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片喰紋 -平和的、協調的、平凡な極めて日本的な紋-

Friday, January 16th, 2009

片喰は、日本の普通の農村、野山に自生する、いわゆる雑草である。

江戸時代、葵紋は徳川家の紋所として、その他の人が使用するのが禁止されていた。
この葵紋と類似した形状を持つ片喰紋は爆発的に広まった。

普通にノンポリで、普通に可愛いい物好きで、普通に平和的で、普通に協調性のある日本人を一番よく表している紋である。

落語等で、「あの、おケツが3つ付いた紋」などと、滑稽に言い表されることがあるが、これは葵紋へのパロディと片喰紋への親しみを表現していたのだと思う。

日本で一番、広く使用されている家紋。
田中姓に多く使用されているとも言われているが、特に、田中姓が西日本に広く分布していることと平行して、西日本の地域ではほとんど1位である。

山形県、福島県、茨城県、東京都、長野県、福井県、静岡県、愛知県、三重県、滋賀県、奈良県、京都府、大阪府、兵庫県、岡山県、鳥取県、島根県、山口県、香川県、徳島県、愛媛県、高知県、福岡県、佐賀県、長崎県で1位。
ベスト5にはずれるのは、わずかに、宮城県(6位)、鹿児島県(14位)といったところのみ。

ただ、庶民の紋ためか、使用家が多い割には有名人は少ない。

長曾我部元親。1539年 – 1599年9月12日、武将。土佐の戦国大名。
本姓は秦氏。家系は秦の始皇帝を祖とする秦河勝の血筋と伝わる長宗我部氏。
家督を継いで以降は土佐の国人から戦国大名に成長し、阿波の三好氏、讃岐の十河氏、伊予の河野氏らを破って四国の覇者となる。その後は信長の後継となった豊臣秀吉に敗れ土佐一国に減知となった。家紋は七つ片喰。


宇喜多秀家。1572年 – 1655年12月17日、武将・大名。
備前国岡山城主の宇喜多直家の次男として生まれた。幼名は八郎。
羽柴秀吉の遠征軍に組み込まれ、秀吉による備中高松城攻めに協力。
秀吉の寵愛を受けてその猶子となる。豊臣政権下の五大老の一人。関が原の戦いに敗れ、流人として伊豆諸島・八丈島へ配流。家紋は剣片喰(左)と児の字(右)。


酒井重忠。1549年 – 1617年8月22日、徳川氏の家臣。
三河国坂井郷出身。徳川氏の譜代家臣・酒井正親の次男。
掛川城攻め姉川の戦いなど、家康初期の主要な合戦に参加して武功を挙げた。
関ヶ原の戦いでは本戦に参加し、その後は近江国大津城の守備を担った。
武蔵国川越藩主、のち上野国厩橋藩初代藩主。雅楽頭系酒井家宗家初代。


成瀬正成。1567年 – 1625年2月23日、徳川氏の家臣。
幼少の頃より小姓として徳川家康に仕え、小牧・長久手の戦いで初陣。
小田原征伐で功を挙げ、下総国葛飾郡栗原4000石を与えられた。家康の老中となって本多正純、安藤直次らと共に政務の中枢、初期幕政に参与した。大坂冬の陣で徳川氏と豊臣氏が和睦したとき、大坂城の堀埋め立て工事の指揮を行った。家紋は丸に片喰。


幡随院長兵衛。1622年 – 1657年8月27日、侠客。
元は佐賀藩の武士・塚本伊織の子で、口入れ屋を営んでいた。家紋は丸に片喰。
本名は塚本伊太郎。男伊達を競って乱暴を働く旗本奴と対立し、町奴の頭領となったとされる。日本の侠客の元祖とも言われる。
歌舞伎、講談の題材に盛んに使われ、中でも『極付幡随長兵衛』が有名。


高橋至時。1764年12月22日 – 1804年2月15日、天文学者。
字は子春、号は東岡・梅軒。通称作左衛門。大阪定番同心の子として生れる。
伊能忠敬に西洋暦を教え、忠敬の日本全国の地理測量を支援した。
天文学者で伊能忠敬の没後「大日本沿海輿地全図」を完成させた高橋景保の父。
写真は、上野源空寺墓地。伊能忠敬の墓の隣にある。


清水次郎長。1820年2月14日 – 1893年6月12日、幕末・明治の侠客。
駿河国有渡郡清水湊の船持ち船頭・三右衛門の三男に生まれ、母方の叔父で米穀商の甲田屋の主の次郎八の養子となった。本名、山本長五郎(やまもと ちょうごろう)。
戊辰戦争で戦死した幕府軍の遺体を埋葬。山岡鉄舟に感謝され、以後、二人の親交は続く。浪花節の題材として取り上げられ、人気を博す。家紋は丸に片喰。


河井継之助。1827年1月27日 – 1868年10月1日、武士。
河井家の先祖は、もともと近江国膳所藩本多氏の家臣である。
近代的合理主義を持ち、時代を見据える先見性と実行性を有しながらも、長岡藩の家臣として、新政府軍に対抗する道を選んだ英雄。
司馬遼太郎の『』により、一躍有名になる。


