Archive for November, 2008

小金井公園近くの八幡宮を散歩

Thursday, November 6th, 2008

家の近所に小金井公園がある。
その片隅に八幡宮があったのでお参りしてみた。

本殿には、左巴の神紋の彫刻。八幡様の象徴だ。

神社敷地内には、八幡宮の他、猿田彦神社、三峰神社、榛名神社もあって、公園造成時に、公園内にあった祠を一箇所に集めたようだ。

日本にあるほとんどの神社はこうして、主神の他にいろんな神様が祭られている。それぞれの神様は、なんの関連もないんだけど、一緒にいると馴染んでくるんだよね。
ちなみに、八幡宮は、応神天皇、三峰神社は、日本武尊がそれぞれ祭神だ。両方とも武勇の神である。ただ、三峰神社のお遣いは狼なので、犬と同様、子守の神としても崇められている。

一方、猿田彦神社は交通安全の神・猿田彦が祭神。「火の鳥-黎明編」(手塚治虫)の、サルタヒコのモデルだよね。

神社を見学するときのポイントは、奉納の名簿。その地方の有力者(氏子)が一目でわかるからね。
内田、高橋、宮崎、庭田等の名前が見える。「だから、何だ?」ってわけないんだけど、その土地で頑張って生きてきた人たちの事が、一瞬、イメージできるよね。

まさむね

「久米宏のテレビってヤツは!?」を見た

Thursday, November 6th, 2008

この番組、インターネット時代を踏まえ、テレビが、テレビというシステム自身に対する自意識を打ち出しているスタイルは、今後の展開では期待できそうだ。
ようするに、「テレビってここまでしか出来ませんよ。」というテレビの限界を提示しつつ、「インターネットに対して、テレビはどんな役割が出来るのだろう。」的な問題意識をどれだけ、表現出来るのかにかかっている。
テレビやマスコミが、本当に隠したいところを隠すために、見せてもいいけど、今までは隠していたところをチラっと見せるだけでは意味がないと思う。

例えば、昨日の放送では、堀江貴文さんがゲストだったんだけど、久米宏が、堀江さんが今、どれくらいの資産が残っているのかを執拗に聞いていた。
でも、僕が見たいのは、お金の話をするんだったら、そのスタジオに居る局社員のプロデューサ、カメラマン、製作会社のディレクター、その下請けの大道具さん、ゲスト、ゲストのマネージャー、代理店の担当者、そして久米さん自身の、それぞれの1時間のギャラを比較して、それら全員で討論して、テレビ業界というものがいかに格差社会なのか、を考えるというくらいの自意識なのである。
その他、メディアのクロスオーナーシップ問題、記者クラブや電波権等のテレビ局の特権、地デジの利権等に関しても掘り下げてほしいものだ。

さて、昨日、ブログの話に及んでいたけど、福岡政行さんは、ブログには不確かの情報が沢山あって信用できないというような事を言っていたが、恐らく、この人、ブログにあんまり興味ないのだろう。
僕自身のブログはそうでもないけど、ブログ論壇といわれるような人々のブログでは、情報のソースの提示は勿論の事、それを踏まえて、事実と思考、感想をわかりやすく積み上げていくという文体のものが多い。

逆に、「永田町の右の方からの風で、云々」「小沢氏周辺によると、云々」みたいな曖昧な言い方をするマスコミの方が、胡散臭く感じられているって事、わかっているのだろうか。
来週は上杉隆さんが出るらしい。楽しみだ。

まさむね

 

米大統領選挙、オバマ氏当選

Thursday, November 6th, 2008

米大統領選で民主党候補のオバマ上院議員が勝利した。
歓喜する人々を見るとこちらも感動してしまった。アメリカ大統領選っていいなぁ。

報道によると公約は以下のようなものだという。

 

銀行への公的資金投入。
住宅ローン債務者救済。
公共事業に、約2兆5000億円を投入。
中間層の労働者への減税。
16カ月以内の米軍戦闘部隊のイラクからの撤退。
アフガンやパキスタンでのアルカイダ掃討作戦の強化。

CHANGEというスローガンの割には、普通で目新しい感じがしないのは僕だけだろうか。
行政システムや政治システムの変革といった根本的なCHANGEではないのは、アメリカは、そのあたりのシステムが既に出来上がっているからなのであろうか。

