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朝青龍ガッツポーズに横審が物言い。楽しくなってきた。

Saturday, January 31st, 2009

朝青龍の優勝直後のガッツポーズに横綱審議委員会がクレームをつけたという。

やはりそう来たか、という感じである。
横審としては当然の対応だ。
    ◆
実のところ、僕は、ガッツポーズぐらいいいじゃないかという立場でも、品格に欠けるからダメだという立場でもない。
自由奔放な横綱がガッツポーズをした。>それに対して監視する横審が文句をつけた。
いい流れになったな、と見ているというのがとりあえずの立場だ。

おそらく、そうやって相撲界全体が、ワサワサする、日本中があれこれ議論する、話題になる、マスコミが騒ぐ、次の場所にさらに注目が集まる。
そういった大相撲が長年培ってきた興行会社としての手法(戦略)をトータルで見世物として楽しむ、というのが僕の興味なのである。

それにしても、大相撲というのは日本が生み出した、実に日本らしい大発明である。
土俵上の仕草にしても、一つ一つはもったいぶっていて、意味ありげだが、実は、”それらしいもの”の寄せ集めなのである。
誰も確かな意味とか、起源とかを気にしない。
それでいいのだ。
気になって、調べてみたら、以外に戦後からのものとかが多い。伝統でもなんでもないのだ。
そんなものなのだ。

例えば、土俵にいるという神様。これは、戦前は、天地開闢の十二柱=神代七代の神だったのが、戦後、一人の行司と相撲評論家が二人でただの三柱にしてしまった。
おそらくGHQから文句をつけられないかという事で自粛してそうしたというのだ。(詳細は、「女はなぜ土俵にあがれないのか (幻冬舎新書)」内館牧子参照の事)

こんな日本的なおおらかさに満ち溢れた大相撲という見世物は素晴らしいと僕は思う。

日本人は今まで、カラオケとかアニメとかいろんなものをオリジナルとして世界に発信してきたが、大相撲も、世界に出て行けるには十分な魅力を持っている。

何よりもあの、丸い土俵というもののオリジナリティは凄い。
決まった枠の外に出たら、それだけで負けというのは世界広しといえども、相撲だけだ(だけらしい)。
これによって、立会いに頭からぶつかりあうという迫力という意味では世界でも稀有な格闘技が生れたのである。
もしも、土俵というものが無かったら、作戦としてどこまでも逃げ回るという手が出来てしまう。

その昔、元相撲取りがオクタゴンに入って、相手のキックボクサーを金網まで押していって、そこで何もする事が無くて、顔面を蹴られてKOされたという試合があったが、もしも土俵が無かったら、相撲の技はほとんど通用しないものになってしまうのである。
また、土俵があるから、強い者もたまに、しくじったり、小さい者が勝ったり出来るのだ。
    ◆
僕が夢見るのは、は世界中の巨人達が両国国技館で闘う風景だ。
とりあえず、アフリカのセネガルには”セネガル相撲”(日本名だけど)という独特の格闘技があるらしい。
それは日本の相撲とよく似た技が存在するらしい。(立会いがない等、異なる点も多いらしいけど)。
一度、80年代に彼等を日本に連れてこようとしたらしいが、その時は、髷が結えないのでは?ということで話が無くなったという。
全く、もったいない話だ。髷なんてなんとでもなるではないか。床山さんの技術ならば...

ブルガリアというヨーグルトくらいしか知られていない国に、”角界のベッカム”琴欧洲がいたではないか。
エストニアというバルト海の小さな国でさえ、あの”バルチッククレーン”把瑠都がいたではないか。

これからは日本のソフトパワーだと言っている政府の方々、外務省職員の方々、是非、全世界からそういった人材を集めてもらえないだろうか(と切に願うばかりだ)。

そして、彼等が大相撲に入門する、そしてまた何か問題を起こす。相撲界がまたワサワサと揺れる、日本中があれこれ議論する、マスコミが騒ぐ、相撲に注目が集まる。
これが、全部で楽しみなのである。
    ◆
さて、こうしているうちに、若麒麟が大麻で逮捕されたというニュースが入ってきた。
尾車親方は即刻、若麒麟を引退させた。ということらしい。
これに関しては、また後日、語ってみたいと思う。

