顔面のアレルギーが強すぎるため、一時、インターフェロンを中止。
ネオファーゲンに変えた。
処方目的は、湿疹、皮膚炎、慢性肝炎患における肝機能異常の改善とある。
まぁ、あまりにも顔面湿疹が強いからしかたない。
注射は一週間に2回。
注射は大きいんだけど、血液注射だからそんなに痛くないのが嬉しい。
また、飲み薬はウルソ。
とりあえず、一時、湿疹を治してから、肝炎の治療ということらしい。
また、新たにインターフェロン始めるときに熱とか出るのは嫌だけどしかたないな。
まさむね
顔面のアレルギーが強すぎるため、一時、インターフェロンを中止。
ネオファーゲンに変えた。
処方目的は、湿疹、皮膚炎、慢性肝炎患における肝機能異常の改善とある。
まぁ、あまりにも顔面湿疹が強いからしかたない。
注射は一週間に2回。
注射は大きいんだけど、血液注射だからそんなに痛くないのが嬉しい。
また、飲み薬はウルソ。
とりあえず、一時、湿疹を治してから、肝炎の治療ということらしい。
また、新たにインターフェロン始めるときに熱とか出るのは嫌だけどしかたないな。
まさむね
今年の暮の紅白歌合戦。誠に残念な事ながら、ハロー!プロジェクト(モーニング娘。、Berryz工房、℃ute等の総称)からの出場予定は、里田まいだけになってしまった。
モーニング娘。が出場できなかった件に関しては、後日、まとめて書いてみようと思うが、とりあえず今日の話題は、里田まいである。
里田まいは、北海道出身。2001年に、カントリー娘。の追加オーディションに合格。2002年1月から正式メンバーとなる。
里田がデビューした時代(2002年当時)は、いわゆるハロプロは、タレントとしての全盛時代にあたっている。
例えば、モーニング娘。はこの時期、人気芸能人の証といわれる24時間テレビ「愛は地球を救う」のメインパーソナリティを2年連続(2001年と2002年)して務めている。
そんな羽振りいいの時代に、ある種のベンチャービジネスとして誕生したのがカントリー娘。だったのだ。
彼女達は、半農半芸というコンセプトの元、田中義剛の花畑牧場で酪農業をしながらの芸能活動を行う。
しかし、それは、本格デビューにはほど遠い、実質的には”二軍扱い”であった。
そのため、カントリー娘。は、里田加入以後、何枚かシングルをリリースしているが、カントリー娘。だけでのリリースはなく、石川梨華や藤本美貴、紺野あさ美というモーニング娘。からの”出向”を借りてのリリースであった。
もし、この時期(2002年頃)に、6年後の2008年の紅白歌合戦に、ハロプロから、誰が出場しているか?という質問をして「里田まいだけ」と答えた人がいたとしたら、それは未来から来た人だと断言していい。
それほど、彼女一人の出世(とハロプロの低迷)は、当時としては、考えられないことだったのである。
◆
さて、御存じの通り、里田まいブレイクのきっかけを作ったのは「クイズ!ヘキサゴンⅡ」である。
初出場は、2006年の7月12日。この時の珍回答連発がおおいにウけて、これ以降、準レギュラーを獲得。(レギュラー化は2008年5月~)
いわゆるおバカ6人組の中では、初出場こそ、つるの剛士(2005年7月)の方が早いが、準レギュラー化したのは、里田が一番早いのだ。
そういう意味で、ただの無知が、アレンジによってはおバカ芸として、ビジネスになる事を最初に紳助に気付かせたのは里田だと言っていいと思う。
その後、2007年から2008年にかけて、つるの剛士、上地雄輔、野久保直樹、スザンヌ、木下優樹菜がレギュラー化し、おバカ6人組が確定し、羞恥心、Paboという男女のユニット、あわせてアラジンというユニットが結成される。
しかし、この6人をよく見てみるとそのおバカ芸には、個々に微妙な差(個性)があることに気付く。
例えば、女性の3人であるが、木下は、いわゆる不良としてのおバカ。「勉強なんてやってられねぇんだよ」的なキャラなのに対して、スザンヌは、ボーッとしたお嬢様キャラである。
「女の子は可愛ければ、勉強なんてしなくていいのよ」的な雰囲気が漂っている。
それに対して、里田は基本的には、真面目な普通の女の子なのである。
学生の時にクラスにいたでしょ。いつも何か、勉強していてノートもちゃんと取ってるんだけど、テストになるとうっかりミス連発で成績が悪い娘って。そんな感じなのだ。
例えば、以前、あるバラエティ番組で、里田がイカの塩辛が好きで、北海道に帰った際に買い求めるというシーンがあったのだが、その時、塩辛屋で彼女は自分のノートにいろんな塩辛のメモを一生懸命に取っていた。
そういえば、里田が「ヘキサゴン」でブレイクした後、何人もの元モーニング娘。のメンバー達(石川梨華や小川麻琴など)がおバカ芸に挑戦したが、彼女ほどのインパクトを残すことが出来なかった。
おそらく彼女達は、知識量で言えば、里田とそれほど変らないレベルであろう。
しかし、彼女達にはモーニング娘。だったという栄光の過去があるゆえに、無意識的にアイドルとしてのプライドを壊すことが出来なかったのだと思う。
自ら規定した自己イメージから出ることができなかったのだ。
相撲からプロレスに転向したレスラーでも、横綱経験者(東富士、輪島、双羽黒)は大成出来ないのと同じことなのである。
だから、回答が間違えたとしても普通の間違えしかできなかったのだ。
例えば、次のような質問があるとする。
問)アメリカの首都はどこか?
