Archive for December, 2008

ノアのテレビ中継打ち切りは残念の一言だ

Wednesday, December 17th, 2008

ノアのテレビ中継が来年3月で打ち切りになるという。

全くもって残念なことだ。
これで、プロレスと世間との間にあった橋がまた一つ落ちた。
日曜日の深夜でもいい。何気なくつけたテレビに、映ったレスラーたち。
それを見て、プロレスって案外面白いじゃないかと言って、ファンになるような人たちがまた減ってしまう。

しかし、そこまでプロレスというジャンルが世間に対してインパクトを与えることができなくなってしまったのか。
プロレス側にも問題があるようにも思えるが、それはここでは書かない。あまりにも悲しくなってしまうからだ。

問題はテレビ局にもある。力道山時代から、常に優良コンテンツとして、ある時期、テレビ局自体をも支えてきたプロレスを切ってしまってよいのか。
ここに至るまで、番組関係者も大いに悩んだことだとは思うが、それが社内的な経費削減、制作費見直しの中から出てきた話であれば、それはそれで寂しいことだ。
実を言えば、最近は、プロレスファンの僕でさえ、ノア中継を見なくなっていた。
勝手な言い分だが、それでも、毎週放送していてくれているということが大事だったのだ。

思えば、プロレス中継は若手アナウンサーの登竜門的な場所でもあった。
全日本プロレス中継は、徳光さん、福沢さんという、その後、プロレス中継を卒業しても立派にやっていけるアナウンサーを輩出した。
勿論、松永さん、倉持さん、若林さん、金子さん、野口さんも覚えていますよ。
ちなみに、一方の雄、ワールドプロレスリング(新日本プロレス中継)からは、あの古舘さんが出ている。

虚実の皮膜から立ち上がってくるリアリティを感じ取り、それを活きた言葉にして我々に伝えてくれたあのアナウンサー達の修練の場がまた一つなくなってしまうのかという、テレビ側からの哀愁の情もあるんではないでしょうか。

それにしても、今、こうして中継が打ち切られると知ると、過ぎ去りし日の記憶がまたよみがえってくるのもプロレスファンとしてのさが(性)なのだろうか。

初めてタイガーマスクとして徳光さんに紹介されてコーナーポストの上に立った蔵前国技館。
そのタイガーがマスクをかなぐり捨てた東京体育館。
若き日、輪島のつき人として、タイガージェットシンのサーベルの餌食になっていた小橋健太。
同じく、猛然とハンセンに突っかかっていったのも彼だった。
天龍同盟のセコンドについていた華麗な少年・小川良成。
ジャーマンが下手なアマレス王者、異形の実力者・本田多聞。
その他、泉田、百田、田上、森嶋、力皇、菊池、井上、秋山、丸藤、杉浦...と思い出のレスラーは尽きない。

引退(または死亡)しちゃったけど、永源、大熊、ラッシャー、石川、輪島、阿修羅、馬場、小鹿、羽田、トンガ、そしてハル薗田。
外人ならば、ハンセン、ブロディ、アンドレ、ブッチャー、シン、ウィリアムス、マレンコ、ピートロバーツ、スパイビー、ジョニーエース、クロファット、パトリオット、イーグル、オブライト、ダグファーアス、ブラックウェル、フリーバース、マスカラス、フレアー、ジミースヌーカー、ハリーレイス、シーク、ニックボックウィンクル、ロビンソン、マーテル、ガニア、ファンクス、古くは、サンマルチノ、ジョナサン、カマタ、マクダニエル、ラシク、イアウケア、ディックザブルーザー、リソワスキー、スレーター、エリック、コワルスキー、ブラジル、バーナード...トムマギーやラジャライオンまでも今となってはいい思い出だ。

今後何年、何十年も経ってしまえば、これらの往年のレスラーの記憶も人々の心から消えてしまうんだろうな。
そういえば、昔、馬場と猪木とどっちが強いとか、新日本と全日本はどうちがうとか口角泡をとばしてた時代が懐かしい。
今、思えば、あの口論、何だったんだろうか。(苦笑)

ちょっとしみじみ。

まさむね

1億3000万人が選ぶベストアーティスト2008斬り

Tuesday, December 16th, 2008

1億3000万人が選ぶベストアーティスト2008

歌う前に投票の結果が発表される趣向。ファンの男女比とかわかって興味深い。

オープニングは、関ジャニ∞。
NSKDは「ラストフレンズ」でデートDV男やってたから覚えてるが、その他はテレビで見るのは初めてだ。
コミックグループだったのか。関西出身だからっていうお笑い路線って、安易なマーケッティングじゃないか。

KAT-TUN、以外に十代の男性にも人気があることがわかった。
彼らのファッションとライフスタイルに憧れているのではとの赤坂泰彦の解説。
ファッションは分からなくもないが、KAT-TUNのライフスタイルって何だ?
高級セキュリティマンションでお笑い番組見て、GYMとの往復がそんなにいいのか?
また、KAT-TUNへの50歳の主婦からのファンレター。「コンサートで騒いでいいですか?」って、ダメとは言えないだろう。

続いて、Kinki Kids。アンケートによると10代、20代は女性人気だけど、30代では男性人気の方があるって、30代になって、Kinki Kids聴く男ってどんな階層か?
二十数作連続オリコン1位ってギネス記録らしいけど、TOKIOの紅白の連続出場と同じで、崩したらイメージ落ちちゃうよね。
発売時期は他のジャニ系の発売、控えたりして、結構苦労するんだろうな。一時、自社でのCD買占め疑惑ってのもあったよね。

この間、ジャニをはさんでaiko、大塚愛、中島美嘉が熱唱。さすが長年、この世界で飯を食ってるだけあって、グッドパフォーマンス。
3人とも、やはり圧倒的に男性ファンよりも女性ファンが多い。
女性アーティストが生き残るには、女性向けのマーケッティングが必須って事か。

Perfume、鼠先輩、大橋のぞみが登場。

鼠先輩のジョークにのぞみちゃん、ふにゃふにゃと半ウケ。
司会の今田から、のぞみちゃんに、鼠先輩には、あまり近づかない方がいいよ。には苦笑。

Perfumeのパフォーマンスはいつも同じと言えば同じ。
鼠先輩はなんか場違いな感じ。でも、考えてみれば、日テレでは、「スッキリ!!」とか「ラジかるッ」でデビュー前からプッシュしてたからね。
のぞみちゃんのポニョは、いくら下手でも、彼女が歌えば、それが正解っていうのが強みだよね。

