Archive for the ‘テレビドラマ’ Category

「イノセント・ラヴ」と「流星の絆」の共通性

Tuesday, October 21st, 2008

昨日、TBSドラマ「流星の絆」はふるさとを喪失した兄弟の物語だと書いたんだけど、本日放映されたフジの月9ドラマ「イノセント・ラヴ」も同様の主題だった。

人気ドラマが偶然にしても同様の主題を扱うと言う事自体、根っ子が無くなってしまった人々、政治のみならず地域からも阻害された人々をどうするのかという事が社会的なテーマとなりつつある事情が背景になっているのではないかな。

さて、この「イノセント・ラヴ」だけど、堀北真希演じる秋山佳音のキャラクタがちょっと固まっていない感じがするよね。
よく働くいい娘なのだが、突然別の面を見せる。
携帯で他人を盗み撮りするは、写真自体を盗もうとするは、と倫理観が無いようなのだ。
しかも、写真を盗むところを見られ、逆に優しくされた相手(北川 悠仁演じる長崎 殉也)を好きになり、彼の家に突然、プレゼントを持って会いに行く。

動機が純粋であればいいということか?
だからイノセントなのか?

まぁその他、北川悠仁が”棒”だって問題もあるけど、このドラマ、「ラストフレンズ」と同じく浅野妙子が脚本なのでしばらく見続けてみようかな。

ちなみに、最近の堀北真希といえば、「篤姫」の和宮役のイメージが強いんだけど、ここ数週間、長州征伐で大阪に行ってしまった愛する夫の徳川家茂の写真を見ながら、モンモンと過ごす可憐な和宮のイメージを、「イノセント・ラブ」は見事に引き継いでいるなぁと感心した。その辺りはフジってさすがだよね。

まさむね

「流星の絆」ふるさとを喪失した兄弟の復讐物語

Monday, October 20th, 2008

地域格差が言われて久しい。
それは都会VS地方という図式で語られる事が多い。

しかし、より問題なのは、地域内部の格差ではないかと、僕は思っている。
地域社会で一番力を持っているのは、いわゆる「ヨネスケの隣の晩御飯」において訪問対象となる人々だ。
彼らは、地域のコミュニティ(農協、漁協、商工会議所、氏子等)の重要な地位を占める既得権益者と言ってもいいだろう。
恐らく、小沢一郎とか、麻生太郎が日本全国を行脚したなんて言ってるけど、彼らが会っているのは、この隣の晩御飯組に所属する人々だけだろう。
公共事業とか、地域活性化事業等が行われる場合、利権は、この人達に一次的に落ちるような仕組みになっていると想像されるような人々だ。

次に地域に根付いているのが、いわゆる「木更津キャッツアイ」的なジモティ仲間のコミュニティに所属する人々だ。
彼らは、利権があるから地域にしがみ付くのではなく、仲間がいるから地域にとどまり続ける。
彼らにとっては東京は遠い存在だ。自分達の世界とは別の世界なのである。

そして、最後に、格差社会の最下層にいるのが、隣の晩御飯的なコミュニティからも、ジモティ的仲間からも阻害されたバラバラになった人々である。
彼らの所には決して小沢一郎も麻生太郎もヨネスケも訪れない。

恐らく、秋田の連続児童殺害事件で逮捕された畠山鈴香被告とか、秋葉原の通り魔事件の加藤智大容疑者は、こういった人々だったのではないか。
例えば、鈴香被告は、高校の頃、クラスの人々から痛恨のイジメにあっていたという。彼女の卒業文集に書かれていた同級生からのメッセージだ。

会ったら殺す!/顔をださないよーに!/もうこの秋田には帰ってくるなョ/秋田から永久追放/いつもの声で男ひっかけんなよ/山奥で一生過ごすんだ!/今までいじめられた分、強くなったべ 俺達にかんしゃしなさい。

こういった周りの目の中で、ひっそり生きるっていうのも辛いだろうな。
僕は、彼女が犯した罪とは別次元で、そういった生き方をせざるを得ない人々に、一定のシンパシィを感じてしまう。

さて、宮藤官九郎脚本の「流星の絆」が始まった。
これは殺人事件によって両親を殺された3人兄弟(二宮和也、錦戸亮、 戸田恵梨香)がその復讐をする物語だ。子供たちは両親とともに過ごした横須賀を離れ、その後、施設で育ち、現在は、吉祥寺に住んでいる。
「池袋ウエストゲートパーク」や「木更津キャッツアイ」においてジモティ仲間の青春を描いたクドカンの視線がその下の層に届いた作品と言っていいのだろうか?
ふるさと(地域社会)を喪失した兄弟を、彼がどのように描くのか、楽しみだ。