正岡子規。1867年10月14日 – 1902年9月19日、俳人・歌人・国語学研究家。
伊予国温泉郡藤原新町に松山藩士・正岡常尚、八重の長男として生まれる。本名は常規。
俳句・短歌・新体詩・小説・評論・随筆など多方面に渡り創作活動を行い、日本の近代文学に多大な影響を及ぼした、明治時代を代表する文学者の一人である。
代表作「柿食へば 鐘が鳴るなり 法隆寺」。代表著書『墨汁一滴』。 家紋は丸に剣片喰。


三遊亭圓生(5代目)。1884年10月 – 1940年1月23日、落語家。
東京の大工の子として生まれるが、6歳で実父は出奔、親戚に預けられ14歳で足袋店に奉公するなど、波瀾に満ちた少年時代を送る。本名、村田源治。通称「デブの圓生」。
落語家として始めて渡米して興行。帰国後は師匠圓蔵ともども落語界の重鎮として活躍。
画像は、北烏山の永隆寺の墓所にて撮影。家紋は、丸に片喰。


内田百閒(けん)。1889年5月29日 – 1971年4月20日、小説家、随筆家。
岡山の造り酒屋「志保屋」の一人息子として生まれた。
夏目漱石の門下で独特なユーモアに富んだ随筆などを得意とした。
代表作は、『旅順入城式』 『阿房列車』など。
黒澤明監督による映画「まあだだよ」でも知られている。


横山大観。1868年11月2日 – 1958年2月26日、美術家。
旧水戸藩藩士・酒井捨彦の長男として生まれる。
近代日本画壇の巨匠であり、「朦朧体」と呼ばれる、線描を抑えた独特の没線描法を確立。
太平洋戦争中には自らが売却した絵の代金を戦闘機の制作費用として軍に寄付。
そのため、終戦後にはGHQより戦犯容疑者として取り調べを受けた。


安井曾太郎。1888年5月17日 – 1955年12月14日、洋画家。
京都で木綿問屋を営む商人の家に生まれる。
1935年 帝国美術院会員 1952年 文化勲章 1952年 文化功労者。
代表作「婦人像」「金蓉」「承徳喇嘛廟」など。
家紋は「丸に剣片喰」。


伊東巳代治。1857年5月29日 – 1934年2月19日、政治家。
長崎県出身。
井上毅、金子堅太郎と共に大日本帝国憲法起草に参画。
東京日日新聞(現在の毎日新聞)を買収、在官のまま第3代社長となる。
1922年(大正11年)に伯爵に陞爵。明治天皇の母方のいとこでもある。


服部良一。1907年10月1日 – 1993年1月30日、作曲家、編曲家、作詞家。
大阪府大阪市平野区出身。土人形師の父久吉と母スエの間に生まれた。
日本のポップス界隆盛の最大の功労者。また、日本レコード大賞の創設にも尽力。
代表作は『別れのブルース』『蘇州夜曲』『東京ブギウギ』『青い山脈』『銀座カンカン娘』『山寺の和尚さん』『夜のプラットホーム』『山のかなたに』など。


入江相政。1905年6月29日 – 1985年9月29日、昭和天皇の侍従長
東京府東京市麻布区西麻布出身。
藤原北家の支流・冷泉家の流れを汲む入江為守子爵の三男。
藤原定家の子孫。
著書に『侍従とパイプ』『陛下の側近として五十年』『入江相政日記』などがある。


黒澤明。1910年3月23日 – 1998年9月6日、映画監督。
東京府荏原郡大井町出身。父親は秋田県大仙市出身の元軍人
日本映画の巨匠の一人。日本では「世界のクロサワ」と呼ばれた。
代表作『七人の侍』『用心棒』『羅生門』『赤ひげ』『用心棒』『影武者』など
米国映画芸術科学アカデミー会員。文化勲章受章。文化功労者。家紋は丸に剣片喰。


澤野久雄。1912年12月30日 – 1992年12月17日、作家。
埼玉県生まれ。
「夜の河」が三度目の芥川賞候補となるが落選。しかし同作は56年に山本富士子主演で映画化さる。代表作は『方舟追放』『挽歌』『夜の河』『虹の上の舞踏』など。
家紋は、丸に剣片喰。


柳家 小さん (5代目)。1915年1月2日 – 2002年5月16日、落語家。
長野県出身。北辰一刀流の七段範士の資格を持つ。
二・二六事件の時、反乱部隊の屯所に畑和らとともに二等兵として詰めており、上官命令で落語「子ほめ」を一席させられた。
落語協会7代目会長。1995年に落語家として初の人間国宝に認定された。


成瀬巳喜男1905年8月20日 – 1969年7月2日、映画監督。
東京都四谷出身。1920年に松竹蒲田撮影所に入社。フランス映画誌『カイエ・デュ・シネマ』は、彼を小津、溝口、黒澤に次ぐ日本の「第4の巨匠」と讃えた。女性映画の名手として知られており、とくに高峰秀子とのコンビによって多数の作品を手がける。
代表作は『めし』『浮雲』『流れる』等。家紋は丸に片喰。


