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桔梗紋 -反骨と悲劇の紋-

Wednesday, January 14th, 2009

桔梗紋は反骨と悲劇の紋である。

元々は、清和源氏流土岐氏の使用紋であった。
一族の明智光秀は、主君の織田信長を襲撃した本能寺の変の後、豊臣秀吉との山崎の合戦に破れ、最期は土民の竹槍にさされて死んだ。
水色の桔梗紋は、明智の印として、栄光の目印から一気に、反逆の、そして悲劇のイメージを帯びるようになった。

時が経ち、その水色の桔梗紋をシンボルマークとして、急成長するも、最終的に倒産してしまった会社が現れる。
英会話のNOVAである。
NOVAは英会話産業というニッチな市場を、「駅前留学」というコンセプトで開拓。時代の寵児ともてはやされた。
しかし、その急成長の影で会員との間で様々なトラブルが発生していたのだ。

それが元で悪評判が広まり、一方で社内の不正も発覚。急速に収益が悪化、一気に倒産してしまった。
その後、名古屋市の学習塾経営会社、ジー・コミュニケーションが事業引継を行うのだが、NOVAから桔梗のマークは消えた。

桔梗紋の全国分布では、鹿児島が3位、和歌山が6位、本家の岐阜では7位である。

桔梗紋の有名人は以下。

太田道灌。1432年 – 1486年8月25日、武将。武蔵国守護代。
本姓は源氏。家系は清和源氏の一家系である摂津源氏の流れを汲み、源頼政の末子で鎌倉幕府門葉となった源広綱の子孫にあたる太田氏。
扇谷上杉家家宰太田資清(道真)の子で、家宰職を継いで享徳の乱、長尾景春の乱で活躍した。江戸城を築城した武将として有名である。最期は暗殺死。家紋は丸に細桔梗。


山県昌景。1529年 – 1575年6月29日、武将。
飯富虎昌の弟とされている。旧名は飯富源四郎。はじめ武田信玄の近習として仕える。
武田軍が圧勝した三方ヶ原の戦いにおいて徳川家康本陣に突進し、武田軍の背後を狙ったはずの家康軍を返り討ちにした。
長篠の戦いでは撤退を進言したが容れられず、体中に銃弾を浴びて戦死する。


明智光秀。1528年 – 1582年7月2日、武将。
明智氏の本姓は源氏。美濃源氏の流れを汲む土岐氏の支流。
家系は清和源氏の一家系で摂津源氏の傍流と言われている。
信長の家臣として功を重ね、織田大名の総合指揮権を与えられた。
本能寺の変で信長を倒すが、山崎の合戦で秀吉に破れ、最期は土民の竹槍に突かれて死す。


加藤清正。1562年 – 1611年、武将・大名。
尾張の鍛冶屋の子として、尾張国愛知郡中村に生まれる。
豊臣秀吉の家臣として仕え、各地を転戦し。秀吉の死後も豊臣家に忠義を尽くした。
関が原戦いでは東軍につき活躍。戦後、肥後一国を与えられた。
家紋は桔梗と蛇の目を使用。写真は供養塔(本門寺)で撮影。


坂本龍馬。1836年1月3日 – 1867年12月10日、幕末の日本の政治家・実業家。
清和源氏の一支族美濃源氏土岐氏の庶家、明智左馬助秀満の末裔を称する。
土佐藩脱藩後、貿易会社と政治組織を兼ねた亀山社中・海援隊の結成、薩長連合の斡旋、大政奉還の成立に尽力するなど、志士として活動したが暗殺される。
龍馬の桔梗紋は、「組合角に桔梗紋」。


大村益次郎。1824年5月30日 – 1869年12月7日、長州藩の医師、西洋学者、兵学者。
周防国吉敷郡鋳銭司村字大村に村医の村田孝益の息子として生れる。
長州征討と戊辰戦争で長州藩兵を指揮し、勝利の立役者となったが暗殺される。事実上の日本陸軍の創始者。靖国神社の境内(参道)に銅像が建っている。
NHK大河ドラマ「花神」の主人公。原作は司馬遼太郎。