これに対して答えがわからない場合、普通のアイドルは黙るか、わかりませんという。
あるいは、少し勇気があってもこう答える。
答)ニューヨーク
ところが、これでは、普通の無知である。それに対して、以下のように答えられるのがおバカ芸なのだ。
答)クリントン
里田まいならば、何度も誤答を繰り返した末に、一生懸命に、こう間違えるであろう。
しかし、一方、元モーニング娘。のメンバーにはそれは出来ないのではないか。
おそらく、里田まいは、決して無回答という事をしない。一生懸命になんらかの回答をする。
そして、おそらく、その泥臭いほどの一生懸命さが、視聴者の共感を呼ぶのだ。
しかし、その姿が共感を呼ぶには、一生懸命さだけではない、彼女達の姿勢を受け入れるような、社会全体を覆う新しい価値観があるのではないだろうか。
そうでなくては、おバカキャラが社会現象にまでなることはないと思うからだ。
以下、考えてみる。
◆
通常、人前で間違うということは恥ずかしいことだ。少なくとも今まではそうだった。
そして、わからない場合は、わからないと言う。それが今までの倫理だった。
しかし、おバカ達は違う。間違いでもいいからとにかく何かを言ってみる。ダメだったらまた別の事を言ってみる。そういうトライ&エラーの前向きの姿勢があるのだ。
これは、長年、日本人が培ってきた伝統的生き方(毎年、暦と掟に従って、みんなで同じ作業をする農業共同体的な生活態度)とは明らかに違う。
伝統の技術を代々受け継ぐような、厳しい熟練の職人気質とも違う。
また(これは農業共同体の延長ではあるが)、周囲との協調性を重視し、コツコツと正しいことを継続することを善とするような従来の学校的、会社的共同体的な振る舞いとも違う。
それは、どちらかといえば、修正・テスト・デバッグを繰り返しながら、物を作っていくコンピュータプラグラミング的態度に似ているように思う。
また、ある銘柄にこだわらず、リスクを分散させながら、売りと買いを繰り返す株のトレーディング的態度にも似ている。
そして、これは、対象の情報が、正しいかどうかというよりも、いかに多くの人が使用したかによって、勝ち負けが決まるような検索エンジン的な価値とも通底している。
おそらく、先行き不安が広がる、未曾有の現代世界で生き残るには、信念を持って自分の信じた方向に進む強さよりも、たとえ、間違えたとしても、それに気付き、それをすぐに修正できるような柔軟性と勇気の方が重要である。
里田まいを始めとするおバカタレント達の活躍は、そんな現代的な価値観に、明らかに乗っている。
それは、無意識的な選択だとしても、決して普通の馬鹿にはできない。やっぱり、絶妙なおバカ芸なのである。
まさむね
明石家さんまは、やはり天才だと思う。
小学校の時に、クラスで一番面白い人気者が、そのままずっと一番面白くて、プロになっても一番面白くて、つまり日本一になって、その日本一を30年位続けているという感じなのである。
例えるならば、サッカーのマラドーナや、陸上のボルトみたいに、負け知らずのブッチ斬りでトップになったような存在なのだ。
僕はさんまの存在をみていて凄いと思うのは、彼はあくまでも”表面的”なところである。
奥の深さが見えないところが凄いのだ。
奥深さというのものは、なにか持ち前の文化的背景(特別の知識、思想、世界観、修行経験等)があって、それを自分の中から引き出して、人を笑わせる芸風という意味であるが、ひとは年をとると自然と奥深さに頼ってしまうもなのである。
しかし、さんまは、そういった文化的背景が一切見えない(あるいは見せない)のだ。
そこが逆に凄いところだと僕は思うのだ。
さんまは、常に、その場で一番面白いだろう言葉を自分の中から、あるいは相手から引き出す。
アドリブ力が抜群といえばいいのだろうか、空気を読む力が卓越してるといえばいいのだろうか、とにかくその場限りの面白い事を言える天才なのである。
さんまを語るとき、逆にその他の同格コメディアンと比較するのが一番いいかもしれない。
