団塊にとっての千の風

July 4th, 2008

千の風.gifヒット曲は、時代の息吹を吸い、時代に愛されることによって、メガヒット曲となる。

2006年の紅白歌合戦で歌われ、昨年、メガヒットを記録した「千の風になって」(秋川雅史)は典型的なメガヒットであった。

ちょうど2007年は団塊世代のピーク(1947年生れ)が定年退職を迎えた。
すなわち、この年は、この世代の多くが、仕事→趣味へのギアチェンジした年なのであった。

団塊世代の特徴を一言で言えば、集団就職、大学進学、都会への憧れ等を理由として、故郷を捨ててきた世代なのである。
その青春時代(1960年代後半~1970年代前半)の空気をフォークソングという形式に乗せて表現した詩人が北山修だった。
彼は、団塊世代の共通心情を、風に託した。
彼の描く風は、魂の不在であり、過去の不在であり、故郷の不在であり、愛の不在の象徴であった。

あの時 風が流れても変わらないと言った二人の心と心が 今はもう通わない…「あの素晴しい 愛をもう一度」
帰っておいでよとふりかえってもそこにはただ風が吹いているだけ…「風」
冷たい風にふかれて夜明けの町を一人行く悪いのは僕のほうさ君じゃない…「さらば恋人」

「千の風になって」のヒットは、このような団塊世代の心に、かつて彼らがこだわった風が、再度、吹いた結果ではないのかと想像してみたい。

ただ、この風は、40年前に北山修によって、歌われた不在の象徴としての冷たい風、別の言い方をすれば、現実という風ではなかった。
千の風は、死んだ魂に乗って吹く愛と自由に溢れた暖かい風となって、彼らの心をひきつけたのだ。
おそらく、その風が自由に吹きまくる大きな青空、緑の大地、夜の星空は、かつて団塊世代の幼き頃の思い出の風景だったに違いない。

しかし、その風景は、既に捨てて来てしまったもの、今はもう無い。

まさむね

光源氏は何故、光なのか

July 3rd, 2008

光源氏.gif天皇の皇統が変るときに、その漢風諡号(おくりな)に「光」がつく事が知られている。

天武系の皇統が称徳天皇で途絶えた時、天智系から即位した天皇は、光仁天皇との諡号がおくられた。
また、陽成天皇が廃された後、2代前の文徳天皇の弟、が即位。光孝天皇との諡号がおくられている。

興味深いのは、それぞれの「光」天皇の前の天皇(系統が途絶えた天皇)は2人とも歴史的な評価が極めて良くない。
例えば、称徳天皇は、道鏡という怪僧にイカれて、皇位を譲ろうとしたとか、陽成天皇は、三種の神器の一つの勾玉を覗こうとした、宮中で殴殺事件を起した等という薄暗い噂によって、不徳の天皇のレッテルを貼られているのである。
ちなみに、江戸時代の後陽成天皇は、その子の後水尾天皇との仲が悪かったが、後水尾天皇は、父帝を貶めるために、敢えてこの追号を選んだと言われている。

さて、「源氏物語」が紫式部によって書かれ、宮廷で大ブームを起していた時代、この書物は、正史には絶対書けない宮廷秘話が物語の形態を借りて表現されているというのは、公家の間では暗黙の常識となっていた。

同様に上記の「光」が、別系統の天皇名につけられるという事も常識だったはずだ。

それを考え合わせると「源氏物語」の主人公が、「光」の君と呼ばれたという事は、この物語の展開を暗示する伏線となっているということも分かる人には分かったのではないか。
その通り、物語の中では、桐壺帝の後を継いだ長男の朱雀帝の後、朱雀帝とは別系統の光源氏の子が冷泉帝として皇位につくのであった。

源氏物語の奥深さはこういった素人の邪推をもゆるす懐の深さにもあるのではないかと思う。

まさむね

寺山と永山と加藤智大

July 2nd, 2008

今回の秋葉原の通り魔事件に触れて、今から40年前に起きた永山則夫の連続ピストル射殺事件の事が気になりだす。

母親との確執、特異な少年時代、北の大地霊、染付いた訛り、劣等感…

寺山修司が内面に抱えたコンプレックスは、同様に永山則夫が抱えた問題でもあり、それは同時に、加藤智大の底流にも流れているものか。

『永山は殺人鬼という名の異常者か?そうではない。もしも、永山が最後に手に入れたのが、ピストルでなく、想像力だったとしたら、この事件はまったく性格の異なったものになったにちがいない。』

