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朝青龍ガッツポーズに横審が物言い。楽しくなってきた。

Saturday, January 31st, 2009

朝青龍の優勝直後のガッツポーズに横綱審議委員会がクレームをつけたという。

やはりそう来たか、という感じである。
横審としては当然の対応だ。
    ◆
実のところ、僕は、ガッツポーズぐらいいいじゃないかという立場でも、品格に欠けるからダメだという立場でもない。
自由奔放な横綱がガッツポーズをした。>それに対して監視する横審が文句をつけた。
いい流れになったな、と見ているというのがとりあえずの立場だ。

おそらく、そうやって相撲界全体が、ワサワサする、日本中があれこれ議論する、話題になる、マスコミが騒ぐ、次の場所にさらに注目が集まる。
そういった大相撲が長年培ってきた興行会社としての手法(戦略)をトータルで見世物として楽しむ、というのが僕の興味なのである。

それにしても、大相撲というのは日本が生み出した、実に日本らしい大発明である。
土俵上の仕草にしても、一つ一つはもったいぶっていて、意味ありげだが、実は、”それらしいもの”の寄せ集めなのである。
誰も確かな意味とか、起源とかを気にしない。
それでいいのだ。
気になって、調べてみたら、以外に戦後からのものとかが多い。伝統でもなんでもないのだ。
そんなものなのだ。

例えば、土俵にいるという神様。これは、戦前は、天地開闢の十二柱=神代七代の神だったのが、戦後、一人の行司と相撲評論家が二人でただの三柱にしてしまった。
おそらくGHQから文句をつけられないかという事で自粛してそうしたというのだ。(詳細は、「女はなぜ土俵にあがれないのか (幻冬舎新書)」内館牧子参照の事)

こんな日本的なおおらかさに満ち溢れた大相撲という見世物は素晴らしいと僕は思う。

日本人は今まで、カラオケとかアニメとかいろんなものをオリジナルとして世界に発信してきたが、大相撲も、世界に出て行けるには十分な魅力を持っている。

何よりもあの、丸い土俵というもののオリジナリティは凄い。
決まった枠の外に出たら、それだけで負けというのは世界広しといえども、相撲だけだ(だけらしい)。
これによって、立会いに頭からぶつかりあうという迫力という意味では世界でも稀有な格闘技が生れたのである。
もしも、土俵というものが無かったら、作戦としてどこまでも逃げ回るという手が出来てしまう。

その昔、元相撲取りがオクタゴンに入って、相手のキックボクサーを金網まで押していって、そこで何もする事が無くて、顔面を蹴られてKOされたという試合があったが、もしも土俵が無かったら、相撲の技はほとんど通用しないものになってしまうのである。
また、土俵があるから、強い者もたまに、しくじったり、小さい者が勝ったり出来るのだ。
    ◆
僕が夢見るのは、は世界中の巨人達が両国国技館で闘う風景だ。
とりあえず、アフリカのセネガルには”セネガル相撲”(日本名だけど)という独特の格闘技があるらしい。
それは日本の相撲とよく似た技が存在するらしい。(立会いがない等、異なる点も多いらしいけど)。
一度、80年代に彼等を日本に連れてこようとしたらしいが、その時は、髷が結えないのでは?ということで話が無くなったという。
全く、もったいない話だ。髷なんてなんとでもなるではないか。床山さんの技術ならば...

ブルガリアというヨーグルトくらいしか知られていない国に、”角界のベッカム”琴欧洲がいたではないか。
エストニアというバルト海の小さな国でさえ、あの”バルチッククレーン”把瑠都がいたではないか。

これからは日本のソフトパワーだと言っている政府の方々、外務省職員の方々、是非、全世界からそういった人材を集めてもらえないだろうか(と切に願うばかりだ)。

そして、彼等が大相撲に入門する、そしてまた何か問題を起こす。相撲界がまたワサワサと揺れる、日本中があれこれ議論する、マスコミが騒ぐ、相撲に注目が集まる。
これが、全部で楽しみなのである。
    ◆
さて、こうしているうちに、若麒麟が大麻で逮捕されたというニュースが入ってきた。
尾車親方は即刻、若麒麟を引退させた。ということらしい。
これに関しては、また後日、語ってみたいと思う。

