「源氏物語千年紀 Genji」は3つの困難を克服出来るか

November 21st, 2008

源氏物語関連での最近のニュース(11/12)にこんなのがあった。

フジテレビで09年1月から木曜深夜のアニメ枠「ノイタミナ」で放送予定だった、「源氏物語」の世界を描くテレビアニメ「あさきゆめみし」のアニメ化が中止となり、「源氏物語」を原作としたオリジナル作品「源氏物語千年紀 Genji」を制作することに変更されたというのだ。

僕は、アニメの源氏物語というのは、今まで見た事がないが、映像化された源氏物語にいつも幻滅を感じさせられてきた。
例えば、2000年に公開された『千年の恋 ひかる源氏物語』(主演:吉永小百合、天海祐希)は鳴り物入りでの登場だったが、残念な結果だった。

僕が思うに、源氏物語を映像化する際に問題となる点は以下の3点だ。

1)オカルトシーン(葵上が六条御息所の生霊に殺されるシーン等)の処理が難しい
2)数々の姫の元に通い続ける光源氏の身勝手さに感情移入させるのが難しい
3)光源氏が紫君を誘拐したり、夕顔が腹上死したりするシーン等の唐突さの処理が難しい

しかし、一方で、源氏物語を将来的にも渡って人々の心に残していくには、秀逸な映像化源氏、アニメ化源氏の誕生が不可欠だと思う。
特に、今後、日本に多くの外国人が移住してきた際、彼らに、日本文化の源泉を理解させるという意味でも、これは、重要な文化的事業ではないだろうか。

今回の企画には、是非、以上3点を克服した新しい源氏の世界を見せてほしいものである。

まさむね

その他紋

November 20th, 2008

このエントリーでは、これまで取り上げた以外の家紋をまとめて取り上げる。

唐花紋:大陸から伝来した架空の花を紋章にしたのが、この唐花。「必殺仕事人」の中村主水も使用している。宮崎県で22位、奈良県で27位、高知県で28位というのが比較的多いところ。

伊能忠敬。1745年2月11日 – 1818年5月17日、測量家。
上総国山辺郡小関村の名主・小関五郎左衛門家で生まれる。
江戸幕府の天文方・高橋至時に師事し、測量・天文観測などを修めた。
全国を歩いて測量し、「大日本沿海輿地全図」を作成。
大変精度の高い日本地図として評価された。


銭紋:貨幣は呪術的な側面がある。縁起物として紋として使用された。

真田昌幸。1547年 – 1611年7月13日、武将・大名。
甲斐武田氏家臣となった信濃の地域領主・真田氏の出自。
真田氏は滋野氏流を称する海野氏の傍流とされる。
上田合戦で2度にわたって徳川軍を撃退したことで知られ、戦国時代きっての知将、謀将と言われる。家紋は六文銭。


仙石秀久。1552年2月20日 – 1614年6月13日、武将・大名。
美濃の豪族・仙石久盛の四男として美濃で生まれる。
仙石氏は清和源氏である土岐氏の支流。
秀吉最古参の家臣で、家臣団では最も早く大名に出世した。
信濃小諸藩の初代藩主。出石藩仙石家初代。家紋は永楽銭。


独楽紋:独楽は子供の遊戯。遊び心とそのあやういバランス感覚、不思議さを紋とする。

千利休。1522年 – 1591年4月21日、戦国時代、安土桃山時代の茶人。
和泉の国堺の商家(屋号「魚屋(ととや)」)の生まれ。家業は納屋衆(倉庫業)。
わび茶(草庵の茶)の完成者として知られる。織田信長が堺を直轄地としたときに茶頭として雇われ、のち豊臣秀吉に仕えたが、後に、秀吉と対立。切腹させられる。
画像は、利休ゆかりの大徳寺・聚光院にて。


木下家定。1543年- 1608年10月4日、武将。
本姓は豊臣氏。家系はもともと桓武平氏流の杉原氏だったが、後に木下氏と改称。
豊臣秀吉の正室であった高台院の兄弟。五男に小早川秀秋がいる。
関が原の戦いでは、高台院の警護を務めた功績により備中足守に2万5千石を得る。
備前足守藩初代藩主。家紋は木下独楽。


夕顔紋:夕顔はウリ科。ヒョウタンの一種。かんぴょうの原料にもなる。

種田山頭火。1882年12月3日 – 1940年10月11日、俳人。
山口県西佐波令村(現・山口県防府市大道)の大地主の出身。
荻原井泉水の門下となる。熊本市の曹洞宗報恩寺で出家得度し、全国を放浪する。
自由律俳句の代表として、同じ井泉水門下の尾崎放哉と並び称される。
代表作「分け入つても分け入つても青い山」「鴉啼いてわたしも一人」等。


