Posts Tagged ‘長澤まさみ’

井の頭弁財天の恋人破局伝説とテレビドラマの結末

Monday, December 22nd, 2008

先日、吉祥寺の井の頭公園に行ってきた。
都会の中のオアシスという言葉があるが、まさに、そんな感じだ。

さて、井の頭公園と言えば、弁財天である。

ここの弁財天は歴史がある。
天慶年間(938-946)に清和源氏の祖・源経基が最澄作弁財天を奉納して建立したのが元だという。
その後、源頼朝が宮社を建立、新田義貞が戦勝祈願したとも伝えられている。(神社公式HPより)
さて、弁財天の神紋は、「対い波に三つ鱗の紋」。人形町の水天宮の弁財天の神紋もそうでした。
境内には、提灯、賽銭箱、手水場等、様々な所にこの紋が見られるが、それぞれ微妙に違う。

また、狛犬の古さが、この弁財天の歴史を物語る。
台座には明和八年とある。1771年のことである。この頃の狛犬は、胴長でユーモラスな御顔の創りのものが多いが、この狛犬もそうだ。
ちなみに、写真は、口をあけているので正確には、「阿形の獅子」というべきか。
    ◆
ご存知の方も多いかと思うが、井の頭公園にカップルで来ると、ここの弁財天が嫉妬して、別れさせてしまうという伝説がある。この公園はドラマロケが多い公園としても有名であるが、この公園でデートした男女がドラマの中で、その後、どうなったのかを見てみよう。

1)「愛していると言ってくれ」
1995年にTBS系で放映。主演は紘子(常盤貴子)と晃次(豊川悦司)。
この公園で何度と無く過ごす二人だが、結局は別れてしまう。
しかし、最後の何年後かのシーンで偶然再会。将来へ若干の含みは持たせてあるが...

2)「ひとり暮らし」
1996年TBS系で放映。主演は美歩(常盤貴子)、他出演は、恭子(永作博美)と高弘(高橋克典)、千勝(高橋和也)。
一方的に美歩のことが好きだった千勝は美歩を誘って、井の頭公園でデートするが、結局実らず。

3)「仔犬のワルツ」
2004年にNTV系で放映。主演は葉音(安倍なつみ)と芯也(西島秀俊)。盲目の葉音と一緒に散歩するシーンがある。
二人は、愛し合っていたが、ドラマの最後では結ばれず。
ラストシーンでは、葉音が芯也を銃で撃つ?らしい銃声が...

4)「ラストフレンズ」
2008年にCX系で放映。主演は美知留(長澤まさみ)、瑠可(上野樹里)、タケル(瑛太)。
タケルがこの公園で瑠可を抱きしめて告白するも、瑠可は性同一障害のため、永遠に実らず。

偶然なのか、意図的なのか、4つのドラマとも、愛のすれ違い、あるいは愛を超えた運命によって、カップルは結ばれることは無かった。
    ◆
ところが、この日は、日曜日。
二人で楽しそうにしているカップルが多かったこと。

まさむね

似すぎてないか「イノセント・ラヴ」と「ラスト・フレンズ」

Tuesday, December 9th, 2008

「イノセント・ラヴ」の展開が、ますます「ラストフレンズ」に近づいてきているように思う。
勿論、両方とも、浅野妙子脚本、スタッフも同じというから、同じような色合いのドラマになるということは予想されていたことだが、登場人物達の苦悩の種類まで似ているのだ。

例えば、「ラストフレンズ」の瑠可(上野樹里)は、性同一障害を自分の中に抱え込み苦悩するが、「イノセント・ラヴ」の昴(成宮寛貴)は殉也への同性愛という感情を抱えている。
おそらく、次の展開としては、昴の、殉也(北川悠仁)への想いが、や殉也本人、あるいは聖花(内田有紀)にバレることによる新たな苦悩発生の可能性が高い。

