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「イノセントラブ」最終回に残された8つの不可解さ

Monday, December 22nd, 2008

「イノセントラブ」の最終回。

誰か命を落とすのでは、と思っていたのだが、それはなかった。ここに来て、日本社会もの急速の不況で、死というものをドラマで扱いにくくなっているのだろうか、結局、誰も死ななかった。
「何があっても、生きていかなければいけないんですね。」という佳音(堀北真希)の兄・耀司(福士誠治)のセリフが、今の時点でテレビドラマが発しなくてはいけない最低限のメッセージであることをよく表している。
ちなみに、最近のドラマにおける「生きなさい」というメッセージに関する詳細に関しては、。「篤姫」「イノラブ」「流星の絆」からの共通メッセージとは? をご参照ください。
    ◆
さて、今回の最終回であるが、教会の2階から飛び降りた聖花(内田有紀)。
とっさに助けようとして、彼女の下敷きになって頭から血を流す殉也(北川悠仁)。
昴(成宮寛貴)は「聖花は殉也の気を惹きたくて飛び降りたんだね。」と解釈する。

そして、脳に傷害を負う殉也は、聖花と同じく、人工呼吸器生活に。
病院のベッドで、殉也の手を握り、殉也への愛を告白する昴だが、殉也は全く反応せず。

必死に看病する佳音だが、立ち上がっても、殉也の記憶、感情が元に戻らない。
さらに、恋のライバルだった美月(香椎由宇)を呼んで、殉也の記憶を蘇らせようとするが、失敗。

続けて、殉也を暖かく看病する佳音。
ある日、公園で殉也に玩具のカメラ等を見せて殉也を笑わせる。
そのシーンを遠目で見ていた耀司。その足で教会へ行き、今まで、妹・佳音に抱いていた近親愛を吹っ切れたと、神父に告白。微笑む神父。
さて、公園に戻る。そこにあった赤い風船を見て、殉也が、聖花の事を思い出す。
佳音は、殉也が、本当は聖花の事を心の奥ではずっと好きだったんだと悟り、自分の身は引いて、殉也と聖花の2人で会わせようとする。
ところが、殉也は、聖花と一緒の時に、床に落ちた楽譜(殉也が佳音のために作った曲)で見て、その曲をピアノで弾きだし、「自分にとって大事なのは佳音なのだ」と悟り、急に家を飛び出して佳音がいるであろう教会に走り出す。
教会では、殉也と聖花のために、身を引き、落ち込む佳音がいた。
佳音に抱きつく殉也。そのままキスシーンへ。
そのシーンにかぶって、「愛に過去も未来も無い。好きだという気持ちの日々の積み重ねだ」みたいなナレーションが入り、ジ・エンド。
     ◆
最終回、みなさんはどう思われただろうか。
僕は残念ながらあまりにも不可解で、多くの謎を残したという印象だ。
そこでどこが不可解だったのかを以下の6点にまとめてみたいと思う。

1)殉也の気を惹こうとして、聖花が教会の2Fからダイブする。ってあまりにもリスキーじゃない?
前回の放送でも、耀司が妹・佳音の記憶を蘇らそうとして、殉也にナイフで襲い掛かるシーンがあったが、自分が起した行動とその結果との結びつきが、あまりにも、無理矢理な感じがする。
聖花の頭の中はどうなっているのか。そういった知恵はあるのか。昴への思いやりは無いのか。
脳の病気という事にしてしまえば、どんな唐突のな行動も許容されるというシナリオにはやはり、付いて行きがたいものがある。

2)殉也がピアノを自分で弾いて、大事なのは佳音だと気付くっていうのも、唐突じゃない?
聖花の教会ダイブと同様に、「イノセントラブ」における脳に傷害を負った人の行動があまりにも非論理的過ぎて付いていきがたい。
聖花も殉也も同じ類の傷害なのだろうが、時々、ただ口が聞けないだけの人々のようにも見える。