違い棒紋:藤原秀郷の百足退治伝説が家紋化した。棒は矢が簡略化したものと言われている。

丹羽長秀。1535年10月16日 – 1585年5月15日、武将・大名。
丹羽長政の次男として尾張国春日井郡児玉に生まれる。元々、斯波氏家臣の家。
信長の家臣として、長篠の戦いや越前一向一揆征伐など、各地を転戦して功を挙げる。
本能寺の変後は、秀吉派につくが、賤ヶ岳の戦いの2年後に病死。
丹羽氏は代々二本松藩主として江戸時代生き残る。家紋は丹羽違い木。


丹羽基二。1919年9月5日 – 2006年8月7日、苗字研究家。
栃木県佐野市生まれ。國學院大学国文科で柳田國男、折口信夫らに師事した。
全国の100万基の墓を巡った。日本家系図学会会長、「地名を守る会」代表 。
在野の研究家として苗字だけにとどまらず、家紋、墓、仏足石、紋様などの研究も行う。
代表作品『日本の伝統紋様』『お墓のはなし』『日本苗字大辞典』。


茶の実紋:橘紋に類似。お茶の名産地、静岡で29位に食い込んでいるが、他府県では少数派。

佐藤春夫。1892年4月9日 – 1964年5月6日、小説家、詩人。
和歌山県東牟婁郡新宮町に医師の長男として生まれる。家紋は三つ茶の実。
代表作は『黒潮』『田園の憂鬱』詩集『我が一九二二年』等。
慶應義塾普通部、桐朋中学・高等学校等の校歌の作詞も担当。
門人に井伏鱒二、太宰治、檀一雄、吉行淳之介、柴田錬三郎、遠藤周作などがいる。


鎌紋:鎌は農民の象徴だが、いざという時に武器になる。怖い紋。

小早川秀秋。1582年 – 1602年12月1日、大名。
木下家定の子で、豊臣秀吉の正室・高台院の甥にあたる。
筑前、筑後・肥前の一部30万7000石を継承する。秀吉死後、越前北庄15万石へ転封。
関ケ原の合戦で西軍を裏切ったことによって日本の歴史に名を残した。
家紋は、丸に違い鎌。


七宝紋:七宝は、仏教でいうところの七つの宝。仏教の加護の願いをこの紋に込める。石川県、福井県、岐阜県、鳥取県、島根県、滋賀県、愛媛県、高知県などで比較的多く見られる。

大岡忠相。1677年 – 1752年2月3日、幕臣・大名。
1700石の旗本大岡忠高江戸屋敷での四男として生まれる。大岡忠世家の当主で、西大平藩初代藩主。 将軍徳川吉宗が進めた享保改革を町奉行として支える。
大岡政談』や時代劇での名奉行として知られている。
家紋は大岡七宝。


江戸川乱歩。1894年10月21日 – 1965年7月28日、小説家・推理作家。日本推理作家協会初代理事長。
代表作は『怪人二十面相』『人間椅子』『黄金仮面』など。江戸川乱歩賞は第3回より長編推理小説の公募賞となっている。衆道の少年愛や少女愛、草双紙、サディズムやグロテスク趣味などへの志向も強かった。
祖父の代まで津藩士であったという平井家の紋は、七宝に二引両。


綿の花紋:結綿紋は、真綿を結んだもので、祝儀に用いられたもの。綿の花紋は中岡慎太郎のオリジナル。

中岡慎太郎。1838年5月6日 – 1867年12月12日、志士、陸援隊隊長
土佐国安芸郡北川郷柏木村に北川郷の大庄屋 中岡小傳次の長男として生まれる。
土佐勤皇党に加盟して、本格的に志士活動を展開し始める。
京都二本松薩摩藩邸において薩長の和解および薩長同盟を結実させる。
近江屋事件で襲撃を受け、2日後に絶命。家紋は丸に綿の花。


柿の花紋:柿の花をデザイン。武市氏だけが使用。

武市瑞山。1829年10月24日 – 1865年7月3日、土佐藩郷士。
土佐国吹井村に生まれる。父は土佐藩郷士の武市正恒。武市半平太と呼称される。
武市家はもともと土地の豪農であったが後に郷士に取り立てられた家である。
坂本龍馬、吉村寅太郎、中岡慎太郎らの同士を集めて、江戸にて土佐勤王党を結成。
「君主に対する不敬行為」という罪目で切腹を命ぜられる。家紋は柿の花紋。


