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ジャイアント馬場は宮沢章夫の理想を体現していた

Saturday, December 6th, 2008

先日、爆笑問題のニッポンの教養・早稲田大学スペシャル平成の突破力~ニッポンを変えますか?~を見ていたら、宮沢章夫さんが出演していた。
宮沢さんは、80年代に「ラジカル・ガジベリビンバ・システム」で、90年代前半に「遊園地再生事業団」で演劇界を席巻。「彼岸からの言葉」「わからなくなってきました」等のエッセイも有名だ。
その宮沢章夫さんが今、演劇に必要なものとして「くたびれた肉体」という事を言っていた。

確かに、演劇的に鍛えられた肉体が舞台の上に立つよりも、普通の人が普通に生活していって、年をとっていくと陥る、いわゆる「くたびれた肉体」が舞台の上で普通に歩いている方がおもしろい。

実は、それを実現したのが、90年代の大人計画だった。そこでは、いわゆる肉体的鍛錬をされていない役者達が織りなすリアリティのある混沌劇が展開されていた。
松尾スズキ、温水洋一、宮藤官九郎、阿部サダヲ、池津祥子、井口昇、宍戸美和公等、現在も活躍している役者もいるが、大人計画の舞台は、まさしく、まばゆい演劇空間、宮沢さんが言うところの今後の可能性を感じさせるものであった。

しかし、かつてその可能性を具現する大物が、演劇界とは全然別なところに場所にいた。

それがジャイアント馬場である。

宮沢さんがいうように、演劇界から今後の可能性として待望されていた「くらびれた肉体」と、大衆エンタテイメントの権化であるプロレス界に孤高の存在感をキープし続づけてた大物ジャイアント馬場。
僕の中で見事にハイブリッスパークを起しているのだ。

僕にとって、確実に馬場さんの肉体は、他の追随を許さない孤高の存在であった。まとめるとそれは以下の点においてだ。

1)馬場さんの肉体は、足のサイズも含め、圧倒的に巨大だった。
2)馬場さんの肉体は、アスリートとしては、完全に老いていて、自然体で猫背であった。
3)馬場さんの動きそのものが老人的であり、起き上がる時などにロープを手すりのように使用していた。
(※ちなみに、生前の馬場さんは、定期健診で運動不足です。といわれたという)
4)馬場さんの肉体は、対戦相手や観客をが、思わず気遣はざるを得ない空気を醸造していた。

特に馬場さんの動きは、農耕民族の所作に根ざした日本古来の動きに基礎を置いていたような気がする。
例えば、あの曲がった腰は、長年にわたって田植えをした者のみに特権的に与えられる年季を感じさせたし、技でいえばそのストンピングは麦踏の、ロープを背にした16キックは農作業後に温泉につかる老爺のくつろぎを想起させる。

それは、アングラ舞踏家・土方巽の動き=思想と無意識的通底しているといっても過言ではないだろう。

しかし、馬場さんはそうした宿命的な自分の体躯に対しては、ある種のコンプレックスを持っていたらしい。
一般マスコミが馬場さんを取材するときには必ず、事前に、「大きいですね」とは言わないようにという緘口令があったという。
この、スター性と残酷さの背中合わせの関係。エンタテイメントという言葉の裏に張り付く見世物という本質。
そのことを馬場さんは痛いほど認識していたのではないか。
それゆえに馬場さんが身に付けていた独特の暗さ。我々は忘れることが出来ない。

そして、残念なことにその馬場さんは1999年に他界してしまった。
プロレス界がそれ以降、衰退をたどった事は言うまでもない。
残念ながら、それ以降のプロレス界は、馬場さん(そして猪木)の遺産で食いつないでいると言わざるを得ない。

極論するならば、馬場さんの奇跡的生れ変り以外、プロレス界復活は無いであろう。
それが無理ならば、我々はいつまでも馬場さんの勇姿と、その暗さを心の中に刻んでおきたいものである。

まさむね