Archive for the ‘時事ネタ’ Category

小室哲哉、夢に裏切られた男

Saturday, November 8th, 2008

僕がここで書いてみたいのは、彼がいろんな人に騙され、いろんな人を騙そうとして詐欺罪で逮捕される経緯というような裏の話ではない。
彼の音楽が1998年あたりから、何故、売れなくなったのかという事と、彼は何故、アジアに進出しようとして、そして失敗したのかという問題だ。

小室さんのプロデュース曲が次々とミリオンヒットを続けていた時期、それは1990年代の中盤から後半にかけてだ。
時は、女子高生ブーム全盛。僕の個人的なことを言えば、この頃、「女子高制服図鑑」とか「100万人の女子高生」というCD-ROMの制作にかかわっていた。
同じ頃、彼がプロデュースした安室奈美恵や華原朋美は、コギャル達のカリスマと言われ、楽曲は、ストリートコギャルの応援歌としてもてはやされていた。
小室さんの作る曲、詞は確実に彼女達をリアルに捉えていたのだ。

Lonelyくじけそうな姿 窓に映して
あてもなく歩いた 人知れずため息をつく
I’m proud 壊れそうで崩れそな情熱を
つなぎとめる何かいつも探し続けてた

-I’m proud -(華原朋美)

今日もため息の続き
1人街をさまよっている
エスケープ昨日からずっとしてる
部屋で電話を待つよりも歩いてる時に誰か
ベルを鳴らして!

-SWEET 19 BLUES-(安室奈美恵) 

当時、小室さんは、これらの曲を、スタッフ達と十分に、戦略を練って作っていたんだと思う。
そしてその戦略は見事成功した!
音楽業界におけるマーケッティングというものが、まだ、嫌らしさとも、嘘っぽさとしてとも、意識されていなかったこの頃、コムロサウンドは街を席巻したのである。

しかし、1998年頃に潮目が変った。それは音楽界だけでなく、社会的にも変った。

この頃、この社会的変化を象徴する二つの事件が起きている。

一つが、山一證券の廃業だ。
これは、「学校に行って、いい企業に入って真面目にやっていれば一生安泰」という夢の崩壊の象徴である。
そしてもう一つが、和歌山の砒素入りカレー事件だ。
こちらも「日本中どこにでもある共同体。そこに普通に暮らしていれば安心」という夢の崩壊の象徴である。

社会学者の山田昌宏氏は、この年に起きた、大きな社会的変化を1998年問題としてまとめている。
以下に上げるものの数が、この年に激増しているというのだ。

自殺者数
青少年の凶悪犯罪(殺人、強盗、強姦)の数
成人事件の強制わいせつ認知件数
セクハラ相談件数
児童虐待相談処理件数
離婚件数
できちゃった結婚の数
不登校児童の数
高校の中退率

このような現象は、それまで日本を支えていた社会システムの崩壊と言い表せると思う。
そして、コギャル達は、厳しい現実を前に、夢から醒めて、ルーズソックスを脱ぎ、ストリートから、それぞの家の中へと戻っていた。
それとともに、彼女達の応援歌=コムロサウンドも街から消えていったのである。彼が生み出したミリオンヒットは、1997年の安室奈美恵のCan you celebrate?と華原朋美のHate tell a lieが最後になった。コギャルの卒業ソングと解釈されたCan you celebrate?と、”嘘”との決別を表現していたHate tell a lieが、小室さんの最後のミリオンヒットとなった事実は、音楽シーンの流行にとって、誠に示唆的であったと思う。

一方、音楽界では1998年という年は、多くの画期的な新人が登場している。
宇多田ヒカル、浜崎あゆみ、aiko、椎名林檎、MISIA等、自分の個性を、自分の言葉とサウンドで表現できるミュージシャンの多くはこの年のデビューである。
大人が作って、タレントに歌わせ、タレントと同世代の女の子がCDを買い、メガヒットを記録するといった業界にとって幸福な時代。実は、この頃には既に終わっていたのかもしれない。
別の言い方をするならば、多くの視聴者はこの頃、より、共感出来る曲、リアルで本物の叫びとサウンドを求めたのである。
しかし、残念な事に、小室さんはこの流れについていけなかった。この年、彼の主な仕事は、鈴木あみをデビューさせることだったのだから。

勿論、パブリックイメージとしての小室哲哉は、まだ全盛である。特に小室さんを利用しようとする人々にとっては。
その翌々年の2000年の沖縄サミットでは、各国首脳の前で小室哲哉プロデュースの「NEVER END」という曲が披露されている。
小室さんの人生の絶頂とも言えるイベントである。