恐らく、黒人初の大統領誕生といった、大きな意味でのアメリカの歴史のCHANGEなのだろう。
ただ、オバマ氏自身はこの点はあまり強調されていないように思われる。
まだまだいろいろと事情があるんだろうな。

ところで、僕が気になっているのは、今回の選挙でネイティブアメリカン達の投票行動だ。黒人の95%、スパニッシュの65%がオバマ氏支持だったらしいけど、彼らはどうだったのだろう。
アメリカやカナダの田舎町に行くと場末のバー兼ストリップショー権カジノみたいなところで彼らって、たむろしているでしょ。
彼らの暗い目から見たら、オバマ氏ってどのように映るのだろうか。

小浜市とか小浜温泉の人々なんてどうでもいいから、そういうところを報道してもらいたい。

まさむね

漫才には何故、ボケとツッコミがあるのか

Monday, November 3rd, 2008

漫才には何故、ボケとツッコミがあるのだろうか。
今日はちょっと考えてみた。

元々、日本では、芸能というものは、神様に対して奉納するためのものだった。神楽も祭りも相撲もそうだが、それらの芸能は、神の声や力を人間の世界に降ろすための儀式なのである。
例えば、愛媛の大山祇神社では毎年、春と秋に一人相撲という神事があるが、これは、人間が「稲の精霊」と相撲をとる(ハタから見ると、一人で相撲をとっているように見える)儀式である。

同様の事は、日本の芸能の本流、能楽にも言える。
能の特徴は、超自然的な存在が主人公になっているという点であるが、多くの舞台では、シテ(主役)とワキ(脇役)が登場する。
シテは亡霊や鬼など、”あの世の存在”からの声を舞台に降ろすのに対し、生身の人間である脇役(ワキ)が彼らの話を聞き出し、怨念を消してあげ、”あの世”に帰っていただくという構造を持っているのである。

漫才の直接の源流である三河万歳、尾張漫才等の正月を寿ぐ民間芸能も、太夫という祝詞(神を崇める言葉)を上げる役と、才蔵という太夫の祝詞を繰り返す役の掛け合いの話芸である。
ようするに、これは、あの世の言葉を降ろす太夫=ボケ、それを繰り返す才蔵=ツッコミという漫才の形が見えてくるではないか。

だから、ボケは、いかに普通の人間の思いもつかない言葉(=あの世からの言葉)を吐く事が大事になる。
また、ツッコミはボケが出してくるメチャクチャな言葉によって混沌としてしまった空気を、いかに上手く日常の空気に引き戻すかが腕の見せ所となるのだ。

僕の知っている限り、欧米のコメディアンは基本的に一人芸で観客を笑わせる。日本で言うところの漫談である。
恐らく、その源流には、キリスト教の聖職者の説教のスタイルがあるのだと思う。(一方、日本の落語が正座で行われるのは、それが仏教説教の伝統を汲んでいるのかもしれない。)

もしも、日本のお笑いが、上記のように知らず知らずのうちに歴史的な制約の中にあるとするならば、日本とは別の歴史を歩んだ地域のお笑いを学ぶ事によって、それ以外の可能性が、もっともっと沢山見出せるかもしれない。
ケニアの、グルジアの、ウルグアイの、ベトナムのお笑いがどうなっているのか、僕たちはあまりにも知らない。

このあたり、もっと世界に目を向けてもいいのかもしれないよね。
世界のナベアツなんて口で言ってるだけじゃなくてさ。

まさむね

 

C 型肝炎治療の副作用 顔面痒みが辛い

Saturday, November 1st, 2008

C型肝炎の病状が進展しない。

4月と8月に人工透析治療をそれぞれ2週間づつ行い、週1回のインターフェロン注射と、朝晩のレベトール投薬を続けているが、ウィルスの数値は下げ止まってしまった。
すなわち、体内のC型肝炎ウィルスはまだ残存している状態なのだ。
1回目の人工透析治療は、かなり有効だったようだが、2回目はそれほどでもなかったという事なのだ。

