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高齢者問題から逃げた筑紫哲也

Sunday, November 16th, 2008

筑紫哲也の最後の多事争論web版を見た。

内容を抜粋する。

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政治っていうのは古典的には、世代の間でパイを奪い合う。
若い世代のために、これからの世代のためにどのくらいお金を使うか。
世の中につくしてきた高齢者にどれくらいお金を使うか、

どっちに配分を多くしたらいいのかというのが政治の選択肢であるはずなんですね。
私達の国の今のおかしさっていうのは何なのかというのは実はどっちにも行っていない。

問題ははっきりしている。
問題はここにあるんだということはまずははっきりしないと何事もはじまらない。
その上で、それにむかって闘うのか、もう、それに負けるのか
そこが私達に迫られている選択肢だろうと思います。
———
筑紫さんは最後まで、自分の主張をしないで、なんとなく日本、国家、政治、行政をゆるく批判する人だった。
また、自分を支えてくれた内輪の人間、そして、自分のファン層には格別の配慮をする人だった。
彼が”一流”のジャーナリストの位置をキープし続ける事が出来たのは、おそらく、この気遣い力のお陰に違いない。
最後の多事争論においても高齢者に対して配慮したいい方で物事の本質をずらす。彼は最後まで、高齢者問題から逃げた。結論を出さなかった。恐らく、問題であるという事はわかっていただろうに、だ。

しかも、彼は同じ動画の中で、自分はTVではほとんどやりたい事が出来なかったと弱毒を吐く。
散々、電波を私物化して(宮崎哲哉氏談)おきながら、どこまで自分勝手な人なんだろうと思わざるを得ない。

さて、筑紫さんが最後の提示した問題だが、現代の日本は明らかに高齢者に金を使いすぎだ。
彼らが貧しい人々というなら、それもわからないではないが、彼らは裕福なのだ。65歳以上の貯蓄残高(2,423万円)は、全世帯の1.4倍になっているという報告もある。

後期高齢者医療制度に対する高齢者達の反対に関しても、よく考えると、理解不能だ。
どうせ払うものを天引きするのがどこが問題なのか。
75歳以上という線引きに関しては、行政として、高齢者医療費の伸びを抑えようとするのは当然のことではないか。

はっきり言って、治療を受ける必要のない高齢者がこぞって通院している様は、何とかならないものか。

僕はC型肝炎の治療で毎週、土曜日に家の近くの総合病院に通院しているが、こんなスケジュールだ。

午前8時に受付
午前9時に診療開始
午前10時に採血の順番が来る。(採血自体は10分位で終わる)
午後11時に採血検査の結果を踏まえて医師の診療
午後12時にインターフェロンの注射

毎回、4時間もの時間を取られる。そして、僕のライバル達は勿論、ほとんどが高齢者達だ。

しかし、政治は彼らを重要な票田と考えているから、彼らに無理を強いる事はない。
定額給付金に関しても、いつの間にか、高齢者には8000円を上乗せするという話になっており、誰も反論しない。
子供に対して、余分に8000円を与えるのはわかる。子供達はこれからの消費者だから、お金を使うことの楽しさを教えるという意味もあるんだろう。
だけど、高齢者にお金を与えても、おそらく貯蓄に回るだけだろう。誰でもわかる話を誰も言い出さないのはどうしたものか。

そういう意味で、筑紫さんに提示した問題に対して英断する政治家の出現を待ちたい。
それは、麻生さんでも、小沢さんでもないのは確かだ。

何故ならば、麻生さんや小沢さんのような裕福な高齢者予備軍が、高齢者に対して我慢しろとは言えないからだ。
何とかならないものか。

まさむね

筑紫さんはオナラが臭そうな人だった

Sunday, November 9th, 2008

筑紫哲也さんがガンで亡くなった。

僕たちの世代にとって、ジャーナリストと言えば、筑紫さんの顔が思い浮かぶ程、”それらしい”人だった。
このキャラクタ力は強固だ。
そういう意味でマスコミ既得権の代表者みたいな人だったよね。