また、「ラストフレンズ」のタケル(瑛太)は姉からの性的虐待を受け、そのトラウマにより、女性恐怖症に苦しむが、「イノセント・ラヴ」の佳音(堀北真希)も父親からの性的虐待を受けていた。
さらに、その虐待に対して、彼女はついにナイフを持ち出し、父親を刺殺するが、その現実を受け入れる事が出来ない彼女はその事実を無意識的に意識から排除、いわゆるPTSD状態なのである。
そして、彼女の兄・耀司(福士誠治)は、その事実を隠蔽するために自分が罪を背負い、家に火をつけるという過去を持ってる。しかも、耀司自身も妹の佳音に対して近親相姦的な恋愛感情を抱いているのである。

さらに「ラストフレンズ」の美知留(長澤まさみ)とその恋人の宗佑(錦戸亮)は、小さい頃からネグレクト状態で育てられるという生育環境のため、宗佑は美知留にたいしてDVを行ってしまう。
また、逆に美知留も宗佑からのDVに対して無意識的な依存関係に陥っている。

心の傷という意味では、本日の放映された「イノセント・ラヴ」の第8話でも、殉也が深い失恋状態から常軌を失う。
婚約者の聖花のために、献身的に尽くしてきた殉也だが、彼女の愛が殉也にはなかったという現実を思い知らされ、呆然としてしまうのだ。

ようするに2つのドラマとも、登場人物達は、それぞれの心と闘わなければならない状態なのだ。
それゆえに、彼ら、彼女らは、一様に暗い。
また、だからこそ、一様に優しく思いやりがある。
さらに、現実世界における、いわゆる欲望に関して希薄である。
それは勿論、性的関係においてもそうだ。「イノセント・ラヴ」では殉也は佳音との間にSEXを匂わすものは一切無いのだ。

浅野妙子ドラマが現代人に受けているとすれば、おそらく、内面的苦悩を抱えた若者、あるいはそれに共感出来る人々が確実に増えているという事ではないだろうか。
それは、同時に、心の闘いを乗り越えるために、他者からの絶対的承認、すなわち愛が必要なのだということを切実に感じている人々も増えているという事だと思われる。

日本の恋愛史について特に詳しいわけではないが、多くの日本人にとって、恋愛というものは長らく、結婚のための通過点であった。
というよりも、おそらく恋愛経験をする以前に、人々は結婚したし、あるいは、性的な対象として相手を希求し、そしてそれが実現するに及び、結婚に至るという流れだったと思う。

しかし、「イノセント・ラヴ」も「ラストフレンズ」も、登場人物達の関係の先に結婚という道筋が強く見えてこない。
それが、現代的といえば、確かにそうかもしれない。
ここ数年、いわゆる”出来ちゃった結婚”が増加しているという事実もそれを裏付けている。
結婚というものが恋愛の結果ではなく、妊娠の結果としてしかないという事を意味しているからだ。

おそらく、このような若者のメンタリティが続くとするならば、少子化はますます進むであろう。
託児所を沢山作るということは、それはそれで大事なことではあるが、少子化対策の本質とはずれているようにも思える。
元、TVの番組ADだった小渕優子大臣。
お分かりかとも思うが、予算を使うことばかり考えないで、根本に立ち返り、これらの最近のドラマをご覧になられたらいかがだろうか。(余計なお世話か?)

さて最後に全く関係ないが、神父役の内藤剛のクレジットに特別出演とあるが、ほぼ毎回出演しているし、失礼だが、それほどの大物だろうか?
ちょっとした疑問でした。

まさむね

「29歳のクリスマス」と「ラストフレンズ」の埋め難い時代差

Monday, December 1st, 2008

「29歳のクリスマス」(以下「29X」と略す)の再放送を見ていると、今年の春に放映された「ラストフレンズ」(以下「LF」と略す)とどうしても比較してしまう。

男女(3人以上)が一つ屋根の下に暮らす青春群像ドラマである点、木曜日22:00~といういわゆる大人のドラマ枠での放送という共通点はあるものの、2つのドラマには、どうしようもない時間の隔たりがあるような気がする。
その隔たりは14年間。
その間、平成の大不況、金融ビックバン、構造改革等いろいろな事があった。
多くの人の生活実感として、時代は閉塞感を増している。あらゆる意味で、将来に対する希望がなくなってきているのだ。

