虚言の話もあるけど、シュミレーションの話で言えば何かでよんだ本に、同窓会に幾度に、お金持ちやらホームレスやら毎回トンでもない設定で出かけていくって言うのもありました
その日一日で良ければ結構演技できると思います
試してみるには面白そうです
消されるメディアって紙に書かれていれば、結構偶然残っていたりすると思うのですよでも、電子メディアじゃ、むずかしいかも、私みたいに適当にCD-Rでバックアップ取る人間のデータが残されていれば後世の人はおもしろがるかも・・・
でも、こういう人間ばかりゃ認識が片寄りそうだな
あ
それに読むソフトやハードの問題もあるしね
でも、残されるのって文字情報なんですよね
文字情報って過激じゃないですか、刺激的な本や雑誌も多いしでも、実際は道徳やら社会のルールでもう少しずれたところに社会の軸はあるわけでしょう。その辺、後世の人はどう考えるのかな
聾唖の人とかも社会とのやり取りは文字情報が主体なので、その辺の意識の違いもあるかもしれませんね
いまは、検索サービスの基礎データが更新されてしまったので無くなっているけどひところはアスキーのインターネットサービスが無くなって個人のホームページのデータが検索上は見つかるけど元データはなくってその喪失感は結構な物があったのだけど、こんなこと考えるのは少数なのかも・・
身の回りが雑多なのも何でもとっておきたいと言う意識があるのかもしれないです
農民の神話で言えば、けっこう、こうあって欲しいと言う意識が一人歩きしたというのってありますよね、以前の白痴やバカに聖性を持たせてしまう話もありますけど、あと、インディアンやアイヌなど、マイノリティに自然派志向をもたせてしまうのというのもあると思います。産業革命を経てない民俗は当然どの民俗も全部、自然や環境の事象に聖性を持たせてきたわけで、それを特別視するものなンだかなって感じです
人口が物凄く少なかったわけだから資源も必要としていないし、消費するすべを知らなかったわけだしね
後世の人の為に虚言な情報を残しておくというのも
いいですね
ところざわ