3)神父は何故、耀司の内面をすぐに理解できるの?
自分の今までの邪心を反省し、これからは心から妹の幸せを祈れると、教会で手を合わせる耀司だが、そばにいた初対面の神父(内藤剛)に自分の気持ちを打ち明けると神父はすぐに理解を示し、微笑む。
神父というものは状況の詳細がわからなくても、懺悔してくる人には必ず、微笑むものなのだろうか。

4)身を引いたはずの佳音が、殉也と教会で再会するとすぐにまたキスするっていいの?
殉也の「本当の」幸せを願っている佳音だが、一度は諦めたくせに殉也が迫ってくるとすぐに、キスに応じる、って変わり身、早過ぎない?

5)殉也の記憶を呼び起こそうとして美月を家に呼ぶ佳音、虫が良すぎないか?
殉也の記憶を呼び起こしてもらおうと、家に美月を招くが、結局成功せず。
またもや美月の心を傷つけることに。佳音はちょっと残酷ではなかったのか。
最初から最後までかわいそうな美月。
と思ったら、最後のエンディングシーンで笑ってオルガンを弾く姿も。どうやって、立ち直ったのか。

6)昴と聖花はこれからどうするの?
自分にとって大事だったのは、殉也と気付いてしまった聖花。
振られてしまうわけだが、一方で愛情の注ぎ先を失っている昴が、そんな聖花とそれまでのような暮らしが出来るのか。疑問を残したまま終了してしまった。

7)佳音と殉也はどうやって生計立てていくの?
最初から、引越しばっかりしている佳音の経済状態は気になるところだったけど、殉也が半植物になっちゃった今、佳音のピアノバーのアルバイトだけでやっていけるのでしょうか。
老婆心ながら気になるところだ。

8)結局、イノセントラブというは、誰の誰に対する愛のことだったのだろうか。
大きなところ、この疑問に尽きる。
これはみなさんにも是非考えていただきたい点である。

まさむね

大河ドラマ「篤姫」の視聴率がよかった11の理由

Thursday, December 18th, 2008

NHK大河ドラマ「篤姫」が高視聴率で全50話終了した。
平均視聴率は、24.5%で、ここ最近10年の大河では最高を記録したという。それによって、某視聴率稼タレントKさんが再来年の出演を尻込み、辞退し、結局、福山雅治に決定したとの噂話にもリアリティがある。
また、2008年のヒット商品番付では、関脇に選出された。
全体的にNHKの番組が支持されたこの1年であったが、その代表選手がこの「篤姫」だったのだ。
それは何故なのだろうか。

ヒットの理由を僕なりに考えてみた。

1)主演・宮崎あおいの魅力
宮崎あおいは、天璋院・篤姫の生涯のうち、12歳~49歳までを演じた。
彼女は、子役としてデビュー後、映画「NANA」等で好演し、評価を徐々に上げ、史上最年少で大河の主役に抜擢される。
史上最年少(22歳1ヶ月)の主役として、放映開始前から話題になった。
実際、スタジオで台本を持っているところはほとんど見られなかったというほど、完璧な役作りで、彼女自身が本当の篤姫になったかのごとく、を見事演じきった。
実際、江戸城開城を前にして、一千人の女中に大奥明け渡しを伝えるシーン撮影の前夜はソワソワしてしまったという。それほど、役にのめり込んでいたという事だ。

2)幕末という大変革の時代と現代とがシンクロ
現代は100年に一度の大変革の時代と言われている。多くの日本人はそんな激流の中、将来への不安を心に抱いている。
そんな現代という時代状況が、篤姫が生きた幕末と酷似していると言われている。
特に、徳川幕府の大奥という、あの時期、衰退を余儀なくされた既得権益集団をどう、終わらせていくかという、一見地味だけど、物凄く困難な状況を乗り切った篤姫の人間性、判断力、説得力が、これから退潮を余儀なくされるであろう現代社会を生きる、多くの日本人の共感を呼ぶところだったのではないか。
現代に蔓延する閉塞感を切り開くためにはどうしたらいいのか。視聴者一人一人が、こういった疑問の答えを模索する中で、篤姫に惹かれたのではないかと思う。