例えば、北野たけしは、世界の北野としての映画の名声の他、浅草修行時代の体験、元々数学者になりたかったという理系的な冷静さ等の引出しを持っている。
タモリは、新宿ゴールデン街の退廃文化、70年代のアングラ・ナンセンス文化の匂いを、隠しナイフとしていつも忍ばせている。
紳助は、元々、さんまと同じ天才肌だが、さんまと出会って、「こいつに負けた」と思ったらしい。それから、一生懸命に自分自身の”厚み”を構築しようと努力する。田原総一朗の「サンデープロジェクト」にずっと席を置いて政治・経済に対する知識を習得したり、「なんでも鑑定団」に出続ける事によって、本物と偽者に対する感性を磨いているように見える。
また、ダウンタウンの松本も、映画というバックボーンを作りつつある。
そして、世代は異なるが、太田光は、太宰治、宮沢賢治等の日本文学、カートボネガット・ジュニア等のSF(彼の事務所名であるタイタンはカートボネガット・ジュニアの小説「タイタンの妖女」から取っている)等の文学的素養を足がかりに、文学、思想、映画等、かなり幅の広い素養を身に付けている上、「爆笑問題のニッポンの教養」等の番組によって、当代の学者達から多くのものを吸収しつつある。
さらに言えば、それに続く、クリームシチューの上田、劇団ひとりなどはそれぞれまだ修行中である。今後は、間違ってもさんま的な、感性を研ぎ澄ます方向にはいかないだろう。
それに対して、さんまの場合、サッカーとか犬好きとかの個人的趣味はあるものの、いわゆる文化的背景(奥深さ)を一切感じさることはない。
そういう意味において、彼はずっーと”小学生のまま”なのである。
しかし、そんなさんまであるが、近頃、若干の”くたびれ”が見えてきたように思えるのは、僕の気のせいであろうか。
今年の9月で終わってしまった「明石家さんちゃんねる」では、現場の仕切りを次長課長の河本にまかせる場面も多く、特に自分が興味の無い話題(例えば、美少年ネタ)などの時の存在感の無さは、これがあのさんまかと思わせる程のものであった。
一昨日、「踊る!さんま御殿!!」を見ていた時も、若干ではあるがそういった”くたびれ”が見えた。
その”くたびれ”は、編集によって、かなり隠されていたのだとは思うが、ところどころに散見された。
例えば、松村邦洋が物まねを披露すると画面は一瞬、さんまのウけた顔に行くのだが、すぐに離れてしまう。つまり、一瞬、さんまが過剰に(しかし、これが天才的なのだが、自然に、しかも独特に)、ウける事によって場が盛り上がるのだが、その盛り上がり空気の”息の短さ”が、見ているコチラに想像出来てしまうのだ。
とにかく全体のテンポを重視するさんまにとって、編集による助太刀というのが、もしかしたら欠かせないものになってきているのだろうか。
ちょっと残酷な言い方かもしれないが、もう”生”では出来ないのかもしれない、という事すら一瞬感じさせてしまっていたのである。
しかし、さんまが50歳を越え、そのうち60歳、70歳になっても、同様の芸風と、それを披露する場所、人気を保ち続けることが出来れば、その”くたびれ”も一つの味として、孤高の存在になるに違いない。
そういう意味で、さんまには、まだまだ走り続けてもらいたいと僕は思う。
まさむね
今年も残り1ヶ月を切った。
自宅療養中の身の為、映画鑑賞もほとんど出来なかった。
観た映画は「恋空」と「アフタースクール」のみという寂しさである。
一方、テレビはよく観た。そこで感じたのが、最近、以前にも増して、テレビ局がらみの映画の企画・タイアップ番組が目立つという事。
特に、印象の残っているのは、直近ということもあるが「私は貝になりたい」(以下、「私貝」と略す)だ。
本作品の内容に関しては、観ていないので何ともいえないが、以前、フランキー堺版(1959年)をビデオで観た記憶があって、その時は、切なくていい映画だったとの印象は残っている。
さて、今年のリメイク版であるが、主演は、中居クン。(ちなみにここで小疑問。この中居正広っていったい何歳までクン付けで呼ばれるのだろうか?)
