杏葉紋 -九州武将あこがれ、異国の馬具を模した紋-

杏葉とは馬具の装飾品。
法然上人の生家の漆間家がこの杏葉紋のため、浄土宗系の寺院の寺紋となっている場合がある。
例えば、伊能忠敬が眠る上野の源空寺、喜多川歌麿が眠る北烏山の専光寺など。画像は、専光寺の杏葉紋。

この紋は、室町時代、九州の大友氏と有力家臣が使用していた。1570年、竜造寺隆信が大友宗麟を戦で破り、その紋を奪った。
さらに、その竜造寺家から、重臣の鍋島家がこの紋を奪った。
それほど、九州地方では憧れの紋だったのである。

したがって、この紋を持つ人は現在でも九州地方の多い。
佐賀県の19位が最高。福岡県、大分県で21位、長崎県で23位、熊本県で25位。九州以外では、広島県で28位。

杏葉紋を使用している有名人は以下。

大友宗麟。1530年1月31日 – 1587年6月11日、戦国大名、キリシタン大名。
大友氏は鎌倉時代から南北朝時代にかけて九州で権勢を振るう。
宗麟の時代に大内氏や毛利氏の勢力が錯綜する戦国の北九州東部を平定した。
当初は禅宗に帰依していたが後にキリスト教への関心を強め、ついに自ら洗礼を受けた。家紋は花杏葉。


立花道雪。1513年4月22日 – 1585年11月2日、武将。
豊後の戦国大名である大友氏の家臣。
耳川の戦いで大友氏が衰退した後も大友氏を支え続けたが、高齢を押して出陣したために病に倒れ、死去した。
半身不随にも関わらず、勝利し続けたため「鬼道雪」「雷神」と称された。 家紋は花杏葉。


鍋島直正。1815年1月16日 – 1871年3月8日、江戸時代末期の大名。
父の隠居の後を受け17歳で第10代藩主に襲封。
藩校弘道館を拡充し優秀な人材を育成し登用するなどの教育改革を行う。
アームストロング砲など最新式の西洋式大砲や鉄砲の自藩製造に成功した。
家紋は鍋島杏葉。青山墓地の鍋島氏の墓所にて撮影。

まさむね



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