垣紋:垣とは、神社に張り巡らされた瑞垣のこと。名奉行、大岡越前守もこの紋を使用。

大岡昇平。1909年3月6日 – 1988年12月25日、小説家・評論家・フランス文学翻訳家。
東京市牛込区新小川町生まれ。両親は和歌山出身で父・貞三郎は株式仲買人、母・つるは元芸妓であり、結婚後上京したという。
代表作は『俘虜記』『武蔵野夫人』『野火』等。
家紋は、丸に大岡玉垣。写真は多磨霊園の墓石。


烏紋:古代、烏信仰は絶大であった。八咫烏は神武東征を先導。サッカー日本代表のシンボルでもある。

鈴木孫一。1534年 – 1589年5月2日、雑賀衆の有力者の一人。
平井(和歌山市平井)あたりを本拠地としていた土豪。。
石山合戦において雑賀衆を率いて石山本願寺へ入り、織田信長の軍勢を苦しめた。
その後、関ヶ原の戦いでは鳥居元忠を討ち取るなどの軍功を挙げ、浪人を経て水戸藩に仕官した。家紋は八咫烏。


升紋:升は昔から「増す」の意味で、めでたいものとされていた。四角い升を上からみたデザイン。

市川団十郎。歌舞伎役者の名跡。
屋号は成田屋。定紋は三升。
歌舞伎の市川流の家元であり、歌舞伎の市川一門の宗家でもある。
歌舞伎役者の名跡のなかでも最も権威のある名とみなされている。現在は、十二代目。
写真は、青山霊園の市川団十郎の墓所の、花入れを上から撮影したもの。


鳥居紋:神社の鳥居を紋所とした。神職関係者で多く使用される。

天津乙女。1905年10月9日 – 1980年5月30日、宝塚歌劇団の男役スター。
本名:鳥居栄子。愛称:エイコさん。
芸名は僧正遍昭の「天つ風 雲の通ひ路 吹きとぢよ 乙女の姿 しばしとどめむ」から。
紫綬褒章受章。勲四等宝冠章受勲。
家紋は鳥居垣紋。谷中霊園にて撮影。


甲貝紋:甲貝は、テングニシとも呼ばれる貝。その味は、さざえと並び称され、美味と言われている。

渡辺崋山。1793年10月20日 – 1841年11月23日、政治家・画家。
田原藩士(上士の家格)である父・渡辺定通の長男として生まれる。
代表画は「鷹見泉石像」「佐藤一斎像」「市河米庵像」など。
幕府の保守的海防方針を批判し、国元田原で蟄居(蛮社の獄)。
写真は谷中霊園、息子の小華の墓で撮影。地元、田原中学校の校章もこの甲貝を使用。


源氏香図紋:香道で使用される組香の一種、縦5本の線を基本として構成される源氏香図の紋章。

泉鏡花。1873年11月4日 – 1939年9月7日、小説家。
石川県金沢市下新町に生れる。
父・清次は、加賀藩細工方白銀職の系譜に属する象眼細工・彫金等の錺職人。
尾崎紅葉の『二人比丘尼 色懺悔』を読んで衝撃を受け、文学に志すようになる。
代表作は「高野聖」「草迷宮」「婦系図」など。家紋は、源氏香紋の中でも「紅葉賀」。


角紋:カク紋と読む。八角のものを折敷紋、六角のものを亀甲紋という。

八千草薫。1931年1月6日 – 、女優。
大阪出身。幼少時父を亡くし以後母一人子一人で育つ。
本名、谷口瞳。旧姓、松田。家紋は、隅入鉄砲角。
第27回日本アカデミー賞「優秀助演女優賞」『阿修羅のごとく』
代表作は『宮本武蔵』『ハチ公物語』『田園に死す』『阿修羅のごとく』


銀杏紋:いろんな意味がある。中国文化の象徴としての銀杏。知識の象徴として東京大学の校章にも使用。または、火災避けの力があると信じられている。

中村勘三郎 (18代目)。1955年5月30日 – 、俳優、歌舞伎役者。
東京都出身。十七代目中村勘三郎の長男。姉は女優の波乃久里子。本名は波野哲明。
屋号は中村屋。定紋は角切銀杏。歌舞伎名跡「中村勘三郎」の当代。江戸の世話狂言から上方狂言、時代物、新歌舞伎から新作と、どんな役でもこなす。代表出演作『元禄繚乱』(大河ドラマ)『仮名手本忠臣蔵』(歌舞伎)『真夜中の弥次さん喜多さん』(映画)。