3)周りの男性が草食系
篤姫が子供の頃から男勝りで積極的な少女として成長したが、彼女を取り巻く男達は、それに比べて情けない性格で、最近よく言われる草食系男子として描かれていた。
積極的に女性を求め、ギラギラした人物はあまり、出てこないのだ。
草食系男優の代表格・瑛太が小松帯刀を、ひょうひょうとした性格俳優の堺雅人が徳川家定を演じた。
瑛太は、尚五郎の情けない青年時代から、時代を動かすほどの傑物・帯刀への成長を上手く演じた。
篤姫と再会すると、以前の尚五郎に戻って伏し目がちになるところ等、出色だ。
また、他の人々の前では”うつけ”のフリをしているのだが、篤姫との寝室だけ、本来の聡明さを見せる家定は魅力的だ。
第48回放送時に、幻影として復活した家定が再び”あの世”に帰ろうとする時に、一瞬、篤姫がついて行こうとするシーンは、大河史上でも名場面として今後も語り継がれるだろう。
さらに、松田翔太も、若いながら気品と思いやりのある名君・次代将軍の家茂をよく演じていた。

4)大奥バトルという見せ場
フジテレビのドラマ「大奥」等によって、江戸時代の大奥で繰り広げる女の戦いが、見せ場として認知されてたという背景がある。
今回の場合、大奥だけにとどまらず、篤姫の教育係の幾島(松坂慶子)との確執、島津斉彬の妻の英姫(余貴美子)との確執、家定の母・本寿院(高畑淳子)との確執、大奥総取締りの滝山(稲森いずみ)との確執、そして皇女和宮(堀北真希)との確執等、様々な闘いを持ち前の明るさで乗り切るシーンはそれぞれ見せ場を作った。しかも、それぞれのシーンは上品さ(例えば、和宮の堀北真希)、ユーモア(例えば、本寿院の高畑淳子)、適度な嫌味(例えば、庭田の中村メイ子)によって、陰湿な感じを抱かせなかったのがよかったと思う。
こうしたシーンは、普段、女同士の闘いに疲れている現代のOL達、主婦達に支持されたのではないか。

5)衣装美術等のアイテムが本物志向
他局での大奥物の衣装が、金柄の布で派手さをアピールしているのに対し、今回の大河ではあくまで史実に忠実であろうと、柄よりもむしろ生地に本物らしさを感じさせた。
また、手元の小道具や、駕籠などの大道具、大奥の庭、建物などもリアリティがあった。
惜しむらくは、西郷の家紋が蛤門の変の時点で抱き菊になっていた点、水戸家の家紋が徳川宗家と同じだった点など、家紋に関する考証はいまひとつだった。

6)篤姫のシンデレラ結婚、上流生活への憧れ
今年の流行語のひとつに婚活というのがあった。
最近の女性(男性も)は積極的に結婚のための活動をしなければならない時代になったという事だ。
そのように、ある意味厳しい時代を生きざるを得ない結婚願望のある女性達にとって、許婚制度、篤姫の玉の輿婚は憧れであろう。
また、(様々な苦労はあるのだろうが、)篤姫に登場する江戸城大奥での上流階級の生活も庶民にとっては、垣間見てみたい世界なのである。

7)幕末のキャラは一応おさえる
篤姫の時代は、歴史ファンの間にも人気のある時代だ。
特に坂本龍馬、西郷隆盛、勝海舟等は人気があるが、「篤姫」では彼らを上手に話の中に取り込んでいた。
しかも、幕府側からみた幕末、という今まであまりなかった視点は新鮮を感じさせ、歴史ファンを喜ばせてくれたのではないか。
また、西郷と大久保の二人の関係を、それぞれの不遇の時期、活躍の時期の表情を、原田泰造、小澤征悦の二人がよく表現していた。

