Archive for the ‘相撲/プロレス/格闘技’ Category

永源のツバの起源

Monday, February 28th, 2000

日曜日は全日本プロレス武道館大会に行き損ねてしまった。大変残念である。過去、僕は2回だけ武道館大会に行けなかった事があった。一回目は舞台で二回目は出張だった。だが、その一回目はちょうど三沢が馬場さんをフォールして全日本の跡目を継いだ試合、そして二回目は川田がUの怪物オブライトを迎撃した試合。もしかしたら、ここ10年ではベストを争うような印象深い試合だっただけに、私の不徳を呪ったものだ。
しかし、一体昨日はどんな試合だったのだろうか。
関係ないが最近、考えていたのが永源遙のツバ飛ばしの起源というような事だ。私の記憶によれば、永源のツバ攻撃は古くても1990年位からのものである。当初は大熊も同じ事をやっていて、どっちが本家かなどという不毛な争いがあった。
しかし、このツバ攻撃の起源は、おそらくマードックやウィリアムスのようなアメリカ白人労働者階級レスラーの作法にある。マードックはアメリカでは「レッドネック」と呼ばれていたし、ウィリアムスはその昔はブルーススプリングスティーンをテーマ曲にしていた。日本でのイメージはともかく、アメリカではレッキとしたワークイングクラスヒールだったはずだ。
そして、この唾飛ばしは、さらに類推を重ねるならば、その昔、西部のガンマンがその男らしさを競って、痰壷にはいた紙タバコ吐きに起源を持っていると思われる。無頼の象徴だったのだ。
現代のプロレスの起源に確実に存在する西部開拓時代の酒場の作法をこうやって一つづつ深読みしていくのもプロレスの楽しみの一つではないだろうか。

まさむね

高田と三沢

Friday, February 18th, 2000

浮き沈みの激しい人生というのが、いいのか悪いのかわからないが、高田と三沢という今から15年ほど前の未来のエース2人(当時のプロレス豆本等を見ると2人の対比表等が出ていて興味深い)の人生を見ていると、人の運命って過酷だなぁと思わざるを得ない。
今、高田の事を口にするなら、誰だってその暴落の歴史を辿ってみたくなる。しかし彼が不思議なのはその人生に於ける負のイベント(落選、倒産、惨敗等)が彼の現在のファイトを観る側にドラマとして立ちあがってこない事だ。
例えば、猪木ならば逆にその失敗が彼のファイトを浮き上がらせるパワーとなって観るものを熱狂させたのに、高田の場合、こうやって指折り数えてようやく、そういえばいろいろあったなぁ位の過去との「取り結び方」しかしていないのだ。逆に言えば、そんなに悲惨な事が続いても自称さわやかというキャラクタが世間的には通用してしまっているという幸福が彼の持ち味なのである。(もっとも、それはかなり不幸であるという言い方も出来るが。)
それにしてもグレイシーに連敗した彼が許せないのは、自分は格闘家として立ち振る舞っているつもりでいるが、実はちゃっかりプロレスラーとしての遺産で食べている事だ。と同時に敗戦のツケをプロレスにも払わせて、それで何の落とし前もつけようとしないその態度だ。
プロレスから離れたフリをして、実は得たものだけは離そうとしない高田の欺瞞はそれ自体が醜悪な見世物である。
一方、馬場亡き後、全日本プロレスの社長になった三沢のレスリングには逆にプロレスラーであることの責任を体全体で背負い込んだものが見せるあまりにも、俗世間的な悩みがマット上に露骨に反映してしまっている。それは、高田とは全く違った意味で醜悪な見世物である。

まさむね

源日本人

Thursday, February 17th, 2000

グレイシー一家の商品価値はとどまるところを知らず、一説によれば、一試合のギャラが全日本の小橋健太のギャラ以上だとか。
かつて、高田がヒクソンと試合をして完璧に負けた時、私はフジモリ大統領と橋本首相の気概の違いをパラレルなものとしてみた。
今でも、アメリカ大陸には戦前-戦後に帰化した「源日本人」達がいて、我々日本列島に留まりつづける日本人との気質の差を見せてくれる。それはまるで、ガラパゴス諸島で進化が止まった動植物を見るような物なのだが、逆に新鮮でかつなつかしい。グレイシーのロマンは、かつて講道館を追われた前田光世が、かの地ブラジルで宿した格闘技の種が、流行に流されずに脈々と純化を進めていて、それが日本に復讐するというストーリーだ。
我々、「現日本人」は「源日本人」に復讐されているのだ。馬場亡き後、「源日本人」の風格を保っているレスラーといえば、天龍「源」一郎だが、その天龍こそ、今一番輝いている。