しかし、水面下では既に、終わっていた小室さんにとって「NEVER END(決して終わらない)」という曲は、今から見ると皮肉にしか聴こえない。

Never End Never End 私たちの未来は
Never End Never End 私たちの明日は
Fantasy 夢を見る 誰でも夢を見る
数えきれない やさしさが支えてる

-NEVER END-(安室奈美恵)

さて、この「NEVER END」では、Fantasy(夢)が歌われているが、実は、小室さんにとってのFantasy(夢)は2つあった。
一つは、「小室哲哉の楽曲は時代を超えて、永遠に通用するものだ。」という夢であり、それは上記のような時の流れによって否定されてしまった。

そしてもう一つは、「小室哲哉の楽曲は国境を越えて通用するものだ。」という夢であった。
実際に、今日の小室さんの転落の大きな原因は、彼の大陸進出の失敗と言われている。
実は、彼はここでもFantasy(夢)に裏切られたのである。

『Jポップとは何か』(烏賀陽弘道)によると、「Jポップ」という名称が運んだのは「日本のポピュラー音楽が世界に肩を並べるようになった」というファンタジーだったという。
すなわち、元々、Jポップという名前には、ある種の欺瞞があったというのだ。
それは、日本国内市場向けの音楽であるにもかかわらず、Jポップという名前によって、あたかも世界で通用しているかのようなイメージを生み出し、それによって国内市場で成功させようとしたのだという。
これは、”世界の”という冠詞をつけることによって、国内向けに売り出そうとする手法と同じ発想だ。世界のジャイアント馬場とか、世界の北野武とか、世界の三宅一生とか...

恐らく、小室さんは、このJポップのFantasy(夢)をベタに信じてしまったのだ。
しかも、先導するのは自分だという自負もあったんだと思う。

しかし、夢は夢だったのである。本来だったら、アジア市場を研究して、海賊版天国である事を踏まえるべきだった。パッケージはあくまでも宣伝という位置づけにして、コピーされることを前提に、とにかく認知度、高級なイメージを広めて、ライブでビジネスという方向も考えられたかもしれない。

このように、小室哲哉は、楽曲・才能の永遠性という夢、世界性という夢、いろんな意味で、夢に裏切られてしまったのだ。

さらに言えば、小室さんは、逮捕直前、最後の最後に誰かが救ってくれると夢想していたともいわれている。「NEVER END」における、”数えきれない やさしさが支えてる”という夢にまで、彼は裏切られたのである。

まさむね

団塊 Jr.の女達、人生いろいろ

Saturday, September 27th, 2008

団塊Jr.世代(1970年代前半生まれ)の女性が話題になる出来事がここのところ相次いだ。

9月23日、福岡市の公園で小1の富石弘輝君(6)が殺害された事件で、母親の富石薫容疑者(35)が殺人容疑で逮捕された。
薫容疑者は病気のために手足が不自由で、1人で立ち上がることも容易でなかった。
弘輝君は情緒障害で特別支援学級に通っており、薫容疑者は十分に子育てができないことを悩んでいたという。
切ない、切なすぎる。

9月24日、小渕優子衆院議員(34)が少子化担当相として初入閣を果たす。
彼女は、成城大学卒業後、TBSに入社。その後、父・恵三の急逝に伴って、地盤を引継ぎ、衆議院議員に当選。
平成16年にTBS時代の同僚で、”花男”のプロデューサーの瀬戸口克陽氏と結婚し、昨年9月には男児を出産した。そして、34歳という若さでの初入閣。戦後最年少の記録だそうだ。
羨ましい、羨ましすぎる。

9月25日、「池袋駅でナンパしている男を刺し殺す」殺人予告を2chの掲示板に書き込んだとして、警視庁は中野区のアルバイト事務員の竹内清美容疑者(36)を、偽計業務妨害の疑いで逮捕。
容疑者は、容疑を認めた上で、「若い女をナンパするような男は許せなかった」「男が若いキレイな女性ばかりに声をかけていた」と供述しているという。
痛い、痛すぎる。

9月26日、広島西署は、幼稚園、小学校などに殺人予告の脅迫文を送り付けたとして無職熊野陽子容疑者(36)を逮捕した(ただし、現時点では否認)。
脅迫文には「こどもたちを殺します。楽しい殺人ゲームの始まり始まり」とあったという。
寂しい、寂しすぎる。

