤胤。1776年10月6日 – 1843年11月2日、国学者、神道家。
秋田藩士の子として生まれ、成人してから備中松山藩士の兵学者平田篤穏の養子となる。
本居宣長らの後を引き継ぐ形で儒教・仏教と習合した神道を批判し、やがてその思想は水戸学同様尊皇攘夷の支柱となり、倒幕後の明治維新変革期の原動力ともなった。
紋付、墓所にある家紋は右卍轡。


久坂玄瑞。1840年 – 1864年8月20日、武士・長州藩士。
長門国萩平安古に萩藩医・久坂良迪、富子の二男として生まれる。
松下村塾に学び、高杉晋作、吉田稔麿と共に村塾の三秀といわれた。
安政の大獄によって松陰が刑死した後、尊攘運動の先頭に立つようになる。
禁門の変で負傷し、自刃する。家紋は隅立角に三の字。


島津斉彬。1809年 – 1858年7月16日、島津氏の第28代当主。
薩摩藩の富国強兵に成功した幕末の名君の一人である。後に西郷隆盛ら幕末で活躍する人材も育て上げた人物である。
日本の国旗である日章旗を初めに提案
丸に十字は薩摩・島津家家紋として有名。島津製作所も同様の社章。


三島通庸。1835年6月26日 – 1888年10月23日、薩摩藩士、内務官僚。
薩摩藩士三島通純の長男として生まれる。三島家は代々藩の鼓指南役の家柄。
山形県・福島県・栃木県の各県令、内務省土木局長(県令と兼任)、警視総監を歴任。
家紋は、折敷に三文字。この紋は、越智氏流の河野氏の代表紋で、三島神社の神紋としても知られている。大山祇神社の神紋は、三文字が縮んでいる。


三宅雪嶺。1860年7月7日 – 1945年11月26日、哲学者、評論家。
加賀国金沢生まれ。本名は雄二郎。加賀藩家老本多家の儒医の子として生まれる。
国粋主義の立場を主張する為、『日本人』を創刊する。
主著は『真善美日本人』『偽悪醜日本人』。家紋は「島形に児文字」。この紋の判別に関しては、「家紋の真実」を主宰、日本家紋研究会副会長の高澤等先生にご教授頂きました。


杉田玄瑞。1818年9月20日 – 1889年7月19日、蘭学者。
三河出身。杉田玄白の後裔者。
若狭小浜藩医になり蕃書調所・洋書調所教授、外国奉行支配翻訳御用頭取などを歴任。
開成所教授の蘭学教授として、新島襄等、多くの人材を育てる。
東京神田に共立病院を創立。家紋は田の字だと思われるが、角轡にも見える。


島津保次郎。1897年6月3日 – 1945年9月18日、映画監督。
東京神田区駿河台に老舗海産物商の息子として生まれる。
多くの作品で庶民生活を生き生きと活写し、「メロドラマ」の名手として知られる。
代表作は『兄とその妹』『麗人』『嫁ぐ日まで』等。
家紋は丸に十の字。島津家の代表紋である。


志賀直哉。1883年2月20日 – 1971年10月21日、小説家。
宮城県石巻市生まれ。父直温は明治期の財界で重きをなした人物。
小林秀雄、阿川弘之、小林多喜二などが彼に師事した。
暗夜行路』は近代日本文学の代表作の一つに挙げられている。
代表作「小僧の神様」「城の崎にて」「清兵衛と瓢箪」「暗夜行路」など。


坂東三津五郎 (10代目)。1956年1月23日 – 、俳優、歌舞伎役者。
東京都中央区に生まれる。本名は守田寿(もりた ひさし)。
長男に二代目坂東巳之助、長女に女優の守田菜生、また従妹に女優の池上季実子がいる。
出演作品は『武士の一分』『母べえ』『功名が辻』など。
家紋は三ツ大。


北野武。1947年1月18日 – 、お笑いタレント、映画監督、東京芸術大学教授。
東京都足立区島根町にて、ペンキ職人の四男として生まれる。
80年代、ビートきよしと「ツービート」という漫才コンビを組みブレイク。「平成教育委員会」「風雲!たけし城」「TVタックル」等主演番組多数。映画監督としては世界的に有名。『HANA-BI』でヴェネツィア国際映画祭金獅子賞を受賞。紋付にはオリジナルK文字紋がつけられている。


夏目雅子。1957年12月17日 – 1985年9月11日、女優。
六本木の輸入雑貨商・亀甲屋の子として生まれる。旧姓は小幡。写真はその実家の紋。
代表出演作はドラマ『西遊記』『徳川家康』、映画『瀬戸内少年野球団』など。
夫は、『ギンギラギンにさりげなく』の作詞で有名な伊集院静。27歳の若さで突然の死去。
「美人薄命」そのものの生涯と当時多くのファンからその死を惜しまれた。


高市早苗。1961年3月7日 – 、政治家。元近畿大学教授。
奈良県奈良市出身。夫は同じく自民党衆議院議員の山本拓。
安倍晋三内閣で内閣府特命担当大臣として入閣。沖縄及び北方対策、科学技術政策、イノベーション、少子化・男女共同参画、食品安全を担当。2007年8月15日、安倍内閣の閣僚でただ一人靖国神社に参拝した。高市家は越智氏流で、家紋は、折敷に縮み三の字