片岡仁左衛門 (15代目)。1944年3月14日 – 、歌舞伎役者、俳優。
大阪府に生まれる。十三代目片岡仁左衛門の三男。
芸術祭賞、毎日芸術賞、紫綬褒章等を受賞。
テレビドラマ「太閤記」「太平記」「元禄太平記」等に出演。
家紋は丸に二引両。また池上本門寺の片岡氏墓所には一つ銀杏巴の紋がある。


猿紋:猿は日吉権現の眷属として神紋となっている。

市川猿之助。歌舞伎役者の名跡。
屋号は澤瀉屋。定紋は澤瀉、替紋は三つ猿。
初代は、役者の門人から立役へ出世、澤瀉屋を門閥にのしあげる。
二代目は、欧米に留学して舞台芸術を学び、生涯新しい形の歌舞伎を模索した風雲児。
三代目は、「スーパー歌舞伎」という新境地まで切り開いた「歌舞伎の異端児」。


蛙紋:蛙紋はめずらしい。おそらく、下記の澤田正二郎の蛙紋はオリジナル紋。

澤田正二郎。1892 – 1929年3月4日、俳優。
松井須磨子と対立し、術座を脱退した後、新国劇を立ち上げる。
歌舞伎よりもリアルな立ち回りを多用した時代物で男性客の人気を得る。
1987年、創立70周年記念公演を終えた後、解散。
写真は谷中墓地の墓石。柳に蛙紋とでも呼ぶべき紋。


牡丹紋:牡丹は藤原氏宗家近衛家の紋。鷹司家も使用。武家では島津家、伊達家、津軽家などが使用。

陸奥宗光。1844年8月20日 – 1897年8月24日、政治家、外交官。
紀州藩藩士伊達宗広と政子(渥美氏)の六男として生まれる。勝海舟の神戸海軍操練所に入り、坂本龍馬の海援隊に 加わるなど始終坂本と行動をともにした。
日墨修好通商条約、日英通商航海条約等を締結。 「カミソリ大臣」と呼ばれ、外務大臣として不平等条約の改正に辣腕を振るった。家紋は仙台牡丹。


近衛文麿。1891年10月12日 – 1945年12月16日、政治家。
公爵近衛篤麿と旧加賀藩主で侯爵前田慶寧の三女・衍子の間の長男として、東京市麹町区で生まれた。日中戦争(支那事変)勃発、日独伊三国軍事同盟時の内閣総理大臣。
第5代貴族院議長。第34、38、39代内閣総理大臣
細川護熙(内閣総理大臣) は外孫にあたる。


車前草(おおばこ)紋:薬草の車前草。代々医者の家系の丹波氏にふさわしい。

丹波哲郎。1922年7月17日 – 2006年9月24日、俳優。
大久保の名家の三男。祖父敬三は大正時代を代表する薬学者として知られ、系図を遡ると平安時代に医学書『医心方』を著した丹波康頼に辿り着くという。
心霊学と霊界に造詣を持ち、心霊関係著書は70冊。
代表出演作『砂の器』『二百三高地』『Gメン75』『丹波哲郎の大霊界』等。


以下の紋に関しては、「家紋の真実」を主宰されている日本家紋研究会副会長の高澤等先生にご教授頂きました。


井筒紋:地上に出た井戸の枠を紋章化した。井桁紋は菱形、井筒紋は正方形。全国で27位の分布。特に鹿児島県(15位)、和歌山県(18位)、群馬県(19位)で多く見られる。

司馬江漢。1747年 – 1818年11月19日、絵師。蘭学者。
鈴木春重(すずき はるしげ)は同一人物。本名は安藤峻。
浮世絵師だったが、後に洋風画を描くに至った。
天文・動植物など西洋博物学に興味を持ち、日本に紹介した。安藤広重の名作「東海道五十三次」のオリジナルを描いたという説がある。家紋は、「六つ追い重ね井筒」


乃木希典。1849年12月25日 - 1912年9月13日、軍人。
長州藩の支藩である長府藩の藩士、乃木希次・寿子の長男に生まれる。
東郷平八郎とともに日露戦争の英雄とされ、「聖将」と呼ばれた。
明治天皇の後を追って殉死。家紋は、四つ持ち合い井筒。
青山墓地にある乃木家墓所にて撮影。もう一つ別に五瓜も使用。


創作紋:墓所には時に、故人を記念するようなオリジナルな紋が付けられることがある。

田尻稲次郎。1850年8月6日 – 1923年8月15日、経済学者・法学者・政治家・官僚。
薩摩藩士の三男として薩摩藩京都上屋敷で生まれた。日本初の法学博士。日露戦争時に戦費調達、債務処理に功績をあげ、退官後、東京市長を務める。
また、専修大学創始者の一人。
家紋は、田尻の「田」と稲次郎の「稲」から「稲妻」を連想して作ったオリジナル紋。