田中角栄。1918年5月4日 – 1993年12月16日、内閣総理大臣(第64代、第65代)。
新潟県刈羽郡二田村大字坂田(現・柏崎市)に父・田中角次、母・フメの二男として生まれる。
田中家は農家だが父・角次は牛馬商、祖父・捨吉は農業の傍ら宮大工を業としていた。
自著「日本列島改造論」にそった政策を推進。日中国交回復も実現。よくも悪くも、その後の日本の政治を方向付けた。


海部俊樹。1931年1月2日 – 、政治家。内閣総理大臣(第76・77代)
総理大臣、新進党党首などを歴任するが、常に小沢一郎の操り人形といわれ続け、新進党結党会見では臨席した初代幹事長の小沢一郎に核心の質問が集中し思わず「党首は私なんですから質問の順序が逆じゃないんですか。」といきりたつ一幕もあった。
現在は、自民党に復党。


いずみたく。1930年1月20日 – 1992年5月11日、作曲家。
本名は今泉 隆雄(いまいずみ たかお)。元参議院議員(第二院クラブ)。
代表作は、「いいじゃないの幸せならば」「世界は二人のために」「希望」「いい湯だな 」「ふれあい」「夜明けのスキャット 」「恋の季節 」「徹子の部屋のテーマ曲」「ゲゲゲの鬼太郎」「もーれつア太郎 」など多数。


長門勇。1932年1月1日 – 、俳優。
岡山県倉敷市出身。本名 平賀湧。
ひょうきんで人懐こい浪人を装いながら、その実、凄腕の剣術使いだった、間抜けと見せながら鋭く執拗に追及していく刑事などと、裏表がある役どころを名演した。
代表作『てなもんや三度笠』『三匹の侍』『横溝正史シリーズ』等。家紋は丸に剣片喰と笹竜胆。


佐田の山晋松。1938年2月18日 – 、大相撲の第50代横綱
本名、市川(旧姓佐々田)晋松。長崎県南松浦郡有川町(現新上五島町)出身。
幕内最高優勝:6回、幕内通算成績:435勝164敗61休 勝率.726。
1992年(平成4年)から日本相撲協会理事長を3期6年務めた。
1967年に007シリーズ第5作『007は二度死ぬ』に本人役で出演。家紋は片喰。


松園尚巳。1922年7月15日 – 1994年12月15日、ヤクルト社長。
長崎県三井楽町(現・五島市)出身。長崎新聞社長、長崎文化放送会長も務めた。
双子の兄は同じくヤクルトスワローズのオーナーを務めた松園直巳。
産経新聞社からサンケイアトムズを買収し、(現ヤクルトスワローズ)同球団のオーナーに就任する。家紋は剣片喰。


橋本真也。1965年7月3日 – 2005年7月11日、プロレスラー。
岐阜県土岐市出身。ニックネームは破壊王。
新日本プロレス時代にIWGPヘビー級王座
2000年には、新日本プロレスを退社、ZERO-ONEを旗揚げする。
得意技は、袈裟斬りチョップ 、垂直落下式DDT など。


田中裕二。1965年1月10日 -、漫才コンビ「爆笑問題」のツッコミ。リーダー担当。
東京都中野区出身。身長は154cm。
相方の太田と比較され「非凡な太田、平凡な田中」と揶揄されることが少なくない。
田中という姓と、正月番組で紋付を着るときは常に片喰紋付を使用しているため、暫定的に片喰紋使用者とさせていただいた。


椿三十郎。江戸中期
1962年1月1日に公開された黒澤明監督の時代劇映画「椿三十郎」の主人公
主演は三船敏郎。
山本周五郎原作の『日日平安』の脚本がベースになっている。
2007年に織田裕二主演でリメイクされる。家紋の丸に剣片喰は黒澤家の家紋から取る。


関根勤。1953年8月21日 – 、お笑いタレント、コメディアン、司会者。
東京都港区に4人兄弟の末っ子として生まれる。
浅井企画所属。 娘はタレントの関根麻里。『笑っていいとも!』『奇跡体験!アンビリバボー』『さんまのSUPERからくりTV』に出演。
「笑っていいとも!」にて家紋は丸に片喰であることを告白。


文仁親王妃紀子。1966年9月11日 – 、秋篠宮文仁親王の妃。
川嶋辰彦・和代夫妻の長女として静岡県静岡市で誕生。旧名、川嶋紀子。
本籍地は川嶋家父祖の地である和歌山市。 川嶋家の家紋は剣片喰。
身位は親王妃。皇室典範における敬称は殿下。
礼宮文仁親王と結婚。眞子内親王、佳子内親王、悠仁親王を出産。


中田敦彦。1982年9月27日 – 、コメディアン、司会者。
大阪府高槻市出身。愛称は「あっちゃん」。
よしもとクリエイティブ・エージェンシー所属のオリエンタルラジオのボケ担当。
『武勇伝』ネタの知名度が圧倒的だが、しゃべくり漫才もする。
「笑っていいとも!」にて家紋は剣片喰であることを告白。

まさむね