西島千博。1971年10月21日 – 、俳優、バレエダンサー。
宮崎県日向市生まれ。TVドラマ「池袋ウエストゲートパーク」の尾崎京一役として有名。2008年に真矢みきと結婚。画像はその婚礼時の紋付より。波多野氏の一族岩間氏の兄弟の一人が西島姓に改姓(13世紀)した際、「岩間」の名前をこの「丸に岩の字」紋に残した。この紋の判別に関しては、「家紋の真実」を主宰、日本家紋研究会副会長の高澤等先生にご教授頂きました。

まさむね



釘抜紋 -普通の作業具が語呂がよくて縁起紋に-

January 19th, 2009

釘抜きは打ち込んだ釘を抜くための工具であるが、家紋として採用されたのはその語呂。
「九城を抜く」すなわち、九つの城を陥落させるという戦勝の縁起もかついでいるらしい。

引き両紋もそうだが、単純な絵柄が目立つという事で好まれたのかも。
いざという時に戦場でも描けるし。

全国分布では27位。
福井県で21位、新潟県で22位、和歌山県で23位といったところが多い。

堀秀政。1553年 – 1590年6月28日、武将・大名。
堀秀重の長男として美濃国で生まれる。
13歳の若さで織田信長の小姓、側近として取り立てられた。
雑賀討伐戦では信長本陣から離れ、佐久間信盛、羽柴秀吉らとともに一隊を率いる。
本能寺の変以降は、秀吉に従う。


田中吉政。1548年 – 1609年3月23日、武将、大名。
近江国・高島郡田中村の出身。先祖は近江源氏高島氏の一族田中氏で田中城の城主。転封の過程で居城とした近江国・八幡、三河国・岡崎、筑後国・柳河などに、現在につながる都市設計を行った。そのことは現代でも高く評価できる。
家紋は左三巴と釘抜き。


南方熊楠。1867年5月18日 – 1941年12月29日、博物学者、生物学者、民俗学者。
和歌山城下橋丁に金物商・雑賀屋の次男として生まれる。粘菌学者としても知られる。
「歩く百科事典」と呼ばれ、彼の言動や性格が奇抜で人並み外れたものであるため、後世に数々の逸話を残している。主著『十二支考』『南方随筆』。
家紋は丸に隅立て釘抜き。


柳宗悦。1889年3月21日 – 1961年5月3日、美術評論家。
東京府(現:東京都)生まれ。
学習院在学中、同人雑誌グループ白樺派に参加。
生活に即した民芸品に注目して「用の美」を唱え、民芸運動を起こした。
東京市目黒区駒場(現:東京都目黒区)に日本民芸館を設立。


麻生太郎。1940年9月20日 – 、政治家。内閣総理大臣(第92代)
元麻生セメント(現・株式会社麻生)代表取締役社長。
総務大臣、外務大臣、幹事長などを歴任。
べらんめえ調の語り口と毒舌も織り交ぜた発言で、街頭演説などで聴衆の人気を博した。
家紋は、違い釘抜き。麻生グループの社章にもなっている。

まさむね



家紋物語 ~有名人の家紋~

January 19th, 2009

◆主な掲載者、とりあえず100名位◆

あ行
赤塚不二夫芥川龍之介明智光秀浅利慶太麻生太郎渥美清安倍晋三いかりや長介石ノ森章太郎石原裕次郎和泉元爾伊藤博文伊能忠敬植村直己宇津井健うつみ宮土理江川卓江戸川乱歩大隈重信岡本太郎織田信長オノ・ヨーコ小和田雅子 ...
か行
海音寺潮五郎魁皇梶原一騎勝海舟勝新太郎桂三枝角川春樹加山雄三川嶋紀子菅直人菊池寛北島康介北野武黒澤明黒柳徹子近藤勇 ...
さ行
西郷隆盛坂本九坂本龍馬佐藤栄作志賀直哉渋沢栄一関根勉  ...
た行
高島忠夫貴乃花高橋是清武田信玄太宰治田中角栄谷川俊太郎タモリ津川雅彦手塚治虫寺山修司東条英機徳川慶喜豊臣秀吉 ...
な行
永井荷風中上健次中曽根康弘中原誠中山晋平夏目雅子夏目漱石新渡戸稲造 ...
は行
白鵬橋本真也鳩山一郎林家三平ピーコ樋口一葉土方歳三平塚雷鳥福沢諭吉福田康夫藤原紀香双葉山古田織部星新一 ...
ま行
増位山松田聖子松本清張三島由紀夫美空ひばり三波伸介三波春夫みのもんた三船敏郎雅山武者小路実篤毛利元就森鴎外森進一 ...
や行
八千草薫山下清山本五十六湯川秀樹横溝正史与謝野晶子吉田茂吉田松陰 ...
ら行
力道山 ...
わ行
渡辺崋山 ...