内田吐夢。1898年4月26日 – 1970年8月7日、映画監督。
岡山市に菓子店の息子として生まれる。
日本映画の創生期から戦後にいたるまで、骨太な作品を撮りつづけた「巨匠」。
代表作は『大菩薩峠』『宮本武蔵』『飢餓海峡』等。
これは家紋というには若干違和感もあるが、墓所にて撮影した魚紋。

まさむね



久米さんは本当に危険な地雷からは逃げた?

November 20th, 2008

昨晩は、久米宏のテレビってやつは!?のチャンネルを合わせた。

まずは大麻の話だ。
久米さん曰く「大麻を持っているだけで逮捕なのに、タバコは全く問題なし。って落差が激しくありませんか」
いまさらながら、その通りだと思った。
僕も以前から、大麻ってそんなに悪いの?って思っていたからね。
でも、テレビで、大麻というタブーをここまで、擁護するのもめずらしい。さすが久米さんの番組だって思って関心。

ところが、次は麻生首相の話。
登場は小泉さんの懐刀、飯島秘書官。
麻生さんが秋葉原やネットで人気という話になり、飯島さんが「ネットの書き込みを世論と思うのは間違い、所詮便所の落書」って発言した途端に、話題を変える久米さん。

大麻という、既に踏みやすくなっている地雷は、積極果敢に踏んだ久米さんだが、本当に危険な地雷からは逃げた...と感じたのは僕だけだろうか。

まさむね

(R&B)+平安文学=EXILE

November 20th, 2008

CDのミリオンセラー(シングル)が出なくなったよね。
このままで行けば、今年は一曲も出ないかもしれない。
おそらく、こんなことは、1990年以降では初めての状況である。

でも、こんな時代ではあるけど、現在、最も、今日的なメジャーアーティストは誰かと問うならば、EXILEという答えに異存無い人は多いと思う。それほど、彼らの楽曲はヒットチャートの常連なのである。
さて、このEXILEであるが、その特徴はR&Bを基礎とした官能的なサウンドと世界観にある。
わかりやすい言葉で言えば、その世界は「不在の彼女(彼氏)が残していったぬくもりを愛おしく思う一瞬」を歌にした感じだ。

例えば、彼らの代表曲「ただ・・・逢いたくて」。

ただ逢いたくて…もう逢えなくて
くちびる噛みしめて泣いてた。
今逢いたくて…忘れられないまま
過ごした時間だけがまた一人にさせる

そして、昨年のヒット曲「I believe」。

君のもとへ飛んで行きたい
いつもそばで感じていたい
瞳閉じて君を映し出す
今だけは寄り添って 君だけを感じたい
繋いだその手を 離さないように
君がいる季節は 何よりも輝いて
優しく包んでくれるから

さらに、最新のヒット曲「Ti amo」。

日曜日の夜は ベッドが広い 眠らない想い 抱いたまま朝を待つ
帰る場所がある あなたのこと 好きになってはいけない わかってたはじめから
どれだけの想いならば 愛と呼んでいいのでしょうか?
この胸をしめつけてる この気持ちに名前をください

これらの歌詞には、くちびる、瞳、手、胸という肉体的な言葉がちりばめられているが、それが彼らの創り出す世界をなまめかしくしているんじゃないかな。
相手の不在を想い、心を焦がすというのは、恋の基本シチュエーションだが、このEXILEの世界の艶かしさって、どこかであったなぁと思い返してみると、実は日本の伝統、平安王朝の和歌の世界がまさにそれなんだよね。言うまでもないんだけど、平安時代の貴族階級ってのは、通い婚なんだよね。男が女の屋敷に夜這いをかけるのが唯一の逢う方法。だから、女は待つしかない。その待つ身の切なさが平安文学を生む土壌にあるんだよね。

例えば、その代表歌が、待賢門院堀河の有名な一首。百人一首にも引かれてるから知ってる人も多いと思う。

ながからむ心もしらず黒髪の乱れて今朝はものをこそ思へ
(ずっと好きだよって言うあなたの気持ちも、本当かなぁって思ってしまう。あなたが行ってしまった朝の寝乱れた黒髪のように心が乱れるんだから)

また、同じく百人一首にある藤原道綱の母の一首。

嘆きつつひとりぬる夜の明くるまはいかに久しきものとかは知る
(また、来てくれなかったあなたのことを嘆きながら過ごす独り寝の夜が、こんなに長いなんて、あなた、わかってるのかしら)