続いて安室奈美恵の登場。10代男性、20代女性に人気というのも分かる。「NEW LOOK」はどうせならば、前髪パッツンで歌ってほしかった。
平井堅は久々登場の印象。声を出すときのブレス音が気になるが、それは”老い”か、”味”か。

ここで何故か、アニマル浜口親子。気合パフォーマンス。この人の芸もユニークだよね。何故か、僕にとってはマンネリ化しない。

そして、倖田來未。
10代、20代は女性からの支持、40代、50代は男性から極めて高い支持。
おそらく、夜のキャバクラ系キャラは、10代、20代の女性にとっては憧れ、40代、50代の男性は”お客さま”としての支持といった解釈か。
私生活に関しては、料理が趣味とか。もう一つのプライベートに関しては、無言。私は貝になりたいというところか。

続いてV6とTOKIO。
TOKIO紹介のVを見ると、今年の活躍として、国分が「ゴチバトル」、山口が「オネエマンズ」、長瀬、城島等は「鉄腕DASH」、松岡は「ヤスコとケンジ」で活躍が紹介される。
いつの間にか、日テレの御用タレント化してたのかTOKIO。
V6は渋くキメる。簡保さんも元気。パフォーマンスだけで言えば、ジャニーズ随一だな。
TOKIOの演奏はいつも安定してる。特に松岡のドラム上手いと思う。

次は青山テルマと木山裕策。
木山の応援団として、木山を輩出したオーディション番組の「歌スタ」から東野とチュートリアルが登場、今田も含めて、芸人仲間であんまりジャレていたら、徳光に青山テルマにも話しを聞いてって普通に怒られる今田。苦笑い。

テルマはいつも通り。
木山は短髪で小粒な平井堅という感じ。境遇話とセットじゃないと辛いか。

そして9時またぎは、ザッピンッグする一般視聴者取り込み用にSPEED登場。
「SEADY」「Body&Soul」「WhiteLove」等の往年の名曲に、「明日の空」を加えたメドレーの大サービス。今年の24時間テレビからの再結成だからね。

芸人4人登場。はるな愛、渡辺直美、芋洗坂係長、エド・はるみのいつもの芸。必要あったのか。まとめて別番組に宅配したい。
続いて、2001年~昨年までの番組のハイライトメドレー。2001年には、宇多田ヒカルとか出てたんだ。

ここで嵐の登場。
ご存知の通り、総務省総合通信基盤局長、電波部長を歴任された櫻井俊氏は、事務次官の呼び声も。
息子の翔君は日テレの「ZERO」のキャスターや北京五輪でのメインパーソナリティ。
妹さんは、日テレ内定でしたっけ。
家族そろってご活躍、なによりです。歌の開始は、まだ会場に来ない松潤待ち。

待っている間、EXILEと絢香。
EXILEは「Ti amo」いつも通り。
支持は40代、50代の女性からが圧倒的。彼らの歌は基本的に、ベッドでのささやきソングだからね。そういうオバサンに強いんだ。

絢香のパフォーマンスの前に小倉智昭からのビデオメッセージ。
「今年は絢香のライブ、6回しか行けなくてごめん。来年は8回くらい行くから」といつものさりげない嫌味自慢。

続いてハセキョーをハラませたポルノ・新藤の登場。
今田のトークで、ヴォーカル・岡野昭仁が吉本興行の山崎邦正とメル友という話になるが、徳光ついていけず、多分、山崎まさよしと勘違いしたか、ちぐはぐな受け答え。逆に笑える。

コブクロも登場。先日、渋谷で路上ライブやったんだって、こういうストリートミュージシャン系の人ってたまに、路上に戻りたくなるみたいね。

そして10時またぎ(正確にいえば、9時58分)に嵐の松潤、間に合う。
っていうか、「待ちに待った」という完璧なタイミング、さすがプロというべきか、楽屋で待ってたというべきか。

歌ったのは「one love」(映画の方の花男ソング)「風のむこうに」(日テレ北京五輪ソング)。
今年一番のヒット曲「Truth」と最新ヒット曲「Beautiful days」は歌わず。ちなみにそれぞれ、TBSの「魔王」、同じくTBS「流星の絆」のテーマ曲。

驚いたのは、ここでサザンオールスターズの登場。番組HPに名前がなかったのに...と思いきや、コンサートのビデオだった。勿論、信号三色旗は無し。
交渉したけど、出てもらえなかったという事だけはメッセージとして伝わる。

そして、満を持してMr.Chldrenの登場。HANABIの熱唱。
改めて思う。桜井ってゆずの北川に似てるよね。こういう顔、トイズフェイスっていうのか。

続いて、3000万人が選んだアーティストのビデオ登場。
宇多田ヒカル、小田和正、B’z、Greeeen、SMAP、福山雅治、ドリカム。出てもらえなかった人たちです。

そしてここで、何故か、世界の歌姫・ブリトニースピアーズ登場。
ところが、パフォーマンスはともかく、明らかに音声の調整ミス、小さすぎ。
歌が大橋のぞみよりも迫力無い。
インタビューにも、登場するが、退場も早い早い。

最後のトリは、浜崎あゆみ。
FNS歌謡祭の時は、SMAPがトリだったが...
新曲を披露。さすが大物と言うべきか、傲慢って言うべきか。
Vで今までの浜崎の10年のヒット曲流す。視聴者的には、これで帳尻か。立場の弱い日テレ。

最後のMC。
舞台には、芸人達だけ残るという無残な段取り。
徳光まとめるが、全体的にノリ悪く場違いの感あり。彼は演歌番組向き。
そういえば、飯島直子いたのか。

◆関連エントリー◆
2008年FNS歌謡祭 斬らせていただきました
MUSIC STATION SUPERLIVE 2008を斬らせて頂きました

まさむね

「イノセント・ラヴ」最終前回における10の奇行

Tuesday, December 16th, 2008

イノセントラブの9回目放送の平均視聴率が出た。
最終回一回を残しての、14.5%だ。
月9ドラマとして、この数字が及第点だとは思えないが、それまでの数字の動きから見れば、盛り上がってきたとは言えるだろう。