山岡鉄舟。1836年7月23日 – 1888年7月19日、武士・幕臣。
江戸本所に御蔵奉行・小野朝右衛門高福の四男として生まれる。
江戸無血開城を決した勝海舟と西郷隆盛の会談に先立ち、西郷と会談。
その行動力は、西郷をして「金もいらぬ、名誉もいらぬ、命もいらぬ人は始末に困るが、そのような人でなければ天下の偉業は成し遂げられない」と賞賛させた。


川上眉山。1869年4月16日- 1908年6月15日、小説家。
大阪生まれ。本名・亮。別号、煙波山人。
帝国大学文科大学在学中から創作をし、「墨染桜」で注目される。
「書記官」、随筆「ふところ日記」などが代表作。
39歳という若さで自殺。家紋は丸に桔梗。


正宗白鳥。1879年3月3日 – 1962年10月28日、劇作家、文学評論家。小説家。
岡山県和気郡穂浪村に生まれる。江戸時代の正宗家は代々網元であり、高祖父の雅明の代までは材木商も営んだ財産家であった。本名は正宗忠夫。
自然主義文学に新分野を開き注目された。代表作は『何処へ』『人間嫌ひ』『銀座風景』等。家紋は、桔梗。


野呂栄太郎。1900年4月30日 – 1934年2月19日、マルクス経済学者。
北海道長沼町に生れる。
戦前の日本共産党の理論的指導者の一人であるとともに党幹部として実践活動にも関わった。
1933年11月、スパイの手引きで検挙され、品川警察署での拷問により病状が悪化し、絶命。
『日本資本主義発達史』が主著として有名。


東儀鉄笛。1869年7月24日 – 1925年2月14日、雅楽家・作曲家・俳優。
1300年続く雅楽の家柄に生まれ、宮内庁雅楽寮に勤める。同じ姓でも、江戸幕府に仕えた楽師の末裔にあたる雅楽演奏家・東儀秀樹とは別家系。「都の西北 早稲田の森に…」の歌い出しで有名な早稲田大学校歌の作曲者として知られている。
家紋は、桔梗の花弁の間に剣を配する「丸に剣桔梗」。


柳田國男。1875年7月31日 – 1962年8月8日、民俗学者。
兵庫県神東郡田原村辻川に儒者・松岡操の六男として生まれる。松岡家は代々の医家。
柳田家の養嗣子として入籍する。養父直平(旧・飯田藩士)は大審院判事であった。
農商務省のエリート官僚という立場で日本民俗学を確立する。
代表作は『遠野物語』『山の人生』等。家紋は大の字桔梗。


小池朝雄。1931年3月18日 – 1985年3月23日、俳優、声優。
東京都出身。オーバーアクションの怪優として映画、テレビに脇役として数多く出演。『仁義なき戦い』シリーズを始めとする東映ヤクザ映画で印象を残す。また、勝新太郎にたいへん気に入られ、勝製作の映画、ドラマの常連でもあった。『刑事コロンボ』の吹き替え、『あしたのジョー』のエンディング・テーマ『ジョーの子守唄』では歌手での歌手としても知られている。


山田康雄。1932年9月10日 – 1995年3月19日、俳優、声優、テレビ司会者。代々役人の家系で、父は日本銀行勤務であった。劇団民藝、テアトルエコーなどの劇団を渡り歩くが、海外テレビドラマ『ローハイド』の吹き替えにおいてクリント・イーストウッド演じるロディ役に抜擢され、一躍有名になった。一般に「ルパン三世の山田康雄」として知られていたが、風貌までルパンに似ていた。映画では、ジャン・ポール・ベルモンド、ピーターフォンダの吹き替えもしている。