まさむね

朝青龍完全復活は格闘家としての本能の勝利だ

Sunday, January 25th, 2009

大相撲初場所が終わった。

結果はご存知の通り、朝青龍が23回目の優勝を果たした。。
貴乃花の22回を抜き、北の湖の24回にあと1回と迫った。大記録だ。

思えば、今場所の朝青龍は、誠に危なっかしい出足だった。
三場所の全休。稽古も十分に出来ていない。
場所前のけいこ総見では、白鵬に全くかなわなかったという。
多くの評論家が今場所は出場さえしないのではないかと予想していた。
そんな中で朝青龍は出場を強行したのだ。

最悪の場合、引退をかけての出場になる。大丈夫か朝青龍。

初日は、そんなプレッシャーの中での稀勢の里戦である。
もともと、苦手としていた相手だ。大相撲協会も酷なことをするものだ。
    ◆
その一番、立ち会いに稀勢の里に突っ張られ、右上手を取られ、土俵際まで追い詰められた。
しかし、そこから朝青龍の逆襲が始まる。
その後、左を巻き変えて怒涛の逆寄り。
最後は、右と左と、稀勢の里への顔面に張り手。
追い詰められた横綱の意地が表れた瞬間だ。

朝青龍の強さの源はこの意地である。
格闘家本来の、絶対に負けたくないという気持ちが人一倍強いのだろう。
勿論、日々の稽古が大切というのは言うまでも無いことであるが、朝青龍の存在は、それ以上に本番での気迫が重要である事を改めて示してくれた。
    ◆
同様のシーンは、7日目の嘉風戦でも見られた。
嘉風は、先場所、前頭12枚目で11勝し、今場所、初めて朝青龍と対決する位置(前頭2枚目)まで上がってきた新進気鋭の若武者である。
普通、初顔合わせの力士は横綱に対しては、ほとんど何も出来ないのだが、この嘉風は違った。
立会いのから激しい張り合いの応酬、その中で嘉風は、朝青龍の顔に張り手に行ったのである。
勝負は、朝青龍が送り出しで辛勝したものの、勝負がついた後、勝ち名乗りを受けている時でもまだなお、朝青龍は嘉風をにらみ続けていたのだ。

「横綱としての顔」を超えた、格闘家・朝青龍としての本能を垣間見せた一瞬であった。
おそらく、こういった表情を出せる力士は、朝青龍をおいて他にはないのではないだろうか。
相撲の本質はやはり、格闘技である。そして、格闘技の本質は相手を倒したいという本能である。
そして、現在の大相撲の力士の中で、その格闘家としての本質を、最も身に付けているのが朝青龍なのである。
    ◆
そして、ついに迎えた本日の優勝決定戦。
本割の立会いに失敗し、白鵬に完敗して、1敗同士で並ばれた朝青龍。
決定戦を待つ間、支度部屋で立会いの練習を繰りかえす朝青龍。
一方の白鵬は目をつぶって精神統一。
対照的な二人の姿。追い詰められた朝青龍、と誰もが思っただろう。

しかし、朝青龍は強かった。立会い鋭く、白鵬の左下手を引き、頭をつける。白鵬に左をささせない。
そして、一気に白鵬を土俵の外に寄り切ったのだ。

おもわず、土俵上でガッツポーズを見せる朝青龍。
日頃、「横綱の品格」とやらを口にするような。いわゆる・うるさ型(やくみつるや内館牧子達)を完全に黙らせる、乱れ髪のままの喜びのポーズだ。
そして、花道を引き上げていく時、うっすら目に涙を浮かべて顔をぬぐう朝青龍の姿は、誰をも感動させたシーンであった。
    ◆
まだまだ朝青龍は大丈夫だ。
今回の優勝も嬉しいが、来場所からも、またその勇姿を見れるのは何よりも嬉しい。

まさむね

朝青龍ついに始動。その豪放磊落さ健在か。

Wednesday, December 3rd, 2008

久々に朝青龍が地方巡業に顔を出した。

テレビの報道でしか知る良しもないのだが、なかなか元気そうだ。
成績によっては、来月の初場所で引退を迫られる立場とは思えない、彼独特の解放的な雰囲気がたまらなく魅力的だ。
朝青龍を見ていると、元々、品格などという矮小な概念を押し付けてきた我々が間違っていたのではないかとも思わせる。

