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橘紋 -桜とは好対象、生命力と長寿の象徴-

Monday, January 19th, 2009

平安京の内裏にある紫宸殿正面の階段から見て右には橘の樹、左には桜の樹があった。
一般に、右近の橘、左近の桜と対比される。

桜はどこか死の匂いがする樹木であるが、一方、橘は、その葉が寒暖の別なく常に生い茂っていることから生命力や長寿の象徴とされた。
橘という植物は柑橘類、和歌山県、山口県、四国、九州の海岸に近い山地に自生している。

橘紋の分布は全国では9位。桜紋よりも圧倒的に浸透している。
和歌山県、高知県で3位、奈良県、広島県、宮崎県で4位とやはり橘が自生している地域に広く分布している。

歴史上で、橘紋と言えば有名なのは、日蓮。

1222年の安房国長狭郡東条郷片海の小湊で誕生。
比叡山で学び、後に「南無妙法蓮華経」の題目を唱え始め立宗宣言し、日蓮宗の開祖となった。
そのため、日蓮宗関係の寺院では、この橘紋を使用するとところが多い。
写真は、谷崎潤一郎が眠る慈眼寺の寺門の井桁に橘紋を撮影したもの。

日蓮宗系の立正佼成会の関連施設である佼成学園の記章にも橘紋が使用されている。

また、奈良飛鳥地方に、聖徳太子生誕の地・橘寺があるが、そこの寺紋も橘紋だ。
そもそも、日本書紀によると、この橘とは、田道間守(たじまもり)という人物が垂仁天皇の勅命を受けて不老長寿の薬を求めて持ち帰った種をまいて芽が出てきた植物であった。
そして、その種をまいた地を橘と呼ぶようになっとのこと。
その橘寺には、聖徳太子が乗ったという黒駒像があり、胴に橘紋がついていた。

日蓮、山中鹿之助、井伊直弼、勝新太郎、江川卓、小和田家、北島康介...なんとなく、意志の強い系譜を感じさせる。

さて、橘紋を持つ有名人は以下。

宇佐美定満。1489年 – 1564年8月11日、戦国時代の武将。
宇佐美氏は伊豆国宇佐美荘から出た一族である。
越後上杉氏の家臣。上杉謙信の軍師「宇佐美定行」の名で知られる。
坂戸城近くの野尻池で政景と共に溺死し、死後に宇佐美氏は没落して枇杷島城も廃城になった。上杉二十五将、上杉四天王の一人であり、後世に越後十七将に数えられる。


前田玄以。1539年 – 1602年7月9日、僧侶・武将・大名。
前田基光の子として美濃で生まれる。
比叡山延暦寺に入ったが、織田信長に招聘されてその家臣となる。
後陽成天皇の聚楽第行幸では奉行として活躍している。
豊臣政権における五奉行の1人であり、丹波亀山藩の初代藩主である。


山中鹿之介。1545年9月20日 – 1578年8月20日、武将。
出雲国能義郡(現島根県安来市広瀬町)に生まれる。
尼子氏の家臣。 本姓は源氏。
家系は宇多源氏の流れを汲む佐々木氏(京極氏)の支流で、尼子氏の一門である。
尼子氏が衰亡していく中、御家再興のため、「願わくば、我に七難八苦を与えたまえ」と三日月に祈ったという。


山鹿素行。1622年9月21日 – 1685年10月23日、儒学者・兵学者。
陸奥国会津(福島県会津若松市)に生まれる。
朱子学を批判し、播磨国赤穂藩へ流罪となり、赤穂藩士の教育などを行う。
後に、吉田松陰等に影響を与えた。
主著は『中朝事実』『武家事紀』等。


井伊直弼。近江彦根藩の第13代藩主。江戸幕府の大老。
第13代彦根藩主・井伊直中の十四男として近江国犬上郡の彦根城で生まれる。
安政の大獄により多数の志士や公卿らを粛清。
尊攘派の怨嗟をうけ、安政7年(1860年)3月3日に水戸藩、薩摩藩浪士により、江戸城桜田門付近で暗殺された(桜田門外の変)。


井伏鱒二。1898年2月15日 – 1993年7月10日、小説家。
広島県福山市加茂町の生まれ。本名は、井伏満壽二(いぶし ますじ)。
『ジョン萬次郎漂流記』で第6回直木賞受賞。『本日休診』などで第1回読売文学賞小説賞。
1966年、野間文芸賞を受賞。同年に文化勲章も受章した。
主な作品は「山椒魚」「駅前旅館」「黒い雨 」など。