まさむね

高田の彷徨

Thursday, February 17th, 2000

先日、i-mode用に95年から96年のニシムラさんの一本気のバックナンバーを変換しながら読み返して思い出したんだけど、高田って選挙でたり、借金こさえたり、ニュースの司会したり、まあ、いろいろ手広くやっているんだよね。プロレス的なのかもしれないけど、思い出してみると、なんだかなあって感じでした。まあ、グレイシーがほんとにストイックに格闘技に打ち込んでいるかは別にして、イメージ的には成功してますよね。
やっぱ、見るほうとしても、今の結果(高田の連敗)のほうが納得しますね

ところざわ

佐山とボスマン

Wednesday, February 16th, 2000

鮫肌っていう名前はやっぱりインパクト強いですよね。僕はえんぴつ大賞の件は、中島らもとの対談で知った。びっくりハウスは読んでいたけど、投稿者の名前までは覚えていなかった。

ところで、先日、現役のプロレスファンの方々と話す機会があって大変楽しかった。
彼らの関心はやはりプロレスから少しづつ格闘技にシフトしているようだ。
その中の一人が言った。「何十年後にいまの時代を振り返った時に残っているのは前田じゃなくて佐山だと思う。」
格闘技史の中で佐山は常に時代の先端を走りつづけているというのだ。UWF→シューティング→バーリトゥードそして、新しい格闘技「掣圏道」にたどり着いた佐山。
今度の格闘技はその胴着が背広に近いそうだ。しかも、対戦も必ずしも1対1ではないという。
ようするに、街の喧嘩により近くなったということらしい。必然的に一人の相手に時間をかけて関節を極めるということがナンセンスになる世界ということだ。
僕はその話を聞いて、すぐに「じゃあその先にはビッグボスマンがいるんですね。」と言ったのだが、その場を白けさせただけだった。
ビッグボスマンは、ニューヨークのWWFというエンターテインメント主流のプロレス団体のスター選手だったレスラーで、ニューヨークの監獄の監守の格好をしている。
佐山の変遷は実は常に新しいリアリティへの模索だ。その模索の果てに、全く別の方向からやってきたビッグボスマンが待っていたという話に僕はロマンを感じるのだが。

まさむね

振り出しに戻るって感じでいいすね

Wednesday, February 16th, 2000

16日本日昼間サーバーが動かずブラウザーでご覧いただけず、すいませんでした。時々不調になりますので、時間をおいて見てみてください。
それからコーナー名が往復書簡から毎日コメントという名前に変わりました。

で、ビッグボスマンが待っていたという話は結局は振り出しに戻るって感じでいいですね。
原罪というか、出自には逆らえないって感じでしょうか。

大陸から流れて来たのか、支配しにきたのか、の末裔たちが出自たる大陸を制覇しに行くという倒錯したシチュエーションを思い出しました。プロレスでいうケーフェイが明治憲法なのかもしれませんね。

あ、昔聞いた、半島出身の力道山が沖縄の空手チョップで日本人代表としてアメリカ人レスラーを倒すという構図も倒錯してますもんね。この場合は国技の相撲出身というのが要な訳でしょうか

