釘抜紋 -普通の作業具が語呂がよくて縁起紋に-

釘抜きは打ち込んだ釘を抜くための工具であるが、家紋として採用されたのはその語呂。
「九城を抜く」すなわち、九つの城を陥落させるという戦勝の縁起もかついでいるらしい。

引き両紋もそうだが、単純な絵柄が目立つという事で好まれたのかも。
いざという時に戦場でも描けるし。

全国分布では27位。
福井県で21位、新潟県で22位、和歌山県で23位といったところが多い。

堀秀政。1553年 – 1590年6月28日、武将・大名。
堀秀重の長男として美濃国で生まれる。
13歳の若さで織田信長の小姓、側近として取り立てられた。
雑賀討伐戦では信長本陣から離れ、佐久間信盛、羽柴秀吉らとともに一隊を率いる。
本能寺の変以降は、秀吉に従う。


田中吉政。1548年 – 1609年3月23日、武将、大名。
近江国・高島郡田中村の出身。先祖は近江源氏高島氏の一族田中氏で田中城の城主。転封の過程で居城とした近江国・八幡、三河国・岡崎、筑後国・柳河などに、現在につながる都市設計を行った。そのことは現代でも高く評価できる。
家紋は左三巴と釘抜き。


南方熊楠。1867年5月18日 – 1941年12月29日、博物学者、生物学者、民俗学者。
和歌山城下橋丁に金物商・雑賀屋の次男として生まれる。粘菌学者としても知られる。
「歩く百科事典」と呼ばれ、彼の言動や性格が奇抜で人並み外れたものであるため、後世に数々の逸話を残している。主著『十二支考』『南方随筆』。
家紋は丸に隅立て釘抜き。


柳宗悦。1889年3月21日 – 1961年5月3日、美術評論家。
東京府(現:東京都)生まれ。
学習院在学中、同人雑誌グループ白樺派に参加。
生活に即した民芸品に注目して「用の美」を唱え、民芸運動を起こした。
東京市目黒区駒場(現:東京都目黒区)に日本民芸館を設立。


麻生太郎。1940年9月20日 – 、政治家。内閣総理大臣(第92代)
元麻生セメント(現・株式会社麻生)代表取締役社長。
総務大臣、外務大臣、幹事長などを歴任。
べらんめえ調の語り口と毒舌も織り交ぜた発言で、街頭演説などで聴衆の人気を博した。
家紋は、違い釘抜き。麻生グループの社章にもなっている。

まさむね



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