1回目放送 16.9%
2回目放送 13.3%
3回目放送 13.1%
4回目放送 11.7%
5回目放送 11.7%
6回目放送 12.6%
7回目放送 13.4%
8回目放送 12.8%
9回目放送 14.5%

今まで、聖花(内田有紀)の突然の、植物人間からの突然の起き上がりや奇行など、すなわち彼女の唐突演技に支えられて、6回目放送以降、徐々に上げてきた視聴率も、聖花が、9回目放送の最後の方ではついに立ち上がり、殉也(北川悠仁)と佳音(堀北真希)の結婚式会場に向かうという、これ以上無いようなあり得ない展開に。視聴率的に大いに貢献した。
さらに、この回は、その他に、佳音の兄・耀司(福士誠治)による殉也にナイフでの切りかかり、美月(香椎由宇)の殉也や聖花に対するイジメ、殉也と佳音のキス、佳音の花嫁衣裳姿など、”単品”でも魅力的なシーンの連続で、この14.5%という数字を無理やり確保したという感じだろうか。
しかし、シーン&シーンをそれぞれにキャラ立ちさせるために、ストーリーが破綻してくるというのは、いかがなものか。最終的に俳優自身の魅力で引っ張れなかったシワ寄せがこういった展開を生み出してしまったのである。そこが今回の「イノセントラブ」と前作「ラストフレンズ」の大きな違いだと思われる。

しかし、元々、このドラマは、登場人物の奇行(覗き見、勝手な家への上がりこみ、盗み撮影等)の連続だったことは確かで、恋愛ドラマというよりも、ホラーあるいはSFとして見るべきだと思っていたが、9回目放送回も、登場人物の心の動きの不自然さがどんどん出てきた。登場人物の心情よりもシーンの奇抜さに心を奪われていかざるを得ない展開だ。

それらを以下にまとめてみよう。

◆1◆佳音を追って、長野までやってきた殉也。佳音のアパートにやってくるが、佳音に拒絶され、アパートの近くから昼夜離れない。「僕はいつまでも待っている」と言えば、聞こえはいいが、傍から見ればただのストーカーだ。

◆2◆部屋の外で、賛美歌のオルゴールを聴かされ、説得されて、殉也を部屋に導きいれる佳音。意志が弱すぎる。

◆3◆出所した耀司が、夜にそのアパートへやってくる。何故かドアの鍵が開いている。部屋では2人で一つの毛布に包まり就寝。あまりにも無用心だ。

◆4◆耀司が殉也にナイフで襲い掛かる。それを止めようとする佳音。結局これは耀司による佳音の(両親を殺したのは彼女ではなく、耀司だったという)記憶を呼び起こそうとした狂言だった。耀司は、心理学者か。この行動によって佳音の記憶が戻るということが、何故解ったのか。それにしてもリスクの高すぎる行動だ。

◆5◆その後、耀司がナイフで自殺を図るが、殉也に阻止され、泣き崩れる。殉也曰く「生きていて欲しいんだ」って、心広すぎ。

◆6◆とりあえず、殺したのは自分ではないという記憶をよみがえらせた佳音。一応、自分が幸せになってもいいんだという免罪符を受け取る恰好に。でも、殺そうとしたことは確かなんだから、最後に刺したのが耀司だからって、自分は救われるの?という疑問が残る。

◆7◆横浜に帰り、佳音にプロポーズする殉也。聖花を死ぬほど好きだったのではないか。この心変わりは早すぎるとの指摘も。

◆8◆勿論、佳音はOKする。「殉也さんの笑顔を近くで見たい」という事で近くにいたのではないか。それまで、潜在的に存在した下心が露呈した恰好に。

◆9◆そして結婚式。自分が振った美月(香椎由宇)がいる教会での結婚式。美月への配慮はまるで無し。

◆10◆殉也の写真を見て、彼を思い出した聖花。招待状の住所を見て、その式場に歩いて向かう。彼女の頭の中はどうなっているのか。住所が解るのか?いきなり立ってそこまで歩けるのか?等の不条理の謎が残る。

来週の予告Vによれば、その聖花が教会の上から身を投げ、受け止めようとした殉也が下敷きになり頭から血を流すというわけのわからないシーンが見られた。また、昴(成宮寛貴)の殉也に対する同性愛、耀司の佳音に対する近親愛等がまだ未処理だ。どうなるのか。

脚本担当・浅野妙子の前作「ラスト・フレンズ」のように、誰か死んで遺児を、残り人々が育てるというパターンになるのか。
そうだとしたら、死ぬ(あるいは植物人間になる)のは殉也で、彼の子を宿した佳音が兄・耀司と一緒にその子を育てるのか。兄の気持ちを考えるとそれも無理がある。
あるいは佳音が死んで、殉也と耀司が一緒に...というのももっとあり得ないか。

しかし、いずれにしても、登場人物の行動の唐突さでは他の追随を許さないこのドラマだけに何があるかわからない。
というわけで、来週の最終回もなんだかんだ言って、テレビの前に釘付けにされる僕であった。

まさむね

「スキャンダル」最終回を残して推理してみました

Monday, December 15th, 2008

最終回一回を残して、「スキャンダル」は佳境に入ってきた。
 
しかし、それにも関わらず、いまだ全体像が見えてこない。
 
今回の最後の推理だが、我ながらかなり苦しいと思われるが、精一杯考えてみたので、宜しければ一読お願いします。

 
キャスト

高柳 貴子 – 鈴木京香
高柳 秀典 – 沢村一樹

河合 ひとみ – 長谷川京子
河合 雄一 – 光石研

鮫島 真由子 – 吹石一恵
鮫島 賢治 – 遠藤憲一

新藤 たまき – 桃井かおり
新藤 哲夫 – 石原良純

白石 理佐子 – 戸田菜穂
久木田 慶介 – 加藤虎ノ介

川島 礼二 – 植田浩望
水谷 隼人 – 細田よしひこ
勝沼 龍太郎 – 小日向文世
  ◆
まず、8年前のクラブでの久木田による金沢傷害事件の真相だ。
おそらく、この事件は、雄一の画策により、久木田が金沢に対して傷害事件を起こさせるように仕向けた事件だった。
まず、金沢と雄一が、クラブで、暴言を吐き、久木田を怒らせる。
その流れの中で、久木田が傷害事件を起す。
そして、示談交渉になる。
理佐子は、かつての上司・新藤たまきから、夫の弁護士・哲夫を紹介されるが、哲夫の能力がなかったため、示談金=1000万円を支払うことになる。