「あなたの家紋は何ですか」と聞かれて、すぐに答えられる人はどのくらいいるだろうか。
おそらく、今の20代の若者だと、多くて10人中、2~3人位ではないだろうか。

日本人ならば誰でも持っている自分のシンボル、しかし、ほとんど意識されていないのがこの家紋なのである。
そして、残念なことではあるが、100年単位で考えると、家紋は徐々に消滅してしまうであろう。

しかし、家紋のことをよく調べてみると、このささやかなデザインにもそれぞれ、過去の日本人の様々な想いが込められた歴史があることがわかる。
それは、あるものは、切実な祈りであったり、反骨心の現われであったり、美意識の結晶であったり、はるかなる願望であったりするのだ。

それぞれの家紋の歴史的な背景、経緯に関しては、諸先輩方の著作や、このページ最下段にリンクしたサイトなどでご覧頂くとして、このブログ(一本気新聞)では、その紋に対するオリジナルな深読みをしてみたいと思う。
また、どんな有名人がどんな家紋を使っていたのかというのを集めてみた。
有名人の生年月日、死亡年月日、略歴などは、ウィキペディアから引用させていただいた。また、有名人を複数輩出している一族に関しては、複数掲載する意味があまりないため、例えば、徳川家では徳川慶喜、鳩山家では鳩山一郎、おすぎとピーコはピーコだけという具合に、基本的には代表的な人物一人掲載とさせていただいた。
さらに、ご存知の通り、地域や家によって男紋、女紋があったり、家には定紋、替紋があるケースがあるが、個々の例では全てそれらの状況は把握できてはいない。それゆえ、あくまで関連性の強い紋というニュアンスで御笑覧いただければと思う。

このコーナーをお読みいただき、家紋という日本の伝統の一側面に思いを馳せていただければ幸いである。

尚、以下の紋アイコンはあくまで家紋カテゴリを表している。例えば、藤紋には下り藤、上り藤、藤輪、藤巴などを含んでいる。また、2つ以上のカテゴリに解釈できる紋(例えば菊菱)はその両方で紹介している。


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まさむね

竹笹紋 -天の神様にあやかろうという人々の願い-

January 19th, 2009

竹は不思議な植物である。他に類似する植物が無い。

特別の場所に群生し、その姿は天に伸びる。
古来、その姿は、美しさ、高潔さ、節操を意味するものとして尊ばれたのである。
そして、天から降ってくる異界からのメッセージを受け取る「よりまし」としても認識されていた。

かぐや姫は竹の中から出てきたが、それは、ある種、天からの贈り物だったのである。
また、正月の門松も、天に延びている部分は鋭く切った竹で、そこに歳神がやってくると信じられているのだ。

竹笹紋は、そんな天からの神様にあやかろうとした人々によって採用された。
越後の上杉謙信のシンボルとしては、旗印としての「毘」が有名だが、家の紋は上杉笹と呼ばれる「笹に雀」である。
これは元々、上杉家が藤原北家の勧修寺(かしゅうじ)家の「笹に雀」紋から来ている。
そして、さらに、この紋は、微妙に変形されて伊達氏にも引き継がれていくのである。

さて、この竹笹紋であるが、全国で16位。
群馬県での6位が突出している。
これはおそらく、高橋姓の広がりが、群馬県が一番という事が関係しているのではないだろうか。
竹笹紋は高橋姓の一つの代表紋だからだ。

竹笹紋使用の有名人は以下。

竹中半兵衛。1544年9月27日 – 1579年7月6日、武将。
美濃斎藤氏の家臣で不破郡岩手城主・竹中重元の子として生まれる。
羽柴秀吉(豊臣秀吉)の軍師として活躍した名将である。戦国時代を代表する軍師であり、同時代の黒田孝高(黒田官兵衛)と並んで天才軍師と称されている。
家紋は丸に九枚笹。


伊達政宗。1567年9月5日 – 1636年6月27日、戦国時代の武将。
本姓は藤原氏。家系は伊達朝宗を祖とする伊達氏。
出羽国(羽州)と陸奥国(奥州)の戦国大名。陸奥仙台藩の初代藩主。
最も古い紋は縦三つ引き両(右上)。九曜紋(左下)は細川氏から使用許可される。竹笹紋(左上)は仙台笹、牡丹は仙台牡丹(右下)といわれる独特の形状をしている。


上杉鷹山。1751年9月9日 – 1822年4月2日、大名。
父は日向高鍋藩主・秋月種美で次男。10歳で米沢藩の第8代藩主・重定の養子となる。
出羽国米沢藩の第9代藩主。領地返上寸前の米沢藩再生のきっかけを作り、江戸時代屈指の名君として知られている。
祭神として、摂社松岬神社に奉られている。家紋は上杉笹。


鳥居元忠。1539年 – 1600年9月8日、徳川家康の家臣である。
父の忠吉は岡崎奉行などを務めた松平氏以来の老臣で、元忠も家康がまだ「松平竹千代」と呼ばれて今川氏の人質だった頃からの側近の一人である。家康の三河統一後、旗本先手役となり旗本部隊の将として戦う。
その忠節は「三河武士の鑑」と称された。家紋は鳥居笹。


