大相撲、この愛すべき見世物の伝統

July 24th, 2008

大相撲.名古屋場所、琴欧洲の横綱昇進も無くなり、ほぼ、白鵬の優勝が決まってしまった。場所前の稽古で朝青龍に5連勝したという琴光喜に期待したが、大爆発とはいかなかった。

一方で、現在幕下筆頭の山本山という力士の調子がいい。恐らく、来場所は十両昇進するには間違いない。期待大だ。
さて、この山本山、どこが期待大かといえば、とにかく体が大きいのだ。体重が230Kgもあるのだ。

元々、大相撲の起源は、相撲を見せる勝負事というよりも、力士のふくよかな肉体を見せる事がメインの見世物だった。
そして、恐らく、そのふくよかな肉体を見せながら、格闘技として興行として成立させるために、丸い土俵を発明したのだ。
およそ、世界中に格闘技で、戦闘エリアから外に出た瞬間に負け、というのは相撲だけである。
柔道、空手、レスリング、ボクシング、シムル、サンボ、カポエラ…どんな格闘技だって、エリアから出たらやり直しである。
ところが、大相撲は、土俵(というルール)を考え出す事によって、極めてユニークな格闘技になった。
これで、”ふくよかな肉体”と”格闘技”という本来、矛盾するものが融合したのだから、土俵というルールを考え出した人は天才である。

さて、極論するならば、日本人は、異界からやって来るふくよかな肉体に幸せを感じ、憧れ続けた歴史を持っている。
古くは達磨さん、布袋、恵比寿から、最近ではビリケン、ドラエモン、トトロから江原さんまで…

最近、外国人力士の増加をいぶかる声もあるが、僕はそうは思わない。
彼らの肉体を見ることこそ、日本の見世物の伝統に沿っているからだ。

大相撲は続いていく。大丈夫だ。

まさむね

C 型肝炎。再入院決定

July 23rd, 2008

来週の火曜日から再入院する事になった。

4月にも、人工透析治療をして、ウィルス値がかなり減ったんだけど、5月、6月、7月と、あと一歩のところで、ウィルスを殲滅できずに推移していたので、今回、2度目の人工透析治療が解禁されたのを受け、入院を決意した。

同じくC型肝炎から肝硬変をわずらった寺山修司は、死の間際に舞台「奴婢訓」の演出のため、入院をしなかったという。伝説として語り継がれているのは、現場で、劇団員に看護婦の格好をさせて、体調の管理をさせていたという。日常世界と演劇空間の境界のゆらぎにこだわった寺山らしい伝説である。

しかし、寺山がこの世を去ったのが、享年47歳。
私は、48歳になる。今度こそ、ウィルス殲滅といきたいところだ。

まさむね

篤姫と世界に一つだけの花

July 22nd, 2008

先日、篤姫の「己の心に従って行動せよ。」という行動原理に関して話をした。

この行動原理の基となる価値観は、我々の”外”のどこかに普遍的な真実が存在しているのではないということだ。

逆に言えば、真実はそれぞれの個人の中にある、尊重されるべきは個性だという事にもつながる。

2003年3月に発売され、今世紀最大のヒット曲となったSMAPの「世界に一つだけの花」は、このような”個性主義”の応援歌としてあまりにも大きな影響を社会に与えた。最近では、学校の卒業式などでも歌われるという。
でも、この歌を歌わせて、ハイさようならっていう学校はいいかもしれないが、現実社会は、この歌のようにはいかない。(元々、花屋の店先に並んでいる花は品種改良をされ、間引きを逃げ抜けたエリートじゃないかっていう批判もある。)

先日、家の近くの花屋の店先で、店長が店員に花を投げつけて、なにやら怒っていた。悲しすぎる光景であった。

最初は、ナンバーワンになろうと思ったけど、この歌の影響でオンリーワンでもいいかって悟り、競争から降りたはいいけど、社会から、オンリーワンなんて不要ってNoを突きつけられた挙句、就職できなくて、ロンリーワンという名のニートになってしまった人、多いんじゃないかな。

現実はいつも残酷だ。

まさむね

篤姫の行動原理は極めて現代的だ。

July 21st, 2008

NHK大河ドラマの主人公の思想には放送当時の社会の価値観が反映されている。

例えば、私が見た限り、何度もドラマ化された戦国時代の信長や秀吉、家康達は、例外なく、「いくさの無い平和な世の中」を最終目標としていた。そこでは、”家”を存続させるためには、敵は滅ぼさなければらないという、当時としては当然の価値観は周到に隠されているのである。