理佐子は、その後、秀典、賢治とのお付き合いを継続し、示談金の一部を彼らに借金する。
必死に返済する理佐子だが、金沢は、さらに金をゆすろうとする。さらに、理佐子の体を要求する金沢。
そして、さらに雄一は、金沢と理佐子の仲介役をさせられる。
しかし、その間、理佐子と雄一にも関係が出来る。
罪悪感はあれど、どうしようも出来なかった。これで、雄一は理佐子の言いなり状態となる。
  ◆
さて、結婚式間近になり、理佐子は金沢と手を切るための手切れ金として、秀典、賢治に借金を申し込むが二人に断られる。
おそらく、この時、「お互いの浮気関係を貴子と真由子にばらすぞ」などと、理佐子から逆に脅されていたのではないか。
その後、二人は理佐子の言いなりに近い状態に立たされる。

そして、結婚式当日。妻4人は結婚式に出席しているので夫の行動が確認できない状況で、理佐子の計画が実行に移された。

まず、雄一は、理佐子から金沢を六本木に呼び出すように指示される。
また、秀典と賢治は、殺人現場に近くに待機させられる。
理佐子に「金沢と手切れ交渉するが、もしも、自分が危なくなったら助けて欲しいので近くにいて欲しい」などといわれていた可能性がある。
さらに、理佐子は、哲夫に対しては、たまきを出迎えるために、六本木まで出て来させる。殺人直後のタイミングで、現場から理佐子をピックアップさせるようにしたのだ。

そして、理佐子は、金沢をラブホテルに連れ込み、そこで、金沢を殺害しようとする。
しかし、理佐子の殺害計画は失敗する。ナイフで金沢の足をさすが、致命傷には至らせることはできなかった。

そして、その状態で理佐子がその場から突然、失踪する。
  ◆
実は、理佐子は、久木田との結婚はあきらめていた可能性がある。
この殺人を犯す事によって、理佐子は、金沢との関係を清算する。
そして、それと同時に、理佐子は、過去に汚れた自分との縁も切ってもらい、久木田には国際ピアニストとして新たな人生を送ってほしいと願っているのではないだろうか。
  ◆
現場に残された雄一、秀典も呆然とするが、すぐにその場から逃げる。
そして、理佐子は哲夫に発見されて、新藤家へ。亡くなった駿介の部屋に入るのだ。

これはあくまでも、理佐子個人の計画だが、逮捕されたとしても、彼女の証言によっては、雄一、秀典、賢治、哲夫の4人は怪しい立場に立たされるのだ。
共犯ということにならなくても、少なくとも理佐子との関係がそれぞれの妻にばれてしまうのだ。

これで、4人の平和な結婚生活が壊れることになる。
これが、理佐子が初回の結婚式の時に、「私は勝ったわ」と言った理由ではないのか。

上記の計画が実行されれば、理佐子にとっては、自分は純愛を全うし、他の4人は偽りの結婚生活をしていたという事実をつきつけることが出来るからだ。
  ◆
次回の予告によると、理佐子は殺人計画の容疑で拘留。
そして、4人の妻は、理佐子逃亡の幇助の容疑で別に拘留となるようだ。
  ◆
しかし、すぐに4人は釈放されるだろう。そして、それぞれの結婚生活にどう、決着をつけるのだろうか。
4組とも、離婚、4人の妻は新たな生活に向かって、お互い励ましあいながら、前向きに生きようと決心する。という終わりがスッキリするように思えるが、果たしてどうなるであろうか。

まさむね

来年の紅白歌合戦にモーニング娘。が出場するにはどうすればいいのか

Sunday, December 14th, 2008

モーニング娘。の11年連続、紅白歌合戦出場の夢が途絶えた。
と同時に、ハロー!プロジェクトとしての紅白出場者は一人もいない状況になってしまった。
(唯一、里田まいが羞恥心 with Paboのメンバーとして出場)

ファンにとっては痛恨の痛みだ。
しかし、来年はきっと出場するに違い。今回は、モーニング娘。の歴史を振り返りながら、来年の紅白出場に向けての新たな提言をしてみたいと思う。

そもそも、モーニング娘。がデビューしたのは、今から10年前の1998年。
ASAYANオーディションの落ち組の5人(中澤裕子、石黒彩、飯田圭織、安倍なつみ、福田明日香)がメジャーデビューを目指して、大阪・心斎橋のHMVやナゴヤ球場でのCD手売りからのし上がったのである。
すなわち試練とハングリー精神から始まったのである。

実は、この1998年は、J-POPにおいても、さらにそれを取り巻く、日本社会においても大きな断層のあった年なのである。

社会史的に言えば、この頃、この社会的変化を象徴する二つの事件が起きている。

一つが、山一證券の廃業だ。
これは、「学校に行って、いい企業に入って真面目にやっていれば一生安泰」という夢の崩壊の象徴である。
そしてもう一つが、和歌山の砒素入りカレー事件だ。
こちらも「日本中どこにでもある共同体。そこに普通に暮らしていれば安心」という夢の崩壊の象徴である。

社会学者の山田昌宏氏は、この年に起きた、大きな社会的変化を1998年問題としてまとめている。
以下に上げるものの数が、この年に激増しているというのだ。

自殺者数
青少年の凶悪犯罪(殺人、強盗、強姦)の数
成人事件の強制わいせつ認知件数
セクハラ相談件数
児童虐待相談処理件数
離婚件数
できちゃった結婚の数
不登校児童の数
高校の中退率

このような現象は、それまで日本を支えていた社会システムの崩壊と言い表せると思う。
そして、このような社会の変動時期には、人々は、それまで活躍していたアーティストから、新しい時代のアーティストを求めるものなのである。
歌は世につれ、世は歌につれ と昔から言われるが、こういう事なのである。

