蝶紋 -優美さと物悲しさ漂わせる紋所-

家紋の中で一番、優美なのがこの蝶紋である。

一般的には、この紋は、あの平家の代表紋と言われている。
確かに、公家で平家流の平松家、西洞院はこの紋を使用しているが、実際、武家の桓武平氏では、この紋はそれほど普及しているわけではない。
ただし、織田信長のように、後から平氏を自称した諸家では、この紋を定紋としたようである。

ところで、よく見ると、蝶の目はどこか物悲しい。
壇ノ浦で滅んだ平家を哀れんでいるかのようでもある。

全国分布だが、県別家紋数では、まんべんなく20位~30位くらいの位置をキープしている。
敢えて言えば、三重県(18位)、鹿児島県(18位)、岐阜県(19位)、群馬県(20位)、石川県(20位)などが20位以内に入っている。
逆に宮崎県、徳島県ではベスト30にも入っていない。

さて、この紋を使用している有名人だが以下が確認できている。

織田信長。1534年5月12日 – 1582年6月2日、戦国武将。
古渡城主・織田信秀の次男または三男として生まれる。
日本の近世の最初期にあたる戦国時代から安土桃山時代にかけて、世に多大な影響を残した武将であり、大名(戦国大名)である。
重臣の一人・明智光秀の裏切りに遭い、自刃に追い込まれた。


池田輝政。1565年1月31日 – 1613年3月16日、武将・大名。
織田信長の重臣・池田恒興の次男として尾張国清洲に生まれた。
小牧・長久手の戦いで、父の恒興と兄の池田元助が討死したため家督を相続し、美濃国大垣城主13万石、ついで岐阜城主13万石を領する。関ヶ原の戦いでは徳川方に与する。また、姫路城を形に改築した。家紋は揚羽蝶(左画像は姫路城の瓦の揚羽蝶)、備前蝶。


大谷吉継。1559年 – 1600年10月21日、武将・大名。
近江国(滋賀県)で生まれ、秀吉の小姓となる。
九州征伐で功を上げ、5万石を与えられ、敦賀城主となった。
賤ヶ岳の戦いの際に長浜城主柴田勝豊を調略して内応させる。
関が原の戦いでは西軍に与し、破れる。家紋は向かい蝶。


佐野房綱。1558年- 1601年7月31日、武将。
佐野宗綱の弟。佐野氏は秀郷流の系統。藤姓足利氏の庶流。
豊臣秀吉に仕え、小田原征伐のとき、功績により、佐野氏の領地である唐沢山城と3万9000石の所領を安堵される。
戦国時代においては、剣術の達人の一人であったと言われている。


大塩平八郎。1793年3月4日 – 1837年5月1日、儒学者で、大坂町奉行所与力。
大坂天満の生まれだとされているが、阿波国の生まれだとする説も存在する。
大塩家は代々与力として禄を受けていた。
天保の大飢饉の際、人民救済のために大塩平八郎の乱を起す。
その乱の際、元々の大塩家の家紋の蝶の丸ではなく桐紋を旗印にした。


芹沢鴨。1827年 - 1863年10月28日、幕末の水戸藩浪士。
中世に興起した常陸国芹沢村の豪族、芹沢氏から発祥した水戸藩上席郷士、芹沢家の当主貞幹の三男として生まれた。
江戸で結成された浪士組に同郷で芹沢家の家臣筋でもある平間重助を伴い参加。
新選組(壬生浪士)の初代筆頭局長。暗殺される。


岡本綺堂。1872年11月15日 – 1939年3月1日、小説家、劇作家。
イギリス公使館に勤めていた元徳川家御家人、敬之助の長男として東京高輪に生まれ、1歳から麹町に育つ。1913年まで24年間を、東京日日新聞の記者として過ごす。
1916年、シャーロック・ホームズに影響を受け、日本最初の岡っ引捕り物小説「半七捕物帳」の執筆を開始、代表作となる。


池田亀鑑。1896年12月9日 – 1956年12月19日、国文学者。平安文学専攻。
鳥取県日野郡福成村(現・日南町)に生まれる。
「源氏物語」研究の権威で、文献学の知見を日本古典文学研究に導入。
3年かけて「源氏物語大成」全8巻を刊行、異本を比較して古典の原型を明らかにする文献批判学研究を行った。紫式部学会の創設、雑誌「むらさき」の編集なども行う。


二代目・中村吉右衛門。1944年5月22日 -、歌舞伎役者、俳優。
歌舞伎では『勧進帳』『義経千本桜』の武蔵坊弁慶に平知盛が当たり役。
また、テレビドラマでは、池波正太郎原作『鬼平犯科帳』の火付盗賊改方長官・長谷川平蔵役がはまり役。
写真は初代の墓所より。


トニー 谷。1917年10月14日 – 1987年7月16日、ヴォードヴィリアン。
東京市京橋区銀座に生まれ、東京市日本橋区小伝馬町に育つ。本名は大谷 正太郎。
戦後日本の特殊状況を鋭く批評するキャラクターを構築した、キザでイヤミでバタ臭くてアクの強いゲテモノ芸人。リズムに乗りソロバンをかき鳴らす珍芸が売。妙な英単語を混ぜたしゃべりは「トニングリッシュ」と称された。半被には蝶紋が施されていた。


平沼騏一郎。1867年10月25日 – 1952年8月22日、政治家。岡山県津山市出身。
日本の官僚で、第35代内閣総理大臣
法曹界で権力を持ち、右翼勢力の拡大に尽力した。
戦後、東京裁判でA級戦犯で訴追され終身刑の判決を受けた。
元経済産業大臣の平沼赳夫は、平沼騏一郎の兄である平沼淑郎の曾孫である。


藤原紀香。1971年6月28日 – 、女優。
1992年神戸親和女子大学在学中に、第24回ミス日本グランプリを受賞。
女優としては『スタアの恋』『ハッピーマニア』『金曜日の恋人たちへ』等が代表出演作。
その他、国際活動や人道支援への協力でも知られている。
写真は陣内智則との結婚式の時のもの。晴れ着に蝶紋が見られる。


二代目・中村獅童。1972年9月14日 -、歌舞伎役者、俳優。
歌舞伎の名門・小川家(旧播磨屋、現・萬屋)に生まれる。本名は小川幹弘。
代表出演映画「ピンポン」「いま、会いにゆきます」「男たちの大和/YAMATO」「硫黄島からの手紙」「レッドクリフ」など。
萬屋錦之介、中村嘉葎達の萬屋の役者も、同様に桐蝶紋。

まさむね



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