そして、現在、放映されている「篤姫」においても、歴史上人物の行動原理に、現代の価値が入り込んでいるという現象はいくつか見られる。
気付いたものの一つ目。篤姫の薩摩時代、義父の島津斉彬に「何故、薩摩が軍備増強するのかわかるか?」と問われた篤姫は「それは戦をしないためです」と明確に回答し、斉彬を驚かせるという場面があった。
これは、(いい悪いは別にして、)明らかに、現在の自衛隊を正当化する理論と一致する。

もしかしたら、このような価値は、ここ10年位前から、ようやく表明できるようになったのではないだろうか。
例えば、1973年の「国盗り物語」における信長、1981年の「おんな太閤記」における秀吉が、このような価値表明をしていただろうか。興味深いところだ。

そして二つ目は、篤姫の「己の心に従って行動せよ。」という行動原理だ。これは、何度も繰り返し放送されているが、母からの言葉であり、先週放送の「二つの遺言」では斉彬からの最後の手紙にも記されていた。

恐らく、この行動原理は、砕いて言えば、「価値観は人それぞれだ」「自分が何をしたいのかを考えろ」「自分の感性に従って行動しろ」「自分の行動は自分で責任を持て」という極めて現代的、民主的なものだ。
今回の「篤姫」の人気の秘密は、彼女のこうした現代的行動原理が、様々な旧弊かつ閉塞的な状況を打破していく痛快さにあるに違いない。

さて、本日(20日)の放送でも、他言は禁止されていた将軍の死という秘密を、自分の感性のおもむくままに側室と生母に伝える事によって、それぞれのギクシャクした女同士の関係を修復し、篤姫から天璋院へと成長していく。

今後、ドラマは、大老の暗殺、和宮降下、江戸城開城というように劇的な展開を迎えることが予想されるが、その都度、彼女の行動原理はどのように状況を打開していくのか。楽しみである。

まさむね

大相撲のしごき問題に関して

July 20th, 2008

大相撲.名古屋場所は7日目を終えた。
朝青龍の途中休場、琴欧洲の不振もあり、戦前の興味はかなりそがれたが、後半は、白鵬を追う形となった1敗の安馬、琴光喜の両脇役の活躍を期待したい。

さて、今回は、大相撲のいわゆる「しごき問題」に関して。

僕らの世代のイメージでは、大相撲といえば、厳しさの象徴だった。そして、その厳しさには当然のように竹刀やゲンコツでのしごきも入っていたように思う。
「無理ヘンにゲンコツと書いて、兄弟子と読む」みたいな相撲格言が我々の耳にも自然と、しかし確かに届いていた。

それが平成のここに来て、「しごき問題」だ。勿論、そのしごきが度を越して弟子を死なすというのは論外だが、相撲社会が一般社会と同じ価値観で運営されるようになる事を誰が望んでいるのか。その根本的なところももう一度再考してらいたい。

己の巨体を、自分も、そして家族も持て余した少年が、偶然に親方の目に止まり、「メシは腹一杯食わせてやる」的に半分、騙されて一人で上京し、中卒だから、大きすぎるからと他に行くところもなく、それゆえに不条理なしごきに耐え、一人前の関取になって、巨額の富を築いていく。
そういった、どこかうら寂しくも理想的な物語を背中に貼り付けているからこそ、相撲は残酷な視線を持つ大衆に支持されてきたのではなかったのか。

インターネットかなんかで新弟子が公募され、科学的なトレーニングをして、民主的に運営される相撲部屋から出た力士が、見世物としての物語性を身にまとう事など可能なのであろうか。
相撲界に対して思いやりのかけらもないような、世間の表面的な建前論にあらゆる場面で土俵際まで追い詰められた相撲界は今後、どうなっていくのであろうか。

角界の内情を少しでも知っている自称相撲通(会友)の方々には、こういう時こそ、世間側に擦り寄らずに「しごきなど当然です。だって、相撲ですから。」という、あたり前の論陣を張ってもらいたい。

やくさん、デイモンさん、杉山さん、あなた達のことですよ。

まさむね

外務省って何をする所なの?

July 19th, 2008

外務省という役所は何をするところなのであろうか。

皮肉ではなく、私はそう思ってしまう。
先日、文部省が中学校の教科書の指導要領の解説書に「日本と韓国の間に竹島をめぐって主張に相違がある」と明記したことを契機にして、韓国側から正式抗議があり、ソウルの日本大使館前で大規模なデモが発生したとの報道がなされた。
多くの日本人はこの一連の騒動に対して、「またか」とウンザリしている。
よく考えてみれば、ロシアとの北方領土、中国.台湾との尖閣問題といった領土問題、そして、勿論、北朝鮮との拉致問題もそうだが、東アジアにおける日本の外交的重要な問題は、ほとんど解決していないとの印象すら受けてしまう。これでは、難しい問題を後回しにする受験生みたいなもんだ。