これらの社会的変動という大きな流れの中でJ-POP界にも大きな流れが起きている。
この頃、90年代を席巻した小室ブームが終わりつつあったのだ。
彼の最後のミリオンセラーは、1997年、コギャルの卒業ソングと解釈された安室奈美恵の「Can you celebrate?」と”嘘”との決別を表現した華原朋美の「Hate tell a lie」であった事は、一つの時代の終わり(新しい時代の胎動)を示唆していて興味深い。
また、同様にギャルの応援歌を歌い続けたSPEEDも、1998年、ソロとしての活動が目立つようになり、翌年に解散する。

そして、同時に、この年(1998年)は、モーニング娘。の他、宇多田ヒカル、MISIA、椎名林檎、aiko、そして、浜崎あゆみ等、自分の個性を、自分の言葉とサウンドで表現できるミュージシャンの多くがデビューするのだ。
本格的なR&Bサウンドを日本化した宇多田ヒカルとMISIA、女の子の本音をロックで表現した椎名林檎、普通の人の普通の言葉で恋心を表現したaiko、アダルトチルドレンの内面を表現した浜崎あゆみ等の多彩な面々。

その中で、初期のモーニング娘。も、ターゲットユーザーを男子ではなく、どちらかといえば、女子に置いていた。
それはまだ90年代の小室系(ギャルの応援歌)の世界観を引きずっていたようにも思える。

ねえ はずかしいわ 
ねえ うれしいのよ
あなたの言葉
「モーニングコーヒー飲もうよ二人で」

門限どおりに 
うちに送ってくれる
私より弱虫ね 
時間が来るまで
ぐるぐると遠回り くちづけも出来ない人

これはメジャーデビュー曲「モーニングコーヒー」の冒頭の歌詞であるが、ストリート系少女の生活が如実に表現されている。

また、この時期のCDジャケットを見ると、2作目「サマーナイトタウン」「抱いてHOLD ON ME! 」「Memory 青春の光 」から、国民的大ヒット曲「LOVEマシーン」までの写真は、挑発的な視線をこちらに向けてたたずんでいる。
そんな彼女達には男性に対する媚は見られない。

しかし、モーニング娘。にも転機が訪れる。
「LOVEマシーン」のミリオンヒットによって、彼女達は一気に国民的アイドルとしての地位を得てしまうのだ。
こうなると、逆に挑発的な視線は邪魔なものになってくる。

そして、CD販売的にピークをむかえる2000年の「恋のダンスサイト」には、彼女達の笑顔は、全開になるのである。
また、この年の第4期オーディションでは、石川梨華・吉澤ひとみ・辻希美・加護亜依の個性的な4人のメンバーを迎え入れる。

もともとモーニング娘。は、その名前の起源からして、「モーニングセットのように、一つのメニューにいろんな物(コーヒー、サラダ、トースト、ゆで卵等)が載っているようなグループ」というコンセプトがあった。
そういう意味で小柄な辻、加護、大柄でボーイッシュな吉澤、超美形の石川をここでそろえたのは、正しい選択だったと思われる。
国民的アイドルとして、モーニング娘。を日本人のマジョリティに認知してもらうためには、一人一人のキャラ立ちが絶対に必要だったからである。

しかし、おそらく、つんくは、このような状況がいつまでも続くとは考えていなかったであろう。
それは常識というものだ。ピンクレディーだってSPEEDだって、全盛期は2年が限界だからである。
選択肢は2つあった。このまま国民的アイドルとして、拡大路線を取るか。そしてもう一つは、コアファン(当時およそ10万人の男性ファン)に特化した商品にしていくか。の2つである。

そして、その方針が明確に示されたのが、2001年に行われた第5期オーディションと、2002年に行われた第6期オーディション(発表は2003年)である。

高橋愛、紺野あさ美、小川麻琴、新垣里沙(第5期)、亀井絵里、道重さゆみ、田中れいな、藤本美貴(第6期)と大量に加わった新規メンバーは誰もが標準的にかわいい。
いわゆる男好きのする娘(女性から見て「この娘は、世間の男は好きそうだなぁ」とした漠然とした感じを持つような娘)を集めている。
それゆえに、第5期、第6期の娘達には、第4期メンバーのように凹凸が見られないのだ。

また、2002年にはエース後藤真希を卒業させたことも、同じ流れの上にあると考えることが出来る。
歌の才能、その容姿において、絶対的な人気はあるが一方で、無愛想な彼女をコアファン向け商品には入れず、ソロとして別商品にしたのだ。
この頃の後藤のソロには、どちらかとえば、ヤンキー的な風味が強い。
それはアイドルというよりもアーティスト指向、モーニング娘。というよりも、どちらかといえば、浜崎あゆみにターゲットが近いような感じがしたものである。
それを考えると、その後、遠回はしたが、後藤がエイベックスの所属となった事はある種の宿命を感じさせる。

僕はこのつんくの路線は基本的に正しかったと思っている。
これによって、モーニング娘。ビジネスは、マスという海に向かって地引網を引くような戦略から、”固定ファンから厚くいただく”戦略に切り替えたのである。
新しいファンを獲得するのではなく、囲い込んだコアファンを満足させる方向に進んだのである。

別のエントリー(モーニング娘。の奇跡)において、詳細を書いたが、2004年~2008年までの間、彼女達のCDの初動は、ほとんど変化がない。
例えば、2004/05/12発売の「浪漫」は、36,531枚で4位だが、2008/04/16発売の「リゾナント ブルー」は48,086枚で3位なのだ。
ということはモーニング娘。をささえるファン層の厚みはそれほど変っていないことを示しているのだ。
そして、おそらく、これらのファン層に対して、CD、コンサート、ディナーショー、旅行、グッズ、携帯サイトなどのサービスを行うことでビジネスとしては十分に成功しているのである。

しかし、この路線に切り替えたという事は、ビジネス的に安定する一方で、長い目で見れば、いつかいわゆる世間の目から消えざるを得なくなってしまう事も意味していた。

おそらく、このことの象徴的な出来事として、2008年の紅白不出場を理解すべきなのである。
だから、もしも、2009年の目標が紅白再出場であるとするならば、今までの方向性を転換させる必要があると思われる。

