日本伝栗計画

February 2nd, 2000

昨日は、私が密かに、暖めていた伝栗計画がすでに、東京理科大と名古屋の職業リハビリセンターにおいて、進行していた事にショックを隠し切れなかったが、思い直してみた。
もしかしたら、彼らの伝栗は本当の誤植なのではなかったのかという希望だ。例えば、OCRなどを使用して紙からデジタルに文字を起こした場合、票が栗になってしまう事は考えられなくもない。
私は、さっそく、その事実を確認すべく、2つのサイトの担当にメールを出してみた。昨日の今日なので、まだ返事はないが、もしも、彼らからなんらかの返事(これを俗にデングリ返しという)があったら、みなさんにもお知らせする事を約束する。

日本伝栗計画実行委員会

まさむね。

伝栗発見&椎名林檎

February 1st, 2000

伝栗計画はついに、見つかってしまいました。下の2つのサイトで発見されてしまいました。(By goo)
http:// infoserv.sut.ac.jp/ j-siken/ H9a1/ af16.html

http:// www.normanet.ne.jp/ ~ww500002/ ol_tube/ ol_tube_13.html
さて、それはともかく、椎名林檎である。かつて、細野晴臣が、音楽にとって、大事な三つを以下のように表現した。
下半身ムラムラ
脇の下ゾクゾク
頭クラクラ
これは、ようするにリズムとメロディとコンセプトという事らしい。特にコンセプトに関しては、その音楽家のどうしようもない衝動というであって、けっしてマーケッティングのプランということじゃないということ。
そこで、椎名林檎である。新宿系という事で売り出している彼女の「ギブス」発売というポスターが新宿の二丁目に大きくある。どだいエンターテインメントに「ギブス」はないだろうと思って、その歌を聴いてみる。衝動だけで作ったような歌だった。
いつか沖縄アクターズスクールの校長とかいう男がテレビで、自分の学校を出た生徒達を自慢しながら、個性やノビノビとか自分を大事にすることとかが身につく教育とか言っていたが、それはせいぜい商品としての個性やノビノビだろうと思った。明らかにたんなるイデオロギーだ。
もしも、椎名林檎がそこの学校の生徒だったら、僕はその校長を少しは信じてもいいような気がした。

まさむね。

ミクロの悪意、いまだ発見されず。

February 1st, 2000

僕の現在の仕事は、ある政府機関でプログラマ達に仕様書を書くということです。
顧客も省庁関係で、そこの経理システムの仕様を作っています。
で、そういった経理システムだから、仕様書の中には、資産とか損益とか借方とか伝票とかいう言葉がすごくよく出てくるんですね。
そこで、僕は一つ、本当にささやかなたくらみを考えたわけです。それは、その仕様書の「伝票」という言葉をこっそりと「伝栗」に変えておくというものです。勿論、何百個のうち、2,3個なんだけど、それの「伝栗」はひっそりと仕様書の中に埋もれているのです。これぞ、知る人は知る恐怖の「伝栗計画」。でも、いまだに誰にもばれていません。
僕がこの会社にいるのは、3月までなんだけど、それからもその仕様書はここの資料として残りつづけます。そして、いつの日にか、誰かが偶然にそれを発見して、その誤植に、ささやかなでもとてつもなく不気味な感じがして、ブルってなるような時を夢見ています。

まさむね

無くなった自転車戻ってきたというただそれだけの事

January 31st, 2000

昨年の9月頃だったか、自転車が盗まれた。
家の前に置いてあったのだが、修理したその次の日に突然、無くなっていたので、妻と残念がった。
その自転車は友人のA君から結婚祝にといただいたものだったが、ちょうどその頃A君といろいろとあったので、まぁしかたないかとあきらめた。それに、僕の住んでいた代官山は、夜でも若者がフラフラしているところで、誰かが家に帰ろうと思って、持っていったというような事は想像しやすいことだったのだ。

ところが、今年になって、これも突然、警察から電話があり、自転車が見つかったという。しかも、小田急線の豪徳寺駅の近くの赤堤というところの秋定さんというお宅の庭に鍵がかかったまま放置されていたということだ。鍵がかかったままという事は、誰かが、そのまま代官山から豪徳寺に乗らずに運んだということだ。不思議な事もあるものだ。

僕はそこの派出所の海老沢という巡査にお礼の電話をし、次の日曜日に自転車を取りに行く約束をした。海老沢は、いかにも平和な住宅街の派出所の巡査という感じの話し方で、「よかったですね。」と電話の向こうで過剰に喜んでいた。他人事なのに。おそらく、善い事をする事に生きがいを感じるタイプの人なんだろうと思った。
その日、パソコンを開いてみると、あのA君からメールが入っていた。これも突然であった。僕はさっそく、電話をかえし、その週の週末に会う約束をした。そして、僕は頭の中で、自転車の発見とA君との再開を繋げたのであった。
日曜日が来て、赤堤交番まで自転車を取りに行った。何故か海老沢は不在だった。別の巡査に秋定さんのところに、電話してもらったが、こちらも不在らしく、誰も出なかった。僕は自転車をこいで田無まで帰った。予想では3時間くらいかかると思われたが、なんと1時間半くらいで田無までたどりついた。途中、青梅街道で一人の老婆から道を聞かれた。