加えて、仲間由紀恵、笑福亭鶴瓶、泉ピン子、石坂浩二等の豪華キャスト、音楽も久石譲に主題歌はミスチルと大物揃いである。
しかも、SMAPリーダーの中居クンが全国28箇所の地方局行脚という異例の力の入れよう。(皮肉なことに、意外とスケジュール空いてるんだ。というネガティブ印象を与えてしまう。)さらに、制作のTBSの番組だけではなく、「笑っていいとも!」、「とんねるずのみなさんのおかげでした」という他局でのタイアップ。
極めつけは、NHKの紅白の司会も中居&仲間になるという磐石のパブリシティ活動。
「なりふり構わず」といった印象のみが伝わってきたが、それにしても、テレビという圧倒的な宣伝媒体を使って、連日の垂れ流され続けるパブ行為にはさすがにうんざりさせられた。
確かに、テレビ業界の経営がスポットが入らなくて苦しいということ、不動産事業、ソフト事業に依存せざるを得ないという事情は聞いている。
しかし、こんな、電波の私物化状態を続けていけば、さらに視聴者が離れ、苦しい状況になってくるに違いない。
さらに、肝心の映画の方であるが、素人の僕が、PV、あるいはCMを見た限りでもこれはヤバイと思わせるものがあった。(確認しておくが、これはビジネスとしての話をしているのであって、芸術性とか思想性の話をしているのではない。)
だいたい、今の時代、終戦直後を題材とした映画を見せられてトキめく、つまり見たいと思わせることなどありえないのではないか。
さらに、この企画の出生自体があまりにも唐突な印象なのだ。何故、今、「私貝」のリメイクなのという必然性が全く感じられない。
東京裁判批判ということで田母神発言と連動てる?ってそれは無いよね。
そして、一番大事なこと。中居クンの魅力がまるで出ていないようなのだ。正直言って、中居クンの坊主頭が、僕には、桂歌丸師匠に見えたくらいだ。
結果は案の定、以下の通りだった。
(映画興行に関する情報サイト EIGA.COM 参考の数字だが、今年の東宝邦画系の主な作品の初動の興行収益を以下に記してみる。尚、集計は封切りの土日の合計。月曜日も祭日などで休みの場合、3日で集計されるから、それを2/3にして平等に出す。)
崖の上のポニョ 10億5千万円(日テレ)
花より男子ファイナル 10億0千万円(TBS)
ポケットモンスター 6億7千万円(テレ東)
20世紀少年 6億2千万円(日テレ)
容疑者Xの献身 5億4千万円(フジ)
ドラえもん 5億1千万円(テレ朝)
ザ・マジックアワー 5億0千万円(フジ)
チーム・バチスタの栄光 3億8千万円(TBS)
私は貝になりたい 2億7千万円(TBS)
クレヨンしんちゃん 2億5千万円(テレ朝)
ハッピーフライト 2億1千万円(フジ)
ポニョ、花男は別格だが、とりあえず5億超えた勝ち組とそれ以下の負け組の差が明確なのがおもしろい。
さらに、その負け組のさらに厳しい位置に「私貝」があるのが目に付く。
ただ、ここで一応、ことわっておかなくてはならないのは、「私貝」(と「ザ・マジックアワー」)日劇3系(昔の日劇プラザ系)の映画館にかかってるということだ。この系列は、厳密に言えば、邦画系ではない。いわゆる邦画系といわれる日劇2系は、スケジュールが早く決まってしまうため、企画的に難しいと判断されたり、制作が遅れる可能性が強くて、ここに入れない邦画は、日劇3系、スカラ座系、みゆき座系に回る。昔は、映画の格という事にこだわる文化が映画業界にあったため、この日劇2系と日劇3系、あるいはそれ以外とでは、大きな差があるようなイメージもあったが、今は、シネコンなどが地方に増えたり、入れ替えとかの柔軟性も増しているので、価値、動員数は、系列では判断しにくくなってきている。ちなみに、ポニョはスカラ座系、ここに挙げたその他の作品は日劇2系である。
また、SMAP最新作初動比較で言えば、草なぎ剛の「山のあなた」の5000万円には勝ったものの(この作品自体、興行成績を狙うタイプの作品ではなかった)、昨年の木村拓哉の「HERO」の10億9千万円、香取慎吾の「西遊記」5億2千万円には大きく差をつけられている。
映画業界というところは、表立ってはヒットしなかった作品を「ヒットしてない」とは言わないという古い体質がある。ただ、話題にしなくなるだけだ。そして、ヒットした場合にのみ、騒ぐのだ。封切後に全く話題に上らなくなった映画はヒットしていないと思って間違いない。そして、おそらく、現時点で言えば、「私貝」の担当者は、自分自身、貝になりたいと思っているのではないか。
最近、テレビ局の媒体としての力の衰えと同時に、新しいものを生み出す企画力、プロデュース力が弱まっていると聞くが、こういう結果を見せられると、その現実を益々確信させられる。
ちなみに、ネットでの「私貝」オフィシャルHPでは、中居クンの写真は半モザイク状態か、後ろ向きか、あるいは極小扱い。いわゆるネット宣材写真としては、仲間由紀恵のものが使われている。また、wikiでは、「この項目は著作権侵害が指摘され、現在審議中です。」との状態である。
まさむね
エントリータイトルはホッテントリメーカーで作成!
