木瓜紋 -この紋はキュウリ?鳥の巣?女陰?-

木瓜(もっこう)紋は不思議な紋である。

この紋の起源がよくわからないのだ。
代表的なものを上げてみると以下のようなものである。

1)キュウリの切断面を図案化したもの
2)鳥の巣を象ったもの
3)神社の御簾の帽額(モコウ)に使われた文様
4)女陰

いずれにしても、子孫繁栄や縁起のよいものにあやかろうという精神がこの紋の普及を促進したのであろう。

また、都道府県別でこの木瓜の割合が一番多いのは以下の県である。
(都道府県別姓氏家紋大辞典 千鹿野茂著より)

北海道、青森県、岩手県、栃木県、埼玉県、新潟県、富山県、和歌山県。

この中でも特に、富山では、他県に比べて著しい普及率(28%)を示している。
この地域は、戦国時代に朝倉氏が勢力を持っていて、この紋を広く門徒に使わせたためと言われている。
また、2位の地域は、秋田県、宮城県、福島県、石川県、福井県、鳥取県、島根県など。四国と南九州では比較的少ない。

有名人では以下の人々が使っている。

滝川一益。1525年 – 1586年10月21日、戦国時代の武将。
近江国甲賀の土豪・滝川資清の次男として生まれたという。
織田信長の家臣として、伊勢長島攻め長篠の戦い石山合戦で功を上げる。
信長から上野と信濃の一部を与えられ、関東管領を名乗ったとも言われている。
領地よりも、茶器(「珠光小茄子」)を所望したと言われている。家紋は丸に立木瓜。


朝倉義景。1533年10月12日- 1573年9月16日、越前の戦国大名。
越前の戦国大名で朝倉氏の第10代当主である朝倉孝景の長男として生まれる。
信長と敵対したが、一乗谷城の戦いで敗れ、自刃した。
その際、往時は1万人余もの人口にて繁栄を誇った一乗谷の市街地は、灰燼に帰した。
家紋は三つ盛木瓜。


塙保己一。1746年6月23日 – 1821年10月7日、国学者。
武州児玉郡保木野村に生まれる。家紋は丸に木瓜。
塙は師の雨富須賀一の本姓を用いたもので、荻野(おぎの)氏の出自。
群書類従』『続群書類従』の編纂者として知られる。
『史料』編纂の事業は、現在も東京大学史料編纂所に引き継がれている。


二宮尊徳。1787年9月4日 – 1856年11月17日、農政家・思想家。
相模国足柄上郡栢山村に百姓利右衛門の長男として生まれる。家紋は木瓜。
日本の江戸時代後期に「報徳思想」を唱えて、農村復興政策を指導した。
子供の頃、わらじを編んで金を稼ぎ、寝る間も惜しんで読書をしたという。
薪を背負いながら本を読んで歩く銅像が小学校などに多く建てられた。


沖田総司。1842年夏の日 – 1868年7月19日、幕末の新選組の隊士。
父は陸奥白河藩士の沖田勝次郎で長男。
副長助勤、一番隊組長、撃剣師範。本姓は藤原を称した。
1864年6月5日の池田屋事件で、討幕派数人を切り伏せ活躍したものの、直後に肺結核により喀血して倒れる。1868年に死去。


田山花袋。1872年1月22日 – 1930年5 月13日の小説家。群馬県館林市出身。
1907年に、中年作家の女弟子への複雑な感情を描いた『蒲団』を発表。
女弟子に去られた男が、彼女の使用していた蒲団に顔をうずめて匂いを嗅ぎ、涙するという描写は、読者、さらに文壇に衝撃を与えた。
家紋は丸に横木瓜。


樋口一葉。1872年5月2日 – 1896年11月23日、小説家。
元々父親である則義は甲斐国山梨郡中萩原村(旧山梨県塩山市、現在の甲州市)の百姓であった。7歳の時に曲亭馬琴の『南総里見八犬伝』を読破したと伝えられる。
代表作は、「たけくらべ」「にごりえ」。五千円札の肖像となっている。
現在の墓所は、杉並区和泉の西本願寺和田掘廟所。