沖牙太郎。1848年5月10日 – 1906年5月29日、技術者・実業家。
広島県沼田郡新庄村に生まれる。
実家の農業を嫌い27歳で銀細工師の腕を資本に上京、工部省で電信技術に携わる。
我が国で初めて電気通信機器の製造・販売事業を興した。
明工舎(沖電気の前身)創業者。


弘田龍太郎。1892年6月30日 – 1952年11月17日、作曲家。
高知県安芸市に生まれる。一絃琴の名手であった。
児童雑誌『赤い鳥』が創刊されると、「赤い鳥運動」に参加、北原白秋等と組み、多くの童謡を作曲した。代表作は『鯉のぼり』『浜千鳥』『春よこい』『叱られて』など。
家紋は丸に橘。


三遊亭圓生(6代目)。1900年9月3日 – 1979年9月3日、落語家、舞台俳優。
父は松田万助、母はさだの長男として、大阪市西区で生まれる。本名は山崎松尾。
演目数は落語史上最も多かったのではないか言われている。100以上もの演目をすべてLP化した。上野のパンダのリンリンと同日に亡くなったため、死亡記事は小さかった。
NHK連続ドラマ『おはなはん』等に出演。「バカウマ」という言葉を流行語にする。


勝新太郎。1931年11月29日 – 1997年6月21日、俳優。
長唄三味線の杵屋勝東治の次男。本名:奥村利夫、愛称:かつしん。
妻は二代目中村鴈治郎の長女で同じ大映の女優・中村玉緒。兄は若山富三郎
映画関係者には勝の熱狂的ファンは多く原理主義的傾向を持つ信奉者が多い。
代表作は『兵隊やくざ』『座頭市』『悪名』『顔役』『人斬り』など。家紋は菊座橘。


池坊専永。1933年7月21日 – 、華道家。
華道家元四十四世池坊専威の長男。妻は衆議院議員の池坊保子。
もともと池坊の坊名は、聖徳太子が水浴したという池にちなんでつけられた。
国際科学技術博覧会で「いけばなときものの交響詩」で舞台用の超大作を制作する。
全国に広がる池坊家の華道教室『橘会』は家紋の橘紋からと思われる。


三遊亭楽太郎。1950年2月8日 – 、落語家。
東京都墨田区出身の落語家。円楽一門会所属。
師匠の名跡である6代目三遊亭圓楽を襲名予定。
1977年8月から「笑点」の大喜利に出演している。
家紋は、圓楽一門の定紋である三ツ組橘。(六代目三遊亭圓生と同じ形)


江川卓。1955年5月25日 – 、元プロ野球選手(巨人所属)、野球解説者。
福島県いわき市生まれ、栃木県小山市育ち。
作新学院高等学校のエースとして、ノーヒットノーラン9回・完全試合2回を記録。六大学野球では、法政大学で、通算47勝は史上2位、完封数17はリーグ記録。プロでは1981年に、最多勝、最高勝率、最優秀防御率、最多奪三振、最多完封の投手五冠に輝く。


朝潮太郎 (4代)。1955年12月9日 – 、元大相撲力士。
高知県安芸郡出身。本名は 長岡末弘。
高砂部屋所属。最高位は大関。北の湖に強かった。
現在は7代目高砂親方として協会役員待遇委員兼審判部副部長。
横綱朝青龍、朝赤龍等を育てた。


徳仁親王妃雅子。1963年12月9日 - 、皇太子徳仁親王の妃。
外務省職員の小和田恆・優美子夫妻の長女として東京都港区虎ノ門病院にて誕生。
1993年6月9日、皇太子徳仁親王との結婚に伴い、皇太子妃となる。
2001年12月1日、敬宮愛子内親王を出産。
写真は、雅子様、ご先祖の墓参りの際の写真より転載。


琴光喜啓司。1976年4月11日 – 、佐渡ケ嶽部屋所属の現役大相撲力士。
愛知県岡崎市出身。本名は田宮啓司(たみや けいじ)。
最高位は東大関。
敬宮愛子内親王のお気に入り力士としても有名。
デヴィ夫人からは化粧回しが贈られている。


北島康介。1982年9月22日 – 、男子競泳の選手。
東京都荒川区出身で、実家は西日暮里の道灌山通りにある精肉店「肉のきたじま」(株式会社北島商店)を経営。アテネオリンピック並びに北京オリンピック100m平泳ぎ、200m平泳ぎの金メダリスト。また、100m及び200m平泳ぎの世界記録保持者。
画像は実家の北島商店名物のメンチカツサンドのパッケージについた橘紋。


まさむね