彼女達が属する団塊ジュニア世代は、他の世代に比べて、人数が多く、子供の頃から競争を強いられてきた。
しかし、大学卒業時期にちょうど「就職氷河期」を迎え、就職活動に失敗して、フリーターとして、あるいはパラサイトシングルとしての選択を余儀なくされた者も多かった。
その彼女達も30代中盤を迎え、人生において、いわゆる”やり直しの効かない”年代に入った。
それぞれの人生には、置かれた現状の格差と同時に、将来に対する希望の格差という意味で、決定的な差がついてしまっているのだ。
しかし、この状況を自己責任という残酷な言葉で片付けていいものだろうか。
上記の4人にまつわるニュースは、まさに、彼女達が置かれた状況を象徴的に示しているように受け止められた。

少子化担当大臣に就任した小渕さん、挨拶周りとかでなにかとお忙しいかとは思いますが、一瞬でも、富石薫、竹内清美、熊野陽子の3人の人生にも思いを寄せてみてはいかがだろうか。

生れた状況が違っていたら、あなたもその3人になっていたかもしれないのだから。

まさむね

北京五輪を覆う座り心地の悪さ

Friday, September 19th, 2008

チベット問題や、国内の人権問題等が事前から報道されていたせいもあって、北京五輪は、もろ手を上げて楽しめるという状況ではなかったにもかかわらず、大会が始まってしまうと、日本選手の活躍のに心を奪われてしまった。
でも、僕の心の中では、北京五輪そのものに対する嫌悪と日本人選手の活躍に引き裂かれた座り心地の悪さを常に感じていたんだよね。
でも、一方で、開会式で、花火がCGだったって事や、独唱した少女が口パクだった事、少数民族の衣装を着ていた子供達のほとんどが漢民族だった事をテレビは偽装五輪の象徴と言わんばかりの報道をしていたけど、そんなに過剰につっこむところか?とも感じた。
実際、シドニーやトリノでもオーケストラとかが手パクだったって事は明らかになっているけど、その時は、五輪自体が偽装だという事にはならなかったでしょ。
それにしても、テレビの報道はひどかった。
選手の活躍を、各局、例外無く、ほとんどが、家族間の人情話にからめてたよね。
姉妹関係(伊調、谷本)、家族関係(上野、太田)、息子との関係(内柴)、夫婦関係(朝原)、父親との関係(石井、浜口)…
でも情けない事に、僕自身もその一つ一つに感動してしまった。冒頭の件とは別の意味で、座り心地の悪さを感じさせられ続けたよね。
一方で、今回の五輪で圧倒的に強かった北島康介、吉田沙保里、上野由岐子の3人に関しては、本人との戦いがメインテーマだったような気がする。
アスリートとしての圧倒的な凄みは、陳腐な人情話を寄せ付けないという事なのだろうか。

まさむね

寺山の肝炎もC型か?

Saturday, July 5th, 2008

●C型肝炎、陰性手前でウィルス値停滞。ウィルスも死に物狂いですからとは陽気なお医者様。
白血球の値が週によって上下。原因は不明。
インターフェロンを毎週投与しているせいか、だるい毎日。

●最近、寺山修司も肝炎だった事、肝硬変で死んだ事を知り、興味さらに深まる。
はたして、C型だったんだろうか?

●イーモバイル、米民主党大統領候補オバマ上院議員の演説をパロディー化し、背広姿のサルが民衆に演説を行うという内容のCMを放映中止に。
黒人への人種差別的表現だとの指摘を受けたためという。
TVドラマ「CHANGE」の朝倉啓太首相への冒涜に対するJ系圧力、あるいは自主規制かと思ったのに…

●中国産ウナギ偽装問題の魚秀社長、『人生の素晴らしさに気づく』 の著者・中谷彰宏氏と同姓同名なのが、意味無く笑える。
そのイケメンはは無用の長物か。

●養殖海老詐欺のワールドオーシャンファームの黒岩会長。作り笑いがそのまま固まったような顔に大笑い。

●毎日新聞変態記事報道問題、マスコミでの扱いとネットでの炎上の落差激しすぎ。
毎日側の「記事配信を停止することで、批判におこたえしたい」で逃げ切れるとか。
俺の知っている限り、唯一、テレビではミヤネ屋が報道。「内容が過激すぎてテレビでは紹介できません」には笑った。