上野英三郎。1872年1月19日 – 1925年5月21日、農業土木学者。忠犬ハチ公の飼い主
三重県出身の農業土木・農業工学の創始者。
大正14年5月、上野は大学で講演中に脳溢血で倒れ急逝。
愛犬ハチは帰らぬ上野を長期間待ち続け、「忠犬ハチ公」として秋田犬の名を世間に知らしめることとなった。


平田禿木。1873年2月10日 – 1943年3月13日、英文学者、随筆家。
東京生まれ。本名・喜一郎。
島崎藤村らの『文學界』同人として活躍。
のち英文学者として多くの翻訳を刊行、『禿木随筆』などがある。
またアーネスト・フェノロサの能楽研究に助力した。のち『平田禿木選集』全5巻が刊行された。


片山潜。1859年12月26日 – 1933年11月5日の社会運動家。
美作国粂郡羽出木村に庄屋藪木家の次男として生まれる。
明治30年12月『労働世界』を創刊し主筆を務め、日本で最初の労働組合である労働組合期成会の設立に大きな役割を果たした。明治34年(1901年)、日本で最初の社会主義政党である社会民主党の結成に幸徳秋水らとともに加わった。


梅ヶ谷藤太郎 (2代)。1878年3月11日 – 1927年9月2日、第20代横綱
石川県上新川郡(現在の富山県富山市)に生まれる。
常陸山谷右エ門と同時に横綱に昇進。「梅・常陸時代」と呼ばれる黄金時代を築く。
168勝27敗47分2預116休、勝率.862。優勝相当成績3回。
家紋の木瓜は、本門寺の墓地にて撮影。


平塚雷鳥。1886年2月10日 – 1971年5月24日、思想家・評論家・作家。
東京府麹町区三番町に紀州藩士の出で明治政府の高級官吏・平塚定二郎の子として誕生。
関ヶ原の合戦で戦死した西軍の武将平塚為広(大谷吉継の与力)の末裔とも言われる。
明治時代末からの女性解放運動・婦人運動の指導者で、後年には平和運動にも関わった。
日本で最初の女性による女性のための文芸誌『青鞜』を製作した。


西ノ海嘉治郎 (3代)。1890年11月2日 – 1933年7月28日、第30代横綱
鹿児島県西囎唹郡国分村浜の市出身。本名は松山伊勢助。
仕切りが長く、その間に観客が便所に立つため「小便相撲」と陰口をたたかれた。
幕内通算成績は30場所、134勝60敗2分2預116休、勝率.691。優勝1回。
年寄浅香山を襲名し、井筒部屋から独立して浅香山部屋を旗揚げした。


大槻文平。1903年9月27日 – 1992年8月9日、経営者、財界人。
宮城県丸森町に生まれる。
三菱鉱業セメント会長、日本経営者団体連盟会長、臨時行政改革推進審議会会長。
三菱鉱業の労務畑を長らく努め炭鉱合理化の際には「首切り文平」のあだ名があった。
勲一等瑞宝章受章。日勲一等旭日大綬章受章。


平林たい子。1905年10月3日 – 1972年2月17日、小説家。
長野県諏訪市出身。
体験に基づく『施療室にて』でプロレタリア作家として認められる。
代表作は『秘密』『かういふ女 』『黒札』など。
没後、遺言により「平林たい子文学賞」が創設された。


源氏鶏太。1912年4月19日 – 1985年9月12日、作家。
富山市出身。父親は富山の置き薬売り。本名、田中富雄。ペンネームの由来は「平家より源氏が好きなこと」。また、『鶏』という字が好きだからという。
代表作は『あすも青空』『英語屋さん』『口紅と鏡』等。
三等重役』は「社長シリーズ」として映画化され大ヒットする。家紋は丸に木瓜。


坂本九。1941年12月10日 – 1985年8月12日、俳優・歌手。
神奈川県川崎市川崎区出身。愛称は九ちゃん(きゅうちゃん)。
1961年の「上を向いて歩こう」は日本国外でも大ヒットした。
1963年にはアメリカのヒットチャートの「Billboard Hot 100」で3週連続1位を獲得た。
代表作は、「上を向いて歩こう」「見上げてごらん夜の星を 」「明日があるさ 」など。