おそらく、それらの社会状況の変化がこの2つのドラマの間に横たわっているのではないか。

2つのドラマを比べてみると、登場人物の元気さがまるで違う。
「29X」における典子(山口智子)、彩(松下由樹)、賢(柳葉敏郎)はお互い同士、思いやるが、それは、互いに世話を焼きあうという積極的な振る舞いで表現する。
だから、すぐに喧嘩になる。自分の価値観を相手に押し付けようとして、そして反省して、の繰り返しなのだ。

一方、「LF」における岸本瑠可(上野樹里)、藍田美知留(長澤まさみ)、水島タケル(瑛太)がお互いを思う気持ちは「29X」には劣らない。
ただ、彼女らは極めて大人しいのだ。
ある意味、老成しているといっていいかもしれない。
そして、「LF」の3人は、お互いの領域に踏み込む事はしない。あくまでも、相手にとって、好ましいキャラになろうとする。
それが現代の優しさの倫理なのであろう。
最終的に、3人は、お互いのトラウマを癒しあう関係になるのだ。

これは、いわゆる時代の閉塞感という事と大いに関係があると思う。バブルと地続きの90年代前半、「29X」の時代、彼女達はまだ、努力すれば社会的に上昇出来るという価値観の中にいる。
しかし、一方、「LF」では、そういった社会に対する、あるいは、努力に対する信頼感が感じられない。だからこそ、彼女達は手に職をつけて生きていこうとするのだ。

また、「29X」の登場人物達はいつも、目の前の世界に対して戦いを挑んでいるのに対して、「LF」では、いつまでも過去のトラウマ、自分の宿命との戦いがメインとなっている。
例えば、「29X」では、典子は、仕事上の挫折や恋愛等の外の世界と戦うが、「LF」の瑠可は、性同一性障害に悩み抜く。
彼女の戦う相手は、自分の中にあるのだ。
ACとか性的虐待とか、性同一性障害などという極めて限定的だと思われていた症例が、社会の前面に出てきて、人々にリアリティのある言葉として認知されてきた現代、とそれ以前の時代。
大げさに言えば、「29X」と「LF」の間には、そういった時代の段差を感じさせるのである。

また、2つのドラマに横たわる幸福観の違いにも目を惹かれる。
「29X」では、幸福=結婚という価値が素朴にも信じられている。
典子が彩に叫ぶ。「どうして私だけ幸せになっちゃいけないの?!」
ここで言う幸せとは、恋愛=結婚のラインに乗る事なのだ。

ところが、「LF」では、結婚は全く大きなテーマではない。
シェアハウスでにおいて、脇役として存在していた滝川エリ(水川あさみ)と小倉友彦(山崎樹範)が結婚はするのだが、それはあくまでもサブの扱い。
そういう生き方もありますよ的な扱いにすぎないのだ。

こんなに異なった世界の2つのドラマではあるが、面白い事に、最後の結末が奇妙な一致を見せる。
両方とも、みんなで育児をすることによって、新しい関係を築こうとするのだ。
もちろん、「29X」ではそうなる過程で、さんざん罵倒、葛藤、喧嘩があるのに対して、「LF」では微笑み一つで物事が進んでいく。
確かにその違いはある。
ただ、2つのドラマの最後に提示される新しい生き方が近いという事に、もしかしたら、時代が変っているように見えるのは表面的なことで、実は女の情(子供に対する愛情)というものは根本的には変らないという事を見るべきなのかもしれない。

また、ちょうど本日、今年の流行語大賞を獲得した「アラフォー」というもう一つのドラマでも、最後に、森村奈央(大塚寧々)の子供を、 緒方聡子(天海祐希)と竹内瑞恵(松下由樹)が可愛がるというシーンが出てくるが、それも「29X」と「LF」と同様に、子供をみんなで育むことこそ時代の閉塞感を打破することに繋がるということなのであろうか。

まさむね