まさむね

2009年大相撲初場所を振り返る

Monday, January 26th, 2009

大相撲の初場所は面白かった。

勿論、朝青龍の23回目の優勝は素晴らしかったが、朝青龍に関しては、こちら(朝青龍完全復活は格闘家としての本能の勝利だ)をお読みいただくとして、このエントリーでは他の関取について書いてみたい。

まずは、優勝決定戦で朝青龍に敗れた白鵬について。
白鵬は静かな横綱である。初日から世間の話題が朝青龍に向いている中、独り黙々と横綱の務めを果たし、静かに勝ち進んでいた。
あまりにも危なげなかったため逆に話題にもならなかったのだ。
大鵬、北の湖などの全盛期の「横綱相撲」を思い出させるような立ち振る舞いだ。
今場所は朝青龍に優勝をさらわれたが、白鵬が第一人者である事には変わりない。
来場所、また頑張って欲しい。

次は大関陣だ。
魁皇の勝ち越しが何よりも嬉しい。魁皇に関しての詳細はこちら(大関という生き方 -魁皇論-)をお読みいただければと思う。
どうしても九州場所までは土俵に上がり続けて欲しいと切に願う。

琴欧洲は、久々に動きがよかった。
おそらく、精神的にも好調だったのである。
先場所までのどこか暗い表情が、今場所は自信に満ち溢れていた。
惜しむらくは、6日目の安美錦戦だ。すばやく横に廻られて、一気に出されてしまった。
また、10日目の千代大海戦も残念だった。
千代大海にも大関の意地があるのだろう。ツボにはまると思わぬ力を発揮する。さすがだ。
上記の2番をもし、乗り越えていたら、朝青龍の11日目で全勝決戦になっていたはずだ。
そうであれば、また別の結果が出ていたかもしれない。
いずれにしても来場所楽しみだ。

日馬富士の初日からの4連敗は意外だった。
ただ、体調が悪いようには見えなかった。おそらく、精神的なものだろう。
雅山戦、稀勢の里戦で、前に落ちてしまったが、これらは明らかに体が堅くなっていたからだ。
調子をつかめば、いつかは盛り返してくるだろうと思っていたが、さすが、14日目に勝ち越してくれた。

関脇以下でも、何人も注目すべき関取がいた。

まずは、把瑠都だ。特に白鵬戦はすばらしかった。まるで横綱同士が闘っているようながっぷり四つの大相撲。
今場所のベストバウトのひとつだ。
特に、この一番の前の把瑠都のコメントがいい。
「がっぷりになれば何とかなる。」
今をときめく、白鵬を前にしてのこの自信、さすが大物だ。
そして、千秋楽の日馬富士との一番も凄かった。
いくら軽量とはいえ、相手は大関、それを足を取って、そのままつり出してしまった。
まるで大人と子供だった。
今場所、途中で負けが重なってしまったが、気にする事は無い。来場所、優勝すら狙えると僕は思う。

一方、把瑠都と同様のヨーロッピアン力士は今ひとつだった。
阿覧は負け越してしまった。
本来の荒々しさが、影を潜めてしまった。
よく、阿覧に対して、「相撲を知らない」「型が無い」と言われることがあるが、僕はそうはそれは大きな問題だとは思えない。
阿覧には阿覧らしく、相撲取りの以前の格闘家の精神を忘れないで欲しいからだ。
極論するならば、阿覧には、無茶な張り手や力任せの寄りを見せて欲しい。
大相撲の「明日」にとっても、異種格闘技を取り込んでいった方が、よりエキサイティングな見世物になるからだ。
同様のことは、栃ノ心にも言える。
栃ノ心は千秋楽でようやく、勝ち越すことが出来たが、今場所では、彼らしさはほとんど見られなかった。
あの懐の深さと、サンボヨーロッパ王者としての技術を生かしたオリジナルスタイルを是非確立してほしい。

今場所注目していたが、一番残念だったのが武州山だ。
30歳を超して、新入幕、勝ち越しての今場所だったが、幕の内上位には全く通じなかった。
出っ腹に撫で肩のくたびれた肉体、いいではないか。来場所勝ち越して、何とか、幕内に踏みとどまって欲しいと願う。

色黒の元気者、嘉風と豊真将の活躍も目立った。
特に嘉風の動きの良さと気持ちの強さは、朝青龍戦を持ち出すまでもなく、素晴らしい。
今場所、いろんな事を学んだであろう。将来が楽しみだ。