ねっ、EXILEの世界と通底しているでしょ。
EXILEが、現代日本で受けているのは、R&Bのリズムと日本独特の平安貴族の感性の融合が生み出す肉体性(官能性)なんじゃないかな。

だから、昨年の日本レコード大賞の授賞式で、最優秀歌唱賞受賞の瞬間、ATSUSHIの後ろで作り笑いをしていたパフォーマーの面々、そんな顔をする必要は無いんだよ。
パフォーマー達のダンスがあるからこそ、EXILEの世界の肉体性がリアリティを帯びるんだからね。

まさむね

IMF、10兆円は三角蹴りの神施策だよ→コピペのコピペです

November 20th, 2008

IMFは地球上で一番まともな金貸しだよ。
返済計画を強制するし、場合によっては民間企業の解体バラ売りもやる。

::::::::::::::::::::::::::
IMFから金を借りるというのは、半分植民地になるようなもの。

じゃあ借りなきゃいいじゃんって話だけど、借りずにデフォルトすると、
もう国としてやっていけない。その国の持ってる金の価値がなくなるからな。
::::::::::::::::::::::::::
日本の外貨準備から
10兆円程度をめどに資金拠出すると麻生太郎首相が表明することが12日固まった。
::::::::::::::::::::::::::
「今は円に換えることができない1000億ドルを、
利子付で貸してる」だけだと何度言えば以下略
::::::::::::::::::::::::::
ドル動かす必要ないというか、余ってるんだよ。

今、日本からすれば極端な円高ドル安なわけよ。
ここで円が欲しいからといってドルを売ればもう世界大混乱。

そんなわけで本来は円を売ってドルを買わないといけない。
つまり「ドルを動かす」ってのを国がやるとなると、
「国内で不足気味の円を手放して手をつけることができないドルを

買わないといけない」わけだ。

そのドルを買うための円はどこから?
国債?税金?
それこそおまいさんがやってる「無駄づかい」でしかならないわけだ

そうなると、今持ってるドルは塩漬けにしないといけない

そんことするぐらいならIMFに融資すれば、先進国のスタンスを保ちつつ、
長期的にさらにドルという蓄えを増やし、「直接金よこせ、踏み倒させろ」
と言ってくる韓国を牽制することもできる、一石三鳥以上の手段なわけだ

日本政府、IMFに10兆円拠出 働くモノニュース : 人生VIP職人ブログwww

おまけのコピペ
IMFが2000億ドル(20兆円)欲しいって言ったんだよ。
んで日本が「じゃあ俺が半分だしてやんよ」って言った。
ちびちび出すよりインパクトはでかいと思うよ。
全額でないのは残り半分は自称含む先進諸国御一同さま
と外貨保有高世界1位の国が出し合えばいいでしょ?
あれあれ?面子大事な中国様どしたの?出さないの?
G20の会合の時にはきっと発表してくれるよね?wktk
という状態。
いい外交カードを切ったんじゃね?

手塚の物語

November 20th, 2008

手塚治虫は、小中学生の頃、秋田書店の単行本で読みまくった。
バンパイヤ」「W3」「どろろ」「リボンの騎士」「海のトリトン」「マグマ大使」「ビッグX」、みんな懐かしいな。
勿論、「火の鳥」「ブッダ」「ブラック・ジャック 」や「鉄腕アトム」も大好きだった。
当時はプロ野球といえば、みんな巨人ファンだったけど、僕は名前がアトムズだったって事だけで、サンケイのファンだったんだ。

手塚治虫の偉業なんて、一言では言えないけど、少年向けSF漫画のスタイルを確立した事。と同時に、当時の少年達に、科学的、社会的知識を知らず知らずに教えてくれたこと。例えば、僕は「バンパイヤ」でLSDっていう幻覚剤がアメリカで流行っているって事知ったんだよ。60年代~70年代初めに少年時代を過ごした世代の僕らが、今、考えてみると、手塚さんはその時代のヒューマニスティック・ファンタジスタだったんだと思う。
でも、時代が漫画にそれ以上を求めるようになってくると徐々に時代からずれていったんじゃないかな。

ちょうどイメージ的には、ジョンレノンが70年代に入ると泥臭いアメリカンサザン・ロック(リアリズム系=すなわち、劇画系)や音楽性の高いブリティッシュロック(テクニック系=すわなち、大友、宮崎系)に圧されていくさまに近い。

