多くの家紋の中で最もデザインが優れた家紋はおそらく、鶴の丸紋であろう。
その証拠にこの紋のデザインは様々に、変形され、社章などになって進化しているのである。
一番有名なのが、日本航空の鶴のマークだ。
既に、JASとの合併によって、この鶴の丸が機体についた飛行機は姿を消してしまったが、いまだに我々の心の中に残っている。
もともと、日航が社章を作るときに、フランスの高名なデザイナーに依頼したのだが、そのデザイナーから「日本の伝統にも素晴らしいものがある」と切り返され、鶴の丸をベーシックデザインとして採用したとの話が伝わっている。
また、清酒・白鶴のイメージも鶴の丸の影響を受けている。
鶴の首の方向、円の歪みなど、いくつかの点で異なっているが、鶴の丸をもとにしたデザインであることは確かなようだ。
白鶴酒造公式HPにはこのマークについて以下のような記載がある。
シンボルマークは、白鶴酒造が伝統的に使用してきた商標名「白鶴」を、現代的に感動あふれる形で表現したものです。
この躍動感あふれるフォルムは、力強い翼で鶴が天高く飛翔する姿を示しています。翼は鶴の頭部を保護するように楕円形になっており、日輪のような羽がダイナミックな感じを与えています。
このシンボルマークは昭和54年、業界に先駆けてCI(コーポレート・アイデンティティー)システムを導入した際に、スローガン「時をこえ 親しみの心をおくる」とともに設定されました。
現在では、このマークは多くの人々から認知され、親しまれており、日本のCIの代表例の一つとされています。
さらに、鶴の丸は、日蓮宗の寺紋としても知られている。
寺紋を見るには、門の脇の塀の端に瓦を見るのが一番わかりやすい。
写真は、「恐れ入りやの鬼子母神」で有名な真源寺の寺紋だ。
ちなみに、真源寺が所属する本門流には、信長が討たれた本能寺も所属している。
さて、鶴紋の普及に関してであるが、全国で29位、決して多くは無い。ただ、青森県だけは12位と多いようだ。
確かに、鶴紋を使用していた南部家から別れた津軽家の領地だったという事が一因かもしれないが、南部家の本家である岩手県ではそれほど多くない(29位)を考えるとそうともいえないかも。その他、比較的に多い地域は、北海道(21位)、秋田県(21位)、宮城県(22位)、愛媛県(22位)、広島県(25位)、福井県(26位)、徳島県(26位)。
さて、鶴紋を使用している有名人だが、以下。
日野富子。1440年5月20日- 1496年6月30日、室町幕府8代将軍足利義政の正室。
山城国(京都府)の生まれ。室町幕府の足利将軍家と縁戚関係を持っていた日野家の出身。
応仁の乱の時代、関所、米相場、高利貸しからの賄賂等で得た彼女の財力によって室町幕府が運営されていた。
NHK大河「花の乱」の主役として三田佳子が演じた。
森蘭丸。戦国時代の戦国武将。
家系は清和源氏のひとつ河内源氏の棟梁 源義家の七男(六男とも)源義隆を祖とする森氏。
信長と衆道の関係にあったとされる。そのため、稚児・児小姓として信長に優遇されたとの俗説が広く流布している。
本能寺の変で主君・信長とともに討ち取られた。
南部利直。1576年4月13日 – 1632年10月1日、南部氏第27代当主。
第26代当主・南部信直の長男として三戸の田子城にて生まれる。南部家は清和源氏の河内源氏の流れをくむ。関ヶ原の戦いでは、領内で一揆が起こったため、帰国して1601年までに一揆を鎮圧。このため、家康から所領を安堵され、盛岡藩の藩祖となった。
家紋は割り菱(左)、南部鶴(中央)、鶴菱(右)を使用。
蒲生氏郷。1556年 – 1595年3月17日、武将。
蒲生氏は奥州藤原氏・藤原秀郷の系統に属する鎌倉時代からの名門。
初め近江日野城主、次に伊勢松阪城主、最後に陸奥黒川城主。
またキリシタン大名で洗礼名はレオン(或いはレオ)。
家紋は蒲生対い鶴。
関孝和。1642年3月? – 1708年12月5日、江戸時代の和算家(数学者)。
本姓内山氏、通称新助。字は子豹、自由亭と号した。家紋は鶴の丸。若くして関家の養子となる。幼少時から独学し、高度な数学を学ぶ。『発微算法』を著し、筆算による代数の計算法を発明して、和算が高等数学として発展するための基礎をつくった。行列式や終結式の概念をヨーロッパより早い時期に提案したことはよく知られる。円周率を小数第11位まで算出した。
杉田玄白。1733年10月20日 – 1817年6月1日、江戸時代の蘭学医。
江戸、牛込の小浜藩酒井家の下屋敷に生まれる。
杉田氏は近江源氏である佐々木氏の支族である真野氏の家系だが家紋は鶴の丸。
前野良沢らと『ターヘル・アナトミア』を和訳し、『解体新書』として刊行。
回想録として『蘭学事始』を執筆し、後に福沢諭吉により公刊される。
大鳥圭介。1833年4月14日 – 1911年)6月15日、幕臣、官僚。
播磨国赤穂郡赤松村の医師・小林直輔の子として生まれる。
戊辰戦争では主戦論を唱え、伝習隊を率いて宇都宮や今市、会津を転戦。
榎本武揚と合流するが、箱館五稜郭で降伏して投獄された。
出獄後、新政府に出仕して殖産興業政策に貢献した。
太宰治。1909年6月19日 – 1948年6月13日、小説家。
青森県北津軽郡金木村に、県下有数の大地主である津島源右衛門(1871-1923)の6男・津島修治として生まれた。
太宰自身「私の生れた家には、誇るべき系図も何も無い。」(「苦悩の年鑑」にて)と述べている。
代表作は「斜陽」「人間失格」「走れメロス」など。
網野善彦。1928年1月22日 – 2004年2月27日、歴史学者。
山梨県東八代郡御坂町にて、江戸時代から続く地主の末男として誕生。
中世の職人や芸能民など、農民以外の非定住の人々である漂泊民の世界を明らかにし、天皇を頂点とする農耕民の均質な国家とされてきたそれまでの日本像に疑問を投げかけ、日本中世史研究に大きな影響を与えた。代表作品「異形の王権」「日本中世の非農業民と天皇」など。
魁皇博之。1972年7月24日 -、現役の大関。(2009年1月時点)
福岡県直方市出身で友綱部屋所属。本名は古賀博之。
幕内在位92場所は、大関在位51場所は、ともに史上2位。
優勝5回、殊勲賞10回、敢闘賞5回、金星6個。
家紋は「向かい鶴」。
渡辺小五郎。必殺仕事人2009に出てくる南町奉行所見廻り同心。
東山紀之が演じる。
普段は、事なかれ主義の情けない同心だが、仕事人としての腕は一流。
渡辺という姓に対応する紋は一般的には三星に一の字の”渡辺星”であるがここではおしゃれな、六角光琳鶴を使用している。
まさむね