キャラ混在むしろ日本的だ

June 24th, 2008

2010年の平城遷都1300年祭の第三のキャラ「なーむくん」(一番上)が発表された。
発表したのは南都二六会という寺院の親睦会で、最初に記念事業協会が「せんとくん」(二番目)を発表した時、仏を冒涜しているって言って、反対した団体ですね。
確かに、「せんとくん」(いくら、作者が童子って言い張っても、白毫がある時点でこれって仏陀でしょ!)の角は、根本的に仏教の輪廻転生+解脱の思想が分かっていないって言われると反論出来ないよね。
この「せんとくん」選考過程の胡散臭さ=電通臭さにまみれているという別角度からの批判は置いておくとしても、このキャラには問題がある。

でも、一方、この「なーむくん」もいかがなものか。
日本に仏教を定着させた聖徳太子の少年時代をモデルにしており、念仏から名前をもらった(スポニチより)キャラとのことだが、聖徳太子と平城遷都とは直接関係ないし、念仏っていうのも、平安後期の話だろう。
記念事業協会が仏教を理解していないというなら、南都二六会は歴史がわかっていないと言われても仕方ない。

もっとも、日本の伝統ということを考えれば、「まんとくん」(一番下)もあわせて、わけのわからないものが混在するっていうのもありかもな。
日本人の宗教観は、元々融通無碍なんだから、「いろんなものが、いつの間にか一緒やってます。」っていうのも、日本人らしくていいかも知れない。

まさむね

若者が消費しないという話

June 23rd, 2008

若者が消費しないという特集(最近、これをテーマにした特集多いよね)をズームイン朝でやっていた。

最近の20代は、車は買わない、酒は飲まない、貯金が趣味…とのことだ。

少子高齢化、年金の破綻、治安の悪化、環境問題等による将来の不安に加えて、自分達の不安定な労働条件。
こんな状況の中、彼らが消費に走らなくなったのは当たり前だ。

しかし、特集の最後、局の女子アナが、「みんな偉いですね。私なんか、この前、ガチャポンで10000円使っちゃった(笑)」って、空気読めないのも一つのヒール芸だな。

まさむね

ROOKIESの喧嘩とIWGPの暴力

June 22nd, 2008

「ROOKIES」は何かと古典的なドラマである。

学ラン、リーゼント、麻雀等、不良学生達のアイテムが古典的であるというのは言うまでもなく、喧嘩の作法がそうなのである。
例えば、今から8年前に放送された「池袋ウエストゲートパーク」の暴力に比べると、正拳+涙によって成り立っている「ROOKIES」の喧嘩は極めて正統的だ。

恐らく「拳」は、蹴りや、ましてや武器使用に比べ、正義のイメージが強い。
そして、涙はその正義を心情的にバックアップしているのだ。

「ROOKIES」での新庄(城田優)の正拳
同様に、感情を爆発させる新庄

それに比べると「池袋ウエストゲートパーク(I.WGP)」では、感情の発露による已むに已まれぬ喧嘩というよりも、敵を徹底的に潰す暴力が際立っている。

「池袋ウエストゲートパーク(I.WGP)」」でのタカシ(窪塚洋介)の裏拳
同様に、タカシのマウントポジションからのボコボコ
そして、喧嘩後のふざけたデモンストレーション

「池袋ウエストゲートパーク(I.WGP)」」の時代は、PRIDEを初めとする残酷系格闘技全盛時代だ。
マウントポジションも裏拳も、その時代の空気を十分に吸ったパフォーマンスであったに違いない。
「ROOKIES」の喧嘩とは同じ暴力とはいえ、それはあまりにも異質だ。

先ほども述べたが、一方「ROOKIES」の喧嘩の作法は、時代を超えた正統性を備えている。
恐らく、この作法は、日本人にとっては、歌舞伎、時代劇、ヤクザ映画、青春ドラマ等によって延々と刷り込まれ続けたイメージである。

そして、その裏には以下のような日本古来の人間洞察がある。

「悪い人なんていない。已むに已まれず暴力を振るってしまった人も本当はいい人に違いない。」

「ROOKIES」が古典的というのはそういう意味である。

まさむね

ラストフレンズとは誰だったのか

June 21st, 2008

俺は最初から、このドラマのタイトルの「ラストフレンズ」とは誰にとっての誰と誰なんだろうというのを一つのテーマとして見続けてきた。

ところが、最終回の最後の手紙の朗読を聞いて、驚愕した。


元気ですか。エリ、オグリン。
赤ちゃんの名前を決めました。
藍田ルミ。
ルカのルに、ミチルのミ、ルにはタケルのルも入っているんだよ。
私達は4人でまたあのシェアハウスに暮らします。

家族、友達、夫婦、恋人
そのどれかであるようで、どれでもない私達だけど、
壊れやすいこの幸せを大事にして、
行けるところまでいこうと思っています。

これまでもずっと友達でいよう。
出来ればずっと別れずにいよう。
そして、たとえ何かがあって分かれても
また、いつか出会って笑い合おう。

My dear friends.
You are my last friends.

