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「スキャンダル」とdocomoの思惑

Tuesday, October 28th, 2008

提供スポンサーの意向がドラマに残した痕跡を深読みするというのも、ドラマウォッチャーの楽しみの一つである。

今クールのドラマで言えば、TBSの日曜劇場「スキャンダル」はNTTdocomo提供番組だけあって、携帯電話が重要な場面で使われていて興味深い。

例えば、主人公の4人の女性が持っている携帯の使い方、色は、それぞれのキャラクタを具現化している。

バリバリのキャリアウーマンだが、一方で引き篭もりの子供を抱える悩み深い新藤たまき(桃井かおり)、携帯の色は闇を表す黒。家事をしながらストラップで首からさげた携帯をテブラモードにして仕事話をするシーンが、新しい女性のスタイルを示唆。
金銭に細かく世間体ばかり気にする財務官僚の夫からの支配にうんざりする河合ひとみ(長谷川京子)、携帯の色は夢を表すピンク。息の詰まる日常で唯一の楽しみは、“薔薇姫”の名前で妄想の生活を書き綴る携帯ブログのみ。
20歳年上の美容整形医の妻だが、夫の異常な嫉妬と束縛に耐えている鮫島真由子(吹石一恵)、携帯の色は派手さを表すデコ電。これはあくまで予想だが、夫が彼女の携帯を盗み見て騒動になる可能性大。
理想の主婦を演じながら、夫と娘からあまり相手にされない高柳貴子(鈴木京香)、携帯の色は貞操をあらわす白。2話の最後では夫の浮気場面という修羅場に遭遇するも、行方不明になった友人の白石理佐子(戸田菜穂)からの電話が...

来週からの新展開にも、重要な役割をはたしそうな携帯電話。今後も、目が離せない。

しかし、さらに深読みするならば、前回、貴子が行方不明になった理佐子(戸田菜穂)の旦那・久木田慶介(加藤虎ノ介)に貴子の旦那・高柳秀典(沢村一樹)が理佐子と付き合っていた事を知らされるのが、なんとKDDIが入っている泉ガーデンの目の前という設定に、ネガティブイメージポイントをライバル社の本社前に持ってく
るdocomoのスキャンダラスさなセンスを感じざるを得ない。

さらに言えば、この泉ガーデンは、かつて、あの永井荷風の屋敷があったところだ。
言うまでも無いが永井荷風は、耽美文学の巨匠であるが、スキャンダラスな猥褻裁判として争われた「四畳半襖の下張」の原作者としても有名ある。
そしてさらに荷風の先祖をたどっていくと、一族には、あの藤原道長に「浮かれ女」と称されたスキャンダラスな女流歌人・和泉式部、「伊勢物語」の主人公で、性的に放縦だった言われるスキャンダラスな美男、在原業平の名前も見える。

そんなこの土地を、このドラマ「スキャンダル」の重要なロケ地に選ぶとは、奥の深さはなかなかのものだ。

それじゃあ、次はソフトバンクがある汐留で何か不吉な事を起すか?でも、あそこは、日テレのお膝元だからなぁ。

最後に、新藤たまきの夫・哲夫(石原良純)が部屋を片付ける時に、最後まで黄色いタウンページが置いてあった。docomoではないが、NTTさすがしぶとい。

まさむね

愛こそはすべての 2面性

Wednesday, October 8th, 2008

現在、docomoのCMのBGMとして使用されているビートルズALL YOU NEED IS LOVE(愛こそはすべて)。

この曲は、決して名曲ではない。ビートルズ初期作品のほとばしるようなエネルギーも感じなければ、ドチラかと言えば、ポール=マッカートニーが得意とするYESTERDAYやHEY JUDE、LET IT BEのような美しいメロディであるわけでもない。
どちらかと言えば変な曲なのである。

勿論、作者は、ジョン=レノン。

拍子は変(これ何拍子?)だし、ジョンのソロ部分のボソボソとした歌詞は字余りだ。
途中のジョージのギターソロも最後、うやむやな感じで終わる。
全体的にダラダラしていている。
オープニングにはフランス国家を使ったり、、エンディングには、グレン・ミラー楽団の「イン・ザ・ムード」等が引用されていたり、微妙に凝ったりしている。

でも、何故かこの変な曲は21世紀になっても、決して死んでいない。不思議だ。
逆に、若い人にとっては、この曲が最も身近なビートルズソングなのかもしれない。

時代を超えて残っていくものって、やっぱりそれなりに、魔力があるんだろうけど、1970年代、僕はこの曲に対して、こんなスタンダード曲になるなんて思ってなかったような気がする。

でも、この曲の歌詞を解釈してみると、面白いよ。
ALL YOU NEED IS LOVE って「愛こそはすべて」って訳されてるけど、決して内容は”愛”を称えた歌ではないんだ。
どちらかと言えば、「愛があればね」っていう方がニュアンスに近いと思う。

出来ない事をしようったって無理だ
歌えない歌は歌えないしね

作れないものは作れないよ
救いようのない人は救えない

未知のものを知ろうとしたって無理だ
見えないものは見えないでしょ

でも、自分らしくは生きられるのさ

愛があればね
愛があればね
愛があればね

これは僕が本当に意訳したので、興味のある人は原詞にあたってね。大意はそんなに違ってないと思うよ。

この歌詞を見ると、この時期(1967年当時)のジョン=レノンのネガティブな状況観と、「愛」をコンセプトとすることによって、その状況をなんとか乗り切ろうとするポジティブな思想、つまりネガティブ・ジョンとポジティブ・ジョンの2面性が感じられる歌なんだ。
ジョンは愛の伝道師みたいに祭り上げらたりするけど、反面で、どうしようもなく暗い面も持っていたんだよね。彼はこうも言ってる。

愛と平和を語る者というのは常にもっとも暴力的な人間だ。(ジョン=レノン)

僕は、ジョンの、この自虐的でリアルな”毒”を忘れたくない。

まさむね