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竹笹紋 -天の神様にあやかろうという人々の願い-

Monday, January 19th, 2009

竹は不思議な植物である。他に類似する植物が無い。

特別の場所に群生し、その姿は天に伸びる。
古来、その姿は、美しさ、高潔さ、節操を意味するものとして尊ばれたのである。
そして、天から降ってくる異界からのメッセージを受け取る「よりまし」としても認識されていた。

かぐや姫は竹の中から出てきたが、それは、ある種、天からの贈り物だったのである。
また、正月の門松も、天に延びている部分は鋭く切った竹で、そこに歳神がやってくると信じられているのだ。

竹笹紋は、そんな天からの神様にあやかろうとした人々によって採用された。
越後の上杉謙信のシンボルとしては、旗印としての「毘」が有名だが、家の紋は上杉笹と呼ばれる「笹に雀」である。
これは元々、上杉家が藤原北家の勧修寺(かしゅうじ)家の「笹に雀」紋から来ている。
そして、さらに、この紋は、微妙に変形されて伊達氏にも引き継がれていくのである。

さて、この竹笹紋であるが、全国で16位。
群馬県での6位が突出している。
これはおそらく、高橋姓の広がりが、群馬県が一番という事が関係しているのではないだろうか。
竹笹紋は高橋姓の一つの代表紋だからだ。

竹笹紋使用の有名人は以下。

竹中半兵衛。1544年9月27日 – 1579年7月6日、武将。
美濃斎藤氏の家臣で不破郡岩手城主・竹中重元の子として生まれる。
羽柴秀吉(豊臣秀吉)の軍師として活躍した名将である。戦国時代を代表する軍師であり、同時代の黒田孝高(黒田官兵衛)と並んで天才軍師と称されている。
家紋は丸に九枚笹。


伊達政宗。1567年9月5日 – 1636年6月27日、戦国時代の武将。
本姓は藤原氏。家系は伊達朝宗を祖とする伊達氏。
出羽国(羽州)と陸奥国(奥州)の戦国大名。陸奥仙台藩の初代藩主。
最も古い紋は縦三つ引き両(右上)。九曜紋(左下)は細川氏から使用許可される。竹笹紋(左上)は仙台笹、牡丹は仙台牡丹(右下)といわれる独特の形状をしている。


上杉鷹山。1751年9月9日 – 1822年4月2日、大名。
父は日向高鍋藩主・秋月種美で次男。10歳で米沢藩の第8代藩主・重定の養子となる。
出羽国米沢藩の第9代藩主。領地返上寸前の米沢藩再生のきっかけを作り、江戸時代屈指の名君として知られている。
祭神として、摂社松岬神社に奉られている。家紋は上杉笹。


鳥居元忠。1539年 – 1600年9月8日、徳川家康の家臣である。
父の忠吉は岡崎奉行などを務めた松平氏以来の老臣で、元忠も家康がまだ「松平竹千代」と呼ばれて今川氏の人質だった頃からの側近の一人である。家康の三河統一後、旗本先手役となり旗本部隊の将として戦う。
その忠節は「三河武士の鑑」と称された。家紋は鳥居笹。


竹本義太夫。1651年 – 1714年10月18日、浄瑠璃太夫。
摂津国(大坂)に生まれる。農家の出身。
大坂道頓堀に竹本座を開設し、近松門左衛門・作の『世継曽我』を上演。
近松門左衛門と組み、多くの人形浄瑠璃を手掛けた。
浄瑠璃の義太夫節の創始者である。家紋は竹亀甲に九枚笹。


佐野常民。1823年2月8日 – 1902年12月7日、佐賀藩士、元老院議員。
佐賀藩士下村三郎左衛門の5男として佐賀に生まれる。
大坂の緒方洪庵の適塾で学ぶ。
日本赤十字社の創始者
第1次松方内閣で農商務大臣に就任する。


山田顕義。1844年11月18日 – 1892年11月11日、長州藩士、政治家、陸軍軍人。
長門国阿武郡椿郷東分で、萩藩士の長男として生まれる。
松下村塾に入門。 高杉晋作、久坂玄瑞、伊藤俊輔らとともに攘夷の血判書に名を連ねる。
維新後は、参議兼内務卿、司法卿兼参議、初代司法大臣を歴任。
日本大学國學院大學の学祖。


岡本柳之助。1852年8月 – 1912年5月14日、軍人・ナショナリスト。
和歌山藩士、江戸出身。旧姓は諏訪。岡本家の養子。
西南戦争では参謀として活躍し、戦後少佐となるが、1878年(明治11年)の竹橋事件に連坐し、官職を剥奪された。
三浦梧楼らと閔妃殺害事件をおこし、投獄された。


下田歌子。1854年9月30日 – 1936年10月8日、教育家・歌人。
岐阜県恵那郡岩村町出身。岩村藩の藩士の家に生まれる。本名:平尾 鉐。
容姿と才能に恵まれ、「明治の紫式部」ともあだ名される。
生涯を女子教育の振興にささげる。
実践女子学園順心女子学園設立の基礎を築いた。


