雁金紋 -群れ飛ぶ雁に希望を仮託した紋-

群れをなして空を飛ぶ雁の家紋が雁金だ。

鳥に対する人間の願望が家紋として表出したのだと思う。
現代人の発想だと、鳥は自由の象徴ということになるのだが、昔はそうではなかった。

彼岸にいるであろう先祖との使者としての雁、仲良く群れをなす絆の強さの象徴としての雁。
そんなことを考えて家紋として採用したのであろう。

雁金紋で有名なのは、戦国武将の柴田勝家の「二つ雁金」だ。
この家紋の図案は、賤ヶ岳の戦いで秀吉に敗れ、越前北ノ庄にてお市とともに自害した武将・勝家の悲劇を物語っているようにも見えるから不思議だ。

現在の県別分布では、雁金紋の発祥地・長野県と、何故か鹿児島県で比較的多い。
そういえば、梶紋も元々は長野県発祥の紋であるが、鹿児島県にも多い。
長野と鹿児島の間には何か独特の繋がりがあるのであろうか。

さて、雁金紋を持つ有名人は以下だ。

柴田勝家。1522年 – 1583年6月14日、武将・大名。
尾張国愛知郡上社村で土豪階層の家に生まれる。
織田信長の家臣として近江、摂津など各地を転戦。長篠の戦いにも参加。
信長死後、賤ヶ岳の戦いで秀吉に敗れ、越前北ノ庄にてお市とともに自害。
家紋は二つ雁金。


平岩親吉。1542年 – 1612年2月1日、武将・大名。
三河国額田郡坂崎村で生まれる。家康の小姓として仕える。
小田原征伐に戦功を挙げ、関東に移封された家康に従い、厩橋3万3,000石を与えられた。関ヶ原の戦い後甲府6万3,000石を、その後、犬山藩主として12万3,000石を領した。
家紋は丸に結び雁金。


肝付直五郎。天保6年10月14日(1835年12月3日) - 明治3年7月20日(1870年8月16日)、幕末の薩摩藩士。後の小松帯刀。
大河ドラマ「篤姫」で有名になった帯刀であるが、生家は肝付家。この「尻合わせ四つ結び雁金」が家紋。「篤姫」でも、肝付直五郎(瑛太)はこの紋付きを着ていた。
ちなみに、小松家の養子入ってからの使用家紋は、「抱き鬼梶の葉」(「抱き鬼菊の葉」とも)。


花房義質。1842年2月10日 – 1917年7月9日、外交官。
岡山藩士で実業家、政治家(初代岡山市長)花房端連の長男。
壬午事変では暴徒に包囲された公使館を脱出して命からがら帰国、済物浦条約を締結させ、事件の損害補償とともに、漢城への日本軍駐留などを認めさせる。
宮内次官、枢密顧問官、日本赤十字社社長なども歴任した。


犬養毅。1855年6月4日(安政2年4月20日)- 1932年5月15日、第29代内閣総理大臣。「嘴合わせ三つ雁金」
1931年(昭和6年)12月に立憲民政党(民政党)の若槻禮次郎内閣が崩壊したため、反対党(立憲改進党)の総裁である犬養が内閣総理大臣に就任する。
五・一五事件で、海軍将校の凶弾に倒れてしまった。享年77。


鳩山一郎。1883年(明治16年)1月1日 – 1959年(昭和34年)3月7日、第52・53・54代内閣総理大臣。「尻合わせ三つ結び雁金」
初代自民党総裁であり、日本国とソビエト社会主義共和国連邦との二国間の国交回復を成し遂げた内閣総理大臣でもある。
ご存知の通り、鳩山由紀夫と鳩山邦夫は氏の孫にあたる。

参照サイト:家紋の話あれこれ

まさむね



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