14代・井筒。1961年6月18日 – 、元大相撲力士、親方。
鹿児島県姶良郡加治木町出身。鶴ヶ嶺(元関脇)の次男。本名は、福薗 好昭。
最高位は関脇。「相撲巧者」と言われ、技能賞の常連となる。
井筒3兄弟と言われ、長兄が鶴嶺山、次男が逆鉾、三男が寺尾。
現在は年寄・井筒を襲名し、井筒部屋で後進の指導に当たっている。


SHOCK EYE。1976年12月14日 – 、レゲエミュージシャン。
神奈川県鎌倉市出身。血液型A型。本名:植村家浩。初代高取藩の藩主:植村氏の末裔。
人気レゲエグループ「湘南乃風」のファッションリーダー。
湘南乃風代表作品『カラス』『純恋歌』『黄金魂』『睡蓮花』等。
家紋は、丸に竜剣に一文字、「植村桔梗」とも呼ばれている。

まさむね



大河ドラマ「篤姫」の視聴率がよかった11の理由

Thursday, December 18th, 2008

NHK大河ドラマ「篤姫」が高視聴率で全50話終了した。
平均視聴率は、24.5%で、ここ最近10年の大河では最高を記録したという。それによって、某視聴率稼タレントKさんが再来年の出演を尻込み、辞退し、結局、福山雅治に決定したとの噂話にもリアリティがある。
また、2008年のヒット商品番付では、関脇に選出された。
全体的にNHKの番組が支持されたこの1年であったが、その代表選手がこの「篤姫」だったのだ。
それは何故なのだろうか。

ヒットの理由を僕なりに考えてみた。

1)主演・宮崎あおいの魅力
宮崎あおいは、天璋院・篤姫の生涯のうち、12歳~49歳までを演じた。
彼女は、子役としてデビュー後、映画「NANA」等で好演し、評価を徐々に上げ、史上最年少で大河の主役に抜擢される。
史上最年少(22歳1ヶ月)の主役として、放映開始前から話題になった。
実際、スタジオで台本を持っているところはほとんど見られなかったというほど、完璧な役作りで、彼女自身が本当の篤姫になったかのごとく、を見事演じきった。
実際、江戸城開城を前にして、一千人の女中に大奥明け渡しを伝えるシーン撮影の前夜はソワソワしてしまったという。それほど、役にのめり込んでいたという事だ。

2)幕末という大変革の時代と現代とがシンクロ
現代は100年に一度の大変革の時代と言われている。多くの日本人はそんな激流の中、将来への不安を心に抱いている。
そんな現代という時代状況が、篤姫が生きた幕末と酷似していると言われている。
特に、徳川幕府の大奥という、あの時期、衰退を余儀なくされた既得権益集団をどう、終わらせていくかという、一見地味だけど、物凄く困難な状況を乗り切った篤姫の人間性、判断力、説得力が、これから退潮を余儀なくされるであろう現代社会を生きる、多くの日本人の共感を呼ぶところだったのではないか。
現代に蔓延する閉塞感を切り開くためにはどうしたらいいのか。視聴者一人一人が、こういった疑問の答えを模索する中で、篤姫に惹かれたのではないかと思う。

3)周りの男性が草食系
篤姫が子供の頃から男勝りで積極的な少女として成長したが、彼女を取り巻く男達は、それに比べて情けない性格で、最近よく言われる草食系男子として描かれていた。
積極的に女性を求め、ギラギラした人物はあまり、出てこないのだ。
草食系男優の代表格・瑛太が小松帯刀を、ひょうひょうとした性格俳優の堺雅人が徳川家定を演じた。
瑛太は、尚五郎の情けない青年時代から、時代を動かすほどの傑物・帯刀への成長を上手く演じた。
篤姫と再会すると、以前の尚五郎に戻って伏し目がちになるところ等、出色だ。
また、他の人々の前では”うつけ”のフリをしているのだが、篤姫との寝室だけ、本来の聡明さを見せる家定は魅力的だ。
第48回放送時に、幻影として復活した家定が再び”あの世”に帰ろうとする時に、一瞬、篤姫がついて行こうとするシーンは、大河史上でも名場面として今後も語り継がれるだろう。
さらに、松田翔太も、若いながら気品と思いやりのある名君・次代将軍の家茂をよく演じていた。

