葵紋 -徳川家の紋としてあまりにも有名-

平安時代に、宮中で7月7日に行われた相撲会の際、東の力士は葵の葉を、西の力士は夕顔の花を髪飾りにして入場した。そこから「花道」という言葉が出来たという。

葵紋といえば、徳川家の家紋として有名。
しかし、葵紋は賀茂神社の神紋(二葉葵)であるため、徳川家はもともと、賀茂一族の出ではないかと言われている。

また、善光寺の寺紋(立葵)でもある。

有名使用者は以下。

徳川慶喜。1867年1月10日 – 1868年1月3日、江戸幕府第15代征夷大将軍。
江戸・小石川の水戸藩邸にて第9代藩主・徳川斉昭の七男として生まれる。
大政奉還や新政府軍への江戸城無血開城などを行なった江戸幕府最後の将軍。
明治になってからは、趣味に没頭した生活を送った。
写真は、谷中霊園の慶喜墓の門にある三つ葉葵紋。


本多忠勝。1548年 – 1610年12月3日、武将・大名。
徳川本家の最古参の安祥譜代の本多氏で、本多忠高の長男。
家康の家臣として数々の武功を上げる。
上総大多喜藩初代藩主、伊勢桑名藩初代藩主。
家紋は立葵(左)と丸に本の字。


志村けんのバカ殿様。バラエティ番組のキャラクタ。
ドリフターズの志村けんが扮する。モデルは江戸幕府第9代将軍徳川家重。幼名は「竹千代」。志村城の城主、志村藩(親藩)12万石の領主。
コントでは、「丸に三つ葵」の徳川家の家紋が城内に見られる。
ちなみに、家老格の桑野信義は丸に橘紋、側用人のダチョウ倶楽部は巴紋を使用。

まさむね



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