竹本義太夫。1651年 – 1714年10月18日、浄瑠璃太夫。
摂津国(大坂)に生まれる。農家の出身。
大坂道頓堀に竹本座を開設し、近松門左衛門・作の『世継曽我』を上演。
近松門左衛門と組み、多くの人形浄瑠璃を手掛けた。
浄瑠璃の義太夫節の創始者である。家紋は竹亀甲に九枚笹。


佐野常民。1823年2月8日 – 1902年12月7日、佐賀藩士、元老院議員。
佐賀藩士下村三郎左衛門の5男として佐賀に生まれる。
大坂の緒方洪庵の適塾で学ぶ。
日本赤十字社の創始者
第1次松方内閣で農商務大臣に就任する。


山田顕義。1844年11月18日 – 1892年11月11日、長州藩士、政治家、陸軍軍人。
長門国阿武郡椿郷東分で、萩藩士の長男として生まれる。
松下村塾に入門。 高杉晋作、久坂玄瑞、伊藤俊輔らとともに攘夷の血判書に名を連ねる。
維新後は、参議兼内務卿、司法卿兼参議、初代司法大臣を歴任。
日本大学國學院大學の学祖。


岡本柳之助。1852年8月 – 1912年5月14日、軍人・ナショナリスト。
和歌山藩士、江戸出身。旧姓は諏訪。岡本家の養子。
西南戦争では参謀として活躍し、戦後少佐となるが、1878年(明治11年)の竹橋事件に連坐し、官職を剥奪された。
三浦梧楼らと閔妃殺害事件をおこし、投獄された。


下田歌子。1854年9月30日 – 1936年10月8日、教育家・歌人。
岐阜県恵那郡岩村町出身。岩村藩の藩士の家に生まれる。本名:平尾 鉐。
容姿と才能に恵まれ、「明治の紫式部」ともあだ名される。
生涯を女子教育の振興にささげる。
実践女子学園順心女子学園設立の基礎を築いた。


立川勇次郎。1862年 – 1925年、実業家。
美濃国大垣藩の藩士の次男として生まれる。
大師電気鉄道(現京浜急行電鉄)の代表に就任。
1912年(大正元年)、大垣を中心とした西濃地区の電力供給を目的として、揖斐川電力(現イビデン)設立。初代社長となる。


井上準之助。1869年5月6日 – 1932年2月9日、政治家、財政家。
大分県日田市大鶴町に造り酒屋を営む家に生まれる。
日本銀行第9、11代総裁。第二次山本、浜口、第二次若槻内閣の蔵相。
浜口内閣で行った金輸出解禁(金本位制への復帰)や緊縮財政は世界恐慌のため深刻な不況を招き、血盟団事件で暗殺される。


有島武郎。1878年3月4日 – 1923年6月9日、
旧薩摩藩士で大蔵官僚の有島武の子として生まれる。
志賀直哉や武者小路実篤らとともに同人「白樺」に参加。
代表作は『カインの末裔』『或る女』『迷路』など。
作家の里見弴は弟。長男は俳優の森雅之にあたる。


宮沢賢治。1896年8月27日- 1933年9月21日、詩人・童話作家・農業指導家・教育者。
岩手県稗貫郡里川口村に質・古着商の長男として生まれた。
郷土岩手の地を深く愛し、その空前・独特の魅力にあふれた作品群によって没後世評が急速に高まり国民的作家とされるようになった。
代表作は『銀河鉄道の夜』『風の又三郎』『注文の多い料理店』等。家紋は九枚笹。


大藪春彦。1935年2月22日 – 1996年2月26日、小説家。
京城(ソウル)に生まれる。父は教師である。
激しいアクション、暴力を描く通俗的な作品が多く、それゆえに「暴力賛美の小説」と批判されることもある。
代表作は、『本陣殺人事件』『蘇える金狼』『汚れた英雄』 など。


勅使河原蒼風。1900年12月17日 – 1979年9月5日、華道草月流の創始者。
華道において斬新な手法を多く提供し「花のピカソ」と呼ばれた。
『いけばなは生きている彫刻である』と提言する蒼風は、日本のいけばなを世界に発信した第一人者といえる。
草月流三代目家元、映画監督である勅使河原宏の父としても知られている。


嶋中雄作。1887年2月2日 – 1949年1月17日、編集者。
1916年、『婦人公論』を創刊し編集長となる。
1928年には中央公論社社長となる。
『西部戦線異状なし』レマルク著、『源氏物語』谷崎潤一郎訳等をベストセラーにする。
画像は、本願寺和田堀廟所の墓所。家紋は、折敷に九枚笹。


横溝正史。1902年5月24日 – 1981年12月28日、小説家、推理作家。
兵庫県神戸市東川崎に父・宜一郎、母・波摩の三男として生まれる。父の郷里は岡山。
金田一耕助を探偵役とする一連の探偵小説で有名。
代表作は、『獄門島』『八つ墓村』『犬神家の一族』『悪魔の手毬唄』『悪霊島』『悪魔が来りて笛を吹く 』など。


