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純愛一直線「イノセントラブ」は成功するか

Thursday, October 30th, 2008

先日(10月25日)、自ら結婚式を予約していたホテルに、その当日に放火した男が逮捕された。
容疑者の供述から、彼は、実は既婚者であり、それが判明するのを恐れての犯行であった事がわかった。

世の中、いろんな事件が起きるものだが、これまた、普通では考えられないとんでもない事件であった。

結婚式に招待されていた人の中に、男が既婚者だった事を知ってる人はいなかったのだろうか?
結婚当日、彼は何と言って現妻の家から出てきたのであろうか?
婚姻届はどうしようと思っていたんだろうか?
とりあえずその日には式が出来なかったとして、仕切り直しの式当日はどうしようと思っていたのだろうか?
この事件を知って、現妻とその親族、新妻とその親族、会社の同僚、友人達、ホテル関係者はどう思ったのだろうか?
いったい、彼はどんな性格だったのだろうか?

等々、疑問は尽きない。

しかし、実は僕は、彼の気持ちはわからなくはないのだ。
恐らく、彼の頭の中の願望の世界では、現妻とも新妻とも、それぞれに楽しく暮らす絵が描かれていたのだろう。
勿論、それは、現実生活としては不可能だ。有り得ない。
しかし、彼は願望と現実の間に挟まれ続けて、対応を遅らせ、問題を先送りし続けて、最後に、放火に至ってしまったのである。
そういう意味で、彼はあまりにも純情だったのかもしれない。

ところが、彼が持っているような、ある意味での内面の純情さ(ナイーブさ)は、ドラマの登場人物の行動のモティベーションとしてはアリなのだ。

そのいい例が、「イノセント・ラヴ」の主人公の佳音(堀北真希)のいわゆるイノセント(純情)な気持ちである。
例えば、前回も、一目惚れした殉也(北川 悠仁)のあとを付け回す佳音。
彼が落としたハンカチを届けに彼の家に行き、鍵が開いていたため、勝手に侵入してしまう。
しかも、以前に入ってはいけないと言われていた部屋にも忍び込もうとするのだ...

恐らく、彼女の心情とシンクロしてドラマを楽しんでいる人にとっては、彼女の行動は、違和感は無く見れるのだろう。
多くのドラマファンにとっては、そこに描かれている現実のリアリティよりも、心情のリアリティの方が重要だからだ。

しかし、この心情最優先主義という思想自体が、最近、徐々に、揺らいで来ているように思える。
いろんなニュースを見ていても、同情を惹こうとする振る舞いに対して、以前ほど、多くの人々の感情が揺り動かされなくなってきているように思われる。
例えば、ちょっと前に、高速道路を作るために、幼稚園のイモ掘りが中止されるというニュースがあったが、昔だったら、泣き叫ぶ子供の前では、行政への非難が集中しそうな場面も、逆に幼稚園側の不可解さの疑問の声の方が大きかったようだ。

このような、心情最優先主義の後退が、最近のドラマの視聴率の低迷の背景にあるのではないかと、僕には思われる。

この夏、「恋空」がTBSでドラマ化されたが、昨年、映画や小説で大ヒットした割りに思ったような数字を稼げなかった。
恐らく、「恋空」というコンテンツがテレビというマスメディアで流されて、国民的に共感を得られる程の”広い心情のリアリティ”が無いのだ。
それは、あくまで携帯サイト、映画館レベルの人々が共感出来るリアリティにすぎなかったのではないか。(恐らく、多くの大人達にとっては、「恋空」の登場人物の行動・心情は理解不能だったのではないか。)

さて、そんな状況を受けて、月9というメジャーステージで、心情最優先主義ドラマ「イノセント・ラヴ」がどれほど、世間に受け入れられていくか。
数字の動きが楽しみだ。

まさむね

イノセントラブの盗み見 日本文学の伝統

Wednesday, October 22nd, 2008

浅野妙子脚本作の特徴の一つは覗き見・盗み聞き・偶然の発見の多用だ。

前作「ラストフレンズ」でも、ほぼ毎回1回はそのようなシーンがあり、ストーリーを転がしていた。(本ブログ6/20の「ラストフレンズは盗聴ドラマだ」参照の事)

それでは最新作「イノセント・ラヴ」はどうだろうか。
第1回放送では早くも4回もあった。

佳音(堀北真希)が喫茶店の女主人と客との間での佳音兄妹の悪い噂しているのを覗き見る。
春江(宮崎美子)がハウスクリーニング先で現金を盗むところを佳音が発見。
佳音が殉也(北川悠仁)の写真を盗もうとしたところを殉也が発見。
ハウスクリーニング事務所で佳音の過去の事件が表示されているPC画面を春江が盗み見る。

これはちょっと多すぎやしないか。普通の人生で、こういった劇的な盗み見ってそんなにあるもんじゃないからね。
まぁ、これらの仕掛けが悪いわけじゃない。それでドラマが面白くなってくれればいいんだけどね。

考えてみれば、この覗き見・盗み聞き・偶然の発見っていうのは、日本の文学作品を振り返ってみても重要な物語転換点になっている。

例えば、「古事記」で、黄泉の国でイザナギノミコトがイザナミノミコトの死後の姿を見ちゃうとか、アマテラスが天岩戸に隠れた後、他の神々の饗宴を岩戸の中から覗いたりする。
この2つのシーンは、「古事記」の中でも凄く有名でしょ。

また、「源氏物語」でも、乳母の家の隣の家で、夕顔を覗き見るシーン、光源氏が紫の上を始めて見つけるシーン、柏木が、飼い猫が御簾の中から出てきた瞬間、女三宮を見てしまうシーンが有名。
偶然かもしれないけど、この3シーンは、後に作られた源氏絵巻、源氏蒔絵、浮世絵の題材等でも人気ベスト3の絵柄として人々の印象に残ってるっていうのも面白い。

その後の文学史を見ても、今昔物語、能の題材(「黒塚」)、おとぎ話(「鶴の恩返し」)から、谷崎潤一郎(「鍵」)の近代文学まで、覗き見は、日本文学の主題の一つとして生き続ける。

実は、日本人ってこういうの好きな民族なのかも。
ちなみに、ある調査によると、現代でも、20代で恋人の携帯の記録を勝手に、見たことある人って6割くらいいるんだってさ。

まさむね