一般的に考えれば、外務省というところはそういった問題を解決するためのところだろう。
確かに外交というものは100%、国民に状況を明かせる類のものではない事は理解できる。ただ、解決に向けての方向くらいは示せるだろう。

例えば、竹島問題に関して言えば、日韓どちらの領土化ということに関して、お互いの話がつかないのであるなら、それこそ何度でも何度でも、国際司法裁判所への提訴を日本国民、韓国政府.国民に向けアピールしていくべきではないのか。日韓首脳会談とかも、何度もやってるんだから、「竹島は日本の領土だ」という主張
があまりにもストレートすぎてビビるというのであれば、そのたびに、提訴を内外にアピールすればいいじゃない。
もしも、韓国が対馬が韓国領だと主張するならば、どうぞ提訴してください。多分、そちらの恥になりますがと言ってやればいいのだ。
恐らく、日本人の多くは、もしも国際司法裁判所での判決が出れば、それに異をとなえる人は少数だと思う。
その位日本人は理性的に物事に対して対処できる国民だと思う。(また、韓国人もそうである事を希望する)

それよりも、解決の道筋すら国民に知らされず、何かあるたびに、大使送還だとか反日デモとかを見せられて嫌な思いだけさせられるのは明らかに国民の利益に反している。

あの外務省のラスプーチンと呼ばれた佐藤優氏が以前、皮肉交じりに言っていた。
「外国から見た日本の外交官は評判いいですよ。頭と性格以外は。」と。
すなわち、「語学が出来ない、戦略がない、人脈を作れない、でも、援助はくれる。」という事らしい。

再び問う。外務省という役所は何をするところなのであろうか。

まさむね

秩父の街 紋所散歩1

July 18th, 2008

知らない街を歩いて、いろんなものを見て回る時、私はその街に点在する紋所(家紋)を意識的に見て回るようにしている。
街の歴史がイメージされるからだ。
勿論、私は歴史の専門家ではないので、それは実証というものからは遠い。あくまでもイメージ(想像)して楽しもうというのだ。
最近は、C型肝炎のおかげで、出かける事はめっきりと減ってしまったが、以前はたまに、そんな街散策を楽しんだ。

例えば、今年の冬に妻と出かけた秩父日帰り旅行。楽しかった。
街のメインストリート(西武秩父駅~秩父神社)は700メートルくらい。左手に慈眼寺(写真-1)という秩父札所十三番の寺がある。

本堂の後ろに墓地があり、覗いてみた。墓石の紋所には九曜(写真-2)、七曜等の曜(星)紋系が多い。恐らく、ここは、平氏の流れをくんだ(くんだと思い込んだ?)人々が根付いている土地なのであろう。ものの本にも、この土地は平氏良文流・支流の秩父一族が支配していたとある。そして、彼らは自分達のシンボルに曜(星)を選んだのだ。

元来、農耕民族であった日本人は星への信仰はそれほど強くない。関東~南東北にかけて、星宿信仰があったようだが、これは星系紋の集中地域でもある。
日々、星の位置、動きに敏感にならざるを得ない海洋民族、狩猟民族あるいは渡来人の流れをくむ者が、この地方に居住していたのかもしれない。彼らにとっては、真夜中の移動の際に自分が現在どこにいるのかというのが最も重要な情報であり、そのため、天の星は神に近い存在=命綱だったのだ。
ちなみに、星野さん、星川さん、星さんというように、名字に星がつく家は、星宿信仰者の末裔である可能性が高いという。

「巨人の星」の主人公の星一徹・飛雄馬を輩出した星家もそうかもしれない。
原作漫画では星家の長屋の部屋には、折口信夫全集があった(竹熊健太郎さん談)そうであるが、一徹は自分のアイデンティティを定住民としてではなく、マレビト(異人)に求めていた可能性がある。

一徹の周囲に迎合しない生き方は、”星”という名が持つ宿命なのかもしれないのである。

なんか、最後は秩父とは全くかけ離れてしまったね。

秩父の街 紋所散歩2へつづく

まさむね

サミットの成果って何だったの?