8)ドラマ全体から伝わってくるメッセージが現代的
篤姫が様々な試練を前にして、決断を迫られる時、義父・島津斉彬(高橋英樹)、実母・お幸(樋口可南子)、家定(堺雅人)からのメッセージを思い出す。
それらは、最終的には「己の信じた道を進みなさい」という価値に集約される。
江戸時代の武家の女がこのような価値観を持っていたかどうかの歴史考証は置いておくとして、行動原理が自分の外のどこか(宗教、慣習、学問等)にあるのではなく、自分の中の素直な気持ちにあるという価値観は、いわゆる戦後民主主義の価値観と通底している。
現代人に自然に入っていったのではないか。
また、「最終的に家族を大事に」というメッセージもあったが、その大事にするものは、血のつながりではなく、財産でもなく、(徳川の)心なのである。
それではその心とはさらに具体的に言えば何なのかという点は深くは掘り下げられてはいないが、逆に具体的でないがゆえに多くの視聴者の心に響いたのではないか。

9)歴史上での篤姫の失敗を上手くカバー
実は、この作品が世に出るまで、天璋院は不幸な女性と言われていた。
政略結婚で大奥に入るが、夫の家定はすぐに亡くなってしまう。息子の家茂も夭逝してしまう。
そして、和宮との確執。大奥明け渡し、明治に入ってからは旧女中達の面倒を見るなど、苦労に苦労を重ねた人生のように言われていた。
特に明治時代以降は、時代背景もあって、和宮と対立した天璋院の評価は低かったのだ。
しかし、今回のドラマではそういったネガティブな天璋院像はなかった。
むしろ、前向きで明るい人生であるように表現されていた。この演出力は素晴らしい。
また、一橋派の策略(慶喜擁立)に失敗。徳川幕府存続にも失敗している。ただ、その失敗はドラマの中では、”大事なのは、権力の保持でも城に居座る事でもない。家の心を残すことだ”という価値観によって、見事に、自然に正当化されて表現されていた。あまり不自然には感じられなかったのである。

10)ボーイッシュな女性が活躍する現代という時代背景
最近の芸能界で活躍している女性を見てみると、一様にボーイッシュな女の子が人気となっている。
以前(10年位前)、イエローキャブの女の子全員にインタビューするという機会があったが、その際、小池栄子、MEGUMI、佐藤江梨子、根本はるみ等、その後、活躍する女の子達はみんな子供の頃の遊び相手は男の子だったと言っていた。逆に見た目は魅力的だが、性格が女っぽい娘は、全員、その後大成しなかった。
また、最近、低調なハロプロだが、その中でもボーイッシュな里田まいと矢口真里が現在でもテレビ芸能界で活躍しているという現象も興味深い。
おそらく、現代は、男ウケする女性よりも、ボーイッシュな女性の方がテレビウケするような時代なのではないか。
篤姫が子供の頃から男の子と遊ぶのが好きだったというエピソードは篤姫人気の一つの隠し味だったような気もする。

11)オヤジ殺しとしての篤姫
高視聴率だったということは、中高年の人々にも広く受け入れられたという事である。
篤姫の、どんどん積極的にオジさんの胸に飛び込んでいく性格は、それらの中高年の人々にも好感を持たれたのではないか。
例えば、調所広郷(平幹二朗)、島津斉興(長門裕之)、徳川斉昭(江守徹)、井伊直弼(中村梅雀)、阿部正弘(草刈正雄)、勝海舟(北大路欣也)等、一癖も二癖もあるオヤジ連中に対して、ひるまず、正面から自分をさらけ出す事によって、最終的にコロッといかせているのだ。
オヤジあしらいの天才としての篤姫という側面も視聴率アップに貢献したのではないか。

以上、勝手に推測させていただいた。
みなさんもそれぞれ考えてみてください。

以下、関連エントリー
「篤姫」ヒットの一因に、普遍的な物語性があった
「イノラブ」「篤姫」「流星の絆」からの共通メッセージとは?
篤姫が私達にくれた6つのメッセージ

