蛇の目紋 -神秘的なヘビ信仰を現代に伝える-

蛇の目に似ているため、蛇の目紋と呼ばれる。
おそらく、古来、蛇の神秘的な姿や動きに聖なるものを感じた日本人がその神秘的な力にあやかろうと家紋にしたのであろう。シンプルなデザインに力強さを感じさせる。

戦国、安土桃山時代の武将・加藤清正が替紋にこの「蛇の目紋」を使った。
彼の長烏帽子についていた蛇の目は有名。

蛇の目紋を使用している有名人は以下。

加藤清正。1562年 – 1611年、武将・大名。
尾張の鍛冶屋の子として、尾張国愛知郡中村に生まれる。
豊臣秀吉の家臣として仕え、各地を転戦し。秀吉の死後も豊臣家に忠義を尽くした。
関が原戦いでは東軍につき活躍。戦後、肥後一国を与えられた。
家紋は桔梗と蛇の目を使用。写真は供養塔(本門寺)で撮影。


佐久間信盛。1528年 – 1582年2月18日、武将、織田信長の家臣。
尾張国に生まれ、織田信秀に仕える。
六角氏との戦い、一向宗との戦い、比叡山焼き討ちで武功を上げる。
信長から19ヶ条にわたる折檻状を突きつけられ、信盛は嫡男・佐久間信栄と共に高野山に追放された。家紋は蛇の目九曜、三つ引両。


加藤友三郎。1861年4月1日 – 1923年8月24日、第21代内閣総理大臣
広島藩士、加藤七郎兵衛の三男として広島市大手町に生まれる。
父・七郎兵衛は家禄13石の下級藩士だった。
ワシントン会議には日本首席全権委員として出席。
総理時代にはシベリア撤兵・軍縮の実施などの重要な課題を遂行。

まさむね



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