OKウェブを追いかけていたヤフー知恵袋だけど、どちらも長く続いているよねMIXIへの追撃は出来なかったけど会員数の多さがヤフー!の強みだよなあ。
ブログ読んでいて 貿易収支と経常収支の違いが分からず検索したら
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1217015057
に、辿り着いた。
このベストアンサー書いている人は
http://my.chiebukuro.yahoo.co.jp/my/myspace_profile.php?writer=alphastuff1013
サイトの論文もすごいね
で、この人も質問している
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1020622695
もちろん、別の人があっというまにサクッと回答。
先のベストアンサーの人は
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1419151859
な質問している。
そのひといわく
以前理財局で働いているときに課長から経済モデルを学者にやらせたら予測できなかった
と言われたのを思い出しました。精神医学がわからないから辞めなさなと同じ、我々はそれでも前進しなければならないのです。
ネットでも何でも、人の営みである以上、高尚もあり下品もありですげーナー
ただ、Q&Aが集まっていて役に立つんだけど GOO知恵袋とか、看板書き換えたOEM版が検索した時に全部同じようにでてくるから使いずらいんだよね。
こういった、CGM系のサイトの栄枯盛衰も激しいなあって雑感。
掲示板という切り口よりQ&Aサイトがはやりだけど
昔は「コミュニティ」のGALAなんて自画自賛で上場していても、ブログブームやQ&Aサイトブームにはコミットできなかったね
いまはオンラインゲームやってるのか・・・・・
ちょっと支離滅裂エントリー
またまたコピペ
<ちょっと面白かったので紹介>
・小説 麻生内閣を殲滅せよ
http://tech.heteml.jp/2008/12/post_1216.html
・小説の前書き 中川のジレンマ
http://tech.heteml.jp/2008/12/post_1217.html
引用元
先頃、自民党から3年間で2兆円、140万人の雇用創出を盛り込んだ雇用対策案が、麻生総理に提出された。
これって、金額だけ見ると、本格的な雇用対策のようにも見えるだけど、おそらく企業経営側、そして、現在失業している人達、ようするに全ての人々にとって、多くの疑問が残るところだろう。
内容に関しては、雇用した企業に対して、一人当たり最高100万円の補助とか、職業支援センターの充実とか、雇用保険期間の延長とからしいが、どれもこれもパッとしない。
本当に大丈夫なのって内容なのだ。
まず、雇用時の100万円だけど、政府が労働者に持参金を付けて、あと、よろしくって事でしょ。
元々、仕事がなくて、派遣社員、期間工なんかが解雇されているんだから、そんなことしたって、意味ないよね。
企業にしてみれば、それよりも発注してよ、ってことだからね。
さらに、こういう制度を利用した悪質な詐欺なんかも出てきそう。
書類上で就職させて、月・数万円だけ給料上げて、3ヶ月後に、もう来なくていいよみたいな事を、狂言でやるとかさ。
勿論、そのあたり、政府は、そういう事が無いように十分考えているんだろうけどさ。
先日の定額給付金のドタバタを見てると、政治家がやるって先に言っちゃったもんだから、後で行政が取り繕おうとして無理が出て、みたいな流れも有り得なくないからね。
さらに職業支援センターだけどさ、これって職安を充実すればいいっていう話じゃないのでしょうか。
普通の国民感覚だと、また新しい天下り先が出来るわけね。って思うよ。
それにしても、僕も昔、何度か職安に行ったことあるけど、職員やる気ないよね。
そして、そこに足を運ぶ人たちは、ただ、手当てが欲しくて行ってるんだけど、あの30人くらい立たせてさ、一人づつ名前読んで書類渡すの辞めて欲しいよな。
全く繊細な配慮なし。
職業支援センターっていうなら、職安の人たちをにまず全員馘首にしてから、対人関係支援プログラム受けさせて、使いものになるんだったら再雇用したら。
あと、関係ないけど、あのハローワークって言い方いまだに納得できない。「こんにちわ仕事」っていうの?英語にもなってないんじゃないの?
さらに、雇用保険期間の延長だけど、今、確か、雇用保険って月々かなり安いよね。
数百円だったような...僕はそれを3000円ぐらいにしてもいいから、セーフティーネットを充実させて欲しいと思うよ。
値下げするなんてのは、本当に目先の微々たる”媚売り”以外の何物でもない。
もっとも、私の仕事館なんか作られちゃうのも、それはそれとしていかがなものかと思うけどね。
それはともかく、そもそも、僕が思うに、雇用対策っていうのをそれだけで考えるんじゃなくて、今後、日本をどうして行きたいのか、という視点から考えるべきだと思うわけ。
政治家のビジョンが無いから、とにかく、現状の社会を、いかにごまかしながら継続させるかみたいな話になっちゃうんだよね。
例えば、給料が減ったとしても、社会として必要なNPOだとか、環境対策だとか、医療・介護だとか、教育だとか、農業だとか、どの分野を日本のドメインにするべきかっていう大きな方針を決めてもらって、それに従った、労働者移動を考えて欲しいよね。
麻生首相の場合、彼が、どういう日本にしたいのかってことが全く伝わってこないのが問題。
例えば、「とにかく、環境技術に関して、日本を世界のトップレベルにしたい。日本が世界と闘っていえる武器にしたい。そのために、人材をそちらにシフトすべく、雇用対策+補助をします。」みたいなさ。
そうすれば、それに対して、国民だっていい、悪い、賛成、反対の意思が表せるでしょ。
現状だと、麻生さんって、別に普通にやってくれればいいものの、一人でエラーを重ねて、自滅してって、知ったかぶりして、またすべって、転んで、しかも何をやりたいのかも見えない感じ。こっちも辛いよね。
しかし、この年の暮れに、解雇を言い渡された大工場の期間工、派遣社員の人たちは本当にかわいそうだよね。
おそらく、トヨタならトヨタ、キャノンならキャノンで何年も働いて「俺は世界のトヨタ(キャノン)をささえてるんだ」っていうプライドを持って、必死に頑張ってきたんだろうけど、「来月から来なくていい。ごくろうさん」ってのはお金の問題以上に、そういった労働者のプライドを大いに傷つけると思うんだ。
奥田さんとか、御手洗さんなんかの話を聞いていると、全く哲学とか無いよね。無関係な僕でも情けなくなるよ。
また、一方、それに対して、正社員の人たちはどう思ってるんだろう。いままで隣で働いていた人がどんどん首切られてさ。「俺じゃなくてよかった。」とか思ってるのかな?