まさむね

瑛太が演じる草食系男子(タケルと帯刀)に注目

Friday, October 17th, 2008

結婚しない、あるいは出来ない男性が増えてるという話を昨日したが、その前段には、恋愛が苦手な男子が増えてるっていう要因もある。

流行の言葉で言えば、草食系男子増殖っていうことか...
この草食系男子というは女の子に対して、恋愛関係にはなりたくない(なれない)、けど、マッたりと一緒の時間を過ごすのは大得意っていうタイプの男の子の事だ(詳細は、「草食系男子の恋愛学」(森岡正博著)参照の事)。

恐らく、若い男っていうものは、好きな女の子と二人っきりになると、いかにヤるかっていう欲望+戦略+妄想で頭が一杯になるっていうのは、昔の話。
最近は、こういうタイプが目立ってきているらしいのだ。

それは、別の言い方をするならば、そういうタイプの男の子に対して、「それもいいんだよ」って、やっと言えるような時代になってきたっていう事かもしれない。

具体的なイメージで言うならば、今、フジテレビで再放送している「ラスト・フレンズ」で、瑛太が演じているタケルっていうのがまさしくこのタイプなんだよね。
タケルは、子供の頃に実姉から受けた性的暴行をトラウマにしていて、SEX恐怖症になっているっていう背景はあるんだけど、シェアハウスにいる他の女の子達に対する扱いが完璧に上手い。
気が弱いんだけど、気が利くし、気が回るし、優しいし、聞き上手なのだ。
だから、「タケルは、他人を幸せにする才能があるよね」って言われたりする。
しかし、”恋愛”は、いつも上手くいかないのだ。
エリ(水川あさみ)からのSEXの誘いには応じられないし、ルカ(上野樹里)への告白は空振りに終わる(これにはルカがレズだという理由があるんだけど)し、ミチル(長澤まさみ)からの告白は受け入れられない。
それでも、そんないろんな事がありながらも、彼女達から絶大に好かれている。上手くやっていけるのだ。凄い才能だ。

一般論で言うならば、恋愛下手な草食系男子が増える事に関して、少子化の視点から眉をしかめる向きもあるのかもしれないけど、周りの人々、社会にとっては、むしろ歓迎すべきことだと思う。
消費しない若者と同時に、周りにストレスを与えない若者像っていうのも、新時代の生き方として、肯定したいところだ。

さて、瑛太が出演しているもう一つのドラマ「篤姫」だが、ここでの彼の役どころは、薩摩藩家老・小松帯刀である。
明治維新の立役者として歴史上では大活躍する彼だが、女性に対してはタケルと同じような、いつも上手くいかなく、情けないスタンスなのが面白い。
篤姫(宮崎あおい)に対しては、結局、愛を伝えることは出来ず、姉さん女房のお近(ともさかりえ)とは、(小松家の養子となる事によって)半ば強制的に結婚させられる。また、京都の屋敷には、芸者のお琴(原田夏希)に上がりこまれるのだ。

次の放送では、このお近に、お琴との同居生活がバレるらしい。
幕末の草食系男子・小松帯刀のアタフタした姿が楽しみだ。

まさむね

「篤姫」高視聴率は許婚システムへの憧れか 

Sunday, October 12th, 2008

「篤姫」の視聴率が相変わらず好調らしい。

篤姫と和宮の、己の運命を受け止めて、その中で前向きに生きていく、生き方が逆に現代の若い人々にとって新鮮に映っているのかもしれない。

特に、和宮の表情が心を打つ。
元々、和宮は、他に結婚相手が決まっていたのだが、幕府と朝廷との政略的意図により、心ならずも徳川家茂に嫁ぐ。
しかし、家茂の人柄に段々心を惹かれていく。
長州征伐に向かう家茂、ただ、黙って見送るしかない和宮。
和宮の家茂への想いの深さが伝わって来て、まさしく切なさの極致だった。

さて、最近の二十代の女性は、酒井順子の『負け犬の遠吠え』以降、「絶対に負け犬になりたくない」と早くから結婚を意識しているという。(「婚活時代」山田昌弘、白河桃子共著 より)
そんな彼女達にとって、結婚活動(婚活)でバタバタ動き、時に恥をかき、時に傷つくよりも、周りの人が勝手に段取りし、否応なしに運命の御相手と結ばれる、いわゆる「許婚(いいなずけ)」システムが一周して憧れとして感じられても不思議がないような気がする。

「篤姫」の高視聴率は、そういった憧れに支えられているのかもしれない。

まさむね

「篤姫」の家紋に物申す

Sunday, October 5th, 2008

satumakamon.gif篤姫のような本格的な時代ドラマを見ていると、僕はどうしても(若干の悪意を含みながら)登場人物の家紋に目が言ってしまう。

いつも気になるのが、徳川家茂と一橋慶喜の家紋が同じに見える事。
ものの本によると、三つ葉葵でも、徳川宗家の家紋は3つの葉が中心がくっついているが、一橋家では離れていたらしい。
まぁウチはまだアナログテレビなので、微妙な差異は見分けられないんだけどね。