藤沢周平。1927年12月26日 – 1997年1月26日、時代小説作家。直木賞受賞作家。
本名:小菅留治(こすげ とめじ)。山形県東田川郡黄金村大字高坂字楯ノ下に生まれる。父小菅繁蔵、母たきゑの第三子。実家は農家。
庄内藩をモチーフにしたと言われる架空の藩「海坂藩」を舞台にした作品は有名。
代表作は、『暗殺の年輪』『市塵』『たそがれ清兵衛』『蝉しぐれ』など。


谷川俊太郎。1931年12月15日 – 、詩人。
父は、哲学者で法政大学学長の谷川徹三。
石原慎太郎、大江健三郎、寺山修司、浅利慶太、永六輔、黛敏郎、福田善之ら若手文化人らと「若い日本の会」を結成し、60年安保に反対。
代表作は『ことばあそびうた』『二十億光年の孤独』『コカコーラ・レッスン』。家紋は九枚笹。


谷垣禎一。1945年3月7日 – 、弁護士、政治家。
京都府福知山市出身。父は、文部大臣を務めた谷垣専一。
産業再生機構担当大臣、食品安全担当大臣、財務大臣(第4・5・6・7・8代)、自由民主党政務調査会長、国土交通大臣(第9代)を歴任。宏池会(谷垣派)会長を務めた。
家紋は九枚笹。


明石家さんま。1955年7月1日 – 、のお笑いタレント。
本名、杉本高文(すぎもと たかふみ)。
笑福亭松之助に弟子入りした。当初の芸名は「笑福亭さんま」であった。
タモリ、ビートたけしとさんまの3人で日本のお笑い芸人BIG3と称される。
五枚笹は笑福亭一門の定紋である。

まさむね



五つ瓜紋 -五角形の木瓜紋の外輪紋-

January 19th, 2009

木瓜紋の中で特に、円を5つで割った外輪を持つ紋を五つ瓜である。

この紋の意味は、基本的には木瓜紋と同じだが、輪の中にバランスがよく、別の紋が入れやすいので広まった。

全国では、19位の普及。
地域別では、福島県が7位、長崎県で8位というのが多いところ。
逆に、宮崎県ではベスト30以下。長野県で27位、高知県と鹿児島県では26位だ。

使用している有名人は以下。

織田信長。1534年5月12日 – 1582年6月2日、戦国武将。
古渡城主・織田信秀の次男または三男として生まれる。
日本の近世の最初期にあたる戦国時代から安土桃山時代にかけて、世に多大な影響を残した武将であり、大名(戦国大名)である。
重臣の一人・明智光秀の裏切りに遭い、自刃に追い込まれた。


大村純忠。1533年- 1587年6月23日、大名。
実父は有馬晴純。肥前の大村純前の養嗣子となり、家督を継いだ。
大村氏の先祖は藤原純友であるという。
キリスト教の宣教師から洗礼を受け、日本最初のキリシタン大名となった。領民に信仰を強制させたり寺社を破壊したりと過激な信仰を行っていた。家紋は大村瓜。


有馬晴信。1567年 – 1612年6月5日、安土桃山時代、江戸時代の大名。
肥前有馬氏当主。有馬義貞の次男。キリシタン大名として知られ、大友宗麟や大村純忠とともに、天正遣欧使節を派遣している。関ヶ原の合戦では東軍に寝返り、小西行長の居城であった宇土城を攻撃、その功績により旧領を安堵された。岡本大八事件で甲斐国初鹿野に追放された後で、死罪となった。家紋は左三巴と五瓜に唐花。


吉田松陰。1830年8月4日 – 1859年10月27日、明治維新の理論者。
長州藩士・杉百合之助の次男として生まれる。
私塾松下村塾にて、木戸孝允、高杉晋作を初め久坂玄瑞、伊藤博文、山縣有朋、吉田稔麿、前原一誠等維新の指導者となる人材を育てる。
安政の大獄により斬首刑に処される、享年30(満29歳没)。


松本楓湖。1840年10月9日 – 1923年6月22日、日本画家。
常陸国河内郡寺内村に生まれた。名は敬忠。通称:藤吉郎。
欽定教科書『幼学綱要』全7巻において61図の挿絵を描き一躍名を轟かせた。
日本美術院の創設に参加、文展開設当初から(第4回まで)審査員にあげられた。歴史画に長じ、「蒙古襲来・碧蹄館図屏風」「静女舞」等を発表。家紋は五つ瓜に丸に二引両。


乃木希典。1849年12月25日 - 1912年9月13日、軍人。
長州藩の支藩である長府藩の藩士、乃木希次・寿子の長男に生まれる。
東郷平八郎とともに日露戦争の英雄とされ、「聖将」と呼ばれた。
明治天皇の後を追って殉死。
青山墓地にある乃木家墓所より、写真の家紋を撮影。もう一つ別に四つ持ち合い井筒も使用。


朝永振一郎。1906年3月31日 – 1979年7月8日、物理学者。
東京市小石川区小日向三軒町に朝永三十郎(長崎県出身)の子として生まれる。
くりこみ理論の手法を発明して量子電磁力学の発展に寄与した功績によってノーベル物理学賞を受賞した。1961年には東京教育大学長、1963年から1969年には日本学術会議会長を務めた。家紋は、五瓜に上り藤。