テレビも是非ともそういう人たちの気持ちを聞かせて欲しい。
本当は、定年退職間近で、対して仕事してないくせに、年功序列で莫大な賃金取ってる人たちいるんじゃないのかな。
ワークシェアっていうのはちょっと胡散臭そうだけど、おそらく、原資の分配に関して、考えないといけない時期でしょ。期間工の首切るんじゃなくてさ。
っていうか、テレビ業界自体が一番そういう意味での格差があるところなんだっけ。だから、下請けのADが居なくなっても、しょうがない位の感性しかないんじゃないかって疑いたくもなる。
テレビのコメンテーター達は、今まで株主に配当していた金を賃金に回せばいいとか、言ってるけど、そういう問題なの?僕はよくわからないけどね。
さらに、僕が一番心配していることは、そういう風に首を切られて、しかも一人づつ放り出された人たちが、いわゆる金無し、人間関係無し、夢無しの状態になってしまい、生き甲斐(プライド)を失っちゃうって事。
僕には何も出来ないけど、本当に頑張って欲しいと思う。
まさむね
「イノセント・ラヴ」の展開が、ますます「ラストフレンズ」に近づいてきているように思う。
勿論、両方とも、浅野妙子脚本、スタッフも同じというから、同じような色合いのドラマになるということは予想されていたことだが、登場人物達の苦悩の種類まで似ているのだ。
例えば、「ラストフレンズ」の瑠可(上野樹里)は、性同一障害を自分の中に抱え込み苦悩するが、「イノセント・ラヴ」の昴(成宮寛貴)は殉也への同性愛という感情を抱えている。
おそらく、次の展開としては、昴の、殉也(北川悠仁)への想いが、や殉也本人、あるいは聖花(内田有紀)にバレることによる新たな苦悩発生の可能性が高い。
また、「ラストフレンズ」のタケル(瑛太)は姉からの性的虐待を受け、そのトラウマにより、女性恐怖症に苦しむが、「イノセント・ラヴ」の佳音(堀北真希)も父親からの性的虐待を受けていた。
さらに、その虐待に対して、彼女はついにナイフを持ち出し、父親を刺殺するが、その現実を受け入れる事が出来ない彼女はその事実を無意識的に意識から排除、いわゆるPTSD状態なのである。
そして、彼女の兄・耀司(福士誠治)は、その事実を隠蔽するために自分が罪を背負い、家に火をつけるという過去を持ってる。しかも、耀司自身も妹の佳音に対して近親相姦的な恋愛感情を抱いているのである。
さらに「ラストフレンズ」の美知留(長澤まさみ)とその恋人の宗佑(錦戸亮)は、小さい頃からネグレクト状態で育てられるという生育環境のため、宗佑は美知留にたいしてDVを行ってしまう。
また、逆に美知留も宗佑からのDVに対して無意識的な依存関係に陥っている。
心の傷という意味では、本日の放映された「イノセント・ラヴ」の第8話でも、殉也が深い失恋状態から常軌を失う。
婚約者の聖花のために、献身的に尽くしてきた殉也だが、彼女の愛が殉也にはなかったという現実を思い知らされ、呆然としてしまうのだ。
ようするに2つのドラマとも、登場人物達は、それぞれの心と闘わなければならない状態なのだ。
それゆえに、彼ら、彼女らは、一様に暗い。
また、だからこそ、一様に優しく思いやりがある。
さらに、現実世界における、いわゆる欲望に関して希薄である。
それは勿論、性的関係においてもそうだ。「イノセント・ラヴ」では殉也は佳音との間にSEXを匂わすものは一切無いのだ。
浅野妙子ドラマが現代人に受けているとすれば、おそらく、内面的苦悩を抱えた若者、あるいはそれに共感出来る人々が確実に増えているという事ではないだろうか。
それは、同時に、心の闘いを乗り越えるために、他者からの絶対的承認、すなわち愛が必要なのだということを切実に感じている人々も増えているという事だと思われる。
日本の恋愛史について特に詳しいわけではないが、多くの日本人にとって、恋愛というものは長らく、結婚のための通過点であった。
というよりも、おそらく恋愛経験をする以前に、人々は結婚したし、あるいは、性的な対象として相手を希求し、そしてそれが実現するに及び、結婚に至るという流れだったと思う。
しかし、「イノセント・ラヴ」も「ラストフレンズ」も、登場人物達の関係の先に結婚という道筋が強く見えてこない。
それが、現代的といえば、確かにそうかもしれない。
ここ数年、いわゆる”出来ちゃった結婚”が増加しているという事実もそれを裏付けている。
結婚というものが恋愛の結果ではなく、妊娠の結果としてしかないという事を意味しているからだ。
おそらく、このような若者のメンタリティが続くとするならば、少子化はますます進むであろう。
託児所を沢山作るということは、それはそれで大事なことではあるが、少子化対策の本質とはずれているようにも思える。
元、TVの番組ADだった小渕優子大臣。
お分かりかとも思うが、予算を使うことばかり考えないで、根本に立ち返り、これらの最近のドラマをご覧になられたらいかがだろうか。(余計なお世話か?)