僕は横綱は神的な存在でなくてはいけないと常々思っているが、神だっていろいろといるのだ。
アマテラスのように、嫌な事があると岩戸に隠れちゃうのもいれば、スサノウのように悪戯が過ぎて、天から地に追放される神もいる。
さらに言えば、アマノウズメのようにストリップをする神も、オオクニヌシのように心優しい神もいる。

ようするに神と言っても、いろいろなのだ。
だから、横綱にだっていろんなのがいていいのではないか。
輪島や双羽黒のようなトンパチな横綱もいれば、貴乃花のような求道的な横綱も、大乃国のようにおおらかな横綱がいてもいい。
僕はそれこそ、日本的だと思っている。

折口信夫のマレビトの思想によれば、日本人にとって神は常に「外」からやってくる(いわゆる来訪紳)だったという。
だから、最近の、ハワイ勢、モンゴル勢が横綱になるっていう傾向は、逆に本来の神々の格闘の場としての大相撲になりつつあるとすら言えるのではないか。

さて、それはともかく朝青龍だ。
キャラクタの印象で言うならば、朝青龍の豪放磊落さは、内向的な白鵬との対比において、見事に好一対を示している。
また、相撲スタイルという面からも、スピードのある立会いから攻め続ける朝青龍のスタイルは、逆になるべくリスクを排除しようとする王道の横綱・白鵬のスタイルと好一対を示している。
東西の横綱が揃うと必ず、こういった好対照に見えるのが相撲の面白いところだ。

求道的な貴乃花と、豪快な武蔵丸。
スピードの千代の富士と、おっとりした大乃国。
無骨な北の湖と、スマートな輪島。
あぶなっかしい柏戸と安定感のある大鵬。

先ほども少し述べたが、こんな追い詰められた状況にありながら、それでも明るさを失わない朝青龍の肝玉は、僕はやはり一流だと思う。

一方、朝青龍を迎え撃つ側にも目配りしておこう。

白鵬だって、朝青龍が出てきたからといってむざむざ優勝杯を明け渡すわけにはいかないだろう。
安馬改め日馬富士も、今まで公私共に面倒を見てもらった朝青龍にそれこそ、相撲用語での恩返しがしたいところだ。
そういえば、魁皇も大関カド番だった。必死で来るだろう。
琴欧洲も、毎場所8勝で満足しているわけがない。初場所は優勝を狙ってくるに違いない。
琴光喜だって、優勝する力は十分に持っている。
さらに把瑠都がパワーアップしてくるだろうし、稀勢の里、豊ノ島、琴奨菊もいつまでも日馬富士の後塵を排しているわけにはいかない。

というわけで、早くも初場所が楽しみだ。

無知なマスコミに釣られて、若ノ鵬、露鵬、白露山なんかを相手にしている場合ではないのだ。
個人的にはこの3人への未練を捨てきれないんだけどね...

まさむね

横綱同士の一触即発に思う

Monday, May 26th, 2008

昨日の大相撲夏場所千秋楽、結びの一番終了直後にで起きた横綱同士の一触即発状態。

北の湖理事長は「朝青龍のダメ押しについては勢いというものがある。しかし、白鵬の行為はいただけない。横綱は、どんなことがあってもカーッとなってはいけない」とコメントし、各方面から、悪いのは朝青龍だろうとか、喧嘩両成敗的な批判が相次いだ。

北の湖理事長の真意について、夏のモンゴル巡業を控えた政治的な意図を詮索する向きもあるようだが、俺は理事長の見解には納得出来る。
思い出してみれば、現役時代の北の湖は、土俵に転がした相手や土俵の外に突き出した相手に対して、決して助けの手を差し伸べなかった。その態度が当時から傲慢とか、ぶっきらぼうとか言われたものだが、そこには、確実に「くやしかったら立ち上がって来い」的な哲学があった。

正直言って、当時は、北の湖ファンだったからよく覚えているんだよね、俺。

だから、そんな北の湖の哲学からすれば、朝青龍のダメ押しが流れの中での出来事と見えるということは十分ありえたのではないだろうかと思うわけです。

まさむね