織田作之助。1913年10月26日 – 1947年1月10日、小説家。
大阪市南区生玉前町にて、仕出屋「魚春」の織田鶴吉、たかゑの長男として生まれる。
出世作となった「俗臭」「夫婦善哉」をはじめ、「競馬」「世相」など短編を得意とした。
また出身地である大阪に拘りを持ち、その作品には大阪の庶民(特に放浪者)の暮らしが描かれていることが特徴である。


武藤信義。1868年9月1日 – 1933年7月27日、陸軍軍人。
佐賀藩士・武藤信直の次男として生まれる。
関東軍司令官兼駐満大使兼関東長官・教育総監・軍事参議官等を歴任。
満州における軍事・行政・外交を掌握して「これほど権力を掴んだ者は明治維新以来いない」と評されたという。


河合玉堂。1873年-1957年、日本画家。
1907(明治40)年の文展設立の際には審査委員に任命される。以後、国民的画家としての地位をゆるぎないものとした。
代表作は「渓村春麗」「彩雨」「山水観月」「鵜飼い」など。
家紋は、五つ瓜に剣花菱。


春風亭昇太。1959年12月9日 – 、落語家。
静岡県清水市(現静岡市清水区)出身。
本名:田ノ下雄二。5代目春風亭柳昇の弟子。
2005年には落語を題材にしたドラマ「タイガー&ドラゴン」に出演。
2006年5月より日本テレビ系『笑点』の大喜利メンバーに加入。


藤森慎吾。1983年3月17日 – 、コメディアン、司会者。
長野県諏訪市出身。愛称は「しんご」。
よしもとクリエイティブ・エージェンシー所属のオリエンタルラジオのツッコミ担当。
『武勇伝』ネタの知名度が圧倒的だが、しゃべくり漫才もする。
「笑っていいとも!」にて家紋は家紋は五瓜に檜扇であることを告白。

まさむね



矢紋 -幸福を射止める武具または神具-

January 19th, 2009

矢は、武器であると同時に、儀礼や呪具でもある。
屋島合戦で、那須与一が平家の扇を射落としたのは有名な故事であるが、おそらく武士はこの紋に武運を託したのである。

また、時代が下ると、幸せを射止める神具としての矢という性格が強くなる。

「三ツ矢」の由来は、平安時代中期に摂津源氏の祖源満仲が住吉大社(大阪市住吉区)の神託に従い「三つ矢羽根の矢」を放ち、矢の落ちた多田(現在の兵庫県川西市市内)に居城を建てたという伝説による。
平野鉱泉は満仲が狩の際に発見したと伝えられている。
三ツ矢サイダーの起源は、宮内省の御料工場であったが、後に三菱に払い下げられたという。三つ矢と三菱のマークをあわせて現在のマークが誕生した。

矢紋の全国分布であるが、滋賀県が最高の13位。兵庫県、岡山県で16位が高いところ。全国的には21位。

有名人は以下。

世阿弥。1363年? – 1443年9月1日、猿楽師。
幼名は鬼夜叉、そして二条良基から藤若の名を賜る。
観阿弥とともに猿楽を大成。世阿弥の能は観世流として現代に受け継がれている。
代表作は『高砂』『井筒』『実盛』など。
世阿弥の家紋は十本矢車だが、現在の観世流の家紋は十二本矢車(画像)


片桐且元。1556年 – 1615年6月24日、武将・大名。
近江国浅井郡須賀谷の浅井氏配下の小領主・片桐直貞の子として生まれる。
織田信長による浅井長政への攻撃に際しては小谷城の落城まで一貫して浅井方として戦った。
石田三成らと共に長浜城時代の羽柴秀吉の家臣として仕えた。
福島正則や加藤清正らと共に活躍し、「賤ヶ岳の七本槍」の一人。家紋は片桐違矢。


西郷局。1562年 – 1589年7月1日、戦国時代・安土桃山時代の女性。
西郷氏とは、九州の名門菊池氏の一門。
彼女に縁ある西郷氏は、三河国へ移住した者の末裔と伝えられている。
通称、お愛の方。徳川家康の側室として知られる。
松平忠吉、二代将軍秀忠の生母。


狩野探幽。1602年3月7日 – 1674年11月4日、絵師。
狩野孝信の長男として京都で生まれる。
江戸城、二条城、名古屋城などの公儀の絵画制作に携わり、大徳寺、妙心寺などの有力寺院の障壁画も制作した。山水、人物、花鳥など作域は幅広い。
家紋は丸に三つ並び矢。池上本門寺の狩野家墓所にて撮影。


有吉佐和子。1931年1月20日 – 1984年8月30日、小説家。
曽祖父は、長州藩士の有吉熊次郎。カトリック教徒で、洗礼名はマリア=マグダレナ。1956年に『地唄』が文學界新人賞候補、ついで芥川賞候補となり一躍文壇デビューを果たした。
代表作は『紀ノ川』、『華岡青洲の妻』、『和宮様御留』など。
家紋は亀甲に並び矢。画像は小平霊園の墓所にて撮影。