ところざわ

相撲について

Monday, January 24th, 2000

相撲の件に関しては、八百長だという話はかなり前からあったわけだし、事実としては、我々もすでにそれを、前提として相撲を見ていたわけですよね。
僕はそれほど相撲通じゃないけど、もしも、本物の通だったら、「今のあの寄りの筋肉の動きは怪しい」とか「今のみたかよ。ガチンコはやっぱり迫力あるねぇ」みたいに、本物と偽物とを見分けながら、時に協会や部屋筋からの情報もからめながら、「○○部屋がタニマチから融資してもらったからな」とか言って楽しんでみてるんじゃないかな。
問題は、今回の騒動が外人記者クラブだからこそ発生したという事ですよね。相撲協会が外圧からどう話をそらして、丸く治めるのか。その手腕が楽しみですな。
元々、相撲というのは、柔道や空手と違って、見世物とか神事から発生したわけです。村々のお祭りの時に、ある一方が勝てば来年は豊作とか言って、かならず豊作の方が勝つような疑問の無い八百長をしていたんですね。
一方、興行という視点で見れば江戸の勧進相撲っていうのは、力士はかならずお抱えの大名なりがいて、そういう人が見に来たとき、どうなるかっていうのは、今の地方巡業を見ればわかりますよね。また、それと同時に10歳位で、物凄く太った子供とかを土俵に上げて、みんなで見て楽しんだみたいな記録も残っている。ようするに見世物ですよね。
で、それに対して、いろいろと文句を言うような野暮はいなかったはずです。そういったのどかな相撲文化が明治以降、戦意高揚のための道具になったり、国家的神事に昇格したり、戦後、スポーツになったり、NHK用に時間制限とかできたりと、いろいろとあったわけです。ちょんまげ結ってるから、あれが江戸時代からずっと同じ形式を保っているというのは錯覚です。それはたとえば、江戸時代から寿司には軍艦巻きがあったという勘違いするのと同じようなものですね。
だから、これからも相撲はどんどん変わって行く。おそらくオリンピック競技種目を目指すような方向も強くなっていくんでしょう。まぁ、格闘技のルールとしては、場所から出たら、それで負けみたいなユニークなところもありますよね。またレフェリー=行司が「取り直し」っていう最終決定があるにもかかわらず、それを言う権利が無い、現場審判の立場があまりにも弱い競技っていうのも極めてユニークですよね。
まぁ、そういう風にいろんな風に思いを巡らす事の出来るジャンルっていうのも貴重なのではないでしょうか。

まさむね。

相撲の八百長

Sunday, January 23rd, 2000

外人記者クラブで話題になったけど、新聞は各社取り上げているけど、テレビはフジだけなのかな。協会に楯突くと取り組みのビデオが放送できないからね。
スポーツ全般なんでみんな神聖視するのかな、オリンピックにしろサッカーにしろみんなドロドロなのにね、
その点、プロレスはもうそんな次元は超越しているからね。スポーツは程度低いよって感じです
プロ野球は、ダイエーとオリックスのスカウト自殺絡み遺恨からスパイの暴露とかになってダイエーと王の立場を守るためにリーグ一丸となってダイエーを優勝させて一安心だし、サッカーもワールドカップ出場決定戦は韓国に金払って試合買ってるしね。
「健全な体に健全な魂が云々」の箴言は文末は「魂が宿ればいいけどそうならない」というのがホントらしいね。
まあ、テレビやマスコミは神聖視してドラマに仕立てないと盛り上がらないからショーがないよね。

ところざわ

オブライトは手塚マンガチックな肉体でしたね

Thursday, January 13th, 2000

過去の一本木の中にオブライトの全日移籍に関するものがあって読み返してみて懐かしかったです
馬場さんの、そいつはレスリングができるのか発言が最高でした
文章はどんなものでも書き溜めて量があると、それだけで価値ありますね。この往復書簡もできるだけ長く続けましょう。

ところざわ

オブライトの死に馬場さんを思い出す

Wednesday, January 12th, 2000

プロレスラーのゲーリーオブライトが亡くなったそうだ。昨年の12月に世界最強タッグリーグ戦に出ていたのに、あまりにも突然の死であった。
そういえば、馬場もアンドレも大熊もこの1月に亡くなっている。全日本の選手にとって1月というのは死の月なのだろうか。もともと全日本プロレスは現役レスラーが死ぬとそれらのレスラーの回忌を毎年行っている。供養としての興行というのを一つの特徴にしてきたのだが、それに新たな命日が加わったということだ。
さて、馬場さんも亡くなって早くも一年が経とうとしている。晩年の馬場さんはそのリング上の動きに農耕民族的な日本人の原風景を思わせる動きを映し出していた。さらにその動きは他のレスラーの洗練されたプロレスラーとしての動きに独自の老いの美学を付加した、滑稽且つ奥深い世界をかもしだしていた。
ちょうど日本舞踊が見立てで成り立っている事、そして老いを排除しない事の2つで西洋舞踊と対峙しているのとパラレルな関係で馬場さんのプロレスは他の人のプロレスに対して独自性を保っていたのだった。
しかも、プロレスラーにとって最も大事な事はプロレスの技を見せる事ではなく、肉体の存在感を見せる事だという独自の哲学そのままに、その異様な姿は他の追随を許さないものがあった。もちろん、その伝統はあらゆる肉体のバラエティを誇る全日本プロレスに息づいているわけである。
馬場さんが亡くなってプロレスファンを辞めた私であるが、どうしても馬場さんの事になると饒舌になってしまう。オブライトの死をきっかけにまた馬場さんを思い出してしまった。

まさむね。