三船敏郎。1920年4月1日 – 1997年12月24日、俳優。
中華民国・山東省青島で貿易商、写真業を営む三船徳造の長男として生まれる。父は秋田県鳥海町出身。黒澤が脚本、谷口千吉が監督をつとめた映画『銀嶺の果て』でデビュー。
代表出演作品「羅生門」「レッド・サン 」「七人の侍 」「黒部の太陽」「椿三十郎 」「悪い奴ほどよく眠る」「用心棒 」など。三船美佳は内縁の妻(女優の喜多川美佳)との間にできた子供。


三波伸介。1930年6月28日 – 1982年12月8日、コメディアン・俳優・司会者・タレント。
東京府東京市本郷区(現在の文京区)出身。本名:澤登 三郎。
1970年代から1980年代にかけて日本のお笑いをリードしてきたエンターティナー。
代表出演『笑点』『日曜お笑い劇場 』『てなもんや三度笠』
当たりギャグは「びっくりしたなぁ、もう!」。


樋口恵子。1932年5月4日- 、評論家。東京家政大学名誉教授。
父は考古学者の柴田常恵。広く首都圏各自治体主催の講演会などで活動。
男女共同参画審議会のメンバーの一人。
2003年東京都知事選挙に出馬したが、石原慎太郎の前に惨敗した。
元日本ジャーナリスト会議副議長の新井直之と事実婚関係にあった。


山本學。1937年1月3日 – 、俳優。
大阪府茨木市生まれ。東京育ち。
父は建築家の山本勝巳。弟は俳優の山本圭、山本亘。叔父は映画監督の山本薩夫
善人役の印象が強い反面、時代劇作品などでは狂気的な悪役、特異な存在感を持つ怪優としても個性を発揮した。出演作は『白い巨塔』『金環蝕』『梟の城』等。家紋は三つ割り木瓜。


桂歌丸。1936年8月14日 – 。神奈川県横浜市出身。
位階勲等は旭日小綬章。本名は椎名 巌(しいな いわお)。
演芸番組『笑点』(日本テレビ)の放送開始から大喜利のメンバーとして活躍、現在では同番組の5代目司会者を務める。
その際に着る羽織には、木瓜紋をつけている。

ちなみに、その他の笑点メンバーの家紋は目視で、左から順に以下の通り。
三遊亭小遊三の高崎扇、三遊亭好楽の片喰、林家木久扇の光琳蔦、三遊亭円楽の三つ組橘、春風亭昇太の五瓜に唐花、林家たい平の花菱。

また、先の都道府県別姓氏家紋大辞典等から出身地、名字から類推して、木瓜系の家紋を持ってると思われる有名人は以下。
100%確実ではないのは、でご容赦ください。

大仁田厚。1957年10月25日 – 。プロレスラーで元参議院議員。長崎県長崎市出身。
全日本プロレスでプロレス入門。
自身が立ち上げたFMWにおける電流爆破マッチでブレイクした。
2001年7月29日に実施された第19回参院選に比例区で出馬、当選。
2007年6月23日に、政界引退。


広末涼子。1980年7月18日 -。女優。早稲田大学教育学部中退。
モデルでファッションデザイナーの岡沢高宏と結婚/離婚。
出演代表作『鉄道員(ぽっぽや)』『恋愛寫眞 Collage of our Life』『ロングバケーション』『聖者の行進 』『世界で一番パパが好き』『おとうさん』 等。
昨年も映画『おくりびと』、連続ドラマ『ヤスコとケンジ』等、一線で活躍。


枝野幸男。1964年5月31日 ‐。民主党所属の衆議院議員。
民主党の中でも政策通として知られるが、 その反面、政治的駆引や権力闘争的なことは苦手という面も併せ持つ。
労働者派遣法の規制緩和に一貫して反対している。
「朝まで生テレビ」など、メディアの露出が多い。

まさむね



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