世耕弘一。1893年3月30日 – 1965年4月27日、政治家。
和歌山県東牟婁郡敷屋村(現・新宮市)に中農・世耕佐七の五男として生まれる。
鈴木善幸内閣改造内閣で自治大臣を務めた世耕政隆は弘一の長男。
現在参議院議員である世耕弘成は孫。
家紋は丸に矢尻付き三本違い矢。多磨霊園で撮影。


石原裕次郎。1934年12月28日 – 1987年7月17日、俳優・歌手、石原軍団初代総帥。
山下汽船(現:商船三井)に勤める父・石原潔 母・光子の次男として生まれる。
石原プロモーション創始者。現東京都知事の石原慎太郎は実兄。
代表出演作『嵐を呼ぶ男』『太陽の季節 』『狂った果実』『黒部の太陽』等。
永遠の大スター(日本人が最も愛した男)と称される。家紋は七つ矢車。


服部半蔵。戦国時代から江戸時代初期にかけての武士。
松平氏〜徳川氏の麾下で活躍。家紋は、源氏車に矢。
半蔵門は、徳川家の家来服部正成・正就父子の通称(半蔵)に由来する。
「伊賀の影丸」「あずみ」「サムライスピリッツ」などのフィクションに登場。
藤子不二夫の「忍者ハットリくん(画像)」は服部半蔵の子孫。

まさむね



橘紋 -桜とは好対象、生命力と長寿の象徴-

January 19th, 2009

平安京の内裏にある紫宸殿正面の階段から見て右には橘の樹、左には桜の樹があった。
一般に、右近の橘、左近の桜と対比される。

桜はどこか死の匂いがする樹木であるが、一方、橘は、その葉が寒暖の別なく常に生い茂っていることから生命力や長寿の象徴とされた。
橘という植物は柑橘類、和歌山県、山口県、四国、九州の海岸に近い山地に自生している。

橘紋の分布は全国では9位。桜紋よりも圧倒的に浸透している。
和歌山県、高知県で3位、奈良県、広島県、宮崎県で4位とやはり橘が自生している地域に広く分布している。

歴史上で、橘紋と言えば有名なのは、日蓮。

1222年の安房国長狭郡東条郷片海の小湊で誕生。
比叡山で学び、後に「南無妙法蓮華経」の題目を唱え始め立宗宣言し、日蓮宗の開祖となった。
そのため、日蓮宗関係の寺院では、この橘紋を使用するとところが多い。
写真は、谷崎潤一郎が眠る慈眼寺の寺門の井桁に橘紋を撮影したもの。

日蓮宗系の立正佼成会の関連施設である佼成学園の記章にも橘紋が使用されている。

また、奈良飛鳥地方に、聖徳太子生誕の地・橘寺があるが、そこの寺紋も橘紋だ。
そもそも、日本書紀によると、この橘とは、田道間守(たじまもり)という人物が垂仁天皇の勅命を受けて不老長寿の薬を求めて持ち帰った種をまいて芽が出てきた植物であった。
そして、その種をまいた地を橘と呼ぶようになっとのこと。
その橘寺には、聖徳太子が乗ったという黒駒像があり、胴に橘紋がついていた。

日蓮、山中鹿之助、井伊直弼、勝新太郎、江川卓、小和田家、北島康介...なんとなく、意志の強い系譜を感じさせる。

さて、橘紋を持つ有名人は以下。

宇佐美定満。1489年 – 1564年8月11日、戦国時代の武将。
宇佐美氏は伊豆国宇佐美荘から出た一族である。
越後上杉氏の家臣。上杉謙信の軍師「宇佐美定行」の名で知られる。
坂戸城近くの野尻池で政景と共に溺死し、死後に宇佐美氏は没落して枇杷島城も廃城になった。上杉二十五将、上杉四天王の一人であり、後世に越後十七将に数えられる。


前田玄以。1539年 – 1602年7月9日、僧侶・武将・大名。
前田基光の子として美濃で生まれる。
比叡山延暦寺に入ったが、織田信長に招聘されてその家臣となる。
後陽成天皇の聚楽第行幸では奉行として活躍している。
豊臣政権における五奉行の1人であり、丹波亀山藩の初代藩主である。


山中鹿之介。1545年9月20日 – 1578年8月20日、武将。
出雲国能義郡(現島根県安来市広瀬町)に生まれる。
尼子氏の家臣。 本姓は源氏。
家系は宇多源氏の流れを汲む佐々木氏(京極氏)の支流で、尼子氏の一門である。
尼子氏が衰亡していく中、御家再興のため、「願わくば、我に七難八苦を与えたまえ」と三日月に祈ったという。


山鹿素行。1622年9月21日 – 1685年10月23日、儒学者・兵学者。
陸奥国会津(福島県会津若松市)に生まれる。
朱子学を批判し、播磨国赤穂藩へ流罪となり、赤穂藩士の教育などを行う。
後に、吉田松陰等に影響を与えた。
主著は『中朝事実』『武家事紀』等。


井伊直弼。近江彦根藩の第13代藩主。江戸幕府の大老。
第13代彦根藩主・井伊直中の十四男として近江国犬上郡の彦根城で生まれる。
安政の大獄により多数の志士や公卿らを粛清。
尊攘派の怨嗟をうけ、安政7年(1860年)3月3日に水戸藩、薩摩藩浪士により、江戸城桜田門付近で暗殺された(桜田門外の変)。