ラストフレンズ とは、ミチルにとって、エリ(水川あさみ)とオグリン(山崎樹範)の事だったのだ。
この手紙は、差出人のミチルが、宛先のエリとオグリンに対して、私とルカとタケルとルミ(ミチルとソウスケの子)の4人は、家族、友達、夫婦、恋人のうちどれでもない特別の関係だけど、「あなた達は、最後に残った友達だ。」と差別する内容になっている。かなり冷たいではないかとも受け取れる。
しかし、逆に言えば、このドラマの中で、シェアハウスの一員でありながら、常に地味な存在だった二人の脇役に、ドラマタイトルでもあるラストフレンズの称号を与えたこの結末は、やさしさに満ち溢れた結末だったとも言えるかもしれない。

また、このドラマの主題を敢えて上げるならば「大事なのはありのままの自分とそんな自分を大目に見てくれる友人」という価値観の確認ということだろうか。

ミチル(長澤まさみ)は最後まで状況の変化に流されるキャラクタを脱皮することができない。すなわち、自立という道から逃げる。
ルカ(上野樹里)の性同一性障害を踏まえて、別のパートナーを探すという道を閉ざす。
また、タケル(瑛太)は、姉との問題も残されたままで、SEX恐怖症を解決しようともしない。(来週、放映されるという特別編に期待!!)

結局3人(ミチルの子を含めると4人)は、自分達の価値観や生き方を温存してくれるパラダイス、シェアハウスに戻って話は終わるのだ。

最終回は「未来へ」という副題であったが、その内容は恐ろしく臆病で現状肯定的なものであったと言えなくもない。

まさむね

ドラマに見る階級の残酷さ

June 21st, 2008

TBSドラマ「Around40-注文の多いオンナたち-」の最終回は、格差社会を反映してか、階級の異なる男女がことごとく結婚しない、あるいは離婚するという、ある意味、残酷な結末となった。

結婚せずに医者として、自己実現しようとするす聡子(天海祐希)は臨床心理士の恵太朗(藤木直人)との婚約を破棄し、病院の院長に就任する。
雑誌編集者の奈央(大塚寧々)は、いわゆる勝ち組のセレブ夫との仮面生活に嫌気がさし、ゴージャスな生活を捨てて、離婚して一人で子育て自立を目指す。後に、幼なじみのシェフ(筒井道隆)と結婚か?
また、瑞恵(松下由樹)は、長年連れ添って子供もいた旦那との間にいろいろ問題もあったが、結局は結婚というシステムの中で幸せを再確認する。

もちろん、上記のように階級の残酷さという現実(リアリティ)はオブラードに包み込まれ、口当たりのいいドラマとして仕上がっていたと思う。
人生いろいろと言った人がいたが、まさしく、それぞれの生き方を尊重した、ターゲットユーザーの嗜好にあったいい意味での予定調和を見せてくれた。

しかし、この「Around40」で示された、建前(人それぞれの価値観重視)と現実(階級の残酷さ)は、実は、もう一つのTBSドラマ「ラストフレンズ」とも通底している。

結局、一般的な意味での勝ち組である航空会社の正社員であったエリ(水川あさみ)とオグリン(山崎樹範)の2人が結婚。
そして、無職の母子家庭のミチル(長澤まさみ)と、アルバイトをしながら一流のモトクロスレーサーを目指すルカ(上野樹里)、バーテンとヘアメイクアーティストで食いつなぐタケル(瑛太)は共同生活を選択するのだ。

「Around40」と「ラストフレンズ」。双方とも友情、個性という言葉で曖昧にされているが、階級の残酷さこそ共通テーマという見方も出来るのではないか。

まさむね

ラストフレンズは盗聴ドラマだ

June 20th, 2008

 ラストフレンズは盗み聞きドラマだ。
主なシーンの順を追ってみよう。
ミチルの母が部屋で男と乳繰り合っている所をミチルが盗み見(第1話)
ソウスケがミチルに暴力を振るっている所をルカが盗み見(第2話)
ミチルが卒業アルバム(ソウスケにルカの顔を塗りつぶされた)を見ている所をソウスケが盗み見(第3話)

オグリンが妻が別の男とデートしているシーンを、オグリンとエリが盗み見(第4話)
シェアハウスを出ようかと思っているとミチルがタケルに話している所をルカが盗み聞き(第6話)
タケルがルカに優しくするも、ルカに拒絶された所をミチルが盗み聞き(第7話)
ミチルがタケルにした告白をルカが盗み聞き(第7話)
オグリンが妻と会っている所をエリが盗み見(第7話)
ルカが見ていた性同一障害のサイトをエリが盗み見(第8話)
ルカとタケルが井の頭公園で抱き合っている所をミチルが盗み見(第8話)
ルカとタケルの楽しそうな会話をミチルが盗み見(第9話)
ルカがミチルを異性として好きだとタケルに話している所をミチルが盗み聞き(第10話)
ミチルがシェアハウスを出たいとタケルに相談している所をルカが盗み聞き(第10話)

ほぼ、1話に1回のペースだ。上記の他にもの覗き見(特にソウスケのミチルに対する)は別途満載、街での偶然の見掛けは沢山あったがここでは省略。

恐らく、5人の男女が一つ屋根の下で暮らすという設定は、盗み聞きドラマには欠かせない設定だったんだろうか。

しかし、我々の感覚からすると、彼らの不用意さは、あまりにもリアリティがない。
この不用意さは、若者特有の経験不足と解釈すべきなのか。あるいは現代の若者に特有の思いっきりのよさと解釈すべきなのだろうか?

