古舘伊知郎は「報道ステーション」で一体、誰に向けて語っているのだろうか。
強いメッセージというものは、語るべき相手が明確に見えていないと発する事が出来ないと思うのだが、現代の夜のニュース番組においては、その相手がそもそも存在しえないのではないだろうか。
確かに、20世紀の終わり頃、個性的なキャスターが個性的な語り口で画面のこちらに向かって語りかけるニューススタイルにリアリティを持てた時代があった事は誰しもが認めるところだろう。
ニュースステーションの久米宏、NHKニュース11の松平定知、NEWS23の筑紫哲也らの時代である。
しかし、インターネットが普及し、多くの人がネットから情報を収集し、そこで自分なりにその情報を批評し、発信できるような時代になるとアンカーと呼ばれる人々の、カメラに正対しての偉そうな意見の価値は激減してしまった。
それは同時に、マスメディアが対象とする、いわゆる「国民」とか「大衆」が霧散していく過程とも重なる。
1999年という年は将来、アンカー界の巨頭、久米宏と松平定知が降板し、2チャンネルが立ち上がった年として、記憶されていくに違いない。
それから、約10年。筑紫哲也が一線を退いた後、いわゆる個性的なキャスターは古舘伊知郎だけになってしまった。
NEWS23もNHKニュース10も、アンカーに、人畜無害な凡庸顔を置いている。
孤塁を任された古舘伊知郎が、気の毒に見えてしまうのは僕だけであろうか。
かつて、プロレス大好きだった僕にとって、古舘伊知郎は、最も尊敬すべきプロレスの語り部であった。
言うまでもないが、彼は、80年代、「ワールドプロレスリング」でのアナウンサーである。
「黒髪のロベスピエール」(前田日明)、「わがままな膝小僧」(高田伸彦)、「哀愁のオールバック」(寺西勇)等、彼が紡ぎだすレスラーに対する過剰なニックネームは秀逸であった。
彼はプロレスという虚実の皮膜の間に存在する見世物を、最大限にリアリティを持たせながら増幅させて伝える伝道師としては、最高の技術と情熱を持っていたのである。
極言するならば、アントニオ猪木の過激なプロレスは、古舘の過激なアナウンス無くしては成立しなかったのではないだろうか。
しかし、現在、しかめっ面をして、権力を批判する、あるいは嘆くという紋切り役を強いられる古舘伊知郎にかつての自由奔放な言葉の魔術師のイメージは無い。
恐らく、現在の彼を、本来の古舘伊知郎へと再生出来るとしたら、最近、スキャンダル続きの大相撲中継の実況アナウンサーへの大抜擢だけだろう。彼の古巣のプロレスは、彼がいない間にほぼ死滅しちゃったからね。
副音声でいいから...無理か。
まさむね
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