梶紋 -永遠の敗者として奉られた軍神の紋-

梶紋は、諏訪大社の神紋と知られている。

ご存知の通り、諏訪大社は、建御名方神(たけみなかたのかみ)を奉ってる。
この建御名方神は天孫降臨の際に、大国主神(おおくにぬしのかみ) の子として、建御雷神(たけみかづちのかみ)と戦うが、敗れ、諏訪の地に逃れ、奉られたという。
実は、建御名方神が奉られてある諏訪大社は、ちょうど、ライバル、建御雷神が奉られてある鹿島神宮の真西にある。
建御雷神は、建御名方神に対する優位を永遠のものにしようとしたのだ。
東と西、大相撲でも東の方が西よりも格上とされる伝統はここから来ている。

しかし、不思議なのは、むしろ多くの武士にとって人気を博したのはこの敗れた神(建御名方神)だったということだ。
梶紋は、この建御名方神を軍神として崇めた武士たちの発展とともに広まったのである。

全体としては、30位に入っていないが、諏訪大社のお膝元の長野県(15位)、山梨県(8位)。群馬県、愛知県、東京都、岐阜県、徳島県、鹿児島県では30位に入っている。

梶紋を持つ有名人は以下。

安島帯刀。1811年 – 1859年9月23日、幕末期に活躍した政治家。
三河譜代の名門 戸田氏の嫡流 戸田松平家の分家の出自。
幕末の西欧列強の日本接近の危機に備えるため、幕府内の海防掛に徳川斉昭や兄、戸田忠太夫、藤田東湖らとともに参与、また水戸藩において日本発の軍艦 旭日丸の建造に参与するなどして日本の海防に功績を残した。靖国神社、回天神社祭神。家紋は丸に立ち梶の葉。


小松帯刀。1835年12月3日 - 1870年8月16日、幕末の薩摩藩士。
島津久光に重用され、西郷、大久保などの下級藩士と藩主とを繋ぐ役として、幕末の薩摩では重要なポジションをこなした。NHK大河ドラマ「篤姫」では瑛太が演じた。
帯刀の紋は一般的には抱き鬼菊の葉とも言われているが、小松家は、禰寝氏の流れのため、禰寝氏の梶の葉紋の流れを汲む抱き鬼梶の葉とみなしたい。


山本権兵衛。1852年11月26日 – 1933年12月8日、薩摩藩士。第16、22代内閣総理大臣。
海軍軍人として数々の軍政改革を行い、日清戦争・日露戦争を屋台骨から支えた。
司馬遼太郎は、明治後期の山本を「日本海軍のオーナー」という言葉で評している。
この家紋は、小松帯刀の紋と同様の理由で、禰寝氏の家紋・梶の葉の変形=抱き鬼梶の葉とみなしたい。


松浦武四郎。1818年3月12日 – 1888年2月10日、探検家。
伊勢国一志郡須川村の郷士松浦桂介の四男。
松浦家は、肥前国平戸の松浦氏の一族で中世に伊勢国へ来たといわれている。
1844年に蝦夷地探検に出発。その探査は択捉島や樺太にまで及んだ。
北海道という名前を考案した。


加山雄三。1937年4月11日 – 、俳優、歌手。
神奈川県横浜市出身。父親は俳優の上原謙。祖父は鹿児島出身の陸軍大佐。
母は女優の小桜葉子(岩倉具視のひ孫)。妻は元女優の松本めぐみ。
代表出演作は『若大将シリーズ』。『君といつまでも』のヒットや『サライ』の作曲者としても有名。
画像は多磨霊園にある父親・上原謙の墓所より。


安倍晋三。1954年9月21日 – 、政治家。第90代内閣総理大臣
安倍家は江戸時代、大庄屋を務め酒と醤油の醸造を営み地元の名門として知られた豪家。
父親の安倍晋太郎は、80年代、「ニューリーダー」の一人と呼ばれ、自由民主党を担う有力政治家であったが、志なかばで亡くなる。「戦後レジュームからの脱却」を旗印に本格的保守政権を目指したが、閣僚不祥事、参院選敗北で辞任に追い込まれた。画像は父晋太郎の墓所。


中沢新一。1950年5月28日 – 、宗教学者、哲学者、評論家、文化人類学者。
山梨県山梨市出身、父の妹の夫は歴史学者の網野善彦。
東京大学大学院人文科学研究科へ入学後、ネパールでチベット仏教の修行を行い、帰国後現代思想研究の成果を駆使して著作活動を開始。
代表作は、『チベットのモーツァルト』『悪党的思考』『哲学の東北』など。

まさむね



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