寺山修司は永山則夫に関して、上記のようにコメントした。

今、寺山が生きていたら、今回の事件をどのように評した事であろうか。

まさむね

源氏物語は奇跡だ。

July 1st, 2008

源氏物語.gif言うまでもないが、源氏物語は今から1000年も前の平安中期に書かれた長編物語である。

桐壺帝の子・光源氏とその後妻・藤壺とのスキャンダル
光源氏と姫君達との恋バナ
六条御息所の怨霊が巻き起こす怪奇
源氏と右大臣家との権力闘争
王朝の雅な描写
物語の底に流れる仏教観
前衛芸術(本文の無い巻で源氏の死を表現)

あらゆる要素を含んだ懐の深い孤高の文学であることに異論を唱える人はあまりいない。

ここには、ワイドショー的な俗悪と繊細な文学的描写が絶妙なバランスで存在しているのだ。

それは、現代から見ても、突出している。
例えば、1000年経った現代でも、誰が皇室のスキャンダルを小説に描けるだろうか。

井沢元彦氏は、この物語は、藤原北家がそれまでの政争の過程で潰してきた源氏を初めとする諸氏の怨念の鎮魂の物語だという。
傾聴に値する意見だし、今後、定説にすべく、より検証されいくことを期待したい。

それにしても、一般的に、歴史的名作というものは、その他の無数の作品のピラミッドの頂点に現れるものだと思う。
それなのに、源氏物語はいきなり頂点が出来ちゃったようなものだ。
奇跡というのはそういうことだ。

しかし、この物語の不幸は、日本人のほとんどがこの物語を原語で読んだことが無いという事だ。
現代語訳でも、それほど読まれていない事だ。
日本人の伝統云々を口にする輩はまず、この物語を手にとって欲しい。
勿論、私も何度目かの挑戦をしようと思う。「桐壺の巻」の壁は高い…

まさむね

深夜タクシーなおもて天国、いわんや居酒屋タクシーをや

June 30th, 2008

 普通のサラリーマンにとって、仕事が終わった後、深夜0時であろうが、家までタクシーで帰ることが出来れば、これほど、気持ちがいいものは無い。

もしも、これが毎日出来るとしたら、そんな職場は、天国だろう。

普通だったら、会社の最寄り駅まで走る>満員電車で1時間>電車の中では周りの人はすでに酔っ払っている>数回乗り換える>家の最寄り駅から歩いて15分。帰宅時間は2時過ぎ。>次の日は普通に出勤…あるいは、そのまま会社のイスで睡眠でしょ。

これが当たり前だと思っていた。

今回の居酒屋タクシー問題。1回のタクシー料金は2万円/1回で税金支給、しかも運ちゃんからビールとか現金とかもらえるんだって。

2万円っていうと、霞ヶ関から八王子や高尾まで行けます。本当に普通に帰宅していたの?という疑問すら浮かぶ。

罪人リストでは、財務省での対象者が600人。(あくまで内部調査ってことは自己申告ってことも要注意!)

財務省って言うところは、各省庁から上がってきた予算案をチェックして、予算を削るところだよね。日本で一番のエリートが行くところ、少なくとも俺はそう、理解していた。

ところが、この役所が過去20年間にやった事。バブル以降の日本経済で約800兆円もの借金を作ったんですね。逆に言えば、国民は知らないうちに、一人当たり600万円の借金を作られたってことなんですね。
ウチの家訓は借金厳禁なんだけど、どうしてくれるんだ!!