白鵬、朝青龍、日馬富士以外のモンゴル勢も総じていい動きをしていた。
時天空が久々に勝ち越した。千秋楽の豊真将で見せた足技はこの人オリジナルだ。こういう個性的な力士は好きだ。
旭天鵬が前頭一枚目で勝ち越し、来場所の三役復帰に期待を持たせてくれた。すでに36歳になるのに、その肉体はまだまだ輝いている。
鶴竜の動きの良さも目立った。明日の日馬富士は、この鶴竜だ。
朝赤龍、光龍、玉鷲は残念ながら負け越してしまったが、十両では、翔天狼、白馬が十両優勝決定戦を争うほど元気だ。
また、個人的に注目なのは、今場所負け越してしまったが保志光だ。彼の肉体のユニークさは特筆物である。早く幕の内に上がってきてほしい。
十数年ほど前、確かに、小錦、曙、武蔵丸等のハワイ勢は活躍していた。
しかし、彼等の次の人材が続かなかった。ゆえにその流れは絶えてしまった。
一方、モンゴル勢は次々に新しい才能が上がってくる。
その勢いは凄い。
彼等の運動神経、ハングリー精神に対して、日本人はどう対抗して行ったらいいのだろうか。今後の大相撲界の大きな課題である。

嬉しかったのは、新入幕の山本山の勝ち越しだ。
来場所もまた幕の内での相撲が見られるからだ。
四日目の将司戦で見せた、圧倒的な押し、中日の垣添戦で見せた土俵際での打っちゃり気味の上手投げ、十四日目に見せた怒涛の決め出しすべてが彼の持ち味だ。
惜しむらくは、千秋楽での木村山との一戦。動かれ、横から攻められ、押し出された。ここで勝っていれば9勝。さらに上に上がれたのに...

ちなみに、今場所のベストバウト5は以下

1位:初日の朝青龍VS稀勢の里(朝青龍の意地が見えた)
2位:三日目の千代白鵬VS鶴竜(二人で土俵狭しと動き回るこれぞ相撲)
3位:二日目の若の里VS普天王(一見地味なこの対決。思わぬ名勝負に)
4位:九日目の白鵬VS把瑠都(一番の力相撲だった)
5位:十日目の白鵬VS日馬富士(日馬富士の維持が爆発)

逆にがっかりさせられたのは七日目の把瑠都VS琴欧洲。
この二人の怪物対決、いつも期待するのだが、いつも一瞬で勝負がついてしまう。
この二人が白鵬対朝青龍のような名勝負が見せられるようになれば、この二人の時代が来ると思うのだが。

まさむね

朝青龍完全復活は格闘家としての本能の勝利だ

Sunday, January 25th, 2009

大相撲初場所が終わった。

結果はご存知の通り、朝青龍が23回目の優勝を果たした。。
貴乃花の22回を抜き、北の湖の24回にあと1回と迫った。大記録だ。

思えば、今場所の朝青龍は、誠に危なっかしい出足だった。
三場所の全休。稽古も十分に出来ていない。
場所前のけいこ総見では、白鵬に全くかなわなかったという。
多くの評論家が今場所は出場さえしないのではないかと予想していた。
そんな中で朝青龍は出場を強行したのだ。

最悪の場合、引退をかけての出場になる。大丈夫か朝青龍。

初日は、そんなプレッシャーの中での稀勢の里戦である。
もともと、苦手としていた相手だ。大相撲協会も酷なことをするものだ。
    ◆
その一番、立ち会いに稀勢の里に突っ張られ、右上手を取られ、土俵際まで追い詰められた。
しかし、そこから朝青龍の逆襲が始まる。
その後、左を巻き変えて怒涛の逆寄り。
最後は、右と左と、稀勢の里への顔面に張り手。
追い詰められた横綱の意地が表れた瞬間だ。