老婆「ここは青梅街道ですか。」
僕 「そうですよ。」
老婆「それじゃあ、私はこの道を行けばいいんですね。」
僕 「....多分、そうです。...」

次の日、海老沢から電話があった。「西村さん、通信本部にお知り合いがいるんですか。そんなに気をつかってもらちゃってこまりますよ。ははは。」こちらは何もしていない。全く、意味不明でご機嫌な海老沢だった。僕は、「いや、とんでもありません。」とよく分からないながらも、当たり障りのない応対をした。海老沢は、「それじゃ、かぁちゃん(妻のらしい)の方か。」と言って、電話を切った。僕は取り残されたような気がした。その日、妻に確認をしたところ、海老沢から全く同じような電話があったという。海老沢は妻に対しても「それじゃとうちゃんの方か。」と言って、電話を切ったらしい。謎は残った。
結局、妻の方から、秋定さんにお礼のタオルと手紙をだし、この件は終わるはずだったが、昨日、その秋定さんからお礼の電話が入った。「ご結婚祝いの自転車、見つかってよかったですね。実は、うちには痴呆の母がいて、その母がこの自転車を自分のものだと思い込んで、本当に毎日毎日、磨いていたんですよ。」と話していた。

僕は、ちょうど麻雀をしていたのだが、その手が止まった。ちょっと不気味な感じがした。

まさむね。

サッカーってマラソンに似ている

January 27th, 2000

スポーツ観戦は私も苦手ですが、サッカーがその一瞬を見逃さないでいるためにずうっと丹念に終わるまで見るのって、マラソン中継とかも同じと思います。私的には、あんな退屈な平坦な道を同じに走っているのって、何で中継見てて楽しいのかと思いますが、たぶん思うに、抜いたり抜かれたりする一瞬を見逃さないために最後まで見ているんだと思います。
どっちにしても、見るのに勤勉なんて耐えられません。考えてみれば、時々ビデオで映画鑑賞するときもあるのですが、ほとんど早送りしながら見ています。じっくり丹念に見るなんてやってられません。なので、その際には字幕入りを鑑賞します。字幕なら早送りしても何言っているかわかるしね。逆に、吹き替えを借りてくることも有るのですが、その際はマンガ読みながらとか、他の事しながらビデオみるために、画面から目を離しても筋がわかる為の吹き替え版です。
やな役者とか出てくると「手足バタバタの刑」と称して早送りします。

なんか取り留めのない話でした

ところざわ

サッカーは嫌い

January 27th, 2000

今朝、安室が、その母の死以降の気持ちをインタネットで告白ってワイドショーでやっていました。それで安室の暗さもちょっとは納得できたっていうところでしょうか。
でも、TBSのワイドショーで、安室ちゃんのインタビューをご覧くださいって言うから、思わず身を乗り出したのに、出てきたのは何故か瀬川暎子の映像だったのには、思わず目眩がしました。しっかりしてくれよTBSという感じでした。
昨日は、野球の話だったので、今日はサッカーの話。いきなりですが、僕はサッカー観戦が嫌いです。一度、カナダでメキシコVSカナダという試合を観た事があるんですが、その時、トイレに行っている間にカナダが1点入れて、それで、そのまま1対0でカナダの勝ちっていう試合を観てから、生観戦はしていません。
大体あの、試合の展開の速さがおそらく、日本人の観戦(観見世物)のリズムに合わないんだろうな。野球だったら観るべき所と、休憩すべき所が明確に存在するし、元々相撲もそうです。明治時代の記録とか見ると、大相撲の仕切りで延々2時間も組み合わなかったなんていうのがあるんだけど、それってようするに、延々2時間、裸の大男が塩を撒きつづけるのを見てたって事ですよね。
そういうよく分からない風景をも見世物化していた我々の先祖のセンスにちょっと唖然。
世阿弥の花伝書に「秘すれば花なり」というのがあるけど、やっぱり見世物の本質は実は、想像させることにあるんじゃないでしょうか。馬場さんのプロレスだって結局、あの人本気出したら、めちゃくちゃ強いんじゃないの?いや、めちゃくちゃ弱いんじゃないの?っていう想像域の広さで我々を楽しませてくれたわけですよね。
まぁ、そういう意味でサッカーって想像から最も遠いスポーツだと思います。結果がすべてというか。その結果の全て性がサッカーくじなんていうものを呼び寄せたわけですからね。
前もちょっと言ったけど、ヒール性を失った文部省が、サッカーくじで金儲けしてさらに、お子様にサービスする気でしょうか。