July 17th, 2008

洞爺湖サミット(7月7日~7月9日)での環境問題に対する共同声明。改めて確認してみよう。

2日目のG8首脳国だけの会議では、一応、2050年までに(全世界に対して)温室効果ガスを半減する(ことを求める)ということが採択されたが、次の日、新興国からのプレッシャーにあっさりと押されて、「世界全体の長期目標を採択することが望ましいと信じる」という声明になった。
結局、2050年という期限もいつの間にかなくなっているし、「求める」という文言もなくなっている。結局、これって「とりあえず、CO2削減の方向でやっていきましょうや。」程度の話なのである。

もっとも、元々、じゃあいつに対しての半減なの?っていうことからして曖昧だった。京都議定書が決めた1990年なのか、2005年(日本政府は主張)なのか?記者会見では、福田首相は外国メディアからの質問に対して、目を泳がせながら「それは現状の半減ってことでしょ。」ってごまかした。

よくよく考えれば、日本では、地球温暖化対策は重要課題だってキャンペーンが毎日のようにマスメディアで流されているが(このキャンペーンもかなり胡散臭い)、例えば、本音で言えば、ロシアやカナダみたいに、今まで雪と氷に悩まされていた国々にとって温暖化はウェルカムに違いないのだ。
腹の中ではみんなどんどんCO2出して欲しいとすら思っているのかも…

さて、会見場から去る福田首相は小さくガッツポーズをしていたが、そのポーズにはどういう意味があったのだろうか。
父・福田赳夫が出来なかったサミットでの議長をとりあえず果たしたっていう「父ちゃん、やったよ。」的福田家の事情ではないか。という憶測が出るほど、首相の志は低かったのかと思うと情けなくなる。

かかった経費が500億円とも600億円とも言われているこの会議だが、その具体的な成果が、福田首相の自己満足だけっていうのはあまりにも寂しい。
この寂しさは、居酒屋タクシーどころの話ではないのである。

まさむね

20世紀の奇跡、ビートルズ!

July 16th, 2008

ビートルズは20世紀最大の奇跡である。
1962年にイギリスの地方都市、リバプールから突如現れ、激動の60年代を席巻した。
音楽のみならず、ファッション、ライフスタイル、ビジネスモデル、政治等あらゆる面で、世界中の若者に影響を与え、革命を起した。

ビートルズが残したロック、提起した諸問題は、21世紀の現在でもけっして色あせてはいない。

だからこそ、今、時間を見つけて、もう一度、ビートルズのレビューをしてみようと思う。

さて、僕は、ビートルズデビューしていない若者に嫉妬を覚える。彼らには今後、豊かなビートルズ体験という宝の山が待っているからだ。

ビートルズを聴くということは、”天才”に触れるという至高の体験なのだ。

僕が中学の頃(35年以上も前)は、ビートルズの曲が聴きたくて、一日中、ラジオにかじりついていたものだ。RCサクセッションの「トランジスタラジオ」の世界だよね。

ベイエリアから♪
リバプールから♪
このアンテナがキャッチしたナンバー♪

でも、今なら、Youtubeとかで映像付でいつでもビートルズに会う事が出来る。
現代はけっして、悪い事ばかりではない。こういう面では全くいい時代になったもんだね。

最後にRCの忌野清志郎さん。ジョン・レノン スーパー・ライブで復帰したばかりだったのに、がん転移してたんだってね。もう一度、頑張れ。

まさむね

思想犯としての「花」、その無邪気な罪

July 15th, 2008

2004年から2005年にかけての大ヒット、ORANGE RANGEの「花」。

この曲を主題歌にした映画「いま、会いにゆきます」も大ヒット。
主演の中村獅童と竹内結子との恋愛>結婚>出産。
この歌のイメージも手伝って、純愛カップルとして世間の祝福を受けるも、今年2月に離婚。

だから、今改めて、「いま、会いにゆきます」を見ると、中村獅童と竹内結子の演技が秀逸なだけに、なんだかとても残念だ。
「愛し合って ケンカして、色んな壁 二人で乗り越えて、生まれ変わっても あなたのそばで
花になろう」って言っていたんじゃないの?って突っ込みたくなってしまう。

まぁ、現実というのは常に残酷で不透明なものだから、言っても仕方ない事なんだけどね。

さて、この「花」であるが、よくよく聴いてみると、あまりにも主観的な歌詞である事に驚かされる。
相手の事を一方的に好きになって、思いつめるモノローグは引いてみるとかなり”痛い”。

二人の出逢いにもっと感謝しよう
あの日 あの時 あの場所のキセキはまた
新しい軌跡を生むだろう

何故キミに出逢えたんだろう
キミに出逢えたこと それは運命

君の喜び 君の痛み 君の全てよ
さぁ 咲き誇れ もっと もっと もっと

社会全体が、性的異常者の存在自体をネグレクトし、ストーキングに対して、どんどんと狭量になっている一方で、このような、”痛い”内面を支える大ヒットが何の後ろめたさも無く、次々に再生産されている現実。

しかし、何か性的な事件があると、美少女ゲームやエロサイトは槍玉に上がるが、”思想犯”としての「花」は追求されることはない。

まさむね