言うまでもないが、源氏物語は今から1000年も前の平安中期に書かれた長編物語である。
桐壺帝の子・光源氏とその後妻・藤壺とのスキャンダル
光源氏と姫君達との恋バナ
六条御息所の怨霊が巻き起こす怪奇
源氏と右大臣家との権力闘争
王朝の雅な描写
物語の底に流れる仏教観
前衛芸術(本文の無い巻で源氏の死を表現)
あらゆる要素を含んだ懐の深い孤高の文学であることに異論を唱える人はあまりいない。
ここには、ワイドショー的な俗悪と繊細な文学的描写が絶妙なバランスで存在しているのだ。
それは、現代から見ても、突出している。
例えば、1000年経った現代でも、誰が皇室のスキャンダルを小説に描けるだろうか。
井沢元彦氏は、この物語は、藤原北家がそれまでの政争の過程で潰してきた源氏を初めとする諸氏の怨念の鎮魂の物語だという。
傾聴に値する意見だし、今後、定説にすべく、より検証されいくことを期待したい。
それにしても、一般的に、歴史的名作というものは、その他の無数の作品のピラミッドの頂点に現れるものだと思う。
それなのに、源氏物語はいきなり頂点が出来ちゃったようなものだ。
奇跡というのはそういうことだ。
しかし、この物語の不幸は、日本人のほとんどがこの物語を原語で読んだことが無いという事だ。
現代語訳でも、それほど読まれていない事だ。
日本人の伝統云々を口にする輩はまず、この物語を手にとって欲しい。
勿論、私も何度目かの挑戦をしようと思う。「桐壺の巻」の壁は高い…
まさむね