少なくとも、そんだけのお金があったなら、極端な話、北朝鮮位買えたでしょ。

彼らが反省しているとしたら、受け取った現金を返却、名前と写真の公開するのはあたり前として、今まで使用した深夜タクシー料金も全額返金してください。

多分、霞ヶ関の番記者連も同様にタクシーで帰ってるから、そういった待遇がどんなに天国だって事わからないんだろうな。

まさむね

プロレスとしての丸明

June 29th, 2008

丸明の吉田社長の事が実は好きだ。

おとといの「謝罪に漂うものの哀れ」で思わず、あの謝罪会見をプロレス的なアナロジーで語ってしまったが、よく考えたら、あの社長が醸し出す匂いは昭和プロレスのヒールのそれと酷似していることに気付いた。

最初に報道された従業員との口論。社長は従業員達の前で偽装の指示を喧嘩腰で否定する。
吉田社長の鮮烈なデビューだ。

次は、ただ「申し訳ありませんでした」とだけ言って逃げたわずか40秒の記者会見。
やりたい事だけやって帰っていくヒールの姿だ。
我々の興味をしっかりと次に繋ぐ。

そして、例の記者会見。
前半は下を向いての欺瞞謝罪。
中盤は笑顔での饒舌。
最後は決着をつけないまま、場外逃亡。

この展開がまさしく「昭和プロレス」なのだ。
例えば、テリー・ファンクVSザ・シーク、G・馬場VSアブドーラ・ザ・ブッチャー、A・猪木VSタイガージェットシン。

この嫌な感じの不完全燃焼感、あるいは残尿感。
がっかりさせられると同時に、また見たくなる期待感。
そして、ヒールに対するなんとも言えない愛着感。

人間にとって最も楽しい見世物は他人の感情だが、この社長の判りやすい感情の露出は、我々を必要以上にワクワクさせる。

興味津々の生立ち、成り上がりの軌跡、欲望・業の深さ、抜き差しならない社内関係、謎の明るさ等、社長の存在は、我々に様々な妄想を喚起させるのだ。

だから、吉田社長を好きにならずにはいられない。

まさむね

本当に憤った事件

June 28th, 2008
最近のいろんな事件で本音の部分で最も憤ったベスト3。

1:イタリア寺院での落書
2:中共のチベット弾圧
3:居酒屋タクシー

落書は、マジで名前と顔さらせって言いたい!!でも、その裏には、若造のくせにイタリアへ行くこと自体が羨ましいっていうのがあるよね。
居酒屋タクシーも根本的には、深夜、タクシーで帰宅できる事自体が許せん。普通、泊まりでしょ。

また、チベット問題は、その根底には中国嫌い(差別?)があるんだろうな。

こういう自分の指向を客観的に見てみると、俺って嫉妬深い偏狭ジジイか!って情けなくなるよね。

一方、そんなに憤らなかった事件は以下。
丸明の飛騨牛偽装、後期高齢者医療保険制度、秋葉原の通り魔殺人、北のテロ支援国家指定解除、船場吉兆使い回し…

食品偽装は、記者会見とかは面白いけど、切実には怒れない。通り魔も、いつも家にいる俺にとっては他人事だし、高齢者医療制度だってしかたないかなって思ってしまうからね。

さて、最後に関係ないけど、ニュースの扱いの大小と人々に対するインパクトの強弱って違うでしょ。
2chのニュース速報板のスレの立ち方の速度とか数とかを、自動的に抽出してタイトルだけでも蓄積してるサイトとかないかな。

まさむね

謝罪に漂うものの哀れ

June 27th, 2008
飛騨牛の等級偽装を内部告発された丸明の吉田明一社長の記者会見がワイドショーで流されている。
この社長、最初は神妙面して「申し訳ありません。」と頭をさげまくっていたのに、会見の後半では、緊張がほぐれたのか、笑顔すら見せ、肝心の質問から逃げ続けた。
各番組ともに同様のコメントをしていたが、現代的に言えば、史上最低の謝罪会見だったよね。

しかし、ミートホープ、船場吉兆、谷本整形、丸明と続く一連のワンマン会社の没落パターンは、なんと類似していることか。
俺的には、かつてのジャイアント馬場の必殺フルコースに捕らえられた悪役レスラーの末路を思い出してしまう。