どうすればいいのだろうか。

ここで、モーニング娘。の原点に戻ってみよう。
先ほども述べたが、あの頃(1998年頃)、社会の大きな変動があった。それに伴って、新しい表現を持ったアーティストが出現した。
モーニング娘。も最初のターゲットは同性の娘(女子中高生)だった。
おそらく、来年は今年以上に、不況の波が日本列島を覆うだろう。
その苦しい中で、女子中高生はきっと新しい価値観を生み出してくるに違いない。
モーニング娘。の表現が、そんな女子中高生の価値観を再度、汲み取れるかどうか、おそらく、そこが、紅白に出場できるかどうかの鍵を握ると思う。

そして、そのためには、世間に届くような形で、新たな競争原理、ハングリー精神を導入する事が大事だと思う。
現時点では、それが、新メンバー加入か、現メンバーの脱落か、新しい曲や詞の応募になるのか、解散+全員新規オーディションになるのか、わからないがいずれにしても2009年は勝負の年になると思う。

ただ、勿論、小さくともビジネスとして生き続ける限り、現状のモデルを継続するという判断もおおいにあるだろうが、それであれば、来年の紅白への道はますます遠くなることは覚悟しなければならないのではないだろうか。

参照:何故、ハロプロの中で里田だけが紅白に出演出来たのか

まさむね

内定を取り消された学生達は逆にチャンスではないか

Sunday, December 14th, 2008

内定を取り消された学生達は逆にチャンスではないだろうか。

これから社会人になろうというタイミングで、思わぬ挫折を負ってしまったと思われているかもしれないが、そんな会社に入らなくてよかったではないか。

早晩、つぶれるよ。
あるいは、一度、約束したことを守れないような矜持の無い会社ということだ。
入社してからもいろいろと苦労するに違いない。だったら、よかったではないか。

おそらく、これからの時代、2回や3回の転職なんて当たり前の時代になるわけだから、その一回目が他人より早く来たと思えばいい。
しかも、今後の人生におけるネタ話が出来たんだから、それはそれで面白い経験だよね。

もし、僕がそういう立場だったら、

1)自分のブログの中に「とりけされた内定日記」みたいなカテゴリーを作って、自分の行動と会社の対応を書きまくる。
2)取材に来たマスコミと顔見知りになり、その経過をどんどんリークし、あわよくば、有名人になる道を模索。
3)最終的な目標を決めて、例えば、社長と一対一面接に持ちこんで謝らせるとか、慰謝料500万円を払わせるとか、それに向かって、戦略を考え、実行。
4)一方で、新たな就職活動を始める。

みたいな事、するかも。そうすれば、社会の仕組みがわかるし、ユニークな経験はきっと、その後の人生に役立つと思う。

まさむね

既得権益文化人(瀬戸内寂聴や美輪明宏達)はいつまで跋扈するのか

Sunday, December 14th, 2008

先日、「久米宏のテレビってヤツは!?」に瀬戸内寂聴さんが出演していた。

80歳を過ぎてもパワーがあって饒舌で、おそらくこういう人を、”人間的”だとか、”人間力”がある人っていうんだろうな。
スタジオにいた森永卓郎、YOUの2人も、「チャーミングだ」と言って褒めていた。
おそらく、ひとは相手に関心いけど、しかし、嫌われたくも無い時に、とりあえず”褒める”んだろうって感じた。

そういえば、Vの中で瀬戸内さんは肉をおいしそうに食べていた。
久米宏がつっこんだら、「お釈迦さまは、そんな事(肉を食っちゃいけない)は言ってはいない。悪いのは、生き物を殺す人で、私は自分で殺したんじゃないから、食べていい」みたいな事を言っていた。
これって、相当まずい発言じゃないのか。
   ◆
しかし、言いたい放題の彼女だが、その意見で唯一、いい意味でハっとさせられたのは、番組の最後の方で「前世なんてありません」とビシっと言った事だった。
論語の一節『子不語怪力乱神』(先生は、決して人間の理性で説明のつかないような不思議な現象に関しては語らない)という言葉を思い出した。
   ◆
そういえば、前世等に関して公の場では語らないというような作法は、昔の人(例えば、昭和一桁生まれの世代)にとっては当たり前のことだった。

逆に言えば、多くの輩が、前世とか、霊とか、あの世とか、生れ変りとかを、公の場で普通に言い出したのは、ここ20年くらいのことかもしれない。
確かに、それまでもUFOが見える人とか、スプーンを曲げる人とかがテレビでブームになることはあったけど、それはあくまでもマイナーな存在だったと思う。
しかし、昨今、そういった考え方をする人の方がメジャーになってきたということなのだ。

ある大学生のアンケートではこんな結果が出ている。(「スピリッチュアルにハマる人、ハマらない人」香山リカ P23)

Q.魂や霊魂があると思うか?

ある・・・・61%
ない・・・・10%
わからない・28%

Q.前世や生れ変りを信じるか?

信じる・・・56%
信じない・・14%
わからない・30%

こういう状況だから、僕は逆に、瀬戸内さんの言葉を新鮮に感じてしまったのだ。
だから、最近のスピリッチュアルブームに対して、瀬戸内さんには、ビシっと糾弾してほしいのだが、難しいか。
   ◆
そんな瀬戸内さんも、実は美輪明宏さんと親しかったりするからだ。少なくとも公の場で、この2人が世界観の違いをもとに、討論するというような場は現時点では想定しにくいのだ。

「ボクらの時代」で、平野啓一郎さんも含めて鼎談した時も、そんな二人の仲の良さが垣間見られた。

当たり障りの無い話をして、お互いにホメあうベタベタの三人。
それに加えて、「昔はよかった」「権力は悪い」「日本人は劣化した」っていう話が続く。かつて若い頃にはとんがっていた人も、結局は、こういう凡庸な言説に取り込まれてしまうものなのだ。しかも、彼らにはおそらく、そういった凡庸化の自覚も薄いように感じられる。
日本はいつまで、こういった既得権益文化人が跋扈する国なのだろうかと、暗澹たる気分にならざるを得ない。