立川勇次郎。1862年 – 1925年、実業家。
美濃国大垣藩の藩士の次男として生まれる。
大師電気鉄道(現京浜急行電鉄)の代表に就任。
1912年(大正元年)、大垣を中心とした西濃地区の電力供給を目的として、揖斐川電力(現イビデン)設立。初代社長となる。


井上準之助。1869年5月6日 – 1932年2月9日、政治家、財政家。
大分県日田市大鶴町に造り酒屋を営む家に生まれる。
日本銀行第9、11代総裁。第二次山本、浜口、第二次若槻内閣の蔵相。
浜口内閣で行った金輸出解禁(金本位制への復帰)や緊縮財政は世界恐慌のため深刻な不況を招き、血盟団事件で暗殺される。


有島武郎。1878年3月4日 – 1923年6月9日、
旧薩摩藩士で大蔵官僚の有島武の子として生まれる。
志賀直哉や武者小路実篤らとともに同人「白樺」に参加。
代表作は『カインの末裔』『或る女』『迷路』など。
作家の里見弴は弟。長男は俳優の森雅之にあたる。


宮沢賢治。1896年8月27日- 1933年9月21日、詩人・童話作家・農業指導家・教育者。
岩手県稗貫郡里川口村に質・古着商の長男として生まれた。
郷土岩手の地を深く愛し、その空前・独特の魅力にあふれた作品群によって没後世評が急速に高まり国民的作家とされるようになった。
代表作は『銀河鉄道の夜』『風の又三郎』『注文の多い料理店』等。家紋は九枚笹。


大藪春彦。1935年2月22日 – 1996年2月26日、小説家。
京城(ソウル)に生まれる。父は教師である。
激しいアクション、暴力を描く通俗的な作品が多く、それゆえに「暴力賛美の小説」と批判されることもある。
代表作は、『本陣殺人事件』『蘇える金狼』『汚れた英雄』 など。


勅使河原蒼風。1900年12月17日 – 1979年9月5日、華道草月流の創始者。
華道において斬新な手法を多く提供し「花のピカソ」と呼ばれた。
『いけばなは生きている彫刻である』と提言する蒼風は、日本のいけばなを世界に発信した第一人者といえる。
草月流三代目家元、映画監督である勅使河原宏の父としても知られている。


嶋中雄作。1887年2月2日 – 1949年1月17日、編集者。
1916年、『婦人公論』を創刊し編集長となる。
1928年には中央公論社社長となる。
『西部戦線異状なし』レマルク著、『源氏物語』谷崎潤一郎訳等をベストセラーにする。
画像は、本願寺和田堀廟所の墓所。家紋は、折敷に九枚笹。


横溝正史。1902年5月24日 – 1981年12月28日、小説家、推理作家。
兵庫県神戸市東川崎に父・宜一郎、母・波摩の三男として生まれる。父の郷里は岡山。
金田一耕助を探偵役とする一連の探偵小説で有名。
代表作は、『獄門島』『八つ墓村』『犬神家の一族』『悪魔の手毬唄』『悪霊島』『悪魔が来りて笛を吹く 』など。


藤沢周平。1927年12月26日 – 1997年1月26日、時代小説作家。直木賞受賞作家。
本名:小菅留治(こすげ とめじ)。山形県東田川郡黄金村大字高坂字楯ノ下に生まれる。父小菅繁蔵、母たきゑの第三子。実家は農家。
庄内藩をモチーフにしたと言われる架空の藩「海坂藩」を舞台にした作品は有名。
代表作は、『暗殺の年輪』『市塵』『たそがれ清兵衛』『蝉しぐれ』など。


谷川俊太郎。1931年12月15日 – 、詩人。
父は、哲学者で法政大学学長の谷川徹三。
石原慎太郎、大江健三郎、寺山修司、浅利慶太、永六輔、黛敏郎、福田善之ら若手文化人らと「若い日本の会」を結成し、60年安保に反対。
代表作は『ことばあそびうた』『二十億光年の孤独』『コカコーラ・レッスン』。家紋は九枚笹。


谷垣禎一。1945年3月7日 – 、弁護士、政治家。
京都府福知山市出身。父は、文部大臣を務めた谷垣専一。
産業再生機構担当大臣、食品安全担当大臣、財務大臣(第4・5・6・7・8代)、自由民主党政務調査会長、国土交通大臣(第9代)を歴任。宏池会(谷垣派)会長を務めた。
家紋は九枚笹。


明石家さんま。1955年7月1日 – 、のお笑いタレント。
本名、杉本高文(すぎもと たかふみ)。
笑福亭松之助に弟子入りした。当初の芸名は「笑福亭さんま」であった。
タモリ、ビートたけしとさんまの3人で日本のお笑い芸人BIG3と称される。
五枚笹は笑福亭一門の定紋である。

まさむね