だから、同業者であるマスコミ人はあまねく、筑紫さんに哀悼の意を示す。
「週刊ニュース新書」の田勢康弘さん、「JNN報道特集」の田丸美寿々さん、そして鳥越俊太郎さん達は異口同音に、「ブレない人」という言い方をしていた。
ブレないという事は、いつも同じ事を言っていたという事でしょ。
既に視聴者が持っているイメージ通りに振舞って、新しいこと考えなくていいんだから、ある意味、楽な立場だったんだろう。キャスターの発言で面白かったのは、安藤優子さん。「1980年頃、アメリカからの報道時、私が筑紫さんの通訳をしたんですよ。」って、ここに来て、朝日新聞・ワシントン特派員が看板の筑紫さんの英語力の無さを暴露するか!?こういうのを無邪気な悪意って言うんだろうな。

一方、2chでは、彼の事ボコボコ。
「慶んで、哀悼の意を表します」「日本の癌も癌には勝てず」「癌細胞に感謝!」等、そこまで言うか。
ニュー速+でのスレ数は、1日で30を越える。アメリカ大統領選挙、小室問題をはるかに上回る。大人気だ。

いつもそうだが、マスコミの言論とネットの反応の相反を再確認させられた。

僕の個人的な印象では、オナラの臭そうな人。
換言すれば、裏ではいつもいいもの食べてそう、あと、肉とか、辛い物好きそうな人だったよね。

まさむね

古舘伊知郎を大相撲の実況アナに

Friday, October 31st, 2008

古舘伊知郎は「報道ステーション」で一体、誰に向けて語っているのだろうか。

強いメッセージというものは、語るべき相手が明確に見えていないと発する事が出来ないと思うのだが、現代の夜のニュース番組においては、その相手がそもそも存在しえないのではないだろうか。

確かに、20世紀の終わり頃、個性的なキャスターが個性的な語り口で画面のこちらに向かって語りかけるニューススタイルにリアリティを持てた時代があった事は誰しもが認めるところだろう。
ニュースステーションの久米宏、NHKニュース11の松平定知、NEWS23の筑紫哲也らの時代である。

しかし、インターネットが普及し、多くの人がネットから情報を収集し、そこで自分なりにその情報を批評し、発信できるような時代になるとアンカーと呼ばれる人々の、カメラに正対しての偉そうな意見の価値は激減してしまった。
それは同時に、マスメディアが対象とする、いわゆる「国民」とか「大衆」が霧散していく過程とも重なる。
1999年という年は将来、アンカー界の巨頭、久米宏と松平定知が降板し、2チャンネルが立ち上がった年として、記憶されていくに違いない。

それから、約10年。筑紫哲也が一線を退いた後、いわゆる個性的なキャスターは古舘伊知郎だけになってしまった。
NEWS23もNHKニュース10も、アンカーに、人畜無害な凡庸顔を置いている。

孤塁を任された古舘伊知郎が、気の毒に見えてしまうのは僕だけであろうか。

かつて、プロレス大好きだった僕にとって、古舘伊知郎は、最も尊敬すべきプロレスの語り部であった。
言うまでもないが、彼は、80年代、「ワールドプロレスリング」でのアナウンサーである。
「黒髪のロベスピエール」(前田日明)、「わがままな膝小僧」(高田伸彦)、「哀愁のオールバック」(寺西勇)等、彼が紡ぎだすレスラーに対する過剰なニックネームは秀逸であった。
彼はプロレスという虚実の皮膜の間に存在する見世物を、最大限にリアリティを持たせながら増幅させて伝える伝道師としては、最高の技術と情熱を持っていたのである。
極言するならば、アントニオ猪木の過激なプロレスは、古舘の過激なアナウンス無くしては成立しなかったのではないだろうか。

しかし、現在、しかめっ面をして、権力を批判する、あるいは嘆くという紋切り役を強いられる古舘伊知郎にかつての自由奔放な言葉の魔術師のイメージは無い。

恐らく、現在の彼を、本来の古舘伊知郎へと再生出来るとしたら、最近、スキャンダル続きの大相撲中継の実況アナウンサーへの大抜擢だけだろう。彼の古巣のプロレスは、彼がいない間にほぼ死滅しちゃったからね。

副音声でいいから...無理か。

まさむね