4)大奥バトルという見せ場
フジテレビのドラマ「大奥」等によって、江戸時代の大奥で繰り広げる女の戦いが、見せ場として認知されてたという背景がある。
今回の場合、大奥だけにとどまらず、篤姫の教育係の幾島(松坂慶子)との確執、島津斉彬の妻の英姫(余貴美子)との確執、家定の母・本寿院(高畑淳子)との確執、大奥総取締りの滝山(稲森いずみ)との確執、そして皇女和宮(堀北真希)との確執等、様々な闘いを持ち前の明るさで乗り切るシーンはそれぞれ見せ場を作った。しかも、それぞれのシーンは上品さ(例えば、和宮の堀北真希)、ユーモア(例えば、本寿院の高畑淳子)、適度な嫌味(例えば、庭田の中村メイ子)によって、陰湿な感じを抱かせなかったのがよかったと思う。
こうしたシーンは、普段、女同士の闘いに疲れている現代のOL達、主婦達に支持されたのではないか。

5)衣装美術等のアイテムが本物志向
他局での大奥物の衣装が、金柄の布で派手さをアピールしているのに対し、今回の大河ではあくまで史実に忠実であろうと、柄よりもむしろ生地に本物らしさを感じさせた。
また、手元の小道具や、駕籠などの大道具、大奥の庭、建物などもリアリティがあった。
惜しむらくは、西郷の家紋が蛤門の変の時点で抱き菊になっていた点、水戸家の家紋が徳川宗家と同じだった点など、家紋に関する考証はいまひとつだった。

6)篤姫のシンデレラ結婚、上流生活への憧れ
今年の流行語のひとつに婚活というのがあった。
最近の女性(男性も)は積極的に結婚のための活動をしなければならない時代になったという事だ。
そのように、ある意味厳しい時代を生きざるを得ない結婚願望のある女性達にとって、許婚制度、篤姫の玉の輿婚は憧れであろう。
また、(様々な苦労はあるのだろうが、)篤姫に登場する江戸城大奥での上流階級の生活も庶民にとっては、垣間見てみたい世界なのである。

7)幕末のキャラは一応おさえる
篤姫の時代は、歴史ファンの間にも人気のある時代だ。
特に坂本龍馬、西郷隆盛、勝海舟等は人気があるが、「篤姫」では彼らを上手に話の中に取り込んでいた。
しかも、幕府側からみた幕末、という今まであまりなかった視点は新鮮を感じさせ、歴史ファンを喜ばせてくれたのではないか。
また、西郷と大久保の二人の関係を、それぞれの不遇の時期、活躍の時期の表情を、原田泰造、小澤征悦の二人がよく表現していた。

8)ドラマ全体から伝わってくるメッセージが現代的
篤姫が様々な試練を前にして、決断を迫られる時、義父・島津斉彬(高橋英樹)、実母・お幸(樋口可南子)、家定(堺雅人)からのメッセージを思い出す。
それらは、最終的には「己の信じた道を進みなさい」という価値に集約される。
江戸時代の武家の女がこのような価値観を持っていたかどうかの歴史考証は置いておくとして、行動原理が自分の外のどこか(宗教、慣習、学問等)にあるのではなく、自分の中の素直な気持ちにあるという価値観は、いわゆる戦後民主主義の価値観と通底している。
現代人に自然に入っていったのではないか。
また、「最終的に家族を大事に」というメッセージもあったが、その大事にするものは、血のつながりではなく、財産でもなく、(徳川の)心なのである。
それではその心とはさらに具体的に言えば何なのかという点は深くは掘り下げられてはいないが、逆に具体的でないがゆえに多くの視聴者の心に響いたのではないか。