まさむね。

セとパは徹底的に喧嘩すればいい

January 26th, 2000

あいかわらず、過激ですな(笑)。
プロレスにいろんな団体が出来て楽しかったのは、昭和の頃まででしたね。で、その軸はやっぱり全日本と新日本。2つの団体のうちどっちが強いのかという永遠のテーマが生きていた時代だからこそ、そこから飛び出した長州とか大仁田とか天龍とかが、もう一方の団体と絡んだときに、その試合を基準にして、我々はいろいろと想像できたわけです。だって、全日本と新日本じゃやっているレスリング自体が似て非なるものだったでしょ。つまり、流派が違うところが面白かった。
でも、今みたいに、プロレスの中だけじゃなくて、K-1とかグレイシーとか出てくると、全日本と新日本どっちが強いなんていう問い自体が物凄く矮小な感じがしてしまいますよね。
だから、それに従って、団体の興亡も追うのがただ面倒になってしまったわけです。
で、僕がプロ野球に望みたいのは、この際、セとパが物凄く仲悪くなって、交流もなくなって、引き抜きとかが事件になっり、勿論、日本シリーズも無くなって、お互いやっている野球自体が違ったゲームになったような世界です。
例えば、パリーグではランナーが出ると盗塁するのが当たり前みたいな暗黙のシステムが出来たり、ファーボール狙ったら90%以上の確率でそれが実現出来ちゃう、最初から腰のひけた名選手とか、はじめからピンボール専門の危ない投手とかみたいですね。
僕が長嶋に感じたのは、そういった現在のプロ野球が現在のシステムに固定化される以前の可能性です。
世界と一緒になるっていういわゆるグローバルスタンダード的な発想って、理にはかなっているんだけど、生理的に嫌な感じがします。これからは英語だって事で、無理矢理英単語覚えさせられた時の記憶がよみがえります。
正直言って、そん時ほど、日本が戦争に勝っていればと思う時はないですね。

まさむね。

野球って

January 26th, 2000

パリーグって、どうして日陰モンみたいな立場で、何にも仕掛けないのかな。セリーグとつるむのやめちゃって、大リーグと提携して、大リーグの日本地域の一部門とかになれば面白いのにね。
証券市場だってマザースとかナスダックジャパンとか市場自体が地殻変動して競っているのに。
プロレスっとかってそういう団体の地殻変動も含めてエンターテイメントじゃないですか、野球って地味に毎年毎年同じことよくやってられるよなあ。まあ、試合も勝つために地味に同じ事繰り返しているから、脳味噌名退化してるのかもね。
野茂、伊良部あたりには日本版大リーグ名球会でも作ってもらって、金田の持ち物の名球会の向こうを張ってほしいですね。

ところざわ

ナベツネと長嶋

January 26th, 2000

同時代のヒールといえば、やはり読売のナベツネだろう。あの傲慢さの佃煮といったたたずまいは、売れりゃいい、勝ちゃいい、視聴率ありゃいいといった結果オーライ主義の勝者としての面目だろう。
巨人ファンとしては、そのナベツネの存在に耐える事が、巨人ファンでありつづける事の試練になっている。
その構造は、対局にある阪神ファンでありつづける事が、弱い事に耐えつづける事という試練を乗り越えねばならないのと同様に、いやさらに強大な困難であるに違いない。
しかし、かくもプロ野球ファンであると言う事は宗教的な行為なのであろうか。
もっとも、その巨人ファンは、巨人ファンである事の唯一の救いあるいは、もっと砕いて言うならば解毒剤としての長嶋茂雄を愛さずにはいられない。
私は、長島のユニークな発言はさておき、彼を、野球が「野球」として成立する以前の何か別なスポーツになりえたかもしれない可能性を体現している存在として認識し、それゆえに彼を天才と呼ばざるを得ない。
例えば、悪玉打ちとかホームスチール王とか、そういった制度として確立してしまった現代野球以前の無限の可能性を彼に見るのであった。確かに巨人の高橋などは、現代野球を実践する者として優れた技術者としては評価できるが、野球を別なスポーツに変えるほどのエネルギーは感じられない。
しかし、逆に言えば、いつまでも長嶋に頼ってばかりいられないのがプロ野球のつらいところではある。

まさむね。

中山はストレートでいい。

January 25th, 2000

その昔、エイズ問題で帝京大の安部教授が登場した時、そのあまりの憎たらしさに、これでプロレスも終わりだと思ったものでした。
ようするに、現実世界で本物のヒールが出てきてしまうと、プロレス的ヒールなんて、物凄くチャチに見えてしまうんですよね。
今回の中山建設大臣は、安部教授には遠く及ばないにしろ、天然ヒールの素質は十分ですね。あの無自覚さがいい。
小沢一郎みたいにカメラに顔が映ると一瞬遅れて、作り笑顔をするから、その落差がとてつもなく不気味にテレビが捕らえ、お子様や主婦層を無条件に不安にさせるという、さらに奥の深い天然ヒールもいるけど、中山みたいなのはストレートでいい。
勿論、僕は見世物としての中山について言っているのであって、発言内容は聞いてないからわかりません。

でも環境問題とか、原発とかいう話になるとどうして、左寄りの人は必ず、開発反対ってなって、右寄りの人は賛成になるんだろう。昔から不思議でした。左寄りだけど、原発支持みたいな人いないのかな。そういう人が個性のある人といういうんじゃないかと思ったりします。まぁどうでもいい話題でした。

まさむね。