ちなみに最終回は、話を回収する会だったため、盗み聞きはありませんでした。

まさむね

小倉さん大丈夫?

June 19th, 2008

今、「特ダネ」の「朝のヒットスタジオ」のコーナーで大沢誉志幸氏が「そして僕は途方にくれる」をスタジオ生ライブやってる。
小倉さん、ノリノリ。そんなに頭、揺らして大丈夫?

まさむね

道路建設の末路としての木更津キャッツアイ

June 19th, 2008

道路特定財源の一般財源化の方針が決まり、これから秋にかけて、どの道路を作るの作らないのという激しい論議が水面化で始まりそうだ。

道路を作ることの大きな理由は、地域の活性化とのことである。
確かに、工事中は、地元民にいくばくかの労賃が落ちて若干は潤うのだろうが、開通後は、逆に経済活動が低迷するケースがあまりにも多い。
有名なのはアクアライン開通によって、大型店舗(そごう、ダイエー)が相次いで撤退し、駅前がシャッター街となってしまった木更津である。

そして、この寂れた地方都市の現実を斬新な手法で描いたのが、「木更津キャッツアイ」であった。

このドラマは、時流に取り残された木更津という街で、まったりと生きる野球青年達の群像話である。

主人公のぶっさんは、シャッター通りにある床屋の息子。癌宣告を受け、余命数ヶ月と診断されるが、なかなか死なない。
彼は、財政破綻寸前だが、補助金、交付金、市債等で生き延びる木更津市(というか全国の地方都市)の象徴だ。

オジー(古田新太)は、木更津の高校の先輩。過去の記憶を失い、木更津の守り神(石像)となる。
こちらは、古くからの共同体が崩壊した地方都市が、町おこしと称して、わけのわからないハコモノやオブジェを作成する事によって、逆に土地固有の匂いを消し去っていくという矛盾を婉曲に批判。
木更津的に言えば、海ホタルくんのパロディとも見られる。

また、それ以外のメンバーも、それぞれが、土地の呪縛と閉塞的な現状の中、中途半端な時間を過ごす。

道路による地域活性化は幻想だということを再度、検討すべきだ。

まさむね

月-その観念の伝統-

June 18th, 2008

倖田來未が5ヶ月ぶりに新曲を発売した。月の歌だ。

 君とよく歩いたいつもの道と私
 月と歩きながら悲しいメロディ

  「Moon Crying」(倖田來未)

月を歌うことは、「不在」を歌うこと。
不在の対象は、過去の思い出、愛しい人、そして懐かしい場所、と様々である。

一昨年から昨年にかけての大ヒット曲、「三日月」(絢香)もそうだ。

 君も見ているだろうこの消えそうな三日月
 繋がっているからねって強くなるからねって

  「三日月」(絢香)

恐らく、この月=不在の象徴という観念は、万葉の昔からそれほど変わっていない。
 
 天の原 ふりさけみれば 春日なる 三笠の山に いでし月かも
大空に輝くあの月は、昔、春日の三笠山に出ていた月と同じ月なんだろうな)

この歌は、遣唐使船、遠い異国の地に渡った阿倍仲麻呂が日本を懐かしんで詠んだ歌だが、この月への感性が、現代のJ-POPにも生きているではないか。
こういった事こそ、伝統だ。

まさむね

アキバ事件-サンモニでの識者-

June 18th, 2008

秋葉原連続殺傷事件に対する今週の日曜日のサンデーモーニングでの識者のコメント。

毎日新聞の特別編集委員、岸井成格氏。
当日の現場での野次馬達の携帯カメラ撮影を厳しく非難。
今まで特権的に、その位置に立っていた既得権益者の本音(焦りと怯え)が覗く。

また、匿名サイトへの書込みに関して、居並ぶコメンテイターが「理解できません」と逃げまくる中、私は書き込むことはありますと国際政治学者の浅井信雄氏。
「私は匿名の意見は無視します。ただ、私が、書き込む時は、必ず、本名記名します。」と胸を張るが、本当か?
普通、「お前が本当の浅井だって事、証明して。」の一言で轟沈だろうが。

そして最後に、一番年下ということで、サッカー評論家の中西哲生氏にお鉢が。
追い詰められた後の苦し紛れ発言とはいえ「こういう人たちは、自分というものがネット内にあるんですよ。」と意味不明な内容。
関口宏氏に「そうですかぁ」と流され、全国のお茶の間大爆笑でした。

※記憶で書いているので微妙な間違いあるかも。

まさむね