今の問題は、顔面、頭皮、耳などが激しく痒い事。
薬と注射の副作用らしいけど、それが四六時中なのでちょっとまいる。

極端に言えば、「ブラッディマンディ」(TBS土曜ドラマ)の感染症患者のように、左右の頬っぺたと額の真ん中、右眉の上が赤く貼れちゃっているんだよね。

今、すぐに治療方法を変えるわけにもいかないし、ちょっと悩ましいところだ。

まさむね

「源氏物語」誕生 1000周年に寄せて

Saturday, November 1st, 2008

若紫.gif本日(2008年11月1日)は、「源氏物語」の事が「紫式部日記」に記載されてからちょうど1000年目にあたる。

その記載は以下のような文章だ。括弧内は私の意訳。

左衛門の督「あなかしこ。このわたりに若紫や候ふ」と窺ひ給ふ。源氏にかかるべき人も見え給はぬに、かの上はまいてものし給はむと、聞きいたり。
(藤原公任が、「このあたりに、若紫はいらっしゃいますか。」と、冗談口調で、聞いてくる。「光源氏に似た人すらいないんだから、紫の上がいるわけないじゃん。」と内心思いながら、受け流した。)
※画像は光源氏が最初に若紫を見た場面。

まぁ、現代で言えば、部長のオヤジギャクを軽くスルーするOLの気持ちに通じる日常の一場面だけど、この歴史的な一行のおかげで「源氏物語」の作者が紫式部だって事が確定されたんだよね。
紫式部がこの1行を書いたのが、今からちょうど1000年前なのか。

これを機会に、「源氏物語」について書いてみたい。

「源氏物語」っていうのは一般的に、光源氏という貴公子と、その周りをとりまく女性達の恋物語だって言われているけど、それだけじゃない。いろんな見方が出来るんだよね。

■政治小説として

天皇の子とはいえ、母親の身分が低かったため、臣籍降下した光源氏が、当時、権勢を誇った右大臣家との権力闘争に勝ち、太上天皇(天皇の父)にまで上りつめる(その後もいろいろとあるんだけど)話という解釈も出来る。
その政争のために、いろんな女性との恋愛があるっていう見方だ。
例えば、右大臣家が次期天皇の正妻にと手塩にかけて育てた朧月夜に手をつける光源氏。ライバル家に大きなダメージを与える。しかし、自分も無傷ではない。それがバレて、自分は須磨・明石に流れていく事になるのだ。

■ドキュメンタリとして

政治ドラマはさらに、現実世界で起きた様々な事件のパロディになっている。つまり、「源氏物語」は半ドキュメンタリだったという見方も出来る。
例えば、在原業平、源融、源高明等、光源氏のモデルとされるような歴史上人物は沢山いる。当時、暇だった宮中の女官達は当然、それらの人々の噂事は熟知している。
彼女達は「源氏物語」を読みながら、光源氏とそれらの歴史上の人々を比べて、事の真相をさらに深く想像したことだろうね。

■仏教小説として

また、ある意味、不遇な生立ちの光源氏が政争に打ち勝って、一時は栄華を極めるも、最終的には寂しく死んでいくというドラマは、諸行無常の小説化という意味で仏教小説なのである。
さらに、「源氏物語」では、俗世では様々な悩みを抱える女性達(藤壺、六条御息所。女三宮等)が、出家する事によって精神的に自立していく(瀬戸内寂聴さんもこういう事言っています)が、女性と出家というテーマを扱っているという意味でも仏教小説と言いうるかも知れない。

■怪奇小説として

「源氏物語」が怪奇小説の側面を持っているというのもよく指摘される。
言うまでも無く、光源氏より年上で高貴な六条御息所は、彼に段々と相手にされなくなると、無意識的にではあるが、自らの嫉妬心を物の怪として飛ばし、夕顔や葵の上を死に至らしめる。
その力を恐れた光源氏は、その後も六条御息所の荒ぶる生霊を静めようと様々に気を使うが、上手くいかず、彼女は死後も紫の上や女三宮に取り付く。
ある意味、「源氏物語」は、光源氏VS六条御息所のサイキックバトル物語なのだ。