平野クンって、茶坊主?少しは頑張れ。

まさむね

顔面湿疹のためインターフェロン一時中止

Saturday, December 13th, 2008

顔面のアレルギーが強すぎるため、一時、インターフェロンを中止。
ネオファーゲンに変えた。
処方目的は、湿疹、皮膚炎、慢性肝炎患における肝機能異常の改善とある。

まぁ、あまりにも顔面湿疹が強いからしかたない。
注射は一週間に2回。
注射は大きいんだけど、血液注射だからそんなに痛くないのが嬉しい。
また、飲み薬はウルソ。

とりあえず、一時、湿疹を治してから、肝炎の治療ということらしい。

また、新たにインターフェロン始めるときに熱とか出るのは嫌だけどしかたないな。

まさむね

何故、ハロプロの中で里田だけが紅白に出演出来たのか

Friday, December 12th, 2008

今年の暮の紅白歌合戦。誠に残念な事ながら、ハロー!プロジェクト(モーニング娘。、Berryz工房、℃ute等の総称)からの出場予定は、里田まいだけになってしまった。
モーニング娘。が出場できなかった件に関しては、後日、まとめて書いてみようと思うが、とりあえず今日の話題は、里田まいである。

里田まいは、北海道出身。2001年に、カントリー娘。の追加オーディションに合格。2002年1月から正式メンバーとなる。

里田がデビューした時代(2002年当時)は、いわゆるハロプロは、タレントとしての全盛時代にあたっている。
例えば、モーニング娘。はこの時期、人気芸能人の証といわれる24時間テレビ「愛は地球を救う」のメインパーソナリティを2年連続(2001年と2002年)して務めている。

そんな羽振りいいの時代に、ある種のベンチャービジネスとして誕生したのがカントリー娘。だったのだ。
彼女達は、半農半芸というコンセプトの元、田中義剛の花畑牧場で酪農業をしながらの芸能活動を行う。
しかし、それは、本格デビューにはほど遠い、実質的には”二軍扱い”であった。
そのため、カントリー娘。は、里田加入以後、何枚かシングルをリリースしているが、カントリー娘。だけでのリリースはなく、石川梨華や藤本美貴、紺野あさ美というモーニング娘。からの”出向”を借りてのリリースであった。

もし、この時期(2002年頃)に、6年後の2008年の紅白歌合戦に、ハロプロから、誰が出場しているか?という質問をして「里田まいだけ」と答えた人がいたとしたら、それは未来から来た人だと断言していい。
それほど、彼女一人の出世(とハロプロの低迷)は、当時としては、考えられないことだったのである。
  ◆
さて、御存じの通り、里田まいブレイクのきっかけを作ったのは「クイズ!ヘキサゴンⅡ」である。
初出場は、2006年の7月12日。この時の珍回答連発がおおいにウけて、これ以降、準レギュラーを獲得。(レギュラー化は2008年5月~)
いわゆるおバカ6人組の中では、初出場こそ、つるの剛士(2005年7月)の方が早いが、準レギュラー化したのは、里田が一番早いのだ。

そういう意味で、ただの無知が、アレンジによってはおバカ芸として、ビジネスになる事を最初に紳助に気付かせたのは里田だと言っていいと思う。

その後、2007年から2008年にかけて、つるの剛士、上地雄輔、野久保直樹、スザンヌ、木下優樹菜がレギュラー化し、おバカ6人組が確定し、羞恥心、Paboという男女のユニット、あわせてアラジンというユニットが結成される。
しかし、この6人をよく見てみるとそのおバカ芸には、個々に微妙な差(個性)があることに気付く。
例えば、女性の3人であるが、木下は、いわゆる不良としてのおバカ。「勉強なんてやってられねぇんだよ」的なキャラなのに対して、スザンヌは、ボーッとしたお嬢様キャラである。
「女の子は可愛ければ、勉強なんてしなくていいのよ」的な雰囲気が漂っている。
それに対して、里田は基本的には、真面目な普通の女の子なのである。
学生の時にクラスにいたでしょ。いつも何か、勉強していてノートもちゃんと取ってるんだけど、テストになるとうっかりミス連発で成績が悪い娘って。そんな感じなのだ。
例えば、以前、あるバラエティ番組で、里田がイカの塩辛が好きで、北海道に帰った際に買い求めるというシーンがあったのだが、その時、塩辛屋で彼女は自分のノートにいろんな塩辛のメモを一生懸命に取っていた。

そういえば、里田が「ヘキサゴン」でブレイクした後、何人もの元モーニング娘。のメンバー達(石川梨華や小川麻琴など)がおバカ芸に挑戦したが、彼女ほどのインパクトを残すことが出来なかった。
おそらく彼女達は、知識量で言えば、里田とそれほど変らないレベルであろう。
しかし、彼女達にはモーニング娘。だったという栄光の過去があるゆえに、無意識的にアイドルとしてのプライドを壊すことが出来なかったのだと思う。
自ら規定した自己イメージから出ることができなかったのだ。
相撲からプロレスに転向したレスラーでも、横綱経験者(東富士、輪島、双羽黒)は大成出来ないのと同じことなのである。

だから、回答が間違えたとしても普通の間違えしかできなかったのだ。
例えば、次のような質問があるとする。

問)アメリカの首都はどこか?

これに対して答えがわからない場合、普通のアイドルは黙るか、わかりませんという。
あるいは、少し勇気があってもこう答える。

答)ニューヨーク

ところが、これでは、普通の無知である。それに対して、以下のように答えられるのがおバカ芸なのだ。

答)クリントン

里田まいならば、何度も誤答を繰り返した末に、一生懸命に、こう間違えるであろう。
しかし、一方、元モーニング娘。のメンバーにはそれは出来ないのではないか。

おそらく、里田まいは、決して無回答という事をしない。一生懸命になんらかの回答をする。
そして、おそらく、その泥臭いほどの一生懸命さが、視聴者の共感を呼ぶのだ。

しかし、その姿が共感を呼ぶには、一生懸命さだけではない、彼女達の姿勢を受け入れるような、社会全体を覆う新しい価値観があるのではないだろうか。
そうでなくては、おバカキャラが社会現象にまでなることはないと思うからだ。
以下、考えてみる。
  ◆
通常、人前で間違うということは恥ずかしいことだ。少なくとも今まではそうだった。
そして、わからない場合は、わからないと言う。それが今までの倫理だった。