そして、今日の「篤姫」で気になった事。

本日の放映回では、西郷隆盛が島津久光に許されて薩摩の軍役に復帰するのだが、その際、紋付を羽織っていたのだが、その家紋が「抱き菊葉に菊」(写真真中)だった。
確かに、西郷さんといえば、この「抱き菊葉に菊」と言われているのだが、この家紋は明治天皇から下賜されたもののはずだ。
という事は、禁門の変(1864年)の時点で西郷隆盛がこの紋付を着ているのはおかしいのではないだろうか。

それでは、西郷の元々の家紋は何だったのであろうか。
多磨霊園にある、西郷隆盛の弟の西郷従道の墓の家紋は写真一番上だ。
これが、梶の葉なのか、菊の葉なのか、僕にはちょっとわからない。
しかし、ここからは推測だが、元々、菊の葉の家紋だった西郷家の隆盛に対して、明治天皇が「私をずっと守ってほしい」という意味を込めて、その菊の葉が囲む菊の花の紋を与えたのではないか。

さて、西郷と言えば、大久保だが、青山墓地にある大久保利通の墓にある家紋は写真一番下。僕には藤巴紋に見える。
ちなみに、この藤巴紋は、寅さんで有名な渥美清の本名、田所康雄の家紋でもある。

家紋を調べていくと、全然別のキャラクタの人々が同じ紋を持ってたりするから面白い。

まさむね

鉄板少女から和宮への見事な転身

Monday, September 29th, 2008

「篤姫」での堀北真希がなかなか素晴らしい。

徳川家茂(松田翔太)に対する愛と孝明天皇(東儀秀樹)の妹・皇女・和宮としての立場の間での葛藤、天障院(宮崎あおい)との信頼の醸成、公家衆の陰湿さ(彼女達は身内であるが)に対する不快感等を微妙な表情で演じ切っているように思えるのだ。

実は昨年、和宮を堀北真希が演るということが発表された時、僕は、かなり違和感を感じた。
僕の中で堀北真希って言えば、「鉄板少女アカネ」だったのだ。
それは、コテコテの庶民キャラである。
その彼女が皇女を演じるって大丈夫っていう風に思っちゃったわけだ。

しかし、「篤姫」では彼女は素晴らしく演じている。彼女はもしかしたら凄い才能があるのかも。

ただ、苦言が一つ。

テレビナビのインタビューで以下のように述べているのだ。
「家茂さんとの収録では、実はラブシーンが大変でした(笑)。寄り添うだけでも、かつらが気になってしまい、寄り添うカタチをキープ!みたいな...(笑)」
この雑誌を見た後、家茂と和宮のラブシーンでは、彼女のかつらに目が行ってしまう。集中して見れなくなったじゃないか。
こういうこぼれ話って放映後の後日談にしてほしいよね。

このあたり、まだまだ、真の女優になりきれていないということか。あるいは周りのスタッフの問題か?

まさむね

ROOKIES の思想の起源

Monday, July 28th, 2008

遂に、入院が明日に迫った。
本ブログも最低、2週間程度、休止させていただきます。

さて「ROOKIES」の最終回で川藤先生はナインに向かって檄を飛ばした。

臆病でためらいがちな人間にとっては一切が不可能だ。
なぜなら、一切が不可能のように見えてしまうからだ。
あきらめて振ったバットには絶対、ボールはあたってくれない。
だが、自信を持って振れば目をつぶってだってあたることがある。
お前たちが努力して、手にした最大の宝、可能性だ。

確かに素晴らしい言葉だ。

でも、これは自分の悪い癖なのだが、素晴らしい言葉は、そのまま受け取ればいいものの、この思想の起源は何か?などと余計な事を考えてしまう。
恐らく、この発想は、アメリカ発祥のニューソート思想(気持ちを前向きに持つ事によって運命が開けるという考え方)が、生長の家等の新宗教や、自己啓発セミナー等に乗って入ってきたもので、日本の伝統社会の中から自然に出てきたものではないだろう。

僕も大好きな「ROOKIES」であるが、上記の川藤先生の言葉に対して、「じゃあ、その可能性を保証するのは何?」という疑問をぶつけてみれば、容易に「神」という発想に行き当たるような気がする。そして、この発想は「大事なのは、信じる事だ」という信仰にも近いように思える。

心の中にすんなりと入り込んで来る考え方でも、ちょっと距離を置いて見てみると、微妙な問題が透けて見える事がある。

まさむね

ROOKIES に心奪われた俺って何?