■怨霊鎮魂の書として

作家の井沢元彦さんは、「源氏物語」を、藤原道長が紫式部に、藤原家との政争に敗れた一族の鎮魂のために書かせたのではないかという説を提唱されている。
紫式部のパトロンであった道長が自分の氏・藤原が負けて、ライバル氏・源氏が栄華を極める物語を普通に書かせたのは、現実世界の敗者である源氏を物語の世界で勝者として表現させることによって、源氏(源融や源高明等)の怨霊を鎮魂させようとしたのではないかという事なのだ。
この説は学会とかでは無視されているらしいけど、今後、専門家の人の検証も交えて、深めて行ってもらいたい魅力的な説だと思う。

■教養小説として

さらに「源氏物語」は、歴史を経て、江戸時代頃には、上流階級の子女の教養小説という面も出てくる。
彼女達は、第23帖の「初音」から読み始めたという。
この帖は、正月のうららかな日の中で、紫上の元に預けられた明石の姫君の所に、実母の明石の御方から和歌が贈られるシーンから始まるが、”子を想う母の愛情”を子女に教える恰好の場面なのである。
でもこんな中途半端なところから読むっていうのも、ちょっと変だよね。

■文化の題材として

日本の文学史どころか、文化史に燦然と輝く「源氏物語」は、小説として楽しまれるだけではなく、和歌、能、工芸作品、浮世絵、香道等の日本文化のネタ本みたいな使われ方もされたんだ。
例えば、能の中では、世阿弥の傑作「葵上」を始めとして「野宮」「玉蔓」「夕顔」等の作品が残されている。
さて、日本人の心の中には、「ますらおぶり」=男らしさと「たおやめぶり」=女らしさという二つの概念があって、それがせめぎあう事で歴史が進んでいくという話がある。
「ますらおぶり」の概念が前面で出てくるとき、ようするに戦争の時なんだけど、逆に、人々は「たおやめぶり」を求めたりする。
そして、この「たおやめぶり」の象徴が「源氏物語」だったんだね(本居宣長)。
例えば、鎌倉時代に元が攻めてきた時、貴族達は争って「源氏物語」を読んだという記録もあるし、第二次世界大戦後、源氏ブームが起きているんだ。
また、これは、僕が好きなエピソードなんだけど、関が原の戦いの最中、東軍に細川幽斎という武将がいたんだけど、彼は古典文学に明るく、”古今伝授”を受け、さらに「源氏物語」の研究家でもあった。
その幽斎が西軍に城を包囲され、絶体絶命のピンチになってしまったんだ。
しかし、その時、時の後陽成天皇は勅使を派遣し、和議を結ばせて、幽斎の命を救ったという。
僕はその勅使が来た時に、城の包囲を解いた武将(前田茂勝)が偉いと思う。日本人は、生死を賭けた戦の時でも、いや逆に、そういう時にこそ、「たおやめぶり」に憧れる心がムクムク出てくるんだろうね。
勿論、その心がわかる徳川家康は、この前田茂勝の領地を安堵したというのは言うまでもない。

■アバンギャルドとして

また、「源氏物語」は20世紀芸術の大きな流れコンセプチュアルアートの先駆けという見方も出来る。
20世紀を代表する芸術家に、マルセル・デュシャンやジョン・ケージがいるけど、彼らは芸術が芸術として成り立つ、その制度自体を疑った人々なんだ。
例えば、ケージは、「4分33秒」というピアノ作品で、全く何も演奏しないというコンサートを行った。
ようするに、「ピアノコンサートでは、聴衆の前でピアノを弾く事によって何かを表現するものだ。」という”当たり前”の欺瞞性を暴くと同時に、鳥のさえずりとか人の息音とか、あらゆるものが聴者の心次第では素晴らしい音楽になるということを表現しようしたんだ。
これを文学に持ってくるならば、何も書かない事によって、書くという表現以上のものを表現しようとする態度という事になるよね。
「源氏物語」第41帖の「雲隠」は、光源氏が亡くなる所の帖であるが、それが巻名だけで中身が無い。
何故、その帖の中身が無いのかに関しては、いろんな説が歩けど、僕は、紫式部は書かなかったんだと思ってる。
紫式部は、源氏の死という最も悲劇的な場面を読者達の心にゆだねたんだね。
これって極めて現代芸術的だと思わない?

いずれにしても、1000年も前に、こんなこと考えた紫式部ってやっぱり天才だと思う。

まさむね