さて最後に全く関係ないが、神父役の内藤剛のクレジットに特別出演とあるが、ほぼ毎回出演しているし、失礼だが、それほどの大物だろうか?
ちょっとした疑問でした。
まさむね
今日はジョン・レノンの命日。今年もこの季節が来た。
僕はいまだに「ハッピークリスマス」を聴くと無条件に泣いてしまう。
さて、ジョンは一般的に「愛と平和の使者」と言われているが、彼がそこにたどり着く道筋は決して平坦ではなかったと思う。
彼自身、こう言っている。
「愛と平和を語る者というのは常にもっとも暴力的な人間だ。」
今から50年~60年前のイギリスは(現在も?)、いわゆる階級社会である。
貴族階級の子弟はみんな、寮制のプライベートスクールに行く。そこでは、紳士たることを教育される。
労働者階級の子供は、労働者になるべく訓練されるパブリックスクールに押し込まれる。
そこで、ビートルズの個性的な面々、特にジョンがそんな学校からはみ出ていくのは必然だった。
そう、ジョンは元々、極めてやんちゃな少年、反抗的で手の付けられない不良だったのである。
小学校のときの通信簿に「見込みが無し。」って書かれたのは有名な話だ。
勿論、修行時代のハンブルグでのやんちゃぶりも伝説として残っている。
道を通る尼僧(シスター)達に向かって、2階から「洗礼~」って叫びながら小便をしたとかね。
そして、大人になって、ビートルズとして成功した後でも、今度は徐々にビートルズという枠に対して不自由を感じるようになったジョン。
この頃は、妻のシンシアに対しての家庭内暴力が激しくなったという。
確かに、嫉妬深くて、暴力的なジョンの作る歌の歌詞にも影を落としている。
-You Can’t Do That 1964年-
I got something to say that might cause you pain,
If I catch you talking to that boy again,
I’m gonna let you down,
And leave you flat, Because I told you before, oh, You can’t do that.
ご機嫌をそこねるかもしれないが 言っときたいことがある
あいつとは二度と口きくんじゃない
今度見つけたらとっちめてやる
コテンパンにしてやるからな
前にもはっきりいったはずだ そんなことするなって
-Run For Your Life 1965年-
You better run for your life if you can, little girl
Hide your head in the sand little girl
Catch you with another man
That’s the end’a little girl
一目散に逃げ出すこった
できるもんならな リトルガール
浮気現場を抑えたらお前を生かしちゃおかないぜ
-Getting Better 1967年-
I used to be cruel to my women
I beat her and kept her apart from the things that she loved
以前は恋人にもひどいことをした
殴りつけたり 好きなことをやらせてあげなかったり
しかし、そんなジョンも1968年あたりから、その思想を愛と平和に傾斜させていく。
彼の内面に、どんな変化があったのか。
ベトナム反戦運動の激化、黒人民権運動、ウーマンリブの高まり等、様々な時代の激流がその時期に起きているのは事実だ。
勿論、ジョンの思想的目覚めに関しては、一般的にはヨーコとの出会いというのが大きなファクターと言われているが、それは、多分にジョンの死後に増幅されたイメージによるところも多いようにも、思える。
今後、客観的な研究成果が待たれるところだ。
そして、ビートルズ解散後、社会運動にのめりこんで行くジョンであるが、おそらく彼の心の中では、暴力的な部分と、愛と平和の使者としての部分の葛藤を持ち続けたのであろう。
彼は自分の半生を振り返り、暴力的だった自分、嫉妬深かった自分、横暴だった自分を反省し、本来の自分に回帰しようとする。
それが、「ジョンの魂」というアルバムで結実するのだ。
おそらく、それがジョンの正直なところだ。
表現者にとって、最も大事な資質は、個性、新しさ、そして、正直さの3つだと思われるが、ジョンはそのうちの3つ目、正直さが他に比べて抜きん出ている。
だからこそ、僕達は、先ほども書いた以下のような彼の言葉を信用出来るのだ。
「愛と平和を語る者というのは常にもっとも暴力的な人間だ。」
さて、最近、元航空幕僚長の田母神氏の論文などを読むにつけ、日本の戦前の侵略の歴史が、あたかも無かったかのように伝説化される傾向が見られる。
さらにそれと平行して集団的自衛権の容認、はては、核武装論等の論議が起きている。
それぞれ、一つ一つの議論に関して、僕は必ずしも100%反対ではないが、それでも、日本が過去に犯した侵略の歴史を自覚し、反省するところからしか、愛と平和を語る事は出来ないのではないかと思う。