9)歴史上での篤姫の失敗を上手くカバー
実は、この作品が世に出るまで、天璋院は不幸な女性と言われていた。
政略結婚で大奥に入るが、夫の家定はすぐに亡くなってしまう。息子の家茂も夭逝してしまう。
そして、和宮との確執。大奥明け渡し、明治に入ってからは旧女中達の面倒を見るなど、苦労に苦労を重ねた人生のように言われていた。
特に明治時代以降は、時代背景もあって、和宮と対立した天璋院の評価は低かったのだ。
しかし、今回のドラマではそういったネガティブな天璋院像はなかった。
むしろ、前向きで明るい人生であるように表現されていた。この演出力は素晴らしい。
また、一橋派の策略(慶喜擁立)に失敗。徳川幕府存続にも失敗している。ただ、その失敗はドラマの中では、”大事なのは、権力の保持でも城に居座る事でもない。家の心を残すことだ”という価値観によって、見事に、自然に正当化されて表現されていた。あまり不自然には感じられなかったのである。

10)ボーイッシュな女性が活躍する現代という時代背景
最近の芸能界で活躍している女性を見てみると、一様にボーイッシュな女の子が人気となっている。
以前(10年位前)、イエローキャブの女の子全員にインタビューするという機会があったが、その際、小池栄子、MEGUMI、佐藤江梨子、根本はるみ等、その後、活躍する女の子達はみんな子供の頃の遊び相手は男の子だったと言っていた。逆に見た目は魅力的だが、性格が女っぽい娘は、全員、その後大成しなかった。
また、最近、低調なハロプロだが、その中でもボーイッシュな里田まいと矢口真里が現在でもテレビ芸能界で活躍しているという現象も興味深い。
おそらく、現代は、男ウケする女性よりも、ボーイッシュな女性の方がテレビウケするような時代なのではないか。
篤姫が子供の頃から男の子と遊ぶのが好きだったというエピソードは篤姫人気の一つの隠し味だったような気もする。

11)オヤジ殺しとしての篤姫
高視聴率だったということは、中高年の人々にも広く受け入れられたという事である。
篤姫の、どんどん積極的にオジさんの胸に飛び込んでいく性格は、それらの中高年の人々にも好感を持たれたのではないか。
例えば、調所広郷(平幹二朗)、島津斉興(長門裕之)、徳川斉昭(江守徹)、井伊直弼(中村梅雀)、阿部正弘(草刈正雄)、勝海舟(北大路欣也)等、一癖も二癖もあるオヤジ連中に対して、ひるまず、正面から自分をさらけ出す事によって、最終的にコロッといかせているのだ。
オヤジあしらいの天才としての篤姫という側面も視聴率アップに貢献したのではないか。

以上、勝手に推測させていただいた。
みなさんもそれぞれ考えてみてください。

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まさむね

桔梗紋は不吉

Saturday, February 9th, 2008

桔梗紋という紋所がある。
有名な武将では、太田道灌、明智光秀がいる。
また、幕末から明治にかけては、同紋の坂本龍馬や大隈重信が活躍した。

しかし、これらの歴史上の人物は、みんないいところまで行くんだけど、暗殺、敗死といった不幸な結末を迎えている。(ただし、大隈重信は、暗殺されるが命は取り留める)

最近では、NOVAの社章この紋所が使われていたので、なんかあったら大変だと思っていたが、突然の営業停止に追い込まれたというニュースが入ってきた。

取り越し苦労かと思うが、今年に入って、ある生命保険会社のポスターに氷川きよしがこの桔梗紋をつけて笑顔で写っていた。ちょっと気になる...

まさむね