しかし、おバカ達は違う。間違いでもいいからとにかく何かを言ってみる。ダメだったらまた別の事を言ってみる。そういうトライ&エラーの前向きの姿勢があるのだ。

これは、長年、日本人が培ってきた伝統的生き方(毎年、暦と掟に従って、みんなで同じ作業をする農業共同体的な生活態度)とは明らかに違う。
伝統の技術を代々受け継ぐような、厳しい熟練の職人気質とも違う。
また(これは農業共同体の延長ではあるが)、周囲との協調性を重視し、コツコツと正しいことを継続することを善とするような従来の学校的、会社的共同体的な振る舞いとも違う。

それは、どちらかといえば、修正・テスト・デバッグを繰り返しながら、物を作っていくコンピュータプラグラミング的態度に似ているように思う。
また、ある銘柄にこだわらず、リスクを分散させながら、売りと買いを繰り返す株のトレーディング的態度にも似ている。
そして、これは、対象の情報が、正しいかどうかというよりも、いかに多くの人が使用したかによって、勝ち負けが決まるような検索エンジン的な価値とも通底している。

おそらく、先行き不安が広がる、未曾有の現代世界で生き残るには、信念を持って自分の信じた方向に進む強さよりも、たとえ、間違えたとしても、それに気付き、それをすぐに修正できるような柔軟性と勇気の方が重要である。

里田まいを始めとするおバカタレント達の活躍は、そんな現代的な価値観に、明らかに乗っている。
それは、無意識的な選択だとしても、決して普通の馬鹿にはできない。やっぱり、絶妙なおバカ芸なのである。

まさむね

最近、”くたびれ”が見える天才・明石家さんま

Thursday, December 11th, 2008

明石家さんまは、やはり天才だと思う。

小学校の時に、クラスで一番面白い人気者が、そのままずっと一番面白くて、プロになっても一番面白くて、つまり日本一になって、その日本一を30年位続けているという感じなのである。
例えるならば、サッカーのマラドーナや、陸上のボルトみたいに、負け知らずのブッチ斬りでトップになったような存在なのだ。

僕はさんまの存在をみていて凄いと思うのは、彼はあくまでも”表面的”なところである。
奥の深さが見えないところが凄いのだ。

奥深さというのものは、なにか持ち前の文化的背景(特別の知識、思想、世界観、修行経験等)があって、それを自分の中から引き出して、人を笑わせる芸風という意味であるが、ひとは年をとると自然と奥深さに頼ってしまうもなのである。
しかし、さんまは、そういった文化的背景が一切見えない(あるいは見せない)のだ。
そこが逆に凄いところだと僕は思うのだ。

さんまは、常に、その場で一番面白いだろう言葉を自分の中から、あるいは相手から引き出す。
アドリブ力が抜群といえばいいのだろうか、空気を読む力が卓越してるといえばいいのだろうか、とにかくその場限りの面白い事を言える天才なのである。

さんまを語るとき、逆にその他の同格コメディアンと比較するのが一番いいかもしれない。

例えば、北野たけしは、世界の北野としての映画の名声の他、浅草修行時代の体験、元々数学者になりたかったという理系的な冷静さ等の引出しを持っている。
タモリは、新宿ゴールデン街の退廃文化、70年代のアングラ・ナンセンス文化の匂いを、隠しナイフとしていつも忍ばせている。
紳助は、元々、さんまと同じ天才肌だが、さんまと出会って、「こいつに負けた」と思ったらしい。それから、一生懸命に自分自身の”厚み”を構築しようと努力する。田原総一朗の「サンデープロジェクト」にずっと席を置いて政治・経済に対する知識を習得したり、「なんでも鑑定団」に出続ける事によって、本物と偽者に対する感性を磨いているように見える。
また、ダウンタウンの松本も、映画というバックボーンを作りつつある。
そして、世代は異なるが、太田光は、太宰治、宮沢賢治等の日本文学、カートボネガット・ジュニア等のSF(彼の事務所名であるタイタンはカートボネガット・ジュニアの小説「タイタンの妖女」から取っている)等の文学的素養を足がかりに、文学、思想、映画等、かなり幅の広い素養を身に付けている上、「爆笑問題のニッポンの教養」等の番組によって、当代の学者達から多くのものを吸収しつつある。
さらに言えば、それに続く、クリームシチューの上田、劇団ひとりなどはそれぞれまだ修行中である。今後は、間違ってもさんま的な、感性を研ぎ澄ます方向にはいかないだろう。

それに対して、さんまの場合、サッカーとか犬好きとかの個人的趣味はあるものの、いわゆる文化的背景(奥深さ)を一切感じさることはない。
そういう意味において、彼はずっーと”小学生のまま”なのである。

しかし、そんなさんまであるが、近頃、若干の”くたびれ”が見えてきたように思えるのは、僕の気のせいであろうか。
今年の9月で終わってしまった「明石家さんちゃんねる」では、現場の仕切りを次長課長の河本にまかせる場面も多く、特に自分が興味の無い話題(例えば、美少年ネタ)などの時の存在感の無さは、これがあのさんまかと思わせる程のものであった。

一昨日、「踊る!さんま御殿!!」を見ていた時も、若干ではあるがそういった”くたびれ”が見えた。
その”くたびれ”は、編集によって、かなり隠されていたのだとは思うが、ところどころに散見された。
例えば、松村邦洋が物まねを披露すると画面は一瞬、さんまのウけた顔に行くのだが、すぐに離れてしまう。つまり、一瞬、さんまが過剰に(しかし、これが天才的なのだが、自然に、しかも独特に)、ウける事によって場が盛り上がるのだが、その盛り上がり空気の”息の短さ”が、見ているコチラに想像出来てしまうのだ。

とにかく全体のテンポを重視するさんまにとって、編集による助太刀というのが、もしかしたら欠かせないものになってきているのだろうか。
ちょっと残酷な言い方かもしれないが、もう”生”では出来ないのかもしれない、という事すら一瞬感じさせてしまっていたのである。

しかし、さんまが50歳を越え、そのうち60歳、70歳になっても、同様の芸風と、それを披露する場所、人気を保ち続けることが出来れば、その”くたびれ”も一つの味として、孤高の存在になるに違いない。
そういう意味で、さんまには、まだまだ走り続けてもらいたいと僕は思う。

まさむね