矢紋 -幸福を射止める武具または神具-

矢は、武器であると同時に、儀礼や呪具でもある。
屋島合戦で、那須与一が平家の扇を射落としたのは有名な故事であるが、おそらく武士はこの紋に武運を託したのである。

また、時代が下ると、幸せを射止める神具としての矢という性格が強くなる。

「三ツ矢」の由来は、平安時代中期に摂津源氏の祖源満仲が住吉大社(大阪市住吉区)の神託に従い「三つ矢羽根の矢」を放ち、矢の落ちた多田(現在の兵庫県川西市市内)に居城を建てたという伝説による。
平野鉱泉は満仲が狩の際に発見したと伝えられている。
三ツ矢サイダーの起源は、宮内省の御料工場であったが、後に三菱に払い下げられたという。三つ矢と三菱のマークをあわせて現在のマークが誕生した。

矢紋の全国分布であるが、滋賀県が最高の13位。兵庫県、岡山県で16位が高いところ。全国的には21位。

有名人は以下。

世阿弥。1363年? – 1443年9月1日、猿楽師。
幼名は鬼夜叉、そして二条良基から藤若の名を賜る。
観阿弥とともに猿楽を大成。世阿弥の能は観世流として現代に受け継がれている。
代表作は『高砂』『井筒』『実盛』など。
世阿弥の家紋は十本矢車だが、現在の観世流の家紋は十二本矢車(画像)


片桐且元。1556年 – 1615年6月24日、武将・大名。
近江国浅井郡須賀谷の浅井氏配下の小領主・片桐直貞の子として生まれる。
織田信長による浅井長政への攻撃に際しては小谷城の落城まで一貫して浅井方として戦った。
石田三成らと共に長浜城時代の羽柴秀吉の家臣として仕えた。
福島正則や加藤清正らと共に活躍し、「賤ヶ岳の七本槍」の一人。家紋は片桐違矢。


西郷局。1562年 – 1589年7月1日、戦国時代・安土桃山時代の女性。
西郷氏とは、九州の名門菊池氏の一門。
彼女に縁ある西郷氏は、三河国へ移住した者の末裔と伝えられている。
通称、お愛の方。徳川家康の側室として知られる。
松平忠吉、二代将軍秀忠の生母。


狩野探幽。1602年3月7日 – 1674年11月4日、絵師。
狩野孝信の長男として京都で生まれる。
江戸城、二条城、名古屋城などの公儀の絵画制作に携わり、大徳寺、妙心寺などの有力寺院の障壁画も制作した。山水、人物、花鳥など作域は幅広い。
家紋は丸に三つ並び矢。池上本門寺の狩野家墓所にて撮影。


有吉佐和子。1931年1月20日 – 1984年8月30日、小説家。
曽祖父は、長州藩士の有吉熊次郎。カトリック教徒で、洗礼名はマリア=マグダレナ。1956年に『地唄』が文學界新人賞候補、ついで芥川賞候補となり一躍文壇デビューを果たした。
代表作は『紀ノ川』、『華岡青洲の妻』、『和宮様御留』など。
家紋は亀甲に並び矢。画像は小平霊園の墓所にて撮影。


世耕弘一。1893年3月30日 – 1965年4月27日、政治家。
和歌山県東牟婁郡敷屋村(現・新宮市)に中農・世耕佐七の五男として生まれる。
鈴木善幸内閣改造内閣で自治大臣を務めた世耕政隆は弘一の長男。
現在参議院議員である世耕弘成は孫。
家紋は丸に矢尻付き三本違い矢。多磨霊園で撮影。


石原裕次郎。1934年12月28日 – 1987年7月17日、俳優・歌手、石原軍団初代総帥。
山下汽船(現:商船三井)に勤める父・石原潔 母・光子の次男として生まれる。
石原プロモーション創始者。現東京都知事の石原慎太郎は実兄。
代表出演作『嵐を呼ぶ男』『太陽の季節 』『狂った果実』『黒部の太陽』等。
永遠の大スター(日本人が最も愛した男)と称される。家紋は七つ矢車。


服部半蔵。戦国時代から江戸時代初期にかけての武士。
松平氏〜徳川氏の麾下で活躍。家紋は、源氏車に矢。
半蔵門は、徳川家の家来服部正成・正就父子の通称(半蔵)に由来する。
「伊賀の影丸」「あずみ」「サムライスピリッツ」などのフィクションに登場。
藤子不二夫の「忍者ハットリくん(画像)」は服部半蔵の子孫。

まさむね



Tags: ,

Comments are closed.