よく、日本の軍事的暴走の歯止めとしての憲法9条というような言い方があるが、極論するならば、僕にとっての9条はまさしく、ジョン・レノンという存在である。
まさむね
TBS日曜劇場「スキャンダル」の第8話。
残念ながら、いわゆる”謎”の解明に関してはほとんど進展はなかった。
ひとつ明確になったのは、新藤たまき(桃井かおり)の子供・駿介が実は既に死んでいたということだ。
前回のエントリー、『第7話 急展開の「スキャンダル」を読み解く』で、僕は駿介はたまきの前の夫と一緒に出て行ったのではないかとの推理をしたのであるが、それはなかった。
ただ、この駿介の部屋には、彼が亡くなった当時と全く同じ状態で残されていた。
たまきは、駿介の死以降、この部屋を開けたことが無かったという。開けることによって、そこに駿介がいないという現実に耐えられなかったのだ。
そして、何年かぶりにその部屋に入ったたまき。
貴子(鈴木京香)、ひとみ(長谷川京子)、真由子(吹石一恵)も一緒にその部屋で、たまきと号泣する。
サスペンス物として見ていた視聴者の涙をも誘う名場面になった。勿論、僕も泣いた。
泣きはらした後、それによって、さらに友情の絆を深めた4人。
そこに、たまきの夫・哲夫(石原良純)が帰って来て、理佐子(戸田菜穂)からの手紙を渡す。
番組HPによると、そこには、「真実を知りたければ、日曜日に結婚式を挙げた教会に来て」とあったという。
4人はそこでどんな”真実”を目にするのだろうか。
さて、ここで再度、現時点での”謎”を整理してみよう。
★何故、理佐子の携帯電話を久木田が持っていたのか。
これは、少なくとも結婚式の前の時点では理佐子と久木田はグルになっていたことをあらわしているのではないか。
ただ、その後、理佐子がなんらかの理由で久木田のもとから離れていったのではないだろうか。
おそらく、それには、その結婚式の夜のラブホで傷害事件が関係しているのに違いない。
おそらく、理佐子は、あの晩、久木田とグルになって金沢を脅そうとしたのではないか。
あるいは、全く逆に、金沢が理佐子を脅迫。逆上した理佐子がナイフを手にして...という可能性もある。
そして、そこには、久木田の他に、哲夫、雄一、秀典(沢村一樹)も絡んでいた..がこれはまだまだ謎だ。
★理佐子が結婚式の前に賢治(遠藤憲一)、秀典に借金を依頼していた。
これは、何のための借金だったのか。金沢への手切れ金だったのか?
★貴子が理佐子の携帯に電話したとき、一度、男が出ている。
今考えてみると、これは哲夫の声だったのではないか。哲夫が理佐子を駿介の部屋に匿っていたということを考えれば、これはほぼ間違いない。
ということは、この時点で、久木田、理佐子、哲夫は元々、グルだったということになるのだろうか。
しかし、何故、哲夫が電話に出たのか?これはまだ謎である。
★久木田が何故、貴子にモーションを掛けつづけるのか?
これは、純粋に久木田の貴子に対する愛情と理解していいものなのか。おそらくそれは無いであろう。
あるいは、最終的には久木田が貴子から、金を引き出そうとしているのか。それも現時点では不明。
久木田が貴子に対して、理佐子からの「別れ」のメールを見せたというのも、久木田が貴子の気を惹くための自作自演だったのではないだろうか。
また、今回の放送で久木田がわざわざ、貴子の家に行くシーンがあるが、これは2人の関係を夫の秀典に見せることによって、秀典を疑心暗鬼にさせ、貴子と秀典を別れさせようとしているとしか考えられない。
★久木田がアメリカに行った様子が無い。。
根本的な疑問として、久木田は、実は国際ピアニストではないのではないか。別人なのを偽っている可能性というのもまだあると思われる。
★何故、理佐子は久木田の前から逃げなければならないのか
理佐子は久木田に対して、まだ秘密があるようである。
次回の放送で、理佐子は哲夫のもとからも逃げるということであるが、金沢、久木田、哲夫と逃げ続ける理佐子、次に行くのは、どこか?真由子の夫、賢治のところか?
★結婚式の晩、金沢と一緒にラブホに入るときの理佐子が貴子を見る表情(敢えて、貴子にその姿を見せつけようとしているような表情にも見えなくはない)
貴子の心を乱そうとしたのか。この表情の意味はいまだ不明。
冒頭にも述べたが、今回の放送は謎の解明に関して、ほとんど進展は無かった。
しかし、4組の夫婦の仲は確実に崩壊の方向に向かっている。
そこで初回の結婚式における理佐子の4人に対する「私は勝ったわ」というセリフに戻りたい。
理佐子は、今回の一連の騒動で4人の結婚生活を壊すことを、勝つと表現したのかもしれない。
そうすると、あの結婚式の晩に、理佐子がバーでナンパゲームを仕掛けたことも別の意味を帯びてくる。4人のアバンチュールの危険と甘さを味合わせようとしたという事になるからだ。
さて、4人は、現状の夫婦生活よりも、かけがえのない友情と、人生における新しいステージ、見せ掛けではない本当の愛をつかむのであろうか。
最終回の最終的な映像としては4人が幸せそうに並んで歩くシーンが思い浮かぶが、はたしてそうなるのか。
残り2回。まだまだ、予断を許さない。
まさむね