●偽装横行の昨今、こうなったらマスコミには他社追随報道ではなく、公正な取材報道を熱望。

例えば、田舎の乾物屋で期限切れのレトルトカレー販売容疑とかで、女店主(81才)への独自の追い詰めインタビューとかの「勇気」に期待。

●また、マスコミには、全世界の特派員に観光地での日本人の記名落書を収集してもらい、実名報道してもらいたいです。

まさむね

寺山と永山と加藤智大

Wednesday, July 2nd, 2008

今回の秋葉原の通り魔事件に触れて、今から40年前に起きた永山則夫の連続ピストル射殺事件の事が気になりだす。

母親との確執、特異な少年時代、北の大地霊、染付いた訛り、劣等感…

寺山修司が内面に抱えたコンプレックスは、同様に永山則夫が抱えた問題でもあり、それは同時に、加藤智大の底流にも流れているものか。

『永山は殺人鬼という名の異常者か?そうではない。もしも、永山が最後に手に入れたのが、ピストルでなく、想像力だったとしたら、この事件はまったく性格の異なったものになったにちがいない。』

寺山修司は永山則夫に関して、上記のようにコメントした。

今、寺山が生きていたら、今回の事件をどのように評した事であろうか。

まさむね

プロレスとしての丸明

Sunday, June 29th, 2008

丸明の吉田社長の事が実は好きだ。

おとといの「謝罪に漂うものの哀れ」で思わず、あの謝罪会見をプロレス的なアナロジーで語ってしまったが、よく考えたら、あの社長が醸し出す匂いは昭和プロレスのヒールのそれと酷似していることに気付いた。

最初に報道された従業員との口論。社長は従業員達の前で偽装の指示を喧嘩腰で否定する。
吉田社長の鮮烈なデビューだ。

次は、ただ「申し訳ありませんでした」とだけ言って逃げたわずか40秒の記者会見。
やりたい事だけやって帰っていくヒールの姿だ。
我々の興味をしっかりと次に繋ぐ。

そして、例の記者会見。
前半は下を向いての欺瞞謝罪。
中盤は笑顔での饒舌。
最後は決着をつけないまま、場外逃亡。

この展開がまさしく「昭和プロレス」なのだ。
例えば、テリー・ファンクVSザ・シーク、G・馬場VSアブドーラ・ザ・ブッチャー、A・猪木VSタイガージェットシン。

この嫌な感じの不完全燃焼感、あるいは残尿感。
がっかりさせられると同時に、また見たくなる期待感。
そして、ヒールに対するなんとも言えない愛着感。

人間にとって最も楽しい見世物は他人の感情だが、この社長の判りやすい感情の露出は、我々を必要以上にワクワクさせる。

興味津々の生立ち、成り上がりの軌跡、欲望・業の深さ、抜き差しならない社内関係、謎の明るさ等、社長の存在は、我々に様々な妄想を喚起させるのだ。

だから、吉田社長を好きにならずにはいられない。

まさむね

本当に憤った事件

Saturday, June 28th, 2008
最近のいろんな事件で本音の部分で最も憤ったベスト3。

1:イタリア寺院での落書
2:中共のチベット弾圧
3:居酒屋タクシー

落書は、マジで名前と顔さらせって言いたい!!でも、その裏には、若造のくせにイタリアへ行くこと自体が羨ましいっていうのがあるよね。
居酒屋タクシーも根本的には、深夜、タクシーで帰宅できる事自体が許せん。普通、泊まりでしょ。

また、チベット問題は、その根底には中国嫌い(差別?)があるんだろうな。

こういう自分の指向を客観的に見てみると、俺って嫉妬深い偏狭ジジイか!って情けなくなるよね。

一方、そんなに憤らなかった事件は以下。
丸明の飛騨牛偽装、後期高齢者医療保険制度、秋葉原の通り魔殺人、北のテロ支援国家指定解除、船場吉兆使い回し…

食品偽装は、記者会見とかは面白いけど、切実には怒れない。通り魔も、いつも家にいる俺にとっては他人事だし、高齢者医療制度だってしかたないかなって思ってしまうからね。

さて、最後に関係ないけど、ニュースの扱いの大小と人々に対するインパクトの強弱って違うでしょ。
2chのニュース速報板のスレの立ち方の速度とか数とかを、自動的に抽出してタイトルだけでも蓄積してるサイトとかないかな。

まさむね

謝罪に漂うものの哀れ

Friday, June 27th, 2008
飛騨牛の等級偽装を内部告発された丸明の吉田明一社長の記者会見がワイドショーで流されている。
この社長、最初は神妙面して「申し訳ありません。」と頭をさげまくっていたのに、会見の後半では、緊張がほぐれたのか、笑顔すら見せ、肝心の質問から逃げ続けた。
各番組ともに同様のコメントをしていたが、現代的に言えば、史上最低の謝罪会見だったよね。

