品格とは、もともとある特定の人々に備わったものとしてみられてきました。
つまりだれでもが品格をもつということはありえないのです。
一生懸命がんばってつくりあげるものではありません。
-「検索バカ (朝日新書 140)」藤原智美 P131-
「国家の品格」藤原正彦、「女性の品格」坂東眞理子等のいわゆる品格本の胡散臭さをバッサリ。
ワイドショーのニュースなどで、日本はダメだ、ダメだって繰り返すもんだから、なんだか自分も不安になってきて、日本に関して考えてみようと思い立ち、本屋で思わずこの本を手にしてレジに向かってしまう。
この日本の伝統意識とは全く無縁な、焦りの集積の結果がこのベストセラーならこの国はどうなってしまうのだろうと、さらに不安にさせる効果が、確かに「国家の品格」にはあった。
あるいは、普段、本など買いもしない人々が、新書を読んで、小知恵をつけて、会食かなんかで披露すれば、さらに無知な人々から「あの人、品格あるわね」って賞賛される事を夢見て、本屋で思わずこの本を手にしてレジに向かってしまう。
この浅ましさは「女性の品格」とは最も遠いところにあるものではなかったのか。
さらに作者は、品格について続ける。
つまり品格とは地位、権力、財力のある者こそに求められる態度、行動の規範であり、彼らが支払うべき代償、不自由さのことです。
それはかつての世間が編み出した権力抑制のための方法でもあったのです。
-「検索バカ (朝日新書 140)」藤原智美 P133-
権力の抑制装置としての品格、これは面白い視点である。私の興味対象に引き付けて言わせてもらえば、家紋も品格と同様の機能があると気付いた。紋付を着るという事は、同時に行動の不自由(+責任)も強いるものだからだ。
こういう面白いテーマをこの本は、他にもいくつも提示してくれている。大雑把に言えば、この本は、ネットの普及と世間の解体が、それまでの人間のあり方を破壊するといういわゆる関口宏的言論に組してはいるが、文章が卓抜で、具体的な例が多く書かれているため、本書には、多くの考えるヒントが含まれているように思われる。
そして、この本の結論として、状況を打破するために、「他人と議論をし、そして、考えろ」と著者は言う。やっぱりそこにしか解決策はないのだろうか。でも、考えるってむずかしいんだよね。いつの間にか、僕なんて寝てるからね。もしかしたら、「検索バカ」って僕のこと?
まさむね