朝青龍の強さの源はこの意地である。
格闘家本来の、絶対に負けたくないという気持ちが人一倍強いのだろう。
勿論、日々の稽古が大切というのは言うまでも無いことであるが、朝青龍の存在は、それ以上に本番での気迫が重要である事を改めて示してくれた。
    ◆
同様のシーンは、7日目の嘉風戦でも見られた。
嘉風は、先場所、前頭12枚目で11勝し、今場所、初めて朝青龍と対決する位置(前頭2枚目)まで上がってきた新進気鋭の若武者である。
普通、初顔合わせの力士は横綱に対しては、ほとんど何も出来ないのだが、この嘉風は違った。
立会いのから激しい張り合いの応酬、その中で嘉風は、朝青龍の顔に張り手に行ったのである。
勝負は、朝青龍が送り出しで辛勝したものの、勝負がついた後、勝ち名乗りを受けている時でもまだなお、朝青龍は嘉風をにらみ続けていたのだ。

「横綱としての顔」を超えた、格闘家・朝青龍としての本能を垣間見せた一瞬であった。
おそらく、こういった表情を出せる力士は、朝青龍をおいて他にはないのではないだろうか。
相撲の本質はやはり、格闘技である。そして、格闘技の本質は相手を倒したいという本能である。
そして、現在の大相撲の力士の中で、その格闘家としての本質を、最も身に付けているのが朝青龍なのである。
    ◆
そして、ついに迎えた本日の優勝決定戦。
本割の立会いに失敗し、白鵬に完敗して、1敗同士で並ばれた朝青龍。
決定戦を待つ間、支度部屋で立会いの練習を繰りかえす朝青龍。
一方の白鵬は目をつぶって精神統一。
対照的な二人の姿。追い詰められた朝青龍、と誰もが思っただろう。

しかし、朝青龍は強かった。立会い鋭く、白鵬の左下手を引き、頭をつける。白鵬に左をささせない。
そして、一気に白鵬を土俵の外に寄り切ったのだ。

おもわず、土俵上でガッツポーズを見せる朝青龍。
日頃、「横綱の品格」とやらを口にするような。いわゆる・うるさ型(やくみつるや内館牧子達)を完全に黙らせる、乱れ髪のままの喜びのポーズだ。
そして、花道を引き上げていく時、うっすら目に涙を浮かべて顔をぬぐう朝青龍の姿は、誰をも感動させたシーンであった。
    ◆
まだまだ朝青龍は大丈夫だ。
今回の優勝も嬉しいが、来場所からも、またその勇姿を見れるのは何よりも嬉しい。

まさむね

熟女は大相撲を擁護する ~『女はなぜ土俵にあがれないのか』書評~

Wednesday, November 19th, 2008

ところで、この神について、第二十八代木村庄之助は、私(内館牧子氏)に次のように語っている。
「現在の主祭紳三柱を招くようになったのは、昭和二十年、終戦直後の事である。その前は天神七代、地神五代の神々を招いていた。
(中略)
戦後になって、立行司と彦山光三が相談して、武神と力の神だけ三代にしたと聞いている」
こういう話を聞きだせると、本当にワクワクする。
-「女はなぜ土俵にあがれないのか (幻冬舎新書)」内館牧子 P184-

土俵には神様が居るから、女は上がれないのだ、いや、それは女性差別だ、といった論争が、たびたび起きては消えていくが、それでは神様って誰って言ったら、ほとんどの人は知らないだろう。
それを明かしてくれるのが冒頭の部分である。
こんな大事な事を、相撲協会の理事会等で話し合ったのではなく、なんと、行司の一人が、当時の相撲解説者と相談して、ある意味、勝手に神様を変更しているのだ。
おそらく、GHQから文句を言われないようにとの先読みの配慮があったことが推測される。
ちなみに現在の三柱は、天手力男命、建御雷之男命、野見宿禰だそうだ。

上記の事、一つとっても、大相撲というものがいかに、伝統を、状況に合わせて、作り上げてきたのか、その健気な歴史がよくわかる。若干の悪意を込めていうならば、その歴史は、いかに権力に媚びるかという歴史でもあった。
生き残りを賭けた本当に健気(そして大男達に似合わず、ビクビク)な闘い歴史だったのである。

さらに、この本は、大相撲を離れても、一般的に日本的伝統というものは守ってきたものではなく、作られてきたものであるという事がわかる、極めて優れた日本文化論だと僕は思う。

