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桜の欺瞞性と太田光夫妻

Sunday, October 26th, 2008

「憲法九条を世界遺産に」(集英社新書 太田光、中沢新一)の中に太田光が桜に関する小文を書いている。

今、手元にその本が無いので、記憶で書かせてもらうと、この小文の中に彼の妻が、花見で桜を見た後に気分が悪くなって、精神の安定を失ってしまった時の事を書いている。
彼女は、その時、花屋から薔薇の花を買ってきて、部屋の中に飾り、自分の精神を落ち着かせたというのだ。

太田光がその出来事を分析して言う。
桜は、見る人に狂気と毒を想起させる。しかし、自らがそういった狂気と毒を内包していることを隠している。
一方、薔薇は自らの危険性を棘という形で表現している。彼の妻はその薔薇の正直さに安心して、精神が落ち着いたのではないかと。

さらに、彼は、その桜のあり方を、憲法九条に、日本のあり方に、そして、自分自身に重ね合わせる。
自分の中のもう一人の自分の狂気と毒を常に意識し続ける太田光は、全ての物事を、自分の根っからのテーマに直結させて考える。
いや、彼は自分の意志で考えているというよりも、何物かによって考えさせられているといった方が正確なのかもしれない。

そういう時の彼は、正直者だ。
そして正直であると言うことは、表現者にとって最も大事なことだと僕は思う。

さて、桜というイメージに関して、僕も前々からいろんな事を考えている。

古事記においてニニギノミコトの妻、コノハナサクヤ姫(=桜の精)は生命の弱さの象徴であること。
源氏物語では桜は凶兆の花であること。
西行にとって、桜の根は、自分が死すべき場所であったこと。
世阿弥にとって、桜は死霊が蘇る宿り木であったこと。
秀吉にとって吉野の大花見会は、いままで戦で亡くなった人々への壮大は弔いの儀式であったこと。

そして、近代国学の祖・本居宣長において、桜は、大和心の、そしてその後の勤皇家によって、武士道の象徴となっていく。

敷島の大和心を人問はば朝日に匂ふ山桜花(本居宣長)

しかし、実は、リアルな死や闘いは。桜で象徴されるような可憐なものとは程遠い。
武士道は、死ぬためのイデオロギーではなく、本来は何としても生き延びるための醜い程、姑息なノウハウだったのではないか。
しかし、明治以降、桜はさらに国家主義と結びついて純化していくのだ。

ちなみに、明治国家主義を支えた様々なシステムには、桜が紋所として徴されている。
陸軍、海軍、学習院、靖国神社、そして大相撲...(あんまり関係ないが、狩野英孝の生家の桜田神社も。)

この桜の欺瞞性に対して、太田光、そして、彼の妻は激しく反応した。

やっぱりあの夫婦の感性は天才的だ。

まさむね

桜(1)その国家主義的象徴

Tuesday, March 18th, 2008

武士道という観念は、武士が具体的な戦闘で死ぬ必然性が無くなった江戸時代に入ってからイデオロギー化した。
その武士道を精神運動として美学的にサポートしたのが本居宣長をはじめとする国学者であった。

敷島の大和心を人問はば朝日に匂ふ山桜花 (本居宣長)

靖国神社の遊就館に入ると最初に飛び込んできたのがこの和歌である。この頃から、桜とナショナリズムが融合していったんだろうな。そして、武士道というイデオロギーもそれに近いところに存在していた。

実際は、江戸時代の後期には、武士階級はほとんどが事務員と化していた。また、仕事の無い旗本なんかは隅田川に船を浮かべて、桜を見ながら粋だとかなんとか言っていたんだろう。
だから、彼らに実際の戦闘行為が出来たかというとはなはだ怪しい。例えば、現代の公務員にいきなり刀や槍を持たせて戦えというのと同じように、当時の武士階級に、無理やり、先祖伝来の具足を付けさせて戦場に駆り出したのが、長州征伐や鳥羽伏見の戦いだったんだろうね。
そしてそこでは、多くの直参、旗本達は愚痴を言いながら、アリバイ作りのためにとりあえず、戦場に赴いたんだと思う。

逆に、幕末の戦闘において、奇兵隊とか新撰組とかの非武士階級の方が武勇をとどろかせたのは、むしろ彼らのほうがより、意識的に「武士とは何か」「戦うとは何か」「そして何のために死ぬのか」を考えるポジションにあったからだ。

ところが、その答え、一体誰のために死ぬのかという思想が、この幕末から明治維新にかけて大きくかわったんだよね。江戸時代にあった家のために死ぬ、藩のためにしんで名誉を残すというロジックが、この時期、国家のために死ぬというイデオロギーにスリ替わったんだよね。

その、国のためにパッと散ってこそ、大和心という思想の象徴として、山桜紋が国家主義的戦略組織の印として散見されるようになる。

陸軍、海軍、学習院、靖国神社、そして大相撲、今でもこれらの組織の紋所には山桜が使われているんだ。
戦国時代より以前には、桜紋はほとんど広まらず、逆に「桜」は死霊を呼び寄せる、あるいは不吉な予兆として意識されていたのに、そういった日本の伝統は幕末>明治に強引に変わったんだよね。

2へつづく

まさむね