手塚さんは結局、少年漫画家に域から出られなかったのかもしれないっていうのは言いすぎかな。評価、難しいけどね。

それに、手塚さんは、ところざわさんが言うように、石の森や大友、梶原一騎、さいとう・たかお、そして水木しげるなんかに対しても、偏狭なライバル心を持っていたようだね。
初対面の水木さんに対して、「あなたの漫画だったら僕はいつでも描けるんですよ」って言って、「どろろ」を書いたというエピソードもあるよね。

晩年、自らの原稿を持って出版社周りをしたというエピソードも。

でも、この偏狭さ(反おおらかさ)が好きだ。僕は、これこそ、手塚さんの天才の証(聖痕)だと思う。

まさむね

我々は源氏を次世代に伝える義務がある ~『源氏物語ものがたり』書評~

November 20th, 2008

たとえ政治・経済・法制度が一変し、一夫多妻の結婚形態が消滅したとしても、永遠にかわらないものがある。
いや、それぞれの時代の人々の心に合わせて変り続けることで、不死の生命を獲得し続けたものがある。
それが日本人にとっての源氏物語だった。
-「源氏物語ものがたり (新潮新書 284)」島内景二 P54-

伝統を守るということは本当に大変な事である。この本を読むと、その事がよくわかる。

藤原定家、四辻喜成、一条兼良、宗祇、三条西実隆、細川幽斎、北村季吟、本居宣長、アーサーウェリー。

この本で紹介された面々、まるで駅伝のタスキをつなぐかのごとく、連綿と歴史の荒波から源氏物語を守ってきた。
さらに、それだけじゃなく、それぞれが生きた時代の新しい感性でもって、都度、源氏物語を再生させてきたのである。

例えば、室町時代に連歌師として一斉を風靡した宗祇は、当時、最もイケてるコンセプト、”幽玄”をもってして、作品に込められた登場人物の心を深く思いやる鑑賞方法を、次の三条西実隆に伝授したという。

しかし、それは決して、彼らだけの偉業ではない。
彼らに源氏物語を守るような立場を与え続けた、その他の多くの日本人の気遣いがあったことも忘れてはならない。

それらの人々とは、時の天皇は勿論だが、時代によっては、武家であり町人であった。

例えば、”源氏物語を守るための運命のタスキ”を受けていた一人、細川幽斎。
彼は文化人とは別に、戦国武将としての一面も持っていた。

幽斎は、関が原の戦いに東軍の一武将として参戦していたが、西軍に城を包囲され、絶体絶命のピンチになってしまったのだ。
しかし、その時、後陽成天皇は勅使を派遣し、和議を結ばせて、幽斎の命を救おうとした。というか、源氏物語を初めとする古典文学を守ろうとしたのだ。

戦とは、生きるか死ぬかのギリギリの状況下で行われる。
しかし、その勅使が来た時に、西軍の武将・前田茂勝は、あっさりと城の包囲を解いた。
天皇からの勅命だったという事もあるが、茂勝自身が、源氏物語の文化的価値を前に、幽斎に、屈したのである。
そらに、その心がわかる徳川家康は、この前田茂勝の領地を安堵したというのは言うまでもない。

さて、今後、この”源氏物語を守るための運命のタスキ”はどのように引き継がれていくのであろうか。
グローバリズムやコスモポリタニズムの美名のもと、今後、日本人のアイデンティティを危うくするような危機が何度も襲ってくるに違いない。

「どうして、学校で、源氏物語なんかやる必要があるの?その分、英語や中国語を勉強させろよ」っていう勢力が増えてくる時代が必ず来る。
その時、源氏物語を誰がどうやって守るのか、あるいは、守る必要があるのかという国民的コンセンサスの確立は急務だ。

それは、ある意味、憲法改正や、核保有よりも大事な防衛政策かもしれない。

まさむね

最近の政治状況に一言

November 19th, 2008

ちょっと前の話になってしまうが、G20に出席した麻生総理。
IMF(国際通貨基金)に10兆円供出を約束して帰ってくる。
曰く「後世、歴史的な会議と呼ばれることになると思う」とのことだが、その10兆円は誰がどこから出すのか?
日本は800兆円の赤字がある。それなら10兆円位増えてもあんまり変らないってことなのか。
金が無い、無いって言ってなかったっけ?