まさむね

「イノセント・ラヴ」最終前回における10の奇行

Tuesday, December 16th, 2008

イノセントラブの9回目放送の平均視聴率が出た。
最終回一回を残しての、14.5%だ。
月9ドラマとして、この数字が及第点だとは思えないが、それまでの数字の動きから見れば、盛り上がってきたとは言えるだろう。

1回目放送 16.9%
2回目放送 13.3%
3回目放送 13.1%
4回目放送 11.7%
5回目放送 11.7%
6回目放送 12.6%
7回目放送 13.4%
8回目放送 12.8%
9回目放送 14.5%

今まで、聖花(内田有紀)の突然の、植物人間からの突然の起き上がりや奇行など、すなわち彼女の唐突演技に支えられて、6回目放送以降、徐々に上げてきた視聴率も、聖花が、9回目放送の最後の方ではついに立ち上がり、殉也(北川悠仁)と佳音(堀北真希)の結婚式会場に向かうという、これ以上無いようなあり得ない展開に。視聴率的に大いに貢献した。
さらに、この回は、その他に、佳音の兄・耀司(福士誠治)による殉也にナイフでの切りかかり、美月(香椎由宇)の殉也や聖花に対するイジメ、殉也と佳音のキス、佳音の花嫁衣裳姿など、”単品”でも魅力的なシーンの連続で、この14.5%という数字を無理やり確保したという感じだろうか。
しかし、シーン&シーンをそれぞれにキャラ立ちさせるために、ストーリーが破綻してくるというのは、いかがなものか。最終的に俳優自身の魅力で引っ張れなかったシワ寄せがこういった展開を生み出してしまったのである。そこが今回の「イノセントラブ」と前作「ラストフレンズ」の大きな違いだと思われる。

しかし、元々、このドラマは、登場人物の奇行(覗き見、勝手な家への上がりこみ、盗み撮影等)の連続だったことは確かで、恋愛ドラマというよりも、ホラーあるいはSFとして見るべきだと思っていたが、9回目放送回も、登場人物の心の動きの不自然さがどんどん出てきた。登場人物の心情よりもシーンの奇抜さに心を奪われていかざるを得ない展開だ。

それらを以下にまとめてみよう。

◆1◆佳音を追って、長野までやってきた殉也。佳音のアパートにやってくるが、佳音に拒絶され、アパートの近くから昼夜離れない。「僕はいつまでも待っている」と言えば、聞こえはいいが、傍から見ればただのストーカーだ。

◆2◆部屋の外で、賛美歌のオルゴールを聴かされ、説得されて、殉也を部屋に導きいれる佳音。意志が弱すぎる。

◆3◆出所した耀司が、夜にそのアパートへやってくる。何故かドアの鍵が開いている。部屋では2人で一つの毛布に包まり就寝。あまりにも無用心だ。

◆4◆耀司が殉也にナイフで襲い掛かる。それを止めようとする佳音。結局これは耀司による佳音の(両親を殺したのは彼女ではなく、耀司だったという)記憶を呼び起こそうとした狂言だった。耀司は、心理学者か。この行動によって佳音の記憶が戻るということが、何故解ったのか。それにしてもリスクの高すぎる行動だ。

◆5◆その後、耀司がナイフで自殺を図るが、殉也に阻止され、泣き崩れる。殉也曰く「生きていて欲しいんだ」って、心広すぎ。

◆6◆とりあえず、殺したのは自分ではないという記憶をよみがえらせた佳音。一応、自分が幸せになってもいいんだという免罪符を受け取る恰好に。でも、殺そうとしたことは確かなんだから、最後に刺したのが耀司だからって、自分は救われるの?という疑問が残る。

◆7◆横浜に帰り、佳音にプロポーズする殉也。聖花を死ぬほど好きだったのではないか。この心変わりは早すぎるとの指摘も。

◆8◆勿論、佳音はOKする。「殉也さんの笑顔を近くで見たい」という事で近くにいたのではないか。それまで、潜在的に存在した下心が露呈した恰好に。

◆9◆そして結婚式。自分が振った美月(香椎由宇)がいる教会での結婚式。美月への配慮はまるで無し。

◆10◆殉也の写真を見て、彼を思い出した聖花。招待状の住所を見て、その式場に歩いて向かう。彼女の頭の中はどうなっているのか。住所が解るのか?いきなり立ってそこまで歩けるのか?等の不条理の謎が残る。