さて、先週の「関口宏のサンデーモーニング」の最後のコーナー、一枚の写真では、大相撲の観客がいかに減っているかを示す写真が紹介され、勝手なことを言っていた。
ロクに見もせず、知りもせず、関心もないくせに、イメージだけで、大相撲に関して語るのはやめてほしい。
世間的にはいろんなことがあったが、今場所の土俵ではいつも通り、熱い戦いが続いているのである。
例えば今日(平成20年九州場所9日目)の取組だけに限っても、いくつも見所があった。

雅山と嘉風の突き合いは最高だった。雅山は優勝の可能性もあるかも。
高見盛と鶴竜の一番。最後、土俵際でもつれた時、土俵の一部が崩れる。なにかやってくれる高見盛健在に館内大笑いだ。
把瑠都が勝ち越した。相手の背中越しにつかむ彼の上手は新しい相撲の時代を感じさせる。
琴奨菊が稀勢の里を得意のがぶり寄りで下す。豊ノ島も加えた有望日本人トリオ。今場所いずれも好調だ。
強い時はめっぽう強い琴光喜。怒涛の勝利に、愛子様もきっと笑顔になったことだろう。

等など、書き出せばきりが無い。

最後に一番言いたいこと。グローバリズムやジェンダーフリーなどに惑わされている場合ではない。
現在、この大相撲が、いろんなバッシングを受けている時だからこそ、大相撲を擁護したい人々は、バイブルとして、読んでほしい一冊である。

まさむね

大相撲、その”粋”の危機

Saturday, October 4th, 2008

「週刊現代」の八百長疑惑記事をめぐって、大相撲協会が提訴し、横綱・朝青龍が出廷した。

信じがたい事だ。
土俵の上での勝負が真剣だったのかどうかという事を法廷で決めてもらうなんて、大相撲も堕ちたものだ。

確かに、大相撲と八百長は切っても切れない縁だ。
ただ、それはだから大相撲はインチキだという事ではない。
どれが”実”で、どれが”虚”かを妄想をめぐらせてあれこれ詮索する。これぞ”通”の楽しみというものではないだろうか。

また一方、先場所、立会いに両手をつくという基本動作が、再度、厳格化され、おかげで多くの力士が戸惑ったという出来事があった。
朝青龍は、この立会いの厳格化のせいで調子を崩したとも言われている。

大相撲って伝統の国技だったんじゃないの?立会いっていう基本的な部分のルールが未だに曖昧って、なんという大らかさなのだろうか。

恐らく、これらの大相撲的大らかさを、そのものとして楽しめる”通”の振る舞いを”粋”という。
なんでも、わかりやすく、明確にしたいという子供っぽい態度を”野暮”という。

八百長問題、ルール問題、男女差別問題、理事会問題、暴力問題、それぞれの問題は、各個にどんどん野暮な方向に進んでいるような気がする。

気が付いてみたら、大相撲がただのスポーツになっていたなんてゴメンだ。

まさむね

大麻ってそんなに悪いの?

Wednesday, September 24th, 2008

大相撲の大麻問題が連日報道されている。
僕は、この種の事件が起きるたびに、大麻を絶対的な悪として無批判に報道するマスコミの姿勢に、いつも違和感を感じさせられる。

60年代には、厚生省に大麻の取材をしに行った平凡パンチの記者が、担当役人から「これですよ。吸ってみますか?」とハシシタバコを勧められたという伝説が残っている。
また、70年代には、例えば、吉本隆明あたりは「宝島」誌上で、「ジャーナリストたる者、大麻を自分で吸ってみる程度の好奇心が無くてはいかん。」みたいな事を、堂々と書いていたよね。
最近のマスコミ連中は、そのあたりの事、どう考えているんだろうか?

言うまでも無い事なんだけど、大麻が悪っていう観念自体、歴史的に形成されてきたということ。
そもそも、大麻取締法は、戦後、GHQがいつの間にか導入した法律である。戦前は大麻吸引は、法律的には全く問題なかったんだ。明治天皇の御墨付がある植物の研究書に、大麻の活用例として、その吸引方法も紹介されていたっていう話もあるよね。
実際、大麻には常習性は無いし、悪酔いも無い。酒やタバコに比べればよっぽど体にいいっていう医学の報告もされているのは常識だ。