井伏鱒二。1898年2月15日 – 1993年7月10日、小説家。
広島県福山市加茂町の生まれ。本名は、井伏満壽二(いぶし ますじ)。
『ジョン萬次郎漂流記』で第6回直木賞受賞。『本日休診』などで第1回読売文学賞小説賞。
1966年、野間文芸賞を受賞。同年に文化勲章も受章した。
主な作品は「山椒魚」「駅前旅館」「黒い雨 」など。


沖牙太郎。1848年5月10日 – 1906年5月29日、技術者・実業家。
広島県沼田郡新庄村に生まれる。
実家の農業を嫌い27歳で銀細工師の腕を資本に上京、工部省で電信技術に携わる。
我が国で初めて電気通信機器の製造・販売事業を興した。
明工舎(沖電気の前身)創業者。


弘田龍太郎。1892年6月30日 – 1952年11月17日、作曲家。
高知県安芸市に生まれる。一絃琴の名手であった。
児童雑誌『赤い鳥』が創刊されると、「赤い鳥運動」に参加、北原白秋等と組み、多くの童謡を作曲した。代表作は『鯉のぼり』『浜千鳥』『春よこい』『叱られて』など。
家紋は丸に橘。


三遊亭圓生(6代目)。1900年9月3日 – 1979年9月3日、落語家、舞台俳優。
父は松田万助、母はさだの長男として、大阪市西区で生まれる。本名は山崎松尾。
演目数は落語史上最も多かったのではないか言われている。100以上もの演目をすべてLP化した。上野のパンダのリンリンと同日に亡くなったため、死亡記事は小さかった。
NHK連続ドラマ『おはなはん』等に出演。「バカウマ」という言葉を流行語にする。


勝新太郎。1931年11月29日 – 1997年6月21日、俳優。
長唄三味線の杵屋勝東治の次男。本名:奥村利夫、愛称:かつしん。
妻は二代目中村鴈治郎の長女で同じ大映の女優・中村玉緒。兄は若山富三郎
映画関係者には勝の熱狂的ファンは多く原理主義的傾向を持つ信奉者が多い。
代表作は『兵隊やくざ』『座頭市』『悪名』『顔役』『人斬り』など。家紋は菊座橘。


池坊専永。1933年7月21日 – 、華道家。
華道家元四十四世池坊専威の長男。妻は衆議院議員の池坊保子。
もともと池坊の坊名は、聖徳太子が水浴したという池にちなんでつけられた。
国際科学技術博覧会で「いけばなときものの交響詩」で舞台用の超大作を制作する。
全国に広がる池坊家の華道教室『橘会』は家紋の橘紋からと思われる。


三遊亭楽太郎。1950年2月8日 – 、落語家。
東京都墨田区出身の落語家。円楽一門会所属。
師匠の名跡である6代目三遊亭圓楽を襲名予定。
1977年8月から「笑点」の大喜利に出演している。
家紋は、圓楽一門の定紋である三ツ組橘。(六代目三遊亭圓生と同じ形)


江川卓。1955年5月25日 – 、元プロ野球選手(巨人所属)、野球解説者。
福島県いわき市生まれ、栃木県小山市育ち。
作新学院高等学校のエースとして、ノーヒットノーラン9回・完全試合2回を記録。六大学野球では、法政大学で、通算47勝は史上2位、完封数17はリーグ記録。プロでは1981年に、最多勝、最高勝率、最優秀防御率、最多奪三振、最多完封の投手五冠に輝く。


朝潮太郎 (4代)。1955年12月9日 – 、元大相撲力士。
高知県安芸郡出身。本名は 長岡末弘。
高砂部屋所属。最高位は大関。北の湖に強かった。
現在は7代目高砂親方として協会役員待遇委員兼審判部副部長。
横綱朝青龍、朝赤龍等を育てた。


徳仁親王妃雅子。1963年12月9日 - 、皇太子徳仁親王の妃。
外務省職員の小和田恆・優美子夫妻の長女として東京都港区虎ノ門病院にて誕生。
1993年6月9日、皇太子徳仁親王との結婚に伴い、皇太子妃となる。
2001年12月1日、敬宮愛子内親王を出産。
写真は、雅子様、ご先祖の墓参りの際の写真より転載。


琴光喜啓司。1976年4月11日 – 、佐渡ケ嶽部屋所属の現役大相撲力士。
愛知県岡崎市出身。本名は田宮啓司(たみや けいじ)。
最高位は東大関。
敬宮愛子内親王のお気に入り力士としても有名。
デヴィ夫人からは化粧回しが贈られている。


北島康介。1982年9月22日 – 、男子競泳の選手。
東京都荒川区出身で、実家は西日暮里の道灌山通りにある精肉店「肉のきたじま」(株式会社北島商店)を経営。アテネオリンピック並びに北京オリンピック100m平泳ぎ、200m平泳ぎの金メダリスト。また、100m及び200m平泳ぎの世界記録保持者。
画像は実家の北島商店名物のメンチカツサンドのパッケージについた橘紋。


まさむね