ラストフレンズは盗聴ドラマだ

 ラストフレンズは盗み聞きドラマだ。
主なシーンの順を追ってみよう。
ミチルの母が部屋で男と乳繰り合っている所をミチルが盗み見(第1話)
ソウスケがミチルに暴力を振るっている所をルカが盗み見(第2話)
ミチルが卒業アルバム(ソウスケにルカの顔を塗りつぶされた)を見ている所をソウスケが盗み見(第3話)

オグリンが妻が別の男とデートしているシーンを、オグリンとエリが盗み見(第4話)
シェアハウスを出ようかと思っているとミチルがタケルに話している所をルカが盗み聞き(第6話)
タケルがルカに優しくするも、ルカに拒絶された所をミチルが盗み聞き(第7話)
ミチルがタケルにした告白をルカが盗み聞き(第7話)
オグリンが妻と会っている所をエリが盗み見(第7話)
ルカが見ていた性同一障害のサイトをエリが盗み見(第8話)
ルカとタケルが井の頭公園で抱き合っている所をミチルが盗み見(第8話)
ルカとタケルの楽しそうな会話をミチルが盗み見(第9話)
ルカがミチルを異性として好きだとタケルに話している所をミチルが盗み聞き(第10話)
ミチルがシェアハウスを出たいとタケルに相談している所をルカが盗み聞き(第10話)

ほぼ、1話に1回のペースだ。上記の他にもの覗き見(特にソウスケのミチルに対する)は別途満載、街での偶然の見掛けは沢山あったがここでは省略。

恐らく、5人の男女が一つ屋根の下で暮らすという設定は、盗み聞きドラマには欠かせない設定だったんだろうか。

しかし、我々の感覚からすると、彼らの不用意さは、あまりにもリアリティがない。
この不用意さは、若者特有の経験不足と解釈すべきなのか。あるいは現代の若者に特有の思いっきりのよさと解釈すべきなのだろうか?

ちなみに最終回は、話を回収する会だったため、盗み聞きはありませんでした。

まさむね

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