しかし、不思議な事に、日本人は、歴史的に大麻吸引を生活に関わらせてこなかったんだよね。
例えば、インドネシア等で祭りの時に大麻吸引が公に行われていたような形で、日本には大麻吸引の記憶、または記録は無いんだ。
ただ、山に柴を刈りに行った男達がラリって帰ってくる現象を「樵酔い」っていう隠語で伝えている地方もあるそうだ。知る人ぞ知るという秘め事だったんだろうね。

一方、神道では、大麻は神聖は植物として扱われる事もしばしばだ。天岩戸伝説でも、榊と大麻というのは、岩戸の前に飾られる。伊勢神宮への奉納品にも大麻は入っている。
また、大相撲でも初日の前日に行われる「神迎え」の儀式(土俵祭)にも大麻は使われているんだよね。

大麻検査で陽性が出ただけで、見せしめ的に協会から解雇された露鵬、白露山は、その不当さを提訴するんだろうか?
最終的な判決はどう出るんだろうか。
今後、興味深く見守っていきたい。

まさむね

ロシアン力士が持っていた可能性

Tuesday, September 23rd, 2008

これは僕の持論なのだが、大相撲は約10年毎にそのスタイルを微妙に進化させる。

70年代、輪島が相撲の稽古にランニングを取り入れ、近代相撲が始まる。
80年代、千代の富士によって、筋肉相撲が全盛となる。
90年代、大型のハワイ系関取の登場で、体格相撲、全盛となる。
00年代、モンゴル相撲の多彩な投げ技、足技、スピードが、朝青龍達によって導入される。

そして、次の時代の可能性だが、僕はロシアン力士のユニークな相撲スタイルに密かに期待を寄せていたのだ。

ロシアン力士達のユニークさは、”叩きこみ率”が異常に高い事である。
大相撲協会の公式サイトの決まり手ランキングによると、若ノ鵬は27%、露鵬は24%、そして白露山に至っては31%の”叩きこみ率”を誇っている。
恐らく、それは、彼らがレスリングという相撲とは全く別の格闘技のベースを持っているという技術的特質と、手足が長く懐が深いという肉体的特質によっているのではないか。

彼らの技術がさらに磨かれていけば、その先に相撲の新しい可能性があったかもしれないと、僕は考えていたのだ。
しかし、残念なことに、今回の大麻事件で、その可能性の萌芽が摘まれてしまった。

ここからは、妄想。

大相撲は、昔から”寄り切り”や”押し出し”等、前に出て勝つ相撲こそが正しい相撲であるというイデオロギー(美学)が圧倒的に強い。
それゆえ”叩きこみ”は嫌悪されてきた。
しかし、ロシアン力士達は、その美学をどうしても受け入れられない。相撲をスポーツとしてしか捉えられない彼らには、”叩きこみ”が何故、問題なのかが理解できない。
スポーツなんだから、ルールの範囲内で、勝つのは当然ではないかと彼らは考える。ある意味、当然の事だ。

そんな兆候に対して、大相撲の美学の崩壊を懸念した協会は、彼らをひっかける。それが、大麻事件だ。

どうでしょう...有り得ないか。

まさむね

グルジア紛争と大相撲

Saturday, August 23rd, 2008

北京五輪開会式と同じ日、グルジアは国内の南オセチアに軍事行動を起した。
そして、それに対抗する形で、ロシアがグルジア国内に侵攻した。いわゆるグルジア紛争が勃発したである。

この戦争の本質的なところには、アメリカとロシアの間での覇権争い、エネルギー争奪戦があると言われている。
不謹慎のようだが、僕は、とっさに、秋場所でのロシアン力士(若ノ鵬、露鵬、白露山、阿覧)とグルジアン力士(栃ノ心、黒海)との対戦(代理戦争)が楽しみになったなぁとワクワクしてしまった。僕の中には、俗っぽいプロレス体質がまだ残っているのだ。

ところが、こともあろうに、その後、若ノ鵬、露鵬、白露山がいわゆる大麻問題で続々と解雇されてしまった。
僕の夢は、しばらくお預けになってしまったのだ。(阿覧はまだ新十両のため)誠に残念だ。

そして、ここからは、妄想。

しかし、この大麻事件、意外な事実が出てきた。
露鵬、白露山がロサンゼルス巡業の際にアメリカ人から大麻から勧められて、思わず手を出してしまったというのだ。

それは、軍事同盟国である日本のロシアに対する心証を悪化させることを画策したCIAが、ロシアン力士に大麻(体内に残存しやすく改良された品種の)を吸わせ、ロシアがグルジアに攻め込んだタイミングで、日本で大麻事件を起したのではないだろうか?