ワンマン会社の没落パターン
内部告発→責任逃れ→遅すぎた謝罪→隠し事次々露見→業務停止

ジャイアント馬場の必殺フルコース
河津かけ→河津落とし→十六文キック→椰子のみ割り→三十二文ロケット砲

さて、こういった会見を見るといつも思うのは、人は誰しも所属している「身内」、「村」、「世間」と同心円の世界があるけれど、それぞれの場面で相応の態度、言葉、論理を持って接しないと大変な結末を招くんだなぁという事である。
日本がかつて村社会だった頃、所属メンバー(ただし上級メンバー、いわゆる旦那衆)が不祥事を起したときでも、「村」の中では、謝罪で済んだんだと思う。
いわゆるヤクザの手打ちみたいなもんで、細かく説明させなくても、その人が本当に反省していなくても、「あの旦那が頭を下げた(シメシをつけた)んだから」って事をおさめたに違いない。
さらに言えば、「身内」では、謝罪も必要なかったんだろうね。

今回の一連の会見を見ていると社長達は、「村」言葉、態度、論理で、「世間」に対峙しようとしているのが恥ずかしくも、悲しい。
恐らく、長年に渡って、「身内」と「村」にどっぷりつかりきった人達だから、「世間」用の言葉、態度、論理を装備してないんだよ。
「世間」慣れしてない「村」の旦那衆への「世間」の残酷な血祭りとでも言うべきか、そこには、竹槍で戦車に向かっていくような「ものの哀れ」がただようよね。

今から10年位前に、山一證券の社長が倒産会見で「悪いのは社員じゃありません」と泣きじゃくった事があったけど、その頃既に、白けてみていたよね。
「村」の大らかな良さってものもかつてはあったはずなんだけどな。
マスコミというシステムが「村」言葉を許容出来なくなったのは、いつ頃からなんだろうか。風俗史的に興味深い。

まさむね

大久保の皆中稲荷神社

June 26th, 2008

ちょっと前に大久保に出かけた。

大久保通りは、若者向け、アジア系ショップが並ぶ、街になっていた。

そんな街中に、そこだけ異質な空間としてポツンと存在しているのが、皆中稲荷神社である。
この神社のたたずまいに触れると、ここが、かつて、農村地帯であったことを想像させる。
神紋の稲紋(写真)がそのことをほんのりと教えてくれるよね。

元々、稲荷神は農業の神々の総称であった。
古事記では、稲荷神を構成する神の一人であるオオゲツヒメは、口、お尻、陰部等、体中から食物を出してスサノウをもてなすが、逆にスサノウに殺されてしまう。
一種の食人伝説ですね。これは。
ただ、その後、稲荷神は、五穀豊穣だけじゃなくて、商売繁盛、家内安全、交通安全等、あらゆるご利益を与える神として全国に広がったんですね。

だから、稲荷神社って全国に19000社もあるんだって。これはセブンイレブンの12000店舗を圧倒しているんだよね。

恐るべし、稲荷神社。一斉に立ち上がったら凄いことになるね。って何のために立ち上がるのか分からんが。

まさむね

日本の伝統で和歌だ!

June 25th, 2008

夏の夜は
まだ宵ながらあけぬるを
雲のいづこに月やどるらむ

この歌は、清少納言の曽祖父の清原深養父の歌。百人一首にも選歌されている。

先日、思いの他、早く起きてしまった明け方、何気なく、この歌が口をついて出た。

歌が突然、腑に落ちるのはこんな瞬間だ。
夏の明け方のまどろみの気持ち良さ、いやおうなく過ぎてしまう時間の残酷さ、月に対して、あたかも旅人のよう接する優しい視線、そういったものが一気に、理解できる瞬間だ。
おそらく、日本の伝統とは、100年前に出来た靖国神社に行くというような事ではないと思う。
こういった1000年も前に作られた歌が一瞬にして理解できるような感性の地下水脈こそ伝統というものではないだろうか。

高校の時に、百人一首の暗記させられ、本当に辛かった思い出がある。
その頃は、30年後に突然、このような感動的な瞬間が訪れようとは考えもしなかった。
体で覚える暗記って一見無駄のようにも思えるけど、長い潜伏期間の後、宝物のような輝きを見せることがあるんだね。
逆に今は、その頃の教育に感謝している。

ちなみに、以下、この歌の現代訳です。

夏の夜は短い。
宵になったと思ったら、もう明けてしまった。
こんなに早く明けてしまったので、月も西の山に行き着けなかったんじゃないかな。
雲のどこかに宿を取っているんだろうか。

まさむね