沢瀉紋 -武人の心に芽生えた一時の優しさを表す紋-

沢瀉は、全国の池や沼に自生する水草のこと。

戦国時代の武士。それこそ、地を這いずり回りながら戦いに明け暮れていた。
そんな時に、ふと水辺の水草にある沢瀉に目をやる。一時のやすらぎの時間だ。

あの毛利元就も、若い頃、出陣の際に沢瀉に蜻蛉が止まったのを見て「勝ち草に勝ち虫、勝利は疑いなし」と全軍を鼓舞したというが、それを元に、この植物を紋として採用したという。
いずれにしても、猛々しい武人の心に芽生えた優しさ、そんなロマンチックな想像をさせてくれるのが、この沢瀉紋である。

全国的には、17位。長野県で5位、山梨県で7位。群馬県で8位。栃木県、愛知県、岐阜県で10位。
日本の中央部分の山間部に多いようである。

毛利元就。1497年4月16日 – 1571年7月6日、戦国大名。
本姓は大江氏。家系は大江広元の四男 毛利季光を祖とする。
安芸の国人領主から中国地方のほぼ全域を支配下に置くまでに勢力を拡大し、戦国時代最高の名将の一人と後世評される。
家紋は毛利沢潟(右)、一文字三星紋(左)。


福島正則。1561年 – 1624年8月26日、武将・大名。
福島正信の長男として現在の愛知県海部郡美和町で生まれる。
幼少より秀吉に仕える。賤ヶ岳の戦いのときは一番槍として大功を立てて賞され、賤ヶ岳の七本槍の中でも突出して5000石を与えられた。
九州征伐ののち、伊予国今治11万石の大名に封ぜられる。家紋は福島沢潟。


水野忠邦。1794年6月23日 – 1851年2月10日、大名・老中。
唐津藩第3代藩主・水野忠光の次男として生まれる。将軍・家斉のもとで頭角を現し、文政8年(1825年)に大坂城代となり、従四位下に昇位。その後、老中首座に抜擢され、天保の改革(人返し令、株仲間の解散、上知令)を断行しようとするが各方面からの反対に逢い、失敗。強制隠居・謹慎が命じられた上、まもなく出羽国山形藩に懲罰的転封を命じられた。


水田三喜男。1905年4月13日 – 1976年12月22日、政治家。
千葉県曽呂村(現・鴨川市)出身。水田家は400年ほど前に讃岐から移住。
大蔵大臣を数度に渡って務め、戦後日本の代表的な財政家である。
1965年に城西大学を創立した。
家紋は沢瀉に水。


伊藤整。1905年1月16日 – 1969年11月15日、評論家、詩人、小説家。
北海道松前郡に生まれ、1906年に塩谷村(現在の小樽市塩谷町)へ移住。
20世紀日本文学の重要な文芸評論家の一人。昭和初期にジェイムズ・ジョイスらの影響を受けて「新心理主義」を提言。私小説的文学の理論化をめざす。
代表小説は『鳴海仙吉』『若い詩人の肖像』などがある。


古川緑波。1903年8月13日 – 1961年1月16日、コメディアン。
男爵加藤照麿の六男(元東京帝国大学総長加藤弘之の孫)として生まれ、満鉄役員の古川武太郎の養子となる。
1933年浅草で夢声らと劇団「笑(わらひ)の王国」を旗揚げ。
喜劇役者榎本健一とはしばしば比較され、「エノケン・ロッパ」と並び称せられる。


前田慧雲。1855年3月2日 – 1930年4月29日、学僧、教育者。
伊勢国桑名(現・三重県桑名市)出身。
尊皇奉仏を唱え、新欲主学問所の主事となる。
東洋大学(明治39年)、龍谷大学(大正11年)の学長を歴任。
主著は『大日本続蔵経』『大乗仏教史論』『仏教思想講話』など。


高橋是清。1854年9月19日 – 1936年2月26日、第20代内閣総理大臣
嘉永7年閏7月27日幕府御用絵師・川村庄右衛門(47歳)ときん(16歳)の子として、江戸芝中門前町に生まれた。
大蔵大臣の際に、世界恐慌により混乱する日本経済をデフレから世界最速で脱出させた。
二・二六事件で赤坂の自宅二階で青年将校達に暗殺された。


鶴見祐輔。1885年1月3日 – 1973年11月1日、官僚・政治家・著述家。
岡山県生まれ。旗本水谷氏備中布賀知行所代官鶴見家の子孫。
1953年に参議院議員に当選し1期務めた。第1次鳩山内閣では厚生大臣に就任した。
鶴見和子(社会学者)・鶴見俊輔(哲学者)の父親としても知られている。主な著作は『母』『ナポレオン』など。


天知茂。1931年3月4日 – 1985年7月27日、俳優。
愛知県名古屋市出身。本名、臼井 登。
ニヒルの代表格で、死後20年以上経っても「ニヒルといえば天知茂」といわれている。
代表出演作は『ザ・ガードマン』『非情のライセンス』『土曜ワイド劇場』等
家紋は丸に抱き沢瀉だが、これは旗本・水野十郎左衛門の子孫だからか。


荻昌弘。1925年8月25日 – 1988年7月2日、映画評論家。
東京都出身。開成高等学校を経て東京大学文学部国文学科卒業。
TBSテレビ『月曜ロードショー』の解説者を長年務めた。
長年日本レコード大賞の審査員を務めた。
食通としても知られ、「男の料理」の先駆者でもあり、その方面の著書も多い。

まさむね



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