来週の予告Vによれば、その聖花が教会の上から身を投げ、受け止めようとした殉也が下敷きになり頭から血を流すというわけのわからないシーンが見られた。また、昴(成宮寛貴)の殉也に対する同性愛、耀司の佳音に対する近親愛等がまだ未処理だ。どうなるのか。

脚本担当・浅野妙子の前作「ラスト・フレンズ」のように、誰か死んで遺児を、残り人々が育てるというパターンになるのか。
そうだとしたら、死ぬ(あるいは植物人間になる)のは殉也で、彼の子を宿した佳音が兄・耀司と一緒にその子を育てるのか。兄の気持ちを考えるとそれも無理がある。
あるいは佳音が死んで、殉也と耀司が一緒に...というのももっとあり得ないか。

しかし、いずれにしても、登場人物の行動の唐突さでは他の追随を許さないこのドラマだけに何があるかわからない。
というわけで、来週の最終回もなんだかんだ言って、テレビの前に釘付けにされる僕であった。

まさむね

「イノセントラブ」では結局、誰が死ぬのだろうか

Tuesday, December 2nd, 2008

「イノセントラブ」が急展開を見せている。

植物人間だった聖花(内田有紀)が奇跡的に起き上がったのだ。
しかも、彼女が好きだったは婚約者で、彼女が植物人間だった間、献身的に看病していた殉也(北川悠仁)ではなく、殉也の親友・昴(成宮寛貴)だったことが、殉也にも明らかになってしまう。

それによって、殉也は、二人が結婚する直前に聖花が自殺(その後遺症で植物人間になる)した意味も知ってしまうのだ。
殉也は泣き崩れる。
我々凡人には、自分がこんなにも聖花を愛して、尽くしてきたのに、彼女の心が殉也になかったことから来る悔し涙と思ってしまうのだが、そこは、イノセントラブ(無垢な愛)というだけあって、彼女が自殺までして好きでもない自分と結婚しようとしたことへの申し訳なさから来る涙、あるいは、その結果として植物人間になってしまった彼女への不幸を想う涙だったのである。

この涙のリアリティに関しては、もうそれほど純情ではなくなってしまった僕には推し量りがたいところがあるが、他の視聴者はどのように思ってみているのだろうか。
第一、元々、殉也が聖花を好きになったのは、いわゆる一目惚れである。
それがここまでの純愛として一途に進行するというのは、ドラマというよりは、おとぎ話として見るべきなのだろうか。

僕には、殉也の性格があまりにも紋切り型に過ぎるように思えてならないのだ。ようするに、殉也は、”純粋に聖花を愛する人”っていうキャラそのものであるため、悪く言えば、ロボットのように見えてしまうのだ。

さらに、殉也の佳音(堀北真希)への態度もロボット的なところがある。
聖花が起き上がり、殉也が喜び、その狭間で自分の居場所を無くしつつあると感じて、家を出た佳音を殉也が「君が必要なんだ」と引き止めるのだが、その際、佳音の気持ちは全く配慮されていない。
若干の悪意を込めて言うならば、殉也の佳音への行動は、「都合のいい住み込みのお手伝いさんが居なくなっては困る」から引き止めたという風に取られてもしかたがないのではないか。しかし、そんな殉也の”優しさ”をあっさりと受け入れる佳音。それはそれで別のロボットか?