どうでしょう...有り得ないか。

まさむね

大相撲、この愛すべき見世物の伝統

Thursday, July 24th, 2008

大相撲.名古屋場所、琴欧洲の横綱昇進も無くなり、ほぼ、白鵬の優勝が決まってしまった。場所前の稽古で朝青龍に5連勝したという琴光喜に期待したが、大爆発とはいかなかった。

一方で、現在幕下筆頭の山本山という力士の調子がいい。恐らく、来場所は十両昇進するには間違いない。期待大だ。
さて、この山本山、どこが期待大かといえば、とにかく体が大きいのだ。体重が230Kgもあるのだ。

元々、大相撲の起源は、相撲を見せる勝負事というよりも、力士のふくよかな肉体を見せる事がメインの見世物だった。
そして、恐らく、そのふくよかな肉体を見せながら、格闘技として興行として成立させるために、丸い土俵を発明したのだ。
およそ、世界中に格闘技で、戦闘エリアから外に出た瞬間に負け、というのは相撲だけである。
柔道、空手、レスリング、ボクシング、シムル、サンボ、カポエラ…どんな格闘技だって、エリアから出たらやり直しである。
ところが、大相撲は、土俵(というルール)を考え出す事によって、極めてユニークな格闘技になった。
これで、”ふくよかな肉体”と”格闘技”という本来、矛盾するものが融合したのだから、土俵というルールを考え出した人は天才である。

さて、極論するならば、日本人は、異界からやって来るふくよかな肉体に幸せを感じ、憧れ続けた歴史を持っている。
古くは達磨さん、布袋、恵比寿から、最近ではビリケン、ドラエモン、トトロから江原さんまで…

最近、外国人力士の増加をいぶかる声もあるが、僕はそうは思わない。
彼らの肉体を見ることこそ、日本の見世物の伝統に沿っているからだ。

大相撲は続いていく。大丈夫だ。

まさむね

大相撲のしごき問題に関して

Sunday, July 20th, 2008

大相撲.名古屋場所は7日目を終えた。
朝青龍の途中休場、琴欧洲の不振もあり、戦前の興味はかなりそがれたが、後半は、白鵬を追う形となった1敗の安馬、琴光喜の両脇役の活躍を期待したい。

さて、今回は、大相撲のいわゆる「しごき問題」に関して。

僕らの世代のイメージでは、大相撲といえば、厳しさの象徴だった。そして、その厳しさには当然のように竹刀やゲンコツでのしごきも入っていたように思う。
「無理ヘンにゲンコツと書いて、兄弟子と読む」みたいな相撲格言が我々の耳にも自然と、しかし確かに届いていた。

それが平成のここに来て、「しごき問題」だ。勿論、そのしごきが度を越して弟子を死なすというのは論外だが、相撲社会が一般社会と同じ価値観で運営されるようになる事を誰が望んでいるのか。その根本的なところももう一度再考してらいたい。

己の巨体を、自分も、そして家族も持て余した少年が、偶然に親方の目に止まり、「メシは腹一杯食わせてやる」的に半分、騙されて一人で上京し、中卒だから、大きすぎるからと他に行くところもなく、それゆえに不条理なしごきに耐え、一人前の関取になって、巨額の富を築いていく。
そういった、どこかうら寂しくも理想的な物語を背中に貼り付けているからこそ、相撲は残酷な視線を持つ大衆に支持されてきたのではなかったのか。

インターネットかなんかで新弟子が公募され、科学的なトレーニングをして、民主的に運営される相撲部屋から出た力士が、見世物としての物語性を身にまとう事など可能なのであろうか。
相撲界に対して思いやりのかけらもないような、世間の表面的な建前論にあらゆる場面で土俵際まで追い詰められた相撲界は今後、どうなっていくのであろうか。

角界の内情を少しでも知っている自称相撲通(会友)の方々には、こういう時こそ、世間側に擦り寄らずに「しごきなど当然です。だって、相撲ですから。」という、あたり前の論陣を張ってもらいたい。

やくさん、デイモンさん、杉山さん、あなた達のことですよ。

まさむね