大相撲のしごき問題に関して

大相撲.名古屋場所は7日目を終えた。
朝青龍の途中休場、琴欧洲の不振もあり、戦前の興味はかなりそがれたが、後半は、白鵬を追う形となった1敗の安馬、琴光喜の両脇役の活躍を期待したい。

さて、今回は、大相撲のいわゆる「しごき問題」に関して。

僕らの世代のイメージでは、大相撲といえば、厳しさの象徴だった。そして、その厳しさには当然のように竹刀やゲンコツでのしごきも入っていたように思う。
「無理ヘンにゲンコツと書いて、兄弟子と読む」みたいな相撲格言が我々の耳にも自然と、しかし確かに届いていた。

それが平成のここに来て、「しごき問題」だ。勿論、そのしごきが度を越して弟子を死なすというのは論外だが、相撲社会が一般社会と同じ価値観で運営されるようになる事を誰が望んでいるのか。その根本的なところももう一度再考してらいたい。

己の巨体を、自分も、そして家族も持て余した少年が、偶然に親方の目に止まり、「メシは腹一杯食わせてやる」的に半分、騙されて一人で上京し、中卒だから、大きすぎるからと他に行くところもなく、それゆえに不条理なしごきに耐え、一人前の関取になって、巨額の富を築いていく。
そういった、どこかうら寂しくも理想的な物語を背中に貼り付けているからこそ、相撲は残酷な視線を持つ大衆に支持されてきたのではなかったのか。

インターネットかなんかで新弟子が公募され、科学的なトレーニングをして、民主的に運営される相撲部屋から出た力士が、見世物としての物語性を身にまとう事など可能なのであろうか。
相撲界に対して思いやりのかけらもないような、世間の表面的な建前論にあらゆる場面で土俵際まで追い詰められた相撲界は今後、どうなっていくのであろうか。

角界の内情を少しでも知っている自称相撲通(会友)の方々には、こういう時こそ、世間側に擦り寄らずに「しごきなど当然です。だって、相撲ですから。」という、あたり前の論陣を張ってもらいたい。

やくさん、デイモンさん、杉山さん、あなた達のことですよ。

まさむね

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