さて、この純愛ドラマの顛末予想であるが、恐らく、恋の巴関係・殉也>聖花>昴、(昴は男として殉也に好意を抱いている)そして佳音、そして兄の耀司(福士誠治)の誰かが、純愛相手のために命を落とすという展開が最もオーソドックスのような気がする。

まずは、一番可能性がありそうなのは、耀司が佳音をかばって(のために)死して禁断の兄弟愛を貫くという事。これもひとつのイノセントラブである。別の視点からすると、彼が死んでも、その他の人間関係は壊れないため、制作的に「殺しやすい」立場ではある。
あるいは、浅野妙子が脚本を手がけた前作「ラストフレンズ」とのアナロジーで言えば、聖花が殉也(あるいは昴)の子供を残しながら、何らかの犠牲になって死に、残った子供を殉也と佳音、昴が育てるっていうのが収まりがいいかもしれない。
また、犠牲死ということがキーになって来るとするならば、ひとつ気になるのが、殉也という名前。”殉”というのは、まさしくその事を意味しているから、もしかしたら彼が...

でも、この結末予想は現時点ではストーリーの流れを無視した全く根拠のない想像なんだけどね。

まさむね

「イノセント・ラヴ」と「流星の絆」の共通性

Tuesday, October 21st, 2008

昨日、TBSドラマ「流星の絆」はふるさとを喪失した兄弟の物語だと書いたんだけど、本日放映されたフジの月9ドラマ「イノセント・ラヴ」も同様の主題だった。

人気ドラマが偶然にしても同様の主題を扱うと言う事自体、根っ子が無くなってしまった人々、政治のみならず地域からも阻害された人々をどうするのかという事が社会的なテーマとなりつつある事情が背景になっているのではないかな。

さて、この「イノセント・ラヴ」だけど、堀北真希演じる秋山佳音のキャラクタがちょっと固まっていない感じがするよね。
よく働くいい娘なのだが、突然別の面を見せる。
携帯で他人を盗み撮りするは、写真自体を盗もうとするは、と倫理観が無いようなのだ。
しかも、写真を盗むところを見られ、逆に優しくされた相手(北川 悠仁演じる長崎 殉也)を好きになり、彼の家に突然、プレゼントを持って会いに行く。

動機が純粋であればいいということか?
だからイノセントなのか?

まぁその他、北川悠仁が”棒”だって問題もあるけど、このドラマ、「ラストフレンズ」と同じく浅野妙子が脚本なのでしばらく見続けてみようかな。

ちなみに、最近の堀北真希といえば、「篤姫」の和宮役のイメージが強いんだけど、ここ数週間、長州征伐で大阪に行ってしまった愛する夫の徳川家茂の写真を見ながら、モンモンと過ごす可憐な和宮のイメージを、「イノセント・ラブ」は見事に引き継いでいるなぁと感心した。その辺りはフジってさすがだよね。

まさむね

鉄板少女から和宮への見事な転身

Monday, September 29th, 2008

「篤姫」での堀北真希がなかなか素晴らしい。

徳川家茂(松田翔太)に対する愛と孝明天皇(東儀秀樹)の妹・皇女・和宮としての立場の間での葛藤、天障院(宮崎あおい)との信頼の醸成、公家衆の陰湿さ(彼女達は身内であるが)に対する不快感等を微妙な表情で演じ切っているように思えるのだ。

実は昨年、和宮を堀北真希が演るということが発表された時、僕は、かなり違和感を感じた。
僕の中で堀北真希って言えば、「鉄板少女アカネ」だったのだ。
それは、コテコテの庶民キャラである。
その彼女が皇女を演じるって大丈夫っていう風に思っちゃったわけだ。

しかし、「篤姫」では彼女は素晴らしく演じている。彼女はもしかしたら凄い才能があるのかも。

ただ、苦言が一つ。

テレビナビのインタビューで以下のように述べているのだ。
「家茂さんとの収録では、実はラブシーンが大変でした(笑)。寄り添うだけでも、かつらが気になってしまい、寄り添うカタチをキープ!みたいな...(笑)」
この雑誌を見た後、家茂と和宮のラブシーンでは、彼女のかつらに目が行ってしまう。集中して見れなくなったじゃないか。
こういうこぼれ話って放映後の後日談にしてほしいよね。

このあたり、まだまだ、真の女優になりきれていないということか。あるいは周りのスタッフの問題か?

まさむね