Saturday, July 26th, 2008

ROOKIES最終回は感動的だった。

一人の主人公の人気で引っ張るのではなく、各メンバーがそれぞれの見せ場を作った脚本と演出の力量は素晴らしかった。

個人的には、安仁屋(市原隼人)がベンチ裏で泣くシーンが一番。
野球帽のひさしが、男の涙を隠すためにあるという事を改めて思い出させてくれた。
また、御子柴(小出恵介)が奇跡の満塁ホームランを打って、感動のあまり歩きながらダイヤモンドを一周するシーンが二番。
実際に虫垂炎で入院したという小出君。本当に痛くて走れなかったのかも。
そして、球場に入れず、携帯ラジオを聴く川藤先生(佐藤隆太)が、不良達に絡まれた場面で、彼を救った上坂(遠藤要)の男気もGJ。
こういったサイドストーリーがこの物語を豊かにしてくれている。

恐らく視聴率では、「ごくせん」や「CHANGE」のほうが上であろうが、視聴率では計れないインパクトこそ、今の時代、重要だ。
例えば、そのインパクトは、2chのテレビドラマ板のスレ数に現れる。
「ROOKIES」は91にまで伸びた。通常のヒットドラマのスレ数の3倍以上だ。ちなみに、「CHANGE」は30、「ごくせん」は25だった。

しかし、一方で、今回の「ROOKIES」にかけるTBSの番宣攻勢は辟易の感がある。
ドラマの全放送時間が13時間位なのに、なにせ番宣に40時間以上かけたそうだ。
去年、今年とスポット広告料の激減という現実的な背景はあるにしても、一昔前まではあった「公共の電波でこんなことを…」という自制心はどこへいったのか。
しかも、その、なりふり構わない力の入れ方を番宣内で自慢する。
恥じらいのカケラも無い。

しかし、本放送は勿論の事、番宣(再放送やダイジェスト版も含)もほとんど、全て視聴し、さらにYoutubeで各本放送をそれぞれ3回は再確認(再涙)してた俺って、何?

まさむね

ドラマに見る階層とテレビ

Friday, July 25th, 2008

テレビ各局で地デジキャンペーンが激しい。

僕個人的には、デジタルになって画像の質がよくなることによって、葬式時に紋付を着た芸能人の家紋が確認しやするくなる(だろう)という楽しみがあるが、一般の人にとってはどうなんだろう。面倒くさいというデメリットの方が大きいような気もする。まぁ、あと3年後だから、その時の混乱は別の意味で楽しみだ。

さて、その地デジと連動して、一方で徐々に普及しつつあるのが、薄型テレビだ。
総務省の統計によると2008年に入って、約3分の1の世帯に普及しているという。(本当か?)

最近のドラマで気になるのが、所有するテレビによって登場人物の所属階層を表現しているという巧妙な嫌らしさだ。
無意識的に薄型=上流、ブラウン管=下流というメッセージ(すなわち、早く買い換えろメッセージ)が送られているような気がする。

典型的なのは、テレビ朝日の「四つの嘘」だ。

高級官僚の家=巨大な薄型テレビ(※しかも背面はガラス張りの庭)
独身の女医の高級マンション=巨大な薄型テレビ
仏壇屋のリビング=普通の薄型テレビ
ボクサーのアパート=普通のブラウン管テレビ
古本屋の奥の居間=テレビ確認できず

今後、他のドラマでもチェックしていきたいと思う。

まさむね

篤姫と世界に一つだけの花

Tuesday, July 22nd, 2008

先日、篤姫の「己の心に従って行動せよ。」という行動原理に関して話をした。

この行動原理の基となる価値観は、我々の”外”のどこかに普遍的な真実が存在しているのではないということだ。

逆に言えば、真実はそれぞれの個人の中にある、尊重されるべきは個性だという事にもつながる。

2003年3月に発売され、今世紀最大のヒット曲となったSMAPの「世界に一つだけの花」は、このような”個性主義”の応援歌としてあまりにも大きな影響を社会に与えた。最近では、学校の卒業式などでも歌われるという。
でも、この歌を歌わせて、ハイさようならっていう学校はいいかもしれないが、現実社会は、この歌のようにはいかない。(元々、花屋の店先に並んでいる花は品種改良をされ、間引きを逃げ抜けたエリートじゃないかっていう批判もある。)

先日、家の近くの花屋の店先で、店長が店員に花を投げつけて、なにやら怒っていた。悲しすぎる光景であった。

最初は、ナンバーワンになろうと思ったけど、この歌の影響でオンリーワンでもいいかって悟り、競争から降りたはいいけど、社会から、オンリーワンなんて不要ってNoを突きつけられた挙句、就職できなくて、ロンリーワンという名のニートになってしまった人、多いんじゃないかな。

現実はいつも残酷だ。

まさむね