でも、この件、世界のための日本という美名の下で、マスメディアの批判は無し。
そもそも、今の時代、IMF自体というアメリカ主導のシステムが発展途上国にどのように思われているのか。
日本は、今後もアメリカ主導の経済体制について行きますという宣言をしたようなものだ。
しかも、そのアメリカって、現時点では、まだ、ブッシュのアメリカでしょ。
今回、オバマが居ないところで、日本がIMFに10兆円を張ってよかったのか。
オバマの方向性は、国際協調なんだから、来年、日本がハシゴをはずされる危険性はないのか。

経済に全く素人の僕だが、これらの疑問って全く的をはずしている?
ちなみに、僕が、どの位、経済音痴なのかって言えば、例えば、麻生総理が読めなかった前場に関してだって、”まえば”か”ぜんば”か知らないが、この言葉自体、何の事かわからない。
大体、ダウって何だ?ってレベルだからね。

さて、先日、民主党の小沢さんが麻生総理に急遽、党首会談を提案した。
その日の夕方に、会談が実現って、小学生の「遊びましょ」じゃないんだから。
2人とも暇だったの?

小沢さんは、第二次補正予算を今国会で提出するように、総理に要求。
選挙より経済優先って言いながら、予算提出を来年にするって事の矛盾をついたらしい。

でも、麻生さんは、定額給付金の件をまとめきれないんだと思う。今国会に提出するなんて無理ですって周辺(笑)に言われてるんだろう。
おそらく、本音では、やってもやらなくてもどっちでもよかった。っていうか、元々関心なかったんだけど、公明党とかが「やってよ」っていうから、政策に入れたら、いろんな矛盾点が出てきて収拾がつかなくなった。

俺のせいじゃないって思ってると思うよ。
なんだかババ抜きのババみたいになってきた定額給付金。結局どこに着地するのか。ちょっと怖いもの見たさで興味深い。

一方、民主党もはがゆい。与党の第二次補正予算が出たら、民主党の経済対策を党首討論でぶつけて、その場で解散を迫るっていうのが大向う受けする手順なんだろうけど、小沢さんはそうはしないだろう。
でも、それは仕方が無いのかなぁ。
古来、権力者っていうのは、偏屈で疑い深い人も多い。っていうか最終的にはそういう人が権力を握ってきた。
最終的には秀吉は家康に、かなわなって事だよ。
恐らく、小沢さんの血には斬った張ったのヤクザ的なものは入ってないような気がする。根は、東北の農民だから、寝技しか出来ない。
体質的に、小泉さんが横須賀の博徒、麻生さんが筑豊の川筋者(人買い)の流れにあるのとは違うからね。

そうこうしているうちに、元厚生事務次官へのテロとも見える殺傷事件が起きた。
テレビでのキャスター、コメンテーターは必ず、枕詞のように”どんなことがあったとしても殺人というのは卑劣な行為です”をつけるいつものお約束。
とりあえず、全員が言わなくてもと思う。

ネットでは、事件の痛ましさを嘆くよりも、この事件に対する厚生省関係者の「今回の事件は見当がつかない。」っていう発言が一斉に槍玉に(19日の深夜2:00頃)。
改めて、多くの人が潜在的に持っているマグマのような熱い怒りを再認識。

怒りのハケ口をみんな求めているんだろうな。こっちの方が大きな問題のような気もするが。

まさむね

パヤヲの物語

November 19th, 2008

千と千尋と日野ヒデシの恐怖豚の街の関連性を真っ先に指摘した当イッボンギであるが、時代の差をぬきに比較できないが、ボニョでパヤヲは既に大手塚(だいてづか)を凌駕したと思う。ルパン三世とナウシカでほぼ手塚にならぶ知名度を得、その後の作品群で(漫画と映画を単純に比較出来ないが)手塚に対して量的にも遜色無いと思う

盟友であり思想的師であった高畑を、才能の差で飼い殺しかつ再起不能にし、彼のバイブルでありあったゲド戦記はナウシカで用済みとなると息子の手で映像化し致命的ダメージを作品に焼き付け、最初映像化を袖にし後に懇願した作者ルグインを苔にした様は大作家の風格である。まさに親殺し子殺しの主人公さながらに悲劇で喜劇だ。大衆的かつ前衛的、家族的でロリコンで、左翼的でエコでアナーキ、この時代に生まれてホントに良かった
大友の絵に対してボクも描けるといい
イシノモリや劇画の胎動に対して言い放った前代の神様さながらだ

他でも指摘するものがいるが、唯一、黒沢との対談映像でパヤヲがヘコヘコする様だけが神様の汚点である。

黒澤なんて二人に比べたら寡作な前座の神様だ

2ch 平成床屋談義 町の噂

November 19th, 2008

2ch 平成床屋談義 町の噂“政治から経済まで日本の過去と未来を真面目にじっくり語るスレです。
みんな仲良く、荒らしはスルー、品のない罵倒嘲笑はルール違反。 ”