CDのミリオンセラー(シングル)が出なくなったよね。
このままで行けば、今年は一曲も出ないかもしれない。
おそらく、こんなことは、1990年以降では初めての状況である。
でも、こんな時代ではあるけど、現在、最も、今日的なメジャーアーティストは誰かと問うならば、EXILEという答えに異存無い人は多いと思う。それほど、彼らの楽曲はヒットチャートの常連なのである。
さて、このEXILEであるが、その特徴はR&Bを基礎とした官能的なサウンドと世界観にある。
わかりやすい言葉で言えば、その世界は「不在の彼女(彼氏)が残していったぬくもりを愛おしく思う一瞬」を歌にした感じだ。
例えば、彼らの代表曲「ただ・・・逢いたくて」。
ただ逢いたくて…もう逢えなくて
くちびる噛みしめて泣いてた。
今逢いたくて…忘れられないまま
過ごした時間だけがまた一人にさせる
そして、昨年のヒット曲「I believe」。
君のもとへ飛んで行きたい
いつもそばで感じていたい
瞳閉じて君を映し出す
今だけは寄り添って 君だけを感じたい
繋いだその手を 離さないように
君がいる季節は 何よりも輝いて
優しく包んでくれるから
さらに、最新のヒット曲「Ti amo」。
日曜日の夜は ベッドが広い 眠らない想い 抱いたまま朝を待つ
帰る場所がある あなたのこと 好きになってはいけない わかってたはじめから
どれだけの想いならば 愛と呼んでいいのでしょうか?
この胸をしめつけてる この気持ちに名前をください
これらの歌詞には、くちびる、瞳、手、胸という肉体的な言葉がちりばめられているが、それが彼らの創り出す世界をなまめかしくしているんじゃないかな。
相手の不在を想い、心を焦がすというのは、恋の基本シチュエーションだが、このEXILEの世界の艶かしさって、どこかであったなぁと思い返してみると、実は日本の伝統、平安王朝の和歌の世界がまさにそれなんだよね。言うまでもないんだけど、平安時代の貴族階級ってのは、通い婚なんだよね。男が女の屋敷に夜這いをかけるのが唯一の逢う方法。だから、女は待つしかない。その待つ身の切なさが平安文学を生む土壌にあるんだよね。
例えば、その代表歌が、待賢門院堀河の有名な一首。百人一首にも引かれてるから知ってる人も多いと思う。
ながからむ心もしらず黒髪の乱れて今朝はものをこそ思へ
(ずっと好きだよって言うあなたの気持ちも、本当かなぁって思ってしまう。あなたが行ってしまった朝の寝乱れた黒髪のように心が乱れるんだから)
また、同じく百人一首にある藤原道綱の母の一首。
嘆きつつひとりぬる夜の明くるまはいかに久しきものとかは知る
(また、来てくれなかったあなたのことを嘆きながら過ごす独り寝の夜が、こんなに長いなんて、あなた、わかってるのかしら)
ねっ、EXILEの世界と通底しているでしょ。
EXILEが、現代日本で受けているのは、R&Bのリズムと日本独特の平安貴族の感性の融合が生み出す肉体性(官能性)なんじゃないかな。
だから、昨年の日本レコード大賞の授賞式で、最優秀歌唱賞受賞の瞬間、ATSUSHIの後ろで作り笑いをしていたパフォーマーの面々、そんな顔をする必要は無いんだよ。
パフォーマー達のダンスがあるからこそ、EXILEの世界の肉体性がリアリティを帯びるんだからね。
まさむね