しかし、ミートホープ、船場吉兆、谷本整形、丸明と続く一連のワンマン会社の没落パターンは、なんと類似していることか。
俺的には、かつてのジャイアント馬場の必殺フルコースに捕らえられた悪役レスラーの末路を思い出してしまう。

ワンマン会社の没落パターン
内部告発→責任逃れ→遅すぎた謝罪→隠し事次々露見→業務停止

ジャイアント馬場の必殺フルコース
河津かけ→河津落とし→十六文キック→椰子のみ割り→三十二文ロケット砲

さて、こういった会見を見るといつも思うのは、人は誰しも所属している「身内」、「村」、「世間」と同心円の世界があるけれど、それぞれの場面で相応の態度、言葉、論理を持って接しないと大変な結末を招くんだなぁという事である。
日本がかつて村社会だった頃、所属メンバー(ただし上級メンバー、いわゆる旦那衆)が不祥事を起したときでも、「村」の中では、謝罪で済んだんだと思う。
いわゆるヤクザの手打ちみたいなもんで、細かく説明させなくても、その人が本当に反省していなくても、「あの旦那が頭を下げた(シメシをつけた)んだから」って事をおさめたに違いない。
さらに言えば、「身内」では、謝罪も必要なかったんだろうね。

今回の一連の会見を見ていると社長達は、「村」言葉、態度、論理で、「世間」に対峙しようとしているのが恥ずかしくも、悲しい。
恐らく、長年に渡って、「身内」と「村」にどっぷりつかりきった人達だから、「世間」用の言葉、態度、論理を装備してないんだよ。
「世間」慣れしてない「村」の旦那衆への「世間」の残酷な血祭りとでも言うべきか、そこには、竹槍で戦車に向かっていくような「ものの哀れ」がただようよね。

今から10年位前に、山一證券の社長が倒産会見で「悪いのは社員じゃありません」と泣きじゃくった事があったけど、その頃既に、白けてみていたよね。
「村」の大らかな良さってものもかつてはあったはずなんだけどな。
マスコミというシステムが「村」言葉を許容出来なくなったのは、いつ頃からなんだろうか。風俗史的に興味深い。

まさむね

キャラ混在むしろ日本的だ

Tuesday, June 24th, 2008

2010年の平城遷都1300年祭の第三のキャラ「なーむくん」(一番上)が発表された。
発表したのは南都二六会という寺院の親睦会で、最初に記念事業協会が「せんとくん」(二番目)を発表した時、仏を冒涜しているって言って、反対した団体ですね。
確かに、「せんとくん」(いくら、作者が童子って言い張っても、白毫がある時点でこれって仏陀でしょ!)の角は、根本的に仏教の輪廻転生+解脱の思想が分かっていないって言われると反論出来ないよね。
この「せんとくん」選考過程の胡散臭さ=電通臭さにまみれているという別角度からの批判は置いておくとしても、このキャラには問題がある。

でも、一方、この「なーむくん」もいかがなものか。
日本に仏教を定着させた聖徳太子の少年時代をモデルにしており、念仏から名前をもらった(スポニチより)キャラとのことだが、聖徳太子と平城遷都とは直接関係ないし、念仏っていうのも、平安後期の話だろう。
記念事業協会が仏教を理解していないというなら、南都二六会は歴史がわかっていないと言われても仕方ない。

もっとも、日本の伝統ということを考えれば、「まんとくん」(一番下)もあわせて、わけのわからないものが混在するっていうのもありかもな。
日本人の宗教観は、元々融通無碍なんだから、「いろんなものが、いつの間にか一緒やってます。」っていうのも、日本人らしくていいかも知れない。

まさむね

秋葉通り魔交差点は魔界スポット

Tuesday, June 17th, 2008

加藤智大(25)が連続殺傷事件を起した秋葉原の中央通りと神田明神通りの交差点(写真真中)。
外神田は、神田明神(平将門の鎮魂社 写真一番下)のお膝元だ。

そして、靖国神社(写真一番上)の参道をそのまま延長すると、ピタリとこの交差点にぶつかる。

ここは、朝敵・将門の怨霊と国家主義的・英霊が出会う場所、魔界都市的なスポットなのだ。

この事件の1週間後、東北地方で大地震が起きた。
ネットでは、加藤の怨霊が地を揺らしたのではという